女王様は下僕くんに愛されたい
僕の仕える女王様は、とても面倒くさい。
「りぃーつぅー」
今日もまた、歌うような声で僕を呼ぶ。ああいう時は大概彼女の機嫌がいい時だが、かといって僕にとっていいことというわけではない。むしろ嫌な予感ばかりが募る。
とはいえ、女王様の呼びかけを誰が無視できようか。僕は素直に答えた。
「どうしたの、美夜ちゃん」
「んふふふふ。これを見なさい」
女王様はいやにご機嫌で、僕にスマホの画面をドンと見せつけてきた。そこにあった文面を見ながら、僕はしばし瞬きを繰り返す。
「バレンタイン・フェア……?」
「ふふっ、そうよ! 今度私のパパが経営している百貨店で二日間限定でやるの。どれもこれも有名なスイーツやチョコレートの専門店ばかり。すごいでしょう?」
「へぇー。美夜ちゃんのお父さん、百貨店の経営者だったんだ。すごいねぇ」
なにごとかと思えば自慢話か。適当と思われない程度に相槌を打ち、再び手にしていた本を読もうとする。すると白い手が伸びてきて、僕の手から文庫本をさっと奪い取った。もちろん犯人は女王様だ。
女王様は先ほどまでとは一転、火を噴きそうな勢いで怒っていた。
「ちょっと律! なんなの、その興味なさげな態度は」
「いや、ちゃんと話は聞いてたよ。美夜ちゃんのお父さんの店で、有名なお菓子の出張店が期間限定でできるってことでしょ?」
「違……わないけど! あんた最初の文字ちゃんと見た!?」
「最初って?」
「だ・か・ら! このいっち番上に載っている、おっきな文字のこと!」
女王様はなにが気に入らないのか、さらにずずいっと僕にスマホを見せつけた。そんなにされなくても、僕の目はもうそこまで悪くない。
「バレンタイン・フェアでしょう? さっき読んだよ」
「そうよ、バレンタインよ! そうなれば私にいわなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
「いわなきゃいけないこと?」
「そうよ」
「いわなきゃ……いけないこと……?」
相変わらず女王様のお言葉は、禅問答のようにわかりにくい。彼女のお父さんがバレンタイン・フェアを行うからといって、僕になにをいえと? ああ、そうか。
「なにか手伝うことがあるの?」
「は?」
「美夜ちゃんのお父さん、この前会った時僕に「仕事のできる人間かどうか確かめたい」とかいってたじゃない。よくわかんないけど、美夜ちゃんのお父さんの頼みなら聞くよ」
そう。ついこの間、女王様のご命令で彼女を家まで送り届けた時のことだ。なぜか彼女のお母さんに手厚く出迎えられ、お父さんには品定めするような目で見られ、総じてわけがわからないまま夕食をともにした。女王様はお嬢様でもあるため、食事は普通においしかった。が、まるで娘がはじめて彼氏を連れてきたようなご両親の態度は、こちらとしてはむずがゆいものがあった。
女王様のお母さんは終始笑顔だったけど、時々「律くんは何人兄弟なの?」とか、「大学はどちらにいくの?」とか、「将来どんな職に就くかはもう決まってる?」とか、「ご両親は婿入りについてはどうお考えかしら」などなど質問攻めにもされた。
お父さんの方は逆に一度たりとも笑わなかった。ただ僕を完全に敵視して、「娘はやらん」だの、「健全な距離感を保て」だの、「中途半端なやつには任せられん」だのとブツブツいっていた。そして別れ際にいわれたのが、先ほどの一言だ。
するとなぜか女王様は、顔を真っ赤に染めてぷるぷる震えだした……いつもの爆発前のあれだ。それに僕が身構えていると、予想通り女王様の叱責が飛んできた。
「あんたって本っ当にバカなのね! 私がここまでいってあげてるのにどうして気づかないのかしら!? わざとなの?」
「っていわれても……」
僕には本当にわからないし。
女王様は怒りで半分涙目になりつつも、精いっぱいの威厳を保っていた。
「じゃああなたにもわかるよう説明してあげるわよ。律」
「は、はい」
「今度の土曜日、私をそこでエスコートしなさい」
「……はい?」
女王様の命令はいつだって突飛で、絶対的だ。一度いわれたことはなにがなんでもやり遂げなければならない。たとえそれが……。
「律、次はあそこの店に並んできなさい」
聖なるバレンタインのために、女の子にまじってチョコレートを買う列に並ぶことだとしても。
女王様のお父さんが経営している百貨店は、土曜日ということもあってなかなかの盛況っぷりだ。それもたぶん、この土日限定で行われるフェアのせいもあるだろう。
バレンタインスペシャルフェアと可愛らしいフォントで書かれた旗があちこちに立ち、どこもかしこも有名店のチョコレートを狙う女の子で長蛇の列。それが果たして本命チョコのためなのか、それともいわゆるご褒美チョコというやつなのかはわからないけど。
女王様は今日は朝からずっと上機嫌で、子どものようにはしゃいで店内をめぐっている。お父さんがここを経営しているのなら、もう何度も来ているはずなのに。たとえバレンタイン・フェアにしたって、彼女ならお父さんに頼んで一つぐらい取っておいてもらうぐらいはできるだろうに。どうしてわざわざ僕を使って、並んで買うんだろう。
僕はいわれた店の最後尾に並んで、女王様が来るのを待った。今彼女は優雅に紅茶をたしなんでいるところだ。飲み終わったらいくといっていたが、たぶんそれはこの列がかなり消化された頃に違いない。
なにが悲しくて休日に、男がバレンタイン用チョコを買うのに付きあわなきゃいけないんだろう。そもそも女王様は、誰かにチョコレートを渡すんだろうか? 彼女にそういう相手がいるというのは聞いたことがない。これまでのバレンタインだって、女王様に憧れている男子たちの方から、彼女に渡しに来たぐらいだ。女王様が実際に受け取るのは見たことがないけれど。
でも、ここへ来てこんなにたくさんチョコを買うんだ。きっと女王様は僕が知らない間に、そういう相手を見つけたんだ。女王様にふさわしい、立派な大人の男を。
そうだ、きっと先日の夕食会も、その相手を呼ぶ前の予行練習だったのかもしれない。いきなり本物の彼氏を招待するんじゃなく、下僕である僕を連れていくことで、ご両親の反応を確かめたのかも。
僕だって一応は男だ。仮にも好きな女の子が、ほかの男にチョコを渡すかもしれない。しかもそのチョコを買うための列に、僕が並ばされている。これ以上の悲しみはあるだろうか。これが下僕じゃない普通の男だったら、どうすればいいんだろう?
考え事をしていたせいか、列が少しずつ進んでいたことに気づかなかった。うしろにいた人から急かされて我に返る。
「前空いてますよ」
「あっ、ごめんなさい……わっ」
急に歩き出したせいで、身体がつんのめった。びたっと我ながら情けない音をたて、見事な五体投地。前に人がいなかったのがせめてもの幸い。
うしろにいた女の子が慌てたように声をかけてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
いいながら立ち上がると、ふといつもより頭が軽い……あ、メガネが外れてた。
急いでメガネを拾ってかけ直そうとしたが、転んだ時の衝撃でレンズにヒビが入っていた。
バレたら女王様にまたお叱りを受けるな。そうのんきに考えていたら、女の子のうわ言のような言葉が聞こえてきた。
「美少年……」
「え?」
小さくてよく聞き取れなかったので聞き返したが、相手は気づいてないようだった。頬を赤く染めて、潤んだような目でこちらを見ている。
「ケガはなかったですか……?」
「は、はい」
「よかったぁ」
なんだかよくわからないけれど、カッコ悪い転び方をした僕を心配してくれたらしい。いい人だなぁ。
列がカタツムリ並みのスピードで進む間、その子と話をした。といっても、相手の方から話題を振ってきて、僕が答えるだけだ。同い年ぐらいの女の子なんて、女王様以外とはあまり交流がない。少し緊張した。
「髪の毛サラサラですねぇ」
「そうですか?」
「ええ。それにとってもキレイな色してる。薄い茶色で。地毛ですか?」
「まあ、生まれつき……」
「ですよね! 染めてたらそんなにキレイな髪質にならないもん。それに顔立ちもなんだか高貴に見える」
「えっ? 僕が?」
「シンデレラの王子様みたい……」
どこかうっとりした声でいわれるけど、到底彼女の言葉が信じられない。だって僕は女王様に、「メガネがなければ恐ろしい顔になる」といわれるようなやつだ。それがどうやってシンデレラの王子様になるんだ?
「あの、ちょっと大げさじゃ……」
「律!」
カツカツと音がして、ようやく女王様のお出ましだ。女王様は先ほどまでの上機嫌さはどこへやら、鬼のような形相で僕に近づいてくる。
「あなた、メガネは!? どうしてかけてないのよ!」
「あっ、ごめん。転んで落としちゃって、割れちゃった」
「ったく、本当にどんくさいんだからっ」
女王様はいいながら、僕の腕をつかんだ。
「ほら、いくわよ」
「えっ、どこに?」
「そんな顔のあなたを連れまわせないでしょ! 四階にメガネ屋があるからすぐに買い直すの」
「ええぇ、そんなぁ」
せっかく久々のメガネがない日を楽しんでたのに。
だが女王様は反論は聞かないとばかりに睨みつけてきた。
「命令よ」
「……はい」
僕はうなずきかけて、ハッと思いだした。
「でもこの店、もうすぐで順番来るよ? それからでも遅くないんじゃ……」
すると今まで僕が話をしていた女の子が、思い切ったように声をかけてきた。
「あのっ、じゃあ私が買っておきましょうか!? おうじ……じゃなくて、お二人のために」
「いいの?」
転んだ僕を気遣うだけじゃなく、買い物も代わりにしてくれるなんて……。この子、本当にいい人だな。思わず感激していると、横から女王様の冷たい声がした。
「結構よ」
「み、美夜ちゃん」
「私の律をたぶらかそうとした女の情けなんていらないし、そこまでして欲しいものでもないわ」
威圧感たっぷりに告げると、相手の子は絶句していた。そりゃそうだろう。善意でいってくれたのに、女王様はそれをバッサリ切り捨てたのだから。
「美夜ちゃん、もう少し柔らかいいい方ってものが……」
「こんな下心しかないような女に、そんなの必要ないでしょ。いいから早くいくわよ!」
そういうなり、女王様は再び僕の腕をグイッと引っ張って、無理やり列から外れさせた。ああ、さよなら僕の一時間。
その後、女王様に強制的にメガネを新調させられ、ようやく彼女の機嫌も落ち着いてきた。新しい黒縁メガネは、彼女のおススメだ。
新しいメガネをかけ、念入りに前髪で顔を隠す。そうしてようやっと、女王様は満足してくれた。
「まあまあね。これなら大丈夫でしょ」
女王様のご機嫌が直って、僕としても一安心だ。
「じゃあもう一度、さっきの店に並び直す?」
すると彼女はまたムッとした顔になった。
「いい」
「でも美夜ちゃん、あそこのタルト楽しみにしてたんじゃ……」
「私がいいといったらいいの! そこまで食べたいわけでもないわ」
女王様はぷりぷりしながらいうと、はあっとため息をついた。
「律のせいで疲れちゃったわ。そこにカフェがあるから入るわよ」
「美夜ちゃん、さっき紅茶飲んだばかりじゃなかったっけ?」
「いいから入るの!」
「……はい」
女王様の命令に、いわれるがまま指定されたカフェに入る。さっきはタルトを買い損ねたが、その前にもかなりの量のチョコレートを購入していた。僕の両手は紙袋でいっぱいだ。
今度こそ転ばないように、慎重な足取りで女王様のあとに続く。二人掛けの席で女王様はソファ側、僕は背もたれのある木製のイスに座る。買ったばかりのチョコたちは、女王様のお隣りへ置かせてもらった。
女王様は座るなり、着ていた黒いファーコートを脱いだ。下に着ていたのは、Vネックの赤いニットワンピース。身体にぴったりはりつくようなデザインで、丈は太ももまでしかない。その下は薄いグレーのタイツと高いヒールのブーツだった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
確認に来た店員さんに、僕は女王様の足元から目をそらし、急いでメニューを眺めて悩んだ。すると女王様がさっさと答えた。
「ホットチョコレート、二つお願い」
「かしこまりました」
店員さんは笑顔でお辞儀をして去っていく。僕は女王様にささやいた。
「ぼ、僕、ホットチョコなんて一言もいってないんだけど」
「私が決めてあげたの。文句ある?」
「な……ないです」
しばらくして運ばれてきたそれは、一見ココアのようだった。小さなマシュマロが数個浮かんでいて、飲んでみるとココアよりも濃厚な味がした。
僕も女王様も、甘いものは嫌いじゃない。女王様もホットチョコレートなるものに舌鼓を打ち、満足げな表情だ。
「なかなかおいしいわね」
「うん、そうだね」
女王様はまた一口飲んで、唇の端についたのを舌でぺろりと取った。なんとも官能的に見える仕種だった。
もともと彼女は、年齢よりも大人びて見える。ただ今日は、私服とメイクのせいか、余計に年上のキレイなお姉さんのようだった。
意識しないようにしようとするけれど、彼女が動くたびに心臓がどくりとヘンな音を立てる。これは、下僕が感じてはいけないやつだ。下僕が女王様をそんな目で見るなんて、許されることじゃない。
「りーつ」
一所懸命ホットチョコに集中していたせいか、女王様の呼びかけに反応が遅れた。ハッとして顔をあげると、目の前に小さなチョコがあった。
女王様が、先ほど買ったばかりのチョコの箱をひとつ開けていた。六個入りで、見た目が全部違う。ごく普通のトリュフ、花形のホワイトチョコ、星形の黄色いチョコ、葉っぱの形の抹茶チョコ、複雑なチェック模様のチョコ。それから女王様が僕に差し出しているのが、赤いハート型のチョコだ。
女王様はそれを僕に向かって突き出しながら、身を乗り出した。一瞬、Vネックのニットの隙間から、女王様の決して小さくはないそこがちらりと見えた気がした。
「何度呼んだらわかるのよ。ほら!」
「へ?」
「へ、じゃない! 早くしないと溶けちゃうでしょ」
どうやら僕に食べろといっているらしい。口元にダイレクトに押し当ててくるあたり、本当に強引な人だ。
「あ、ありがとう」
とりあえず素直にお礼をいって、彼女の手からチョコを受け取った。すると女王様は露骨に不機嫌な顔をした。
「あんたってほんとに鈍いのね」
「え、なんで?」
「なんでもないわよっ」
様子のおかしい女王様に首を傾げつつ、僕はチョコをかじった。甘い。それにちょっと酸味がある。イチゴかな。
もぐもぐと咀嚼していると、女王様がたずねてきた。
「どう、おいしい?」
「うん、おいしいよ」
「ふーん、律ってそういうチョコも好きなのね」
基本的に僕は、甘いものならなんでも好きだ。洋菓子でも和菓子でもイケる。
そういえば毎年この時季になると、彼女にやたらチョコレートを試食させられている。男が好きなチョコのリサーチでもしているんだろうか。
僕がチョコを食べ終えると、女王様はその箱を指先でつついた。よく見れば今日は、丁寧にネイルもしてある。バレンタインを意識してか、茶色とかピンクで全体的に可愛らしい。彼女はその爪で箱を指し、上目遣いに僕を見た。
「私も食べたい」
一体なにをいいだすかと思えば、そんなことか。拍子抜けしそうだった。僕は当たり前の返しをする。
「美夜ちゃんが買ったんだから食べなよ」
「律が選んで」
女王様はつやつやの唇を尖らせた。怒っているんじゃなくて、子どものようにごねているのだ。
僕は仕方なく、いわれた通りにひとつのチョコをつまんだ。彼女の今日のネイルと同じ、チェックの模様のチョコだ。
「これでいい?」
「ん」
女王様はうなずいた。だけど手は出さない。肘をついて両手に顎を乗せて、なにやら期待顔だ。だがなにを求めているかはわからない。
僕が戸惑っているのが通じたのか、女王様は渋々いった。
「食べさせて」
これははじめての命令だった。たぶん、この時の僕は目が真ん丸になっていたと思う。自分じゃわからないし、前髪のせいで彼女にも見えないだろうけど。
前髪のカーテン越しに、彼女のわずかに赤く染まった顔が見える。普段は大人びた女王様だけど、今は時折見せるごく普通の女の子の顔だ。
「早くしてよ」
飛び出す言葉は命令口調だけど、声がほんの少し震えていた。それを可愛らしいと思ってしまう僕は、どれほどこの女王様に毒されているんだろう。
緊張しながらも、つまんだチョコをそっと彼女の口元へ運ぶ。彼女はおとなしくパクリと食べた。その時ほんの一瞬、彼女のぷるぷるした唇が指先に触れた。
指先が痺れたような感覚に陥り、急いでその手を引っ込めた。女王様は僕の挙動不審に気づいた様子はなく、おいしそうにチョコを食べている。
僕は彼女の下僕だ。僕は懸命にいいきかせた。
小さい頃からずっと、僕は彼女の下僕だった。あの日あの時、彼女が僕を助けてくれたあの瞬間からずっと。
だから僕は間違っている。この感情は、下僕が女王様に向けるものじゃない。本当の下僕はただ純粋に女王様に仕える者だ。なのに僕は今も、まだ見ぬ女王様の相手に嫉妬している。
彼女に好きな人ができたのなら、それは本来喜ぶべきことだ。いつまでも下僕をやっているわけにもいかないし、相手も恋人の側に別の男がいれば、ヘンに勘繰るに決まっている。
僕はあくまで下僕なんだから、女王様の幸せを願うべきなんだ。女王様がほかの人と幸せになるのなら、笑顔でお祝いしなければ。
じりじりと焼けるような嫉妬心にフタをして、僕は女王様にいった。
「これならおいしいから、本命チョコにもぴったりだね」
「は?」
「美夜ちゃんからもらえるなら、相手の人も幸せだね。美夜ちゃんは美人だから、どんな人が相手でもきっと……」
「ちょっと」
普段とは違う、ドスのきいた声で言葉を遮られた。思わず口をつぐんで顔をあげると、いつになく険しい表情をした女王様の顔が目に入った。
爆発寸前といった女王様は、唇の端をヒクヒクさせながらいった。
「今の、どういう意味?」
「どういうって……」
「なんで私がほかの男に、チョコを渡さなきゃいけないのよ!」
女王様は感極まってか、バンッと机を叩いた。勢いでホットチョコが入ったカップが揺れる。
突然の女王様のお怒りに、僕はやや面食らっていた。
「だ、だって美夜ちゃん、今年はやけにいっぱい買ってるから……。てっきり男の人に渡すんだと思って」
「バッカじゃないの!」
女王様は激昂し、ソファに背中を預けてふんぞり返った。
「この私が、ほかの男にチョコをあげるはずがないじゃないの! ちょっと考えればわかることでしょ」
「え……そうなの、かな」
「そうよ!」
女王様は断言したが、僕としては首をひねらざるを得ない。その間も彼女の叱咤は続いた。
「そもそも律、あなた私がほかの男にチョコを渡していいの?」
「え?」
「本当にそう思ってるの!?」
そんなの、本音をいってしまえば嫌に決まっている。彼女に好きな人ができてしまえば、僕が彼女の側にいる言い訳がなくなってしまうのだから。でもそれを、どうしていえようか。
「美夜ちゃんが望むなら、仕方ないと思うけど」
「煮え切らない答えね」
女王様はブスッとした声でいい、深々とため息をついた。
「安心しなさいよ。これは全部自分と家族用。この時季でなきゃ、こんなにたくさん買えないでしょ」
「そうだったんだ」
「当たり前でしょ。ほかの男に渡すチョコなんてないわよ」
「それは……」
それで、ちょっと悲しいような。
僕のいいかけたことがわかったのか、女王様はじろっと僕を見た。
「律以外にはね」
「えっ?」
「毎年ちゃんとあげてるじゃないの。覚えてないなんていわせないわよ」
確かにバレンタインが近くなると、毎年かなりの量のチョコの試食をさせられる。今みたいに、箱に入っているうちのひとつやふたつを食べて感想を聞かれて答える。……まさか、それか?
僕が恐る恐るたった今食べたチョコの箱を指さすと、女王様は大きくうなずいた。えぇー……。
「わかりにくいよ……」
「なんですって?」
「いや、なんでもない」
まさかチョコの試食が義理チョコ代わりなんて、誰が気づこうか。義理とはいえそこはもうちょっと女王様にもご配慮いただきたい。
無駄に落ち込みながら、僕はいった。
「本命を渡す時は、もっとちゃんといってあげた方がいいと思うよ」
ただでさえこの女王様は、ちょっと誤解されやすい性格なのだから。
またお叱りが来るかと思っていたが、返ってきたのは思ったよりおとなしい言葉だった。
「そう、覚えておくわ」
その時の女王様の顔が少ししょんぼりしていたように見えて、僕は思わずドキリとしていた。
下僕くんこと松永律は、この時まだ知らなかった。女王小鳥遊美夜がとっくに本命チョコレートを差し出しているということを。
六個入りチョコの中のたったひとつではない。毎年無理やり押しつける、下僕くんから試食と思われているあれでもない。
小さなマシュマロがぷかぷか浮かぶ、湯気の立つ甘い甘いホットチョコレート。これこそが小鳥遊美夜が選んだ、下僕くんへの本命チョコ。
だがただでさえ鈍感な下僕くんが、こんな遠回しなものに気づくはずもなく……。小鳥遊美夜の策略は今年も失敗に終わるのだった。
「……来年は、もっと頑張る」
「えっ、なにを?」
「なんでもない!」
そして結局、女王様の恋心は下僕くんには届かない。……今は。
前作で続編のご要望があったので、思いきって書いてみました!
は、果たしてご期待に沿える内容になったのでしょうか……。
美夜さんは毎年、(自分の中では)本命チョコを渡しているそうです。
きっと来年は、もう少しわかりやすいものを渡すかも、しれません。
それにあの下僕くんが気づくかどうかは別ですが(笑)
余談ですが、女王様が見事切り捨てた名もなき女の子は、ひそかに「女王と王子の禁断の恋……萌え」とつぶやいていたそうです。
少々早いですが、皆様もよいバレンタインを!
えっ、私ですか? どうせ渡す相手もいませんよ、ちくしょう!←
口の悪い作者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>
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