彼
今回長いです。申し訳ない。
目が、覚める。今日は涙を流していない。いつものように顔を洗い、いつものように朝食を取る。
昨日もあの後から孝人さんに出会っていないが、俺をどうするかの話し合いでも世津さんとしているのだろうか。
ところで、二上という人物は誰だろう。全く思い当たる節がない。そもそも、一回も会っていないんじゃないだろうか。
……しかし、なにかもっと大きなことを忘れてないか?
「アサシン、どこだ……?」
あの後、体内にもう一度戻すことなく、そのまま俺は家に帰ってしまった。今、全く話しかけても来ないところから見ると、結界で入れない、といったところか。
玄関のドアを開けて駐車場へと降りる。すると、自販機の影から、そいつは不機嫌そうに顔を出した。
「てめぇ、忘れたな?俺を」
「あぁ、完全にな」
アサシンはチッと舌打ちをすると「まぁ、俺が勝手に移動したのが悪いな」と勝手に自己完結していた。
「で、早速だ。和仁、お前には全て思い出してもらわなきゃ困るわけだ。と、いうわけで、怜花にもう一度会ってもらう」
あの炎天下の屋上で、陽炎の揺らめく中、それでも俺も待ってくれていた彼女の姿がよぎる。
「確か屋上で待っていたが……」
「多分、誰かが忠告したんだろう。もうあそこにはいねぇよ」
そう言われて、どこか気が落ち込んだのは、なぜだろう。
「と、なると。あいつの家に行くのが手っ取り早いな。記憶もすぐ思い出すだろうし。ふふふっ、我ながらいい作戦だぜ」
アサシンは自信満々に、ふんぞり返ってニヤニヤと笑う。自分で考えた作戦を自画自賛しているあたりで、なんだかコイツは馬鹿な気がしてきた。
「まずは二上町に行かなきゃな。学校で降りるところよりちょっと奥での下車だ」
「初めてだな」
「残念、お前は2年前に何度も経験してるんだな」
どこか知ったような顔をしたアサシンと、とりあえず二上町まで行くことになったが、どうもアサシンの性格は好かない。
駅で下車をすると、高校のあたりで降りるより、少々涼しい気がした。アサシンが言うに、山の陰に入りかけている場所だからだそうで。
ついてこい、と言われたので、とりあえずアサシンに付いていくことにした。
「しかし、家に張られている結界は、どういうものなんだ」
ここで、少し気になっていた、家に張られている結界について聞いてみる。正直、自分の中ではピンと来ていない。人間には無害で、煙に変化するコイツには有害、そういったものだろうか。
アサシンはフードをかぶり、周りの人間に同化しながら、喋りだした。
「あぁ、和仁には見えねぇんだよ。なんせ、札で区切ったわけでも、塩を盛ったわけでもねぇんだからな」
「よく神社の札とか、盛塩とか聞くが、そういったたぐいではないんだな」
「そうそう、ぶっちゃけ、人間のものじゃねぇよ、あれは。「術」ってもんだ。呪文と酒と血、だいたいそんなもんを使う」
「術?」
今時の現代に、術を使えるやつがいるというのは、随分オカルトで実感がない。だがしかし、コイツの存在そのものもオカルトだし、第一、俺の蘇生能力もオカルトのたぐいだ。そうやって考え直せば、まだ術の方が現実味を帯びているようにも思える。慣れとは不思議だ。
「二上神社の神主、二上隆平は、古くから神社に伝わる術をいくつか使えるんだ。と、いっても、やつの術はぶっちゃけ下手くそだ。あんなの、奥さんがやったほうがずっとうまくいく」
唐突な神主批判だ。不機嫌そうな顔をして話すあたり、よっぽどその神主の術が下手くそなんだろうと察することができる。
「奥さんについては聞かないでおくが、その術の中身を知っているのか」
「あぁ、話がそれたな、つい。で、二上がやった術ってのが「忘却の術」そのまんまだな。昔から、神の秘密に触れたものを抹消するための術だったらしい。それが、お前自身と、住んでいる家にかけられている」
「つまり、意識を失って、目が覚めて記憶がないのはそれか」
「そうそう、お前自身にかかる忘却の術が、直前の記憶を引き連れて、目的の記憶を消すんだ。だから、お前の抑制装置だと思え。記憶に関してのな」
「しかし、住んでいる家にかける必要はないんじゃないか?」
それなんだよ、と言いながら、アサシンは俺を指さす。
「ついこの前までは、家までかかってなかったんだ。だから、怜花だって近寄れた」
「忘却の術は人間にまで影響するのか?」
「そうじゃねぇ。今は、忘却の術に、排除の術がかけられている。幽霊、人間問わず、すべてを跳ね除けちまうんだよ。外部からの連絡を断ち切って、お前を孤立させることで、思い出させないようにする。と同時に、家にいる限り、記憶を深く思い出すことはない。最近は嫌な夢を見ず安眠できるだろ?」
そう言われてみれば確かにそうだ。前に見た夢の内容こそ思い出せないが、最近は夢を見ずにぐっすりと眠ることが出来る。家の中では、水底から誰かが手を伸ばすことも、脳内で誰かが囁くこともない。
「俺も排除の術で近寄れねぇが、お前の中に入って、家に入れば、排除の術の効果なんて薄いもんだ。そもそも、あのヘタレ神主の術だ。家の中にさえ入っちまえば、俺がその術を解くことだって容易いもんよ」
しかし、どうもあの術おかしいよなぁ……とブツブツつぶやいていたが、ほっとこう。
「じゃあ、なんでその術を解かない。手っ取り早く思い出して欲しいなら、そうするべきだろ」
「あのなぁ……んなことしたら、大参が気づくに決まってんだろ!大参も、術がかかってるかかかってないかくらいはわかるやつだ」
そんなことが孝人さんにできたのか、と感心していると、アサシンの足が止まった。
「ここから先は一人で歩け。俺は遠くから見ている」
その目の殺気に、ただならぬ雰囲気が感じ取れる。言われたとおり、そこから先はまっすぐ一直線に歩いた。すると、住宅地に突入した。
どこか、見覚えを感じる。その時だった。曲がり角からやってきた人に驚き、思わず足を止める。
「あっ……」
「せん……ぱい……?」
俺を見るやいなや、彼女は手に持っていた花を落として、泣き出してしまった。いったいどうしたことか。俺の、あの日の自殺が悪かったんだろうか。
「似非さん、ごめんなさい、先日は」
「いえ……いいんです。覚元先輩にもう会えないかと思っちゃって」
無理もない、目の前で首を切って大量出血してるんだ。誰もが死んだと思うだろう。
「この通り、死んでいない。元気だから泣かないで」
泣き止ませ方もよくわからない。そもそも、女子が泣いた時にどういう反応をすればいい。そういったことに関する記憶はまるっきり抜けている。いや、最初から存在してない!
だが、俺の言葉を疑問に思ったのか、彼女は首をかしげた。
「死ぬとは……思ってなかったですよ?」
「ん?」
正直、的外れな回答だったようだ。そして俺にとっても、的外れな返答だ。
「覚元先輩が、あれくらいで死ぬはずありません。2年前、あれほどのケガから、このとおり生きてるんですから」
2年前のケガ……?それは……なんだ……?
「それよりも、先輩に二度と会えないかと思ったんです。私は、先輩を避けて暮らしてくれと、大参先生から言われましたし、先輩もしばらく家から出ないって聞いてましたから」
「そう……なのか……」
2年前、ケガ、その言葉に、胸がざわつく。額から暑さとは関係ない汗が流れ、視界には遠くなっていく空が映る。
「その……もう、思い出したくないですか、2年前のことは」
「いいや、こっちには覚悟がついた。今は、思い出す覚悟ができているよ」
「じゃあ……その……」
恥ずかしそうに、落ちていた花を拾い、俺にほほ笑みかけた。
「一緒に、兄のお墓参りにいってくれますか?盆はまだ一週間先ですが、私は毎週行ってるんですよ」
その花が、お墓参りのための花だと気づいたのが少し遅かった。物事から心情を察してあげられないとは、非常に迷惑なことをした。
彼女の後についていきながら、記憶が何度か、頭をよぎる。自殺しようとしたあの日に思い出していた「昼食を一緒に食べる同級生」
しばらく歩いてたどり着いた墓に、彼女はそっと花を手向ける。その墓石の前には、色あせた写真が飾られていた。今はまだ何も考えず、手を合わせる。
……ノイズのように、記憶が映る。それでも、まだ考えずに、手を合わせ続ける。
「なぁ、和仁。俺が死んだら、墓参りにはちゃんといちごサンド置けよ?ダメだったら、墓石にいちごミルクかけてくれ!」
「馬鹿か、そんなこと出来るわけないだろう。その前に、お前は死なせないよ、絶対に」
「あぁ、じゃあ俺もお前を死なせない。約束な」
約束……したじゃないか……
「おい、似非。力を使え、俺も使う!だから……だからこんなところで死ぬんじゃねぇ!」
「……なぁ……和仁……お前に……」
死なせないって……
その色あせた写真に目を向ける。その写真が次第に色を取り戻し、記憶の中から引き出される。
膝から崩れ落ち、その目の前の現実をもう一度叩きつけられる。
「あ……あぁ……似非……」
それは、俺にとっての絶望だった。唯一の希望であった彼を、俺は自ら失ったのだ。
あの日の俺に、もっと力があったなら。あの日の俺が、もっと早く事の真相に気づいていたならば、彼は死ぬことがなかったのだ。
これはもはや懺悔だ。俺など、生きていてもどうしようもない。俺なんて生きる価値もない。今お前の目の前で死んで見せよう。そうすれば、お前の命を奪った俺は、お前に詫びることができる。そう、彼女にも。
ポケットの中を探るが、カッターナイフがない。死なない、死ねないんだ。カッターで切ったぐらいじゃ、俺は死なない。
「クソっ……誰か……俺を殺してくれ……すまない、似非……俺がっ……!」
「クソはてめぇだ、クソ野郎!」
その時だ、俺の顔に、回し蹴りが飛んできた。勢いで2メートルほど吹っ飛ばされる。なんとか目を開けると、目を赤と青に光らせた、アサシンが立っていた。
「ったく、一番大事な部分を思い出せねぇんじゃ馬鹿みてぇだ!てめぇは一度眠ってろ!」
青い目が一際光ると、俺の意識は、顔の痛みなんて関係なしに、強制的に深い眠りへと落ちていった。
その一連の光景を見ていた、似非怜花は、驚いて目を見開いた。
「そこまですることないじゃない!」
するとアサシンは耳を掻きながら「は?」と言い返した。
「ったくよぉ、俺たち協力関係なのに息合わねぇな。そもそも、お前の記憶の思い出させ方が強引なんだよ!墓参りなんか連れて行ったら、真っ先に怜治の死を思い出すじゃねぇか!」
「だって、お兄ちゃんがどうやって死んだかわからないから……」
「それでも、この前のことで学ばなかったのかよ!あー、怜治の死を思い出させたら、コイツ死ぬなーって」
「っ! そんな軽々しく言わないでよ!」
「だいたい、前回も場所が場所だ! 屋上なんかで思い出させたら、怜治と一緒に飯食った場所だって思い出すと同時に「怜治が死んだ場所だ」って思い出すじゃねぇか。逆効果だよ!」
「それは……考えが甘かった……でも、私、本当に現場を知らないの。覚元先輩と死神にしかわからないじゃない!あんたにはわかるって言うの?アサシンだから?」
大声で怒鳴った怜花を見て、アサシンも流石に驚いたのか「悪いな、俺も記憶の断片を盗み見ただけで知らない……」とたじろいた。
「そもそも、あの現場にあんたがいれば……」
「その話は今度だ」
怜花の話を、アサシンは聞くことなく遮った。その表情には怒りも、道化もない。それは無だった。
「それに、久しぶりに、この前話しかけてくれたじゃない。なんでなのか、教えてよ」
だが、そんな質問など聞いていなかったかのように、怪しげに笑う。
「まぁ、またじっくり、コイツに思い出させよーぜ。じゃ、コイツは連れて帰るぞ」
アサシンは和仁を抱き抱えると、怜花の静止も聞かず、高く飛び上がり、電線や屋根などを伝い、完全に見えなくなってしまった。
怜花は、その様子を見て、墓石に置かれた写真に目をやる。「似非怜治」彼女の兄だった。大きくため息をつき「まぁ、あいつは仕方ないのよね」と呟いた。
「本当に、お兄ちゃんとあいつって、そっくりよね」
アサシンの顔は、髪と目の色を変えただけで、本当にそっくりだった。
アサシンは何者なんでしょうね。