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作者: 竹とんぼ

いつもの通学路、背中のギターケースを背負い直した時に私はいつもと違うことに気づく。

カラッと乾いた冷たい空気が私の鼻の奥をツンとつついた。驚いた私は立ち止まり青空に向かい口から息を吐き出す。その吐息はまるで煙草の煙のように白く染まっていた。

冬だ!冬がやってきたのだ!

最近は厚手の服を纏うようになり、外を歩くときもポケットに手を入れることが多くなって、そろそろ冬が近づいて来ていることは予感していたが、こうして直感的に冬を感じることができるのはやはり嬉しいものだ。

私は冬が大好きなのだ。というのもただただ暑いのが苦手なだけというのもある。私は汗っかきで夏場は着ているものがすぐダメになってしまう。その上夏は食べ物も痛みやすくなるし、なにより熱中症の危険だってある!なによりあの全身にまとわりつくような粘っこい暑さが私は一番嫌いなのだ。夏を喜ぶ周りの友人を私は未だに理解できないでいる。

その点冬は実にいい。何処へ出歩いても汗で服がダメになることもない。食べ物もそう簡単には痛まないし熱中症の心配だってない!それになにより冬に食べるご飯は格段とおいしく感じるし、お風呂だって気持ちがいい。そして極めつけは布団だ。朝方の冬の布団には麻薬にも似たような強力な力を持っている。それに逆らわず静かに飲み込まれていくのが堪らない快感だ。その代償として遅刻をしたりもするが私には十分その価値があるようにも感じる。寒さの中で温もりを感じることができるのが冬の醍醐味なのだ!

「夏実!」

冬の素晴らしさについて考えていたところに私の嫌いな夏という単語が出てきたことに私は一瞬驚きつまづきかけた。

「なーに?どうせ男のこととか考えてたんでしょ~?」

この女は須藤すどう あかね。私の友人であり同じギター部に所属しているクラブメンバーだ。因みに小学校からの幼なじみでもある。

「いや、冬について考えてた。」

私は包み隠さず正直に答えた。

「あーねー。冬ってやだよね~。乾燥肌であかぎれ起こすし。耳は痛いし~、あたし寒いのきらーい。

早く夏になんないかな~」

茜は私とは真逆の女だ。

「なにいってんのよ。もう夏なんて来てほしくないわ。」

「はは、夏実って昔っから夏嫌いだよね~名前に夏って漢字入ってんのに」

茜が笑いながらそう茶化した。

確かに私の本名である内山うちやま 夏実なつみには夏という字が入っている。夏が嫌いな私にとっては皮肉ともいえる。もし改名してもらえるのなら冬実にでもしてもらいたいものだ。

「夏が嫌いな夏実ちゃ~ん」

茜が歌いながら正門まで歩いてく。もうこのやり取りを何度やっただろうか。毎年夏と冬には必ずやっているような気がする。

「あ、そーだ部長!」

茜が私の方を見た。今まで夏実と読んでいたくせに急に部長と言いだした。これは部活の話をする合図のようなものだ。

「今日部活やんの?」

「私が何背負ってるように見える?」

「この地球の運命」

いつもの茜の冗談が始まった。

「ギターに決まってんでしょ!」

「わかってるって~、冗談だってば~」

私はジョークだとわかっていてもそれに付き合う気はない。お堅い性格なのだろうか、でも普通にお笑い番組なんかは好きなのだけど…。

「あーやばやばやばば~、授業はじまっちゃう~!」

茜は校舎の昇降口に走っていった。私もそれに続いた。


・・・・・・・


「で、あるからしてこれが~」

いつものことなのだが細谷の文学の授業は聞いていてつまらない。

やっている本人は楽しいのだろうか。

細谷には細いという漢字が使われているが本人は結構な肥満体型でお世辞にも細いとは言えない。

名前に反する体型には、夏が嫌いな夏実と通づるものがあると思ったが、こんなやつと一緒なのかと嫌悪感も同時に感じた。

一通り板書を終えればあとは解説だけなので聞く必要はなくなり、ノートを取ればこの授業は終わりといっても過言ではなかった。細谷の解説はぶっちゃけた話教科書を見れば十分に理解できる程度のものなのだ。

私はかばんからノートを一冊取り出した。マイ・コードブックだ。ギター部の活動をやるに当たって私は作曲も行うようになったのだ。

パラパラとページをめくり、作りかけの曲のところまでたどり着く。

今回のキーはGメジャーだ。と言っても私の作る曲は大体Gコードなのだ。なによりも作りやすく弾きやすいので私はとても気に入っていた。

ギター部の主な活動は文化祭などで弾き語りをすることなので、できるだけ簡単なコード進行で行くように心掛けている。以前生意気に四和音や五和音を盛り込んだ曲を作ったが一部の部員から弾きにくいと苦情が来た。ただ伴奏で弾く分にはいいのだろうが、流石に弾き語りとなると厳しかったみたいだ。実際作曲した私自身もいっぱいいっぱいだったのだ。これは苦情が来るのも無理はなかっただろう。プロのシンガーソングライターの弾き語りではこんなのを当たり前のように弾いていたりするが…所詮はプロとアマの差なのだろう。しかも高校生とあっては足元にも及ばない…これはテクニックだけではなく、作曲の面でも痛感させられることだった。まぁプロになる気なんてさらさらないのであまり気にしなくていいのかもしれないが…。

だからと言って全く四・五和音を使わない訳ではない。この2ヶ月前に作った曲で最後にCadd9で締めくくった曲はなかなか好評だった。それに味を占めていた訳ではないのだが、ビートルズみたいに単純なスリーコードで良い曲が作れるセンスなど私にはなかったのだ。

テクニックもなければセンスもない私の作曲は一体何処へ向かっているのやら。

しかし、私にだって目標はある。1年前に卒業していった先輩が残した曲「silent city boy」は歴代ギター部の中でも五本指に入るほどの名曲だった。マイナー調のコード進行で時折見せるテンションコードやディミニッシュコードはとても憎たらしいほどにキまっていた。そして思春期の少年の葛藤を描いた歌詞はこの曲調にとてもマッチしていた。この曲に関してはギター部全員が認めており、レコーディングしたCDを文化祭で売り出したところなかなかの売上を果たした。そのうえ学校地元の市長も参加するようなイベントで是非この曲をと招かれたこともあった程だ。

ここまで見せつけられて何とも思わない訳がない。私の目標はこの「silent city boy」と並ぶ、いや越えるような曲を卒業までに書いて見せることだ!

と言っても今作っている曲がそれに対抗できるものかと言われると口ごもってしまう。だがそんなこと気にしたって仕方がない。今はこの曲を完成させることが先決だ。

私は再び熱を入れ作曲に取り組んだ。

作曲には手元に楽器が必須なのだが授業中であるためそれが出来ないのがもどかしかった。


・・・・・・・


ようやく授業も終わり部活の時間になった。私にとって優雅な一時、さっき書いた曲がどんな感じか試したくてウズウズしていた。

ギター部の部室は音楽室だ。以前吹奏楽部が使っていたのだが、部員が増えて音楽室が窮屈になってしまったのか、最近では多目的室を使っているところをよく見かける。そして使われなくなった音楽室を我々ギター部が占領したわけだ。

以前使っていた視聴覚室よりも断然使いやすく、機材なども揃っていたのでとても気に入っている。

ガラッと部室の扉をあけ中へ入ろうとすると背中からゴンッと鈍い音がした。恐る恐る目をやるとギターケースのヘッド部が扉の枠にぶつかっていた。

またやってしまった。こんなことしょっちゅうだ。

こんなことがある度にハードケースで良かったと思い知らされるのだ。

「おっす部チョー!お客さんだよー!」

茜が先に来ていたようだ。茜の他にも部員はいた。音楽室の窓際でスリーフィンガーアルペジオを弾いている杉本すぎもと 和美みか。机に座って忙しなく携帯を弄っている雨宮あまみや すず。部員はこれで全員だったりする。実はギター部は全員が二年生で一年生という後輩がいなかった。三年生の先輩はたった二人しかおらず三年生になったとたんに早々と引退していった。なんとか人を集めなければ部の存続も危ういとは思ってはいるもののなかなか人は集まらない。もうギターなんて流行らないのかもしれない。そう考えながら音楽室を見渡すと茜の隣奥に見慣れない顔があった。この人が茜の言うお客さんなのだろう。


「あ、あの…えっと…なんていったらいいのかしら…。」

そのお客さんは、なんと切り出していいのかわからず踏ん切りがつかない様子だった。

見慣れない顔ではあるのだが、そのお客さんのことを私は知っていた。みなみ 姫香ひめかだ。

彼女は人形劇部の部長で、部長会議の時私は彼女の顔と名前を知り、それを覚えていたのだ。人の顔と名前を覚えるのは得意とは言えないが、彼女の容姿は整っており足もスラッと長かった。しかし身長はとても高い訳ではなく、見たところ私とあまり変わらない160cm前後だ。この学校の冬の制服はブレザーなのだがその上からでもわかるくらいにに胸はふっくらとしていた。早い話女性としてなかなか理想的な体型をしている彼女はとても印象深く私が顔と名前を覚えるのにそう時間はかからなかった。特に彼女のルックスは同じ女性でもある私から見ても美しいといえる。肌は透き通るように白く、目もくっきりとしており、まつげは程長く、鼻は比較的高かった。そして彼女の瞳にはうっすらと青みがかかっていた。これはカラーコンタクトではなく生まれつきの天然ものなのだそうだ。そのアクセントも彼女の魅力を更に引き立てていた。勿論彼女は学校の男子からの人気も厚い。それもそのはずだ、彼女の母方の祖母は北欧系の人だという。その血を引いているのならばそうなるのも納得であった。

座りかた一つにしても気品が感じられまさにお姫様という言葉が似合っていた。姫香という名前に姫という漢字が入っていようが彼女には名前負けしないほどのものがあり、どこか羨ましかった。

「入部希望ってわけじゃないよね…あなたも部長なんだし」

私は南の斜め向かいに椅子を持ってきて座った。

「ってかー人形劇部ってなにやってんの?パペッ○マペットみたいなー?」

「うわっなつかしい」

茜の言葉に鈴が反応した。携帯しながらも話は聞こえているらしい。

「えっとね、人形劇部ってのはまぁ、手作りの人形を使って劇をしてるの。よく近くの老人ホームとか幼稚園保育園とかの施設でボランティアで劇をしてるのよ。」

「あ、そーゆーのあたしらもしたことあったよね!」

茜のいう通り私らも以前老人ホームで弾き語りをやったのを覚えている。年齢層が高いだけに渋い歌がうけたがそれっきりだった。

「へー、あれって手作りだったんだ」

和美がギターを弾く手を休めてこちらの話題に入ってきた。

「ん?和美みたことあんの?」

鈴が和美の方を振り向いた。

「去年の文化祭で2号室でやってたよね~。ん?見に行ったの私だけ?」

キョロキョロと和美が周りを見渡した。

「ふふ、ありがとう」

南が微笑んだ。笑顔にまで気品があった。こりゃ悩殺される男が多いわけだ。因みに2号室というのは学校の二階にある空き教室だ。彼女らの部室でもある。

「なかなか作りこまれてて可愛かった~。あのカエルのお人形とか!」

…カエルが可愛い?想像もつかない。

「よかったら今度遊びに来ない?来てくれたら作り方教えるわよ!」

「ええ!是非!」

歯車が噛み合ったように二人は意気投合している。

段々ここに馴染んできた南は本題に入った。

「それで、本題なんだけど、私たちがやっている人形劇って使ってるのが基本的にマイクと人形だけなの。それだけだとなんだか寂しくてね。なんだか盛り上がりに欠けるっていうのかな。そこでもしお願いできるのならばあなたたちギター部に人形劇のBGMを作ってほしいの!」

「!!?」

あまりに予想外なお願いに私達は仰天した。…仰天していたのは私だけだった。

「へーおもろいじゃん!」

茜は食い付き気味だった。

「別にBGMとか適当に拾ってきたやつでよくない?フリーとかあるし」

鈴は相変わらず携帯を弄りながら言った。

「最初はそれでもいいかなって思ってたんだけど、でもやっぱり、その場面場面に丁度に適した音楽を見つけるのって難しいの。何度も場面に当てはめてみてもなんかしっくりこなくて…でもあなたたちに頼めるんだったらこんな感じに作って欲しいって直接言えるしそれにオリジナリティーだって生まれるって思って。」

「オリジナリティーって、大体そういうのって他力本願っていうんじゃないの?」

鈴が毒づいた。鈴は南のことをあまり快く思っていないらしい。

「それを言われると痛いけど…。でも本気で良い劇をしたいの。もちろんタダでなんて言わない。流石にお金は渡せないけど…あなた達が必要とすれば何でも手伝うし、言うことだってきいてあげる!」

彼女の熱意はひしひしとこちらにも伝わってきた。

「…ま、決めるのは部長なんだけどさ。」

鈴の一言で背筋に電撃が走ったように私ははっとした。

そうか…決める権限は私にあるのか。顧問の笹井は部活来ることはほぼなく、彼には部活動報告書の判子をもらいに行くくらいにしか会わず彼もこの部活にさほど興味をもっていなかったため、私たちは好き勝手にすることができていた。こう言った部の方針や活動も全て部長である私が決めていた。

「皆はどう思う?」

私は部員達に問いかけた。

「あたし全然オッケー」

茜は賛成

「私気が進まない。なんで他所の部活の為に働くの。」

鈴は反対

「部長に一任しまーす。」

和美は放棄

うーん綺麗に三当分されてしまった。奇数の癖に。

コソコソと茜が近寄ってきて耳打ちをした。

「引き受けちゃいなよ。これで恩作ったら人形劇部になんでもしてもらえんだよ?南のセミヌードだってつくれんだよ?男子にバカ売れするって!」

どこまで本気で言っているのかもうわからない。

「別に今すぐって訳じゃないわ!また日を改めて答えを聞かせてもらえれば…」

「引き受けるわ」

私の思考よりも口が先に動いてしまっていた。

自分でも今なんといったか一瞬解らなかった。


・・・・・・


「いやーさっすがぶちょー。賢い!これで暫く部費の心配いらないし新しいギターだってかえちゃうかも!」

「…あのねぇセミヌードなんて作るわけないでしょ。」

「ええ…」

茜が落胆した。結局はいつもの冗談なのだ。

「…なんで引き受けたのよ。」

鈴は不服そうだった。

「ちょいちょーい。部長が決めるっていったのあんたじゃーん」

「うっさい」

「まぁまぁいいじゃないの、たまの人助けも」

ギターを片手に和美は二人を宥める。

「…南のね、本気で良い劇がしたいって言葉に惹かれたのかも。」

「「「え?」」」

3人が一斉にこちらを向いた。

「あの娘の気持ち解るわ。部長であることの責任とか、今の部長であるからこそ先輩達を越えるような何かをしたいって強い気持ちの現れっていうのかな。私にも通じるなにかを感じたの。ただただ人助けをしたいって意味だけで引き受けたんじゃない。これで私自身も何かを得られそうな気がしたの。本気で立ち向かう人間に寄り添えば自分も本気になれそうな気がして。」

あのあと気持ちの整理をしていたらこんな回答が私の心の中に存在していたのだ。

先代を越えたいという気持ちに私は激しく同調したのだ。私にも先輩が作った曲を越えたいって目標がある。でも、このままだと何も出来ずじまいになりそうなのもまた事実だった。このコラボレーションが新しい刺激となり、先輩を越える力を発揮させるかもしれない。私は本気でそう考えた。そして答を出したのは私の思考よりも口が先だった。

「すっげー熱弁。本気度たけー」

茜は茶化す訳でもなく本心から思ったらしい。

「……わかった。夏実が部長だからそれには従うけど。」

鈴も納得してくれたみたいだった。

「んで、誰が作るの?BGM」

鈴が疑問を投げ掛けた。

「そりゃきまってんじゃーん。ね、部長!」

茜がこちらを向いた。どうやら私で決まりのようだ。

「…一応全員で作ることをモットーにするからね!」

このままだと負担が大きくなりそうだったんでそう付け加えた。

「えーきいてないよー」

茜が不服そうに言った。

「今日からの部活動方針よ。」

私は腕を組んで宣言した。

「じゃ、私帰る。バイトだから」

鈴が音楽室を後にした。

「じゃ私もー歯医者予約してるからー!」

茜も帰っていった。

音楽室に残されたのは私と和美だけになった。

和美は再び窓際に戻りギターを弾きだした。

私はコードブックを取りだし、授業中に書いた曲の試奏をしようとギターケースを開けた。

中からYAMAHA製のエレクトリックアコースティックギターを取り出した。このギターは他のギターに比べ比較的小さくクラシックギター程度の大きさだがショートスケールではない。ボディーが小さい分音は小さいがアンプに繋げば十分実用できる。小柄なボディーと細いネックは私の体と手にすっぽりと収まりとても弾きやすかった。私の一番のお気に入りで高校入学時に入学祝として買ってもらったものだ。

早速コードブックを見ながらギターを鳴らしてみた。

…今回の出来はイマイチだった。


・・・・・・・・


翌日の昼休み、私たちギター部は部活動会議も兼ねて皆で昼食を取っていた。

私のお昼は今朝姉さんに作ってもらったお弁当だった。いつもはお母さんに作ってもらうのだが、今は県外へ出張中の為、比較的時間のある大学生の姉さんが今は家事をこなしていた。

姉さんがお弁当を作れるのか正直不安だったのだが、弁当箱を開けてみればそれも杞憂に終わったようだった。

しかし、弁当箱の角にあるひじきのなかにラップの欠片が入っていることに気付き、はやり油断はならないなと感じたのだ。

「んで、なにか決まったの?あれから。」

鈴はサンドイッチをくるんでいるラップを外しながら私に問いかけた。

「あーいや、まだなにも…」

そう答えるしかなかった。実際昨日の放課後に南と別れてから今日この時間に至るまで南と会っていなかった。彼女の連絡先すらもわからない。

「まー気長にいーじゃない」

和美は購買部から買ってきたパンを食べていた。

「ふぃふふぁふぇふぃふぁふふぉふぁ」

「もぉ茜、ちゃんと飲み込んでから話してよ!汚いなぁ」

鈴が顔をしかめて茜に苦情をいれた。茜は食堂から持ち帰り容器でカツ丼を買ってきてそれを食べていた。食べながら話そうとするものだから全く言葉になっていない。

「はは、ごめごめ」

茜は口の中のものを飲み込んでから話を再開した。

「んで、いつまでとかってあんの?」

「いつまでって?」

茜の言葉の意図を私はつかめなかった。

「ほらー締切みたいな?この日までに作ってーみたいなのも解ってないの?」

「…うん」

「あ、まじ進展無しなんだ」

こう言われるとなんだか部員たちに申し訳なく感じてしまう。私が部長権限で引き受けたのだしっかり話し合いを進めねばならないのはよくわかっている。

「茜ちゃんってたしか南ちゃんと同じクラスよね?連絡先とか持ってないの?」

茜に問いかけたのは和美だった。

「え?そうなの?」

私は少し驚いた。茜と南は同じクラスだったのか。茜が確か…6組だった筈だから、南も同じ6組なのか。ということは昨日南を部室まで連れてきたのは茜なのだろう。恐らく南は最初ギター部の部員である茜に話を持ちかけたに違いない。で、面倒な話になりそうだと予感した茜は部室に連れてきて部長である私と直接話をさせたかったのだろう。そのわりには昨日南の依頼を聞いたときの茜のリアクションは新鮮なものだった。ということは茜は南の持ちかけの話を最初の段階で打ち切ってここに連れてきたのだろう。恐らく「ギター部にお願いしたいことがある」と言われた時点でここに連れて来た可能性が高い。それならば全て辻褄があう…辻褄?なんの話だ。私はいつの間にか頭中でどうでもいい推理を始めていた。

「…夏実ちゃん?どうしたの?」

和美の一言で私は現実の世界へと引き戻された。

気づいたら話は私を置いて進んでいたようだ。

「あ、ごめん。ぼーっとしてた。で茜、連絡先持ってるの?」

茜の方を見ると茜はスマホを耳にあてていた。すでに南に直電をかけている最中のようだった。

「んーだめだー!つながんなーい!」

どうやら南と連絡がつかないようだった。

「じゃ南の連絡先を私に…」

私が言い終わる前にガラッと音楽室の扉が開いた。

「こんにちは!」

そこにいたのは南だった。

「ん?あ!来た来た!今ちょうど連絡入れてたとこだったの!」

「あ、ごめんね!授業中になるといけないから電源切ってたの。」

南の方からやってくるとは少し意外だったが南の方も早く進展がほしかったのだろう。

南は私の元へと寄ってきた。

「あ、えっと内山さん…だっけ?」

「夏実でいいよ。」

私は名字で呼ばれるのが好きではなかった。別に名前の方がいいかといわれるとそうでもないのだが名字で呼ばれるよりかは幾分かましだった。

「それで、南…」

私が話を始めようとしたときに私の言葉を南が遮った。

「あ、私のことも南じゃなくて姫香でいいよ!ね、夏実!」

私は少し驚いたがすぐに「うん。そうね!」と切り返した。

南…いや姫香は美しくはあるのだが見た目の印象で言うと大人しそうなイメージがあった。だがしかし、部を盛り上げるために私たちギター部の所へ来て直談判するところや、こんな風に人との距離を近づけ積極的に話し合いをしようという行動力や心意気は私を遥かに凌駕するものだった。まさに隙がない女だ。

「それで…まずはお互いの顔合わせをした方がいいと思うの!」

「そうね。お互い事を知って双方の全員で話し合った方が確かにいいわね。」

私は姫香の意見に賛同した。

「じゃあ今日の放課後にどうかしら…?」

姫香が周りを見渡す。

「私今日無理なんだけど。バイトで今日店内清掃の日だから部活にもこれない。」

鈴は都合が悪いようだ。

「実は…私もなのよ。今日お母さん忙しくて私が弟のお迎えにいかなきゃ行けないの!ごめんね!」

和美は顔の前に両手をあわせた。

「実はあたしもなのだー!昨日歯医者に行ったら親知らず抜かなきゃいけなくなって今日抜いてくるんだー」

歯医者へ行く報告すらも何故か楽しげな茜だ。

…ということは。ギター部は私を除いて全滅という訳だった。

「…ああ、そう…ま、まぁそうよね!いきなり今日って言われても厳しいのは仕方がないわよね…。」

姫香は焦っていた。自分の提案が三人を振り回しているような罪悪感に囚われたのだろう。

昨日の提案の時点で十分ギター部を振り回したのだから今更気にする必要はないのだろうに。

そもそも罪悪感を感じているのは私の方だ。わざわざ部室にまで出向いてもらってこの体たらくだ。向ける顔もない。

「…ごめん。姫香」

「…!いや!別に夏実が悪いわけじゃないんだし…ね!また、改めて日取りをきめましょ!」

「…そうね。じゃ、これ私の連絡先だから…。」

「うん。ありがとう。」

姫香と連絡先を交換して姫香は音楽室を後にしていった。

私は姫香に本当に申し訳なく感じた…。


・・・・・・・・


結局ギター部と人形劇部が顔合わせをすることができたのはあれから三日程たってからだった。

放課後私たちは人形劇部が来るのを音楽室で待っていた。

「人形劇部って、何人いるんだろうね」

和美がギターを弾きながらふっと言葉を出した。

緊張していたのか何かわからなかったが和美が言葉を発するまでこの音楽室で沈黙が流れていて、和美の弾くギターの音だけがこの音楽室の唯一の音だった。やはり皆も緊張しているのか…周りを見渡すと…和美はギターを弾き、鈴はイヤホンをはめて携帯とにらめっこ。茜は自分のかばんを枕代わりにして爆睡していた…。

どうやら緊張しているのは私だけのようだ。別に何を緊張する必要があるのだろうか。ただ人形劇部と顔合わせをするだけなのだ。なにも臆することはない…のだが…。私が知っている人形劇部の部員は姫香だけだった。というか、部長会議で姫香を知るまでは人形劇部があることすらも知らなかった。一体どんな人たちが来るのだろう。彼らに満足できる音楽をしっかり提供できるのか…色々な不安が私を襲った。

そんな不安に怯える私を切り裂くが如くガラッと音楽室の扉が開いた。ついに彼女らが来たのだ。



「じゃあ…まずは私たち人形劇部から!」

人形劇部の部員は5人だった。そしてその全てが女子部員だった。まぁそうだろう。男子高校生が人形劇をやるのもなかなか考えにくい。それよりも私は人形劇部が5人もいたことの方に驚いた。5人だ、私たちギター部よりも多いのだ。たった1人部員が少ないだけなのだが何故か気後れを感じてしまっていた。

「じゃあ、私が人形劇部の部長の南 姫香よ。今回は私たちの依頼を受けてくれてありがとう。よろしくね。」

とりあえず音楽室の机を全て退かして中央に椅子を人数分出した。教壇側に人形劇部、その向かい側にギター部といった具合だ。そして人形劇部の向かって一番左側に姫香が座り、その向かい側に同じ部長である私が座った。そして人形劇部部長、姫香の自己紹介が始まった。

「ほら、次、美樹あなたよ」

姫香は自分の隣に座っている部員に呼び掛けた。

「あ…あの…ま、前田まえだ 美樹みき…です…。よ…よろしくお願いします…」

美樹と名乗った彼女は向かい側にいる私たちとは目を会わせようともしなかった。そして自己紹介を終えると早々と自分の椅子へ座った。

「…ごめんね。この子少し人見知りで…」

姫香が美樹のフォローに入った。

「でも、これでも立派に副部長を務めてくれてるの!」

とも付け加えた。…副部長?ギター部に副部長って…いたっけ?私が部長をしているのだが、副部長は…いない。前に決めようとしたことはあったような気がするが結局流れてそのままになってしまった。もし副部長を任せるならば誰だろうか…。

というよりか人形劇部で人見知りとは大丈夫なのか…?

「じゃあ次、京子!」

「ういっす!」

京子と呼ばれた女は美樹とは違いイケイケな感じの子だった。見た目も少しボーイッシュだった。

岩永いわなが 京子きょうこ!色々世話になるみたいだけどよろしく!ギター部!」

「うぇーい!よろしくー!」

京子に反応したのは茜だった。この二人なんだか相性が良さそうだ。

「じゃあ、次は…」

「冬華だ。」

次の部員は姫香が言い終えるより早く自己紹介を始めた。

望月もちづき 冬華とうか…だ。」

彼女の自己紹介はそれだけだった。

「え?餅つき?」

茜が冬華に聞き返した。

「…!!望月だ!もちづき!」

彼女はムッとして茜に言い返した。

「まぁまぁ落ち着いて…。」

姫香が宥める。

「ああ、じゃあもっちーね!」

茜が早速アダ名をつけた。遠慮がない女だ。

「…もっちー…?」

勝手にもっちーとアダ名をつけられた冬華はフリーズした。

「じゃ…次いきましょ次!菜奈!」

姫香は最後の部員の名前を呼んだ。

「…?」

最後の部員は何事かと言わんばかりの様子で姫香の方を振り向いた。

「ちょっと!あなたの番よ!」

「ん?え?ああ…。古澤ふるさわ 菜奈なな~。よろ~。」

かなりマイペースな部員だ。ってか古澤 菜奈は私の同じクラスのクラスメートだ。いっつもポケーっとしていて何を考えてるのかわからない彼女は多少不気味さをかっており私もあまり積極的に話そうとしたことはなかったが、まさか人形劇部だったとは…。発見が多い今日この頃だ。

「で、これで人形劇部は全員よ。」

人形劇部の紹介が終わり次にギター部だった。

「じゃあ、私から、ギター部部長の内山 夏実です。良い曲作れるように頑張るからよろしく。」

改まって自己紹介をするのは苦手だ。

「はい!はーーい!私須藤 茜!人形劇部の可愛子ちゃんたちのために頑張りまーす!」

おい、茜。人形劇部を挑発してるんじゃないでしょうね。茜の自己紹介に人形劇部は何と反応して良いか困っている様子だった。1人を除いて。

「うぇーい!頼むぜー!」

やはり茜と京子の相性は良さそうだ。

「じゃ、次…鈴ね。」

私がそういうと鈴はめんどくさそうに立ち上がった。

「…雨宮 鈴。…よろしく」

自己紹介を終えると鈴は再び座り直し携帯をとりだした。

「じゃ、最後は…和美。」

「はーい。杉本 和美です。頑張りまーす!」

一番シンプルな自己紹介だ。


「取り敢えず今日はお互いの自己紹介と懇親会ってことで色々お話でもしましょ!」

そういうと姫香は持ってきた紙袋のなかからお菓子とジュースをとりだした。このためにわざわざ用意してくれたのか。

「あ、ありがとう。わざわざ用意してくれたの?」

「懇親会だから!このくらいしなきゃ!」

「そう…私たち何の用意もしてないわ…」

「気にしないで!引き受けてくれたお礼も兼ねてだから。」

色々気の利く彼女だ。

「ねーねー!折角だからさ!お人形劇見せてよ!」

茜が右手の掌を高く挙げながら張り切った声で言った。

「え?い…今から?」

茜の急な言葉に流石に姫香も困惑していた。

確かに私たちはよく人形劇のことを知らない。人形劇のBGMを作るためには彼女たちの人形劇のことを知らなければいけない。それは確かだ。

「そうね…一度見てみたいってのはあるわね。」

私も茜の意見に賛成した。

「でも、今いきなりって訳じゃ…」

「わかったわ!」

私が言い終えるより先に姫香の返事返ってきた。

「ちょっと待ってて!すぐに用意するから!ほら!皆も来て!」

そう言うと姫香は音楽室を飛び出した。さすがの行動力だ。

「え…え…本当にやるの…?」

美樹も困惑しながら姫香の後に続いた。

他の部員もヤレヤレといった感じで音楽室を出ていった。

「すごいわね~あの子達。」

和美はニコニコしながらギターを弾いていた。この女隙あらばずっとギターを弾いているのだ。しかも今弾いているのはクラシックギターだった。


「えへん…それじゃ始めるわよ!」

彼女らの準備はなかなか早かった。道具一式を持ってきて教卓に大きい黒い布を被せた。しかしそれだけではスペースが狭いので音楽室の机を教卓の横に並べ教科書などで高さをある程度揃えそこにも黒布を被せて完成した。

「皆準備いい?」

姫香が周りのメンバーを見渡す。

「ちょ…ちょっとまってよ~」

あせあせと原稿を見直す美樹。

「さっさと始めちまおうぜ。」

スタンバイオーケーな京子

「う…うむ…始めよう…。」

もっちーもスタンバイオーケーなのだろうが顔がこわばっていた。

「これ食べ終わるまでまって~」

菜奈は購買部でかったチョコパンを食べていた。強者だ。

「もう、早くなさい!」

なんやかんやで劇が始まった。

タイトルは狐の勇者だそうだ。

物語の内容は狐たちが仲良く平和に暮らしている狐の里に突如狸たちがやってきて悪さを働いて狐たちの食べ物を盗んでいってしまった。そんな悪狸たちを懲らしめるべく里一番の運動自慢の若狐が狸退治に出ると言ったわりと単純かつ子供向きな話だった。道中で狐の変色体であるギンギツネやホッキョクギツネ等と出会い仲間になったり、途中間違えて人間の里に降りてきてしまったり、なんとお化けが出てきたりというなかなかのギミックが盛り込まれて観るものを飽きさせなかった。そして最後には狐たちは狸を懲らしめて、反省した狸は狐たちと和解し、互いに平和に暮らしていった。という王道ではあるが実に解りやすく確かにこれならば幼い子供にも十分理解が得られるような物語だった。

使われた人形はマペットで人形劇の部員たちは黒い布で覆われた教卓の裏側に隠れ、マペットをはめた手を上にだして劇をすると言った具合だった。狐のマペットは耳と尻尾が大きくて冬毛のモフモフ感も良い感じに再現されていた。

人形劇というとあの無機質で不気味なマリオネットなんかが出てくるものだと思い、少し構えていたのだがその必要もなかった。

彼女らの劇が終わり私たちは拍手を送った。

「ど…どうだったかしら…?」

恐る恐る姫香が私たちに感想を求めた。

「うん。なかなか面白かったわ。」

それは本心だった。というのも幼い頃に姉さんによく絵本の読み聞かせをしてもらっていたこともあって子供向けの童話なんかはわりと好きだった。

「ぶらぼー!」

茜もやんやと拍手を送った。

「……」

鈴はノーリアクション。流石に彼女にとっては幼稚すぎたかもしれない。

「わー狐ちゃん可愛かったー!」

和美は狐の可愛さに目を輝かせた。

「ふぅ…ふぅ…」

美樹はこの寒い冬の中なのに関わらず汗をかいていた。余程緊張したのだろう。しかし彼女の演技やナレーションはなかなかものだった。成る程これならば副部長も十分務まる。

「じゃお返しにあたしらもなんかやろーよ!」

茜が再び張り切った声で言い出した。人のパフォーマンスを見ると自分達もやりたくなってくる気持ちはよくわかる。

「そうね…!やりましょうか!」

私はギターをとりだした。

「え…まじ?」

鈴は少し顔をしかめた。

和美は何も言わずニコニコしながらアコースティックギターのチューニングを始めていた。

「それじゃあれやろ!あれ」

茜のいうあれとは「silent city boy」のことだ。

私たちはどこで弾き語りをやるにしてもこの曲だけは絶対にいれていた。そのくらい定番になっていた。私にとってはいつまでたっても先輩の曲に頼っているように感じ少し不満だった。

鈴もしぶしぶエレキベースをとりだした。鈴はギターも弾けるのだがベースも弾けるのだ。鈴のリズム感はこの四人の中でもずば抜けて正確で、よくバッキングやベース、時にはパーカッションなども任されるほどだった。この曲に関しては鈴にはベースをとってもらっていた。

「それじゃ、聞いてください。silent city boy」

イントロは和美のアルペジオから入り、私がリードボーカルをとる。

Amをメインキーとしているので勿論始まりはAmからだ。

和美がアルペジオをとり、私と茜でコードストローク。そして鈴がベース。この曲は四人全員でやる必要があるのだ。

皆で同じことを繰り返し、まるで出口のない迷路をさ迷うような毎日から逃げ出したいという少年の叫びの歌だ。しかし逃げ出したいという気持ちがあってもなにもすることが出来ない、する力を持っていない少年の虚しさや葛藤なども混じっている深い曲だ。

歌詞の終盤に

「どうすればいいのか、僕にはわからない。」

と力強く歌う部分を4声のコーラスでとるところはこの曲一番の醍醐味だ。この曲のために私たちには混声コーラスの練習をしたほどだ。

アウトロも和美のアルペジオだ。イントロの部分をカポタストで半音上げた状態で弾き、最後に半音あがったAmつまりB♭mの和音で締めた。

人形劇部の5人からは拍手をもらえた。

「凄いわ!これならやっぱり期待できそう!」

姫香からも賞賛をもらった。

褒めて貰えるのは有り難いのだがやはり所詮は人の曲なのだ。自分が作った曲でこんな風に賞賛してもらえたらどんなに気持ちがいいだろうか。


お互いのパフォーマンスも追えて懇親会に入った。

私と姫香はこれからについて話合っていた。

京子と茜はやはりお互いの波長が会うみたいで意気投合していた。

和美は裁縫箱をもってきて菜奈ともっちーにマペットの作り方を教わっていた。和美も狐のマペットを作るつもりなのだそうだ。

鈴と美樹はというと…こちらも意気投合していた。

鈴は人と馴れ合いを持つのをどちらかというと嫌っているほうなのだが、よりによって人見知りな美樹と仲良くなっていた。というのも懇親会に入った直後に誰かの携帯がなったのだ。その着信メロディがヴィジュアル系ロックバンドの「mind glasses」の曲であった。このバンドの曲を着メロにしているのは鈴だけなので鈴を含めたギター部全員が彼女の携帯だと思っていた。鈴は急いで携帯を取り出したが画面を見た瞬間に首をかしげた。着メロは鳴っているのだが着信画面になっていなかったのだ。鈴が困惑していると、

「あ、お兄ちゃん…うん。わかってるから…」

と美樹が通話をしだした。着メロの主は美樹だったのだ。通話を終えた美樹は鈴からの視線に気がついた。鈴の第一印象が良くなかっただけに美樹は少し怯えたが、

「あんた…マイグラ好きなの?」

と鈴が聞いてきたことをきっかけに二人の間に共通の話題ができたのだ。マイナーなバンドなだけに他にもファンがいることにテンションがあがったみたいだ。私は鈴があんなに饒舌になっているのを初めて見た。

「ふふ、顔合わせ大成功みたいね。」

姫香がメンバーたちの方を見ながら微笑んだ。

顔合わせに成功失敗があるのかはわからないが私も「そうね」と返した。

「ねえ、さっき見てもらった劇だけどさ…」

姫香が藪から棒に切り出した。妙に暗い顔をしていて私は驚いた。

「実はね…あの劇は私たちが書いたものじゃないの。2年前に卒業していった先輩がつくったものなの。」

何を言い出すかと思えばそんなことなのか…いや、本人にとっては重大なことなのだろう。大体それを言うなら私たちだって同じなのだ。

「そうなの?…私がやった曲も先輩が残していったものなんだけど…。」

私と姫香は顔を見合わせた。そしたら何故かはわからないが笑いが込み上げてきて二人で失笑していまう結果になってしまった。

「なんだ、そうだったんだ。私たちね、よくこの劇をするの。評判がいいから、でもね、これってやっぱり先輩たちが作ったものであって私たちのものじゃないの。たまに自分でもシナリオを書くんだけどどれもこれも…いまいち。だからねあなたたちにお願いして私たちの代にしか出来ないこと、いや私たちの代だからこそ出来ることをやりたいって思ったの。」

驚いた。姫香と私の境遇はここまで似ていたのか。

私も今まで思っていたこと、先輩の曲を越えるものを作りたいという気持ちや悩み等を全て姫香に打ち明けた。

「ふふ、私たちってなんか似た者同士ね!」

さっきまで暗かった姫香の顔が再び光を取り戻した。

「そうね。お互いに力を合わせればきっと良いものが作れるわ!」

私はこの時謎の力がみなぎっていた。今はとても曲を書きたい気分だ!


・・・・・・・・・


「…でこんな風な展開で…登場人物は…で、最後には…ていう感じよ。」

あれから一月近く経ち私と姫香は…いやギター部と人形劇部は本格的な打ち合わせに入っていた。

締め切り目標も決まっていた。この三月後にある「吉住幼稚園」と呼ばれる幼稚園で劇をやる予定があるそうなので、それまでを目標にした。

今回の物語は「森の音楽隊」というタイトルだった。タイトルの通り音楽がメインとなる物語だそうだ。今回の為に姫香が粗筋だけではあるのだが、書き下ろしてきたらしい。私はてっきりあの狐の物語のBGMを作るとばかり思っていたが、あれは人形劇部の先輩が作った話だということを思いだし、姫香が新しく話を作った理由を一人ながらに理解した。

話の内容は、とある雪山で一人暮らす雪ウサギがいた。雪ウサギは山でも評判の音楽家だった。しかし雪ウサギは一人であるがゆえに孤独を感じていたのだ。そこで雪ウサギは一緒に音楽を奏でてくれる仲間を探す旅に出掛けた…という具合の出だしだ。

私たちに依頼されたものはその動物たちが音楽を奏でる場面と動物たちの心情を表す場面の曲作りだ。

「それでね、雪ウサギたちが使う楽器はあなたたちがやり易いようにギターを使うっていう設定なの。」

「有難いわ。でも…登場人物が全員ギターって訳じゃないわよね?」

「そうよね…何か他にできる楽器とかない?」

「そうね…私は専らギターだけなのよ。あ、あと鍵盤を少し叩けるくらいかな…。」

と言っても自宅にあった電子キーボードで遊んでいたくらいなものだが。そのキーボードの採点モードで高得点を出そうとムキになって練習をしたこともあった。和音の伴奏程度ならばいまでもできる。

「それだけできるなら上等よ!他の部員たちは?」

私と姫香は周りを見渡す。

「あたしーエレキいけるよー!」

「マジかよ!かっけーじゃん!」

茜が右手の手のひらを高く挙げた。京子は茜がエレキを弾けることに驚き目を輝やかせていた!

「エレキギターか…うん!いけるかも!」

姫香はポンと手を叩く。

「今度ギター教えてくれよ!あたしもやってみたいんだ!」

「おっけー!パンクとかやってみるー?」

「いーな!それー!」

ハイテンションなこの二人にはついていけないなと思う私だった。

「えっと…鈴は?」

姫香は鈴を目で探した。

鈴は今日も美樹とマイグラについて語り合っていた。

「やっぱボーカルのロングトーンが魅力よね!リードギターには少し癖があるけどなかなか耳に残るフレーズとか多いし。「crash light」のリフとか最高なわけ!」

「ドラムも良いよね…!特に「crazy down」のサビに入る直前のドラムロールとか…!」

「やっぱわかってんじゃんあんた!」

二人はすっかり打ち解けていた。人と人をつなぐきっかけになる正にこれこそ音楽の力なのだ。

「鈴!あんた他にできる楽器ある?」

会話を遮られた鈴は少し不満げだったが

「うーん、ギターとベース…あとはパーカス?」

鈴は思い付く限りの自分ができる楽器を答えた。

「…あの、パーカスって何?」

姫香が恐る恐る訊いた。

「パーカッションのこと、まぁドラムとかの打楽器のことよ。」

私が補足説明をした。鈴は正確なリズム感を持っているのもそうなのだが、もともと父親がバンドのドラマーであったらしく、打楽器系には一通りの心得を持っているらしい。だが父親に対する多少なりの反抗心的なものがあるのか積極的にパーカッションにまわろうとはせず、あくまでメインの楽器はギターだという。まぁそれでも頼めばやってくれるのだが。

「成る程!それは魅力的ね!…でもドラムなんてこの学校あるの…?」

「はは!大丈夫!大丈夫!吹奏楽部からパクってくりゃオーケーオーケ!」

「何もオーケーじゃねーし!」

茜の冗談に京子がつっ込んだ。そして二人で大爆笑だ。ホントに息ぴったりな二人だ。

「まぁ別に、ドラムじゃなくても打楽器系ならリズムとるだけだから。あ、でも木琴とかその辺はNGよ。」

鈴が先に断りを入れておく。

「あ、そうだ。」

といい茜は音楽室の楽器保管室へ入っていった。

茜はそこからカホンとカスタネットとタンバリンをもってきた。

「これなら、いけるでしょ!」

「うわ…埃まみれじゃん…あんたも…」

埃まみれの楽器と茜をみて鈴が嫌そうな顔をした。

「カスタネットとタンバリンは解るんだけど…それは…椅子?」

「カホンよカホン」

雑巾で埃を拭くと鈴は実際にカホンを叩いてみせた。なんともリズミカルだ。

「…!良いわね!使える!」

姫香の目が輝いた。

「これやるなら下にジャージとか履いとかないと…」

鈴がため息をついた。

「えっと和美は?」

私は和美の方を向いた。

「えっと…こんな感じかな…?」

「そーそー上手いねー」

「そーおー?」

「あ、おい!目をそらすな!危ないぞ!」

和美も前回同様マペット作りに挑戦していた。

菜奈ともっちーの助言も貰いながら何とか狐は完成したらしい。続いて狸を作っているみたいだ。

「もっちーちゃん。これはどうやるの?」

「これはだな…ここから針を通してな…」

茜からの命名以来皆が望月のことをもっちーと呼ぶようになった。最初本人は嫌がったみたいだが遂には観念したようだった。

「和美!」

私は和美を呼んだ。こちらに気づいた和美はこちらを振り向いたのだが…

「痛っ!」

「あ!大丈夫かっ!?…よそ見するからだぞ!」

振り向いた拍子に針を左手の親指に刺してしまったようだ。

「あ…ごめん、大丈夫?」

流石に今のは私が悪かった。針仕事している人に無闇に話しかけるべきではなかった。

「へーきへーき!」

とは言うものの和美の指からは血が出ていた。

「大丈夫ー?舐めようか?」

菜奈が和美の顔を覗きこんだ。

「このままでも大丈夫よ!ありがとう。」

「大丈夫なことあるか!ほら指出して…」

そう言うともっちーは自分のかばんから小さい袋を取りだし、中から傷用のアルコールと絆創膏を出した。なんとも女子力が高い。

「こういうのはほっとくと治りが遅くなるんだ。甘く見ちゃいけない。和美はギターやってるんだろ?だったら指は大事にしとかないと…!」

「ありがとうもっちーちゃん!優しいのね!」

「…っ!あ…あとは自分でやってくれ…!」

和美に言われて急に恥ずかしくなってしまったのかもっちーは和美の側を離れた。


「えーっとね。…とりあえずはギターかな~ギター部だし。それとリコーダーとか?」

指の手当てを終えた和美はそう答えた。

「リコーダーね…」

うーんと頭を悩ませる姫香。流石にリコーダーは組み込みにくいか。

「あとハーモニカもできるよ~。オカリナとかも」

そういやそうだった。最近はしなくなっていたが以前和美はギター&ハーモニカ演奏をしていたことがある。このときになんとも器用な人だと感じた記憶はいまだに鮮明に残っていた。

実のことを言うと和美はこの部のなかでも一番のテクニシャンだ。以前テンションコードを盛り込んだ曲に部員からクレームをつけられたと言ったがあれは鈴と茜のことで、和美はコード表を見て音源を聴いたらあとは当たり前のように弾き鳴らしていた。伊達に四六時中ギターを握っているわけではない。ハンマリングオン・プリングオフを用いたトリッキーなピッキングソロだったり、スラム奏法までお手のものだった。

因みに言うと茜もとある特徴の持ち主だ。それは音楽をやるものなら誰しもが憧れる絶対音感の持ち主だった。あのチャラついた見た目からは想像も出来ない能力を持っていて、よく曲のコピーをするときなどは彼女に頼っていた。私や和美も相対音感である程度なら音をみつけられるのだが茜のそれには敵わなかった。

私はというと…特に何も持っていなかった。茜のような絶対音感もなければ鈴のような正確無比なリズム感もないし和美のようなテクニックも持っていない。その事に関して私は一時期彼女らに対する劣等感を感じていた時期があった。それは時間が立てば薄れてはいくのだがあることをきっかけに復活することもある。その度に私は心苦しくなっていた。強いていうなら曲が書けること位だが、私の書いた曲なんて…結局は先輩にも追い付けないままだ。

「良いわね!オカリナなんて、この話の雰囲気にマッチするんじゃないかしら!」

私の気持ちとは裏腹に、姫香のテンションはどんどん上がっていた。

「はーい、しつもーん!」

茜が右手を上げた。茜の挙手はピンと真っ直ぐ伸びているのが特徴だ。

「ん?なにかしら?」

姫香が茜の方を振り向く。

「この話に対して曲ってどのくらいいるの?」

そうだ。私も訊こうと思っていたのだった。

「そうね…動物たちがやる音楽は3つくらいかしら。そしてBGMは明るい雰囲気と暗い雰囲気。恐怖を煽る雰囲気に…」

「…ちょっと…多くない?」

私が言うよりも先に鈴が言った。確かに多い、一曲作るだけでも結構な時間をかけるのにこんなにあっては追い付かない!しかもそれをたった3ヶ月で?

「そうね…少し厳しいかも…。」

私も鈴の意見に同意せざるを得なかった。

「あ…ご…ごめんなさい。あなたたちの負担をよく考えてなかったわ…。」

姫香は青ざめた。自分たちの劇のことで頭がいっぱいになっていたのだろう。

「んー、OKでしょ!」

誰が発した言葉か、私は周りを見渡した。言葉の主は茜だった。

「OKってあんた…」

「だって夏実言ったじゃん。全員で作るって。皆で手分けすりゃわけないよ!」

…。確かにそう言ったが私はもう私一人で作曲するつもりでいた。というのも他の部員が曲を作ったことがなかったからだ。

「でも…あんたたち曲作れんの?」

「そりゃあれよ。本買って勉強するしかない!」

茜は自信げに言う。

確かに作曲に関する本は山ほど出ているが…。

「そうね~引き受けちゃったからには徹底的にやりたいわよね~。」

和美がそう言った。

「…曲の作り方、父さんに聞いてみる。めんどくさいけど…」

鈴も。

四人全員が作曲…今までこんなことあっただろうか。

「…解ったわ。四人で手分けしましょ!」

腹はくくった。決まったら決まったで私は燃えてきた。

「ギター部…本当に有り難う…!」

姫香は深々と私たちに頭を下げた。

「頼りにしてるよ。私たちも最高のシナリオ作るから。」

もっちーもそう付け加えた。

よし、これから本腰を入れよう!と私が意気込んだその時、

「あ、でもレコーディングのやり方あたしわかんねぇや」

「そういや、私もしらないなぁ。機材とかいるんだっけ?」

茜と和美の一言は私に致命的な程の打撃を与えた。

…忘れていた。曲を作ろうとも提供するためのレコーディングが必要だ。しかしレコーディングにはパソコンやオーディオインターフェースなどの様々な機材が必要になるうえ知識も必要だ。部員たちがそんな高価なものを今すぐ揃えると言うのは現実的ではない。皆私の家に招いて一曲づつレコーディングしようにも馬鹿みたいに時間がかかる…。作れたとしても妥協に妥協を重ねたものになりかねない…終わった。詰んでしまった。ああ、どうしよう。姫香になんと説明すればいい?ここまで期待させといてこの始末か?ああ…ああ…首の後ろが凄く熱い。私の心拍数がどんどん速くなっくるのがよくわかった。私の体温は上昇していくが寒気がした。精神が乱れ体温調節が狂ったか。冬の寒さが余計にそれを増長させた。こんなに冬を憎く思ったのは始めてだ。

「あ…あの…姫香…。」

「あーもーめんどくさいなぁ!だったらレコーディングなんてしなくてもよくない?」

茜は一体何をいいだしたか。レコーディングをしない?ならばどうするんだ?私たちが何を依頼されたのか解っているのか?

「じ…じゃあ…」

「じゃあどうすんのよ?」

私よりも鈴が早かった。

「そりゃあれよ。生でやんのよ!」

「生?生って生演奏?」

鈴が首をかしげた。

「そーそー!生演奏BGM!なかなか斬新っしょ!」

…!そうか!その手があったか!確かに生演奏ならばレコーディングをする必要はない。作曲と曲の練習だけで十分事足りる。…突破口が見つかった!

「いーよね?部長!」

もちろんだ!私は今救われた気持ちだった。今なら神様をも信じれる気持ちだ!

「え…ええ!姫香が良ければ! 」

私は少し強がった。動揺していたのを悟られたくなかったからだ。

「そ…そんなこと…してもらえるの!?う、うん!大歓迎!!寧ろお願いしたいくらい!」

姫香の目がギラギラしていた。

「生演奏人形劇か…確かに今までにはないな…おもろくなりそう!」

もっちーも喜んだ。

「ひゅー!そんなことできんのかよギター部!」

「もっちろん!生演奏なんてあたしらの専門分野よ!この茜様にまかしとき!」

京子も食いついた。そして茜は調子づいている。

「う、うわぁ、なんだかプレッシャー大きく成りそう…。」

美樹は萎縮してしまっていた。

「ひゃ!」

美樹が変な声を出した。そうさせた犯人は菜奈だった。美樹の背中に人差し指で指文字をかいていた。

「背中に人っていう字書けば緊張しなくなるって~。」

「菜奈…?それって多分てのひらだと思うんだけど…。」

ふぅ…一件落着か…いや、これからなのに何を安堵しているのか。とりあえず気合いを入れ直さねば!


・・・・・・・


それから一週間後か。私と姫香は街へ来ていた。実際にプロの人形劇を見るためだ。市民会館にプロの劇団が来るからと私は姫香に誘われたのだった。他の部員もと思ったがお金が絡むことだし希望者だけ募ったのだが見事に私だけだった。皆そんなに忙しいのかね。人形劇部の方は美樹が来る予定だったらしいが、家の都合でドタキャンらしい。ということでギター部部長と人形劇部部長の一対一サシとなった。ふむ、やはり色々似通ったところが私らにはあるらしい。

市民会館がある所は街の駅のわりと近くだ。私たちが住んでいる所は割りと田舎なのだが、中心部の街は大型ショッピングモールやビルなどがそこそこ建ち並び、なかなか活気があるのだ。まぁ準都会と位は…呼べないな。やはり田舎は田舎だ。大体ショッピングモールがある時点で田舎であるような気がする。因みにこの街の外れに私の家がある。私は歩いてここに来れるのだ。姫香は電車で来ている。姫香と合流するまでの間も私は曲のことについて考えていた。

曲作りの方はそれぞれ分担して行っていた。私と和美で動物たちが奏でる音楽を、茜と鈴で登場人物の心情を表すBGM製作だ。三人は初めての曲作りに四苦八苦している様子だった。私は既に一つイメージが浮かんでいた。まだ書き起こしてはいないのだがこんな感じだろうというぼんやりとした考えはあった。

「えーと、この辺よね?」

姫香は小さな広告を便りに周りをキョロキョロ見渡していた。あまりこの街には来ないらしい。

「あれよ。なかなか大きいでしょ?」

私にとってはこの辺は庭みたいなものだ。中学生の時は退屈でよく遊びに来たものだ。そういえば最近はあまり来なくなったな…。

「うわぁ!あれね!綺麗なとこ!」

この市民会館は結構大きな部類に入る方だろう。中には複数のホールがあり、大ホールでは名の知れたプロミュージシャンが来てコンサートをすることもしばしばある。2年くらい前に改装工事がありリニューアルされていて、市民会館とは思えないくらい豪華になっていた。エントランスがガラス張りにされているのがとてもお洒落だった。館内には新しくカフェができたり、本屋ができたりと以前と比べ若者を意識している傾向にあるらしい。

中に入ると暖房の熱気が私たちを包み込んだ。

「うわぁ~あったか~い!」

姫香の顔が綻んだ。私にとっては…少し暑い…かな?まぁ外を歩くので少し着こんできたこともあるのだろうが。

「ね!夏実!まだ少し時間あるしそこのカフェに寄らない?」

姫香が私の手をとり、反対の手でカフェを指差した。姫香の手は冷えていた。

「ええ、そうね。」

そういえば館内に新しくできたカフェは私も行ったことがない。全国展開しているチェーン店なのだが店舗によってメニューに違いがあるのだ。私も興味があった。

「いらっしゃいませ!」

私たちをレジで迎えてくれたのは背の高い男性従業員だった。笑顔がなかなか爽やかで好印象だ。

「えっと…私はこのカプチーノのホットで!夏実は?」

メニューをざっと見たが…特に変わったものは無かった。

「私はカフェラテのホットで。」

コーヒー系はあとあとトイレに行きたくなってしまうのだが…ま、折角友人と遊びに来たのだ。あまり気にしないでおこう。行きたくなったときは行きたくなったときだ。

カプチーノとカフェラテを受け取り、私たちは席についた。

ホット用の使い捨てカップに「have a nice day!」とマジックで書かれていた。あの店員さんの粋な計らいなのだろう。有り難い。

「おいしいしあったまる~!」

姫香は満面の笑みだ。うむ、やはりこの女の顔は画になる。

「これ楽しみね!どんな話なんだろ?」

姫香が広告をテーブルの上にだした。

見出しには「星空の彼方へ…」と書かれていた。これがタイトルなのだろう。

そしてその広告には人形劇の写真がいくつか載っていた。

カフェを後にしたあと、当日チケットを買った私たちはホールの中へと入った。

ホールは小ホールでキャパはおよそ200人程度だろうか。やはり人形劇なんてそんなに人が集まるものではないのだろう。しかし時間が経つとそこそこの人たちが集まってきた。だが年配の人たちや親子づればかりだ。高校生くらいなのは私たちだけか。

「あ!始まるよ!」

姫香が私の肘をくいっと引っ張った。私たちはカップルか?

ホールの照明が落ち、ステージのカーテンが開いた。

そして人形劇が始まった。

使われている人形はおよそ小学校低学年の児童くらいの大きさだろうか。間接部分がよく動く。黒づくめの操り師たちがそれを抱き抱え巧みに動かしていた。私は驚いた。あの人形には命が宿っているかと錯覚するくらいに滑らかに動いていたのだから。

この話の物語は、母を亡くした少年ゼバンが星空にお願いをするところから始まった。母に会いたい!なんとしても会いたい!と。そんなゼバンを哀れんだ新人の星の精霊セーデが地球に降りてきてゼバンと共に母親を探すべく星空へと旅立った。星空にある無数の星には今までに亡くなっていった人たちの魂が宿り、亡くなっていった人はその星に住み着いているのだ。この世を全うできた者もいるが、そうでない者も多い。無念を抱えたまま亡くなっていった者。

誰かに殺されてしまった者。罪を犯し処刑された者。病によりむ無くこの世を去った者。ゼバンとセーデは色んな人の星に降り、色んな人の話を聞き、母を尋ねて回った。そして墜に母には出会えたのだが、「ゼバン、お前はここに来てはいけない。お前はまだ生きている。元の地球へ戻りなさい。そして強く生きなさい。」と諭された。そしてゼバンとセーデは元の地球へと戻ってきた。色んな人の心情や人生観、生きざまを知ったゼバンは少し大人になった。最後はセーデとの別れ。「いつかまた会えるのかな?」とゼバンが尋ねると、「ゼバンの生きざまを見届けたらいつか必ず迎えに来る。」とセーデは残し、二人は別れた。といった話だった。

使われた音楽はとても解りやすく、登場人物たちの心情を言葉にしなくともこちらに十分伝わった。ゼバンが罪人の星へ降りたときは。不協和音をつくり観客の不安を煽る。病に倒れた人の話を聞けば、スローテンポの悲しい曲だ。母の手掛かりを見つければまるでマーチのような勇気の湧く合奏。

これがプロの表現力なのだと再認識させられた。一時間半ちかくあった劇はあっという間に終わってしまったのだ。

劇が終わりホールを出てもその余韻は体に残った。

「ああ!感動しちゃった!」

姫香はパンフレットを胸に抱きしめていた。

「そうね、やっぱりプロって凄いわ。負けちゃいられないわね!」

と私は口にした。ここで今一つ決心がついた。今までぼんやりと浮かんでいた曲は最初からつくり直しだ!

「うん!私ももっとシナリオ練らないと!」

姫香も意気込んでいた。

「あ、夏実…。御手洗い行ってもいいかな?」

そういえば私も行きたかった。さっきのコーヒーが今さら効いてきたのだ。


市民会館を出た私たちはもう少し街を彷徨うろつくことにした。姫香は街の雑貨屋に行きたいと言うのでそれに付き合うことにした。人形を作る材料を探すらしい。雑貨屋は集合ビルの三階にある。

「ね!これなんか可愛くない?」

「雪ウサギなら…このくらいの白さがいいのかしら?」

等と色々聞かれるが私は人形を作らないのであまりわからない。適当に「そうね」などと返した。

色々な素材などを買うことができたみたいで姫香はご満悦だった。

雑貨屋を出ると私はこのビルの4階に楽器屋があるのを思い出した。

「姫香、ちょっと楽器屋によってもいいかしら?」

最近ギターの弦を変えておらず錆も結構目立ってきているのでついでに買っていこうと思ったのだ。

「ええ!付き合うわ!」

姫香は快く承諾してくれた。

4階に上がり階段の反対側へと回り込むと楽器屋の「松田楽器店」がある。よくここにはお世話になった。私がギターにのめり込み始めた頃は毎日のように通ったものだ。ここの店主とも顔見知りだ。最近はあまり来ていないのだが…。

「へぇこんなとこに楽器屋さんがあったのね。」

姫香にとっては楽器屋自体が新鮮なのかもしれない。

中に入ると、右に左にずらっとギターが並んでいた。それはエレキギター一つにとってもメーカー、性能、カラー、タイプ、新品から中古までを全て含め様々だ。奥に行けばアコースティック、右奥に行けばベース、左奥に行けば電子キーボードやドラムセットがある。うん、店の中の配置はしっかり覚えていた。

「うわぁ、こんなにたくさん…」

姫香はあまりの楽器の多さに圧倒された。そこへ…

「おう!夏実ちゃん!久しぶりだね!」

店主の松田まつださんがやって来た。

「あ、お久しぶりです。」

私は軽く会釈をした。

「いやー最近夏実ちゃんこなくなっちまったから楽器止めちまったのかと思ってたよ!」

「やめてませんよ。今高校でギター部部長やってるんですから。」

「へぇ!そんな部活あんのか!安心したよ!」

松田さんの陽気ぶりはまったく変わっていなかった。

「んで…その娘は?友達かい?」

「あ…南 姫香です!」

姫香はあわてて自己紹介をした。

「へぇ!姫香ちゃんか!可愛い娘だな!なんか楽器始めんのかい?」

「いや、この娘には付き合って来てもらってるだけですよ。」

私が説明する。

「へぇそうかい!ま、好きに見てってよ!なんか気になるもんあったら声かけな!」

「は…はい!ありがとうございます!」

姫香は松田さんに会釈をした。

そして松田さんはスタッフルームへと戻っていった。

「なんか…凄い人だね…。」

「まぁ、キャラが濃いのは確かね」

と私たちは二人でクスクスと笑った。

「ギターってこんなにあるんだ…。」

店内を歩く姫香の後ろを私はついていった。私の目的は弦を買うことなので時間はかからない。とりあえず姫香の気のすむまでついていくことにした。

奥からポロンポロンとアコースティックギターの暖かい音色が聞こえてきた。

「どこからだろう…あそこかな?」

姫香は音のなる方向へ足を進めた。そっちの方向は確かリペアコーナーだった筈だ。リペアコーナーはアコースティックコーナーの隅の方にあるカウンターだ。かなり大がかりな作業ならば裏に回すのだが、そうでない作業はここで行っている。作業はできるだけお客さんから見える所でやるのがここのポリシーらしい。

「ん?…あら…夏実ちゃん?」

そこにいたのは松田さんの奥さんであり、従業員である千春ちはるさんだった。

「お久しぶりです。」

私はまた会釈をするのだった。

「最近こないから心配したよ。もうギターやめたのかってさ。」

「さっき松田さんにも同じこと言われましたよ。」

楽器屋を営む人にとってリピーターは大事なお客さんなのだ。しかしそれ以上に、楽器に興味を持ってくれる若者のことがこの夫婦はよっぽど好きなのだろう。

「それ…綺麗な音ですね…。」

姫香はギターの音に惚れ惚れしていた。

「ああ、これお客さんのギターなんだ。久しぶり倉庫から引っ張り出したみたいでね。とりあえずネックの修正とフレット打ち直しとペグ交換とブリッジ削っての弦高あわせをしたところ。弦も新しく張ってね、折角こんなにいい楽器持ってるのに弾かないなんて勿体無いよね!ギブソンだよギブソン!」

ギブソンというのはギターの有名ブランドだ。ギブソン・レスポールと言えばギターをやる人で知らないものはいない。

「ところで…あなたは夏実ちゃんの知り合い?」

千春さんが姫香の方をみた。

「あ…はい!友達です!南 姫香って言います!」

「へえ!可愛い娘ね!もしかしてハーフとか?」

「ええ!母方の父がスウェーデンの方で…」

母方の父?祖母ではなかったのか?やはり噂というのは伝わる段階で少し形を変えるらしい。

「あなたも弾いてみる?」

千春さんは持っていたギターを差し出した。

「え、でも…お客さんのじゃ…?」

「ちょっとくらいなら大丈夫よ!」

思い出した。そういえば昔私も千春さんに売り物のアコースティックギターを触らせてもらったことがある。随分傷もので中古のギターだろうと思いあまり気にしないで弾いたのだが、後からこのギターは有名なギタリストのヴィンテージモデルだったといわれ腰を抜かした記憶がある。まったく恐ろしい人だ。

「えっとどうやって弾けばいいのかな…?」

ギターを触ったこともない姫香は困っていた。

「こことこことここを押さえな。」

千春さんが直接指盤を指差し姫香に教える。

五弦の3フレット、四弦の2フレット、二弦の1フレット。Cコードだ。

「そうそう、それで上からジャーン!って弾きおろしてみ」

姫香は千春さんに言われたとおり上から六本すべての弦を鳴らした。そこからは明るい音色の和音が飛び出た。

「わぁ…」

自らが出した音に姫香は感動していた。

「凄いだろ?これが和音コードっていうんだ。」

「凄いです!…でも…指が…つっちゃう!」

「ははは!始めたときは皆そんなもんだよ!」

そういえば私もギター始めたときはそんな感じだったな。懐かしい。

「貸してごらん」

そういうと千春さんはギターを弾きだした。これは…ビートルズのyesterdayだ。松田夫婦はそろってのビートルズマニアで店内にもよくビートルズが流れている。

流石は楽器屋を営む人、惚れ惚れするくらいの上手さだ。

「凄いなぁ…こんな自由自在に…」

姫香の目は輝いていた。

「良いもんだろ!ギターってさ!」

にひひと千春さんが笑った。

「夏実ちゃんも弾いてく?」

千春さんはギターを私に差し出したが…

「止めときます。今日は弦を探しに来たんです。」

やはり他人の楽器は敷居が高く感じる。

「弦か…そういやいいの入ってるよ!」

千春さんは私たちを弦コーナーまで導いた。

「これ!コーティング弦よ!かなり長持ちするんだ!」

千春さんが指差したものは最近発売されたコーティング弦だ。私も知っている。安くはないがかなり良い音がすると評判だ。しかも長持ちする夢のような商品だ。

「うちで買ってくれたお客さんのギターにも今はこれ張ってんのよ!」

これを?随分サービスがいい。

まぁ安くはないがこれからのことを考えれば悪くはないだろうと思いこれを買うことにした。

「ありがとう!これはサービスだよ!売れ残りだけどね。」

と千春さんはギタークロスをつけてくれた。

と、奥から再び松田さんがやって来た。

「お!ありがとね夏実ちゃん!あと、姫香ちゃん!なんか面白いモン見つかったかい?」

「ええ!でも…」

「はは!無理に買ってくれだなんていわねぇよ!」

私は弦とクロスをしまおうとバッグを開けると中からさっきの人形劇のパンフレットが落ちてきた。落ちた先は松田さんの足元だった。

「ん?人形劇?夏実ちゃん人形劇なんてみるのかい?」

「ええ、さっき見てきたとこなんです。勉強の為に。」

「…勉強?なんの勉強?」

千春さんが尋ねてきた。

「劇の音楽を作るんですよ。その為の」

「なんか…よくわからんな…。劇ってのはなんの劇だい?」

松田さんがアゴヒゲを右手でなでながら訊いてきた。

「人形劇です」

もうここまで来たら全部話した方がいいだろう。

「実は姫香は人形劇部の部長で…」

私はこれまでの経緯を姫香と一緒に全て話した。

「…ほぉ…そりゃすげえや…。今の若い子ってのはやるなあ…!」

松田さんは腕を組んで驚いていた。

「へぇ…私たちも若い頃バンドやってたけど誰かの為に曲を作るなんてしたことなかったなぁ」

千春さんもだ。

「姫香ちゃん…あんたなかなか賢いよ!」

千春さんは姫香の方を向いてそういった。

「へ?」

姫香はきょとんとしていた。なにが賢いと言われるのか…確かに姫香は学校の成績は良い方なのだろうが…。

「音楽の重要さに気づいたんだからさ!いいかい、音楽ってのはその場の雰囲気を支配するんだ。相手に意識させなくてもこっちの土台へと引きずりこむことができるかなり強い力を持っている。そこに着目できたあんたはかなり鋭いよ!」

「い…いやぁ…そんなこと…」

姫香は顔を赤らめて謙遜した。そこまでは考えていなかったのだろう。

「よかったらまたいつかおいで!姫香ちゃんにピッタリのギター探しといてあげるからさ!」

千春さんは笑顔でそう言った。

私にはふと疑問に思ったことがあった。

「千春さんってバンドやってたんですか?」

「ああ!ギターやってたんだよ!因みにダンナともそこでね!昔はこんなデブじゃなかったけどさ!」

千春さんは笑いながらいう。

「なんだい!お前だって昔は括れがあったのにな!」

「あ?今のあたしじゃ何か不満なのかい?ん?」

「あ…いや…その…」

松田さんは千春さんの尻に敷かれているようだった。やはり女性というのは強い。


松田楽器店を後にした私たちはビルの外に出た。今日の目的は達成されたし、あとは時間の許す限り遊ぶだけだった。姫香と一緒に洋服を見に行ったり、普段は行かないゲームセンターに行ったり、少し遅くなったお昼御飯を食べたり、久々に充実している感じがあった。

そして街の少し外れまで歩いてきた。この街外れの住宅街の川沿いにマーライオンのオブジェクトがあると言ったら是非みたいと姫香が言うので連れてきた。別に水が出るわけでもなく、誰がなんの目的で作ったのかはわからないがそれをこの辺りに住む人は気にしてはいなかった。そんなときだった。急に雲行きが怪しくなり、辺りが暗くなった。

「なんか…雨…降りそうだね…。」

姫香が不安そうに言ったそれは的中してしまった。

辺りを覆い尽くすほどの雨がいっぺんに降ってきた。冬の雨は最悪だ。いくら冬が好きな私でもこればかりは耐えられない!どこかに避難しなくては。ここからなら私の家が近い!

「姫香!私の家が近いから!走って!」

私たちはとにかくがむしゃらに走った。そしてすぐに私の家が見えたが私と姫香は既にずぶ濡れだった。そして玄関までは来れたのだが鍵かかかっている。必死にバッグの中から鍵を探すが手がかじかんでうまく探せない。

「…あった!」

そしてようやく家の中へ入れた。暖房は効いていなかったが外よりかは暖かい。

「ふぅ…濡れちゃったね…。」

玄関で姫香が上着についた水をはらった。

「待ってて、バスタオル持ってくるから。」

私も上着を脱ぎ玄関に適当に干した。

「とりあえず上がって。シャワー使っていいから。」

さっきの雨のせいで体温が下がっていた。本当は溜まったお風呂に入りたいとこだがそんなに待てない。

「え…でも…夏実は?」

「私は後でも大丈夫よ。服なら私の使って!」

といい姫香をバスルームまで案内した。本当は私も早く入りたいとこだが、姫香はお客さんなので彼女を優先することにした。

リビングへ戻った私はエアコンの暖房をつけた。バスタオルでよく水気を落とし、部屋着用のジャージに着替えた。そのあと姫香に貸す服を探した。私と姫香の伸長や体格はあまり変わらなかったから貸せる服を探すのに時間はかからなかった。だが…下着は…。…姉さんのを借りようかな…?

そうこうしているうちに姫香があがってきた。

「ごめんね!ありがとう。」

あがってきてバスタオルを体に巻き付けている姫香に私は服を渡した。

「これを使って。下着は…とりあえず私のだけど…きつかったら姉さんのを使っていいから…。」

「うん。ありがとう!」

案の定服のサイズには問題がなかった。下着も…とりあえずは大丈夫らしい。

「夏実。なにか袋もらえる?自分の服をもってかえるから。」

「別にうちで洗ってもいいけど?」

「そこまでは悪いわ!」

というので適当にその辺のビニール袋を姫香に渡した。

「夏実もお風呂入ってきたら?」

と私の服を着た姫香がいうのだがなんだか体が妙に重い。

「うん…まだ…大丈夫だから」

私は座り込んでしまっていて、立ち上がるのが億劫になっていた。

「そお?ならいいんだけど」

と姫香は私の横に座ってきた。

こうして改めて近くで姫香を見ると…初めて見た時の彼女の第一印象が甦ってくるようだった。なんとも目を奪われるような、引き込まれるような美しさ…。女性ならば誰もが憧れるような細身な体型かつはっきりとした胸のライン。ヒップラインまでも滑らかだ…。私の貸した服は彼女にフィットしている。しているからこそ彼女の体の線がはっきり見えていて、同じ女性である私から見ても少しエロチックな感じがした。そんな彼女のことを見ているとなんだか頭と体がボーッと熱くなってきた。不用意に心拍数も上がり、呼吸も乱れる。そして変に胸がざわめくのだ。私は姫香に対し不思議な感情を抱いているような感じだった。…なぜだろう?なぜ私は彼女にこんな感情を抱いてしまっているのか?私はレズビアンではないはずだ。男にもちゃんと興味がある…でもバイセクシュアルである可能性は否定できない。……どうした?考えれば考えるほど私の頭はこんがらがってきた。

「夏実…?どうしたの?大丈夫?顔真っ赤よ!」

といい姫香が私の顔にくいっと自分の顔を近づけた。まずい…そんなに近づかれたら余計に…!

私の呼吸は更に荒くなってきた。

「もしかして…」

といい、姫香は私の額に手を当ててきた。

やめて…そんなことされたら…私…。

「夏実!あなたすごい熱よ!」

…熱?


体温計で測ったら私は38度9部も熱があった。

さっきの雨がもろに効いたのだ。

先ほどの体温上昇や心拍数上昇、呼吸の乱れの原因はこれだった。私は姫香に連れられ二階の自分の部屋へと入りベッドへと横たわった。こうやって人がくるなら片付けておけばよかった。

「大丈夫?とりあえず氷嚢ひょうのう変わりだけど…」

と姫香はビニールに氷を入れて私にくれた。

「うん…ありがと…。」

「なんだか…ごめんね。いろいろ私に付き合ってくれたせいでこうなっちゃったみたいで」

姫香が申し訳なさそうな顔をした。

「別に…あんたのせいじゃないよ。」

私は笑って見せた。そこへ…

「たっだいま~!すっごい雨だったね!夏実!いるの?クリーニングとってきたわよ!」

これは姉さんの声だ。

「あ…帰ってきたみたいね。お母さんかな?」

「いや…姉さんよ。」

姉さんが私の部屋へと向かって来ているのが足音でわかった。

「夏実!これあんたの分のクリーニング…あら?」

ノックも無しに部屋に入ってきた姉さんは姫香の存在と私の状態に気づいた。

「あ…お邪魔してます!夏実の友達の南 姫香です。」

きちんとフルネームで自己紹介する姫香。

「あら~ど~も。夏実の姉の秋恵あきえです。んで、夏実どうかしたの?」

「うん…熱が…ヤバい…。」

私は回らない頭で現状を伝えた。

「あらら…もう病院あいてないわよ…。ちょっと薬局行って薬買ってくるわね。」

と姉さんは私の部屋を出ようとした。

「あ…姫香ちゃんだっけ?この天気だし家まで送ってくわよ?どの辺?」

そうだった姉さんは車を運転できるのだ。

「えっと…大鷲東町ですけど…でもそんな…」

「遠慮しなくていいよ。大鷲東ならその近くにポイント貯めてる薬局あるから!」

大学生の癖に随分主婦じみたことをいう。

「いいよ姫香…そうしてもらいなさいよ。」

「うん…わかった。」

悩む姫香の背中を押した。

「じゃあ、すみません、お願いします。」

「よしきた!いこいこ!」

そういい姉さんは下へと降りていった。

そして姫香も部屋を出ようとしていたが出る前に私に

「今日はありがとう。楽しかった。早く良くなってね!お大事に!」

と言って荷物をもち、部屋を出ていった。

車のエンジンがかかり、発信する音が聞こえた。

独りになった私は考えていた。私が姫香に抱いたあの感情は本当に風邪のせいだけなのかと…。



・・・・・・・・


結局この間の風邪を引きずってしまい、昨日は学校を休んでしまった。

授業プリントや配布物などは茜が私の家まで持ってきてくれた。茜の家は私の家から然程遠くはない。小学生の頃は互いの家によく遊びに行ったものだ。

茜には菜奈が渡してくれたらしいので、お礼に通学路にあるパン屋でメロンパンを買って彼女に渡した。彼女は目を輝かせて喜んでくれた。扱い方さえ解ればなかなか面白い娘だ。

今日の退屈な授業も終わりやっと部活の時間だ。私は昼休みに姫香から返してもらった服をかばんに詰め直し、音楽室へと向かった。

音楽室へ向かっていると、ギュイーン!!と耳を突き刺すような高い音が聞こえた。何事か?と思ったら今度はヴァーン!と割れた重低音が鳴り響いた。私は急いで音楽室の扉を開けた。そしたら…

「おーっす!部長!おつかれ!」

この音の犯人は茜だった。

「あんた…なにそれ?」

「へっへ!エレキ!エレキ!」

茜が手にしていたのは黒色のレスポールタイプだった。黒を基調としたなかでもピックガードだけは白かった。

「茜!ちょっとうるさいよそれ!」

鈴はすこぶる迷惑そうだった。

「でもいい音すんでしょ!ヘヴィメタルエフェクトだよ?高音のエッジの立ち方もサスティーンも文句なし!」

そういうと茜は再びエレキを弾きだした。ハイポジションを使ったギターソロフレーズにチョーキングやライトハンド奏法、終いにはネックベントまで披露した。

「ああー!もう!わかったから!少し静かにして!」

流石に鈴が怒った。

「ごめんしゃーい…」

と茜はバツが悪そうに足元のコンパクトエフェクターのペダルを踏みつけた。

一方鈴はいつもの携帯かと思ったが、片手にギターを持ち、椅子の横にはカホンを置いてノートを開いていた。BGM作りに奮闘しているらしい。最初反対だった鈴がここまで協力的になってくれるとは…恐らく美樹の影響もあるのだろう。

茜のエレキギターの音が消えると今度はアコースティックの音がした。和美だ、しかし今までには聞いたことのない音楽だ。哀愁漂うマイナー調のアルペジオ、いかにも孤独感が表現されていた。

「あんた…それ」

「ふふ~ん、まずは一曲目だね~」

もう一曲完成させたのか…。和美はこう言うアルペジオのフレーズを考えるのは得意らしい。ずっと弾いてればなんとなくで理論も抜きに弾けてしまうのだという。こればかりは天性の感性というべきか。

「とりあえず、最初のうさぎさんが独りで楽器を弾くシーンはこれでいいかな?」

「ええ!問題ないでしょ!」

とりあえずどんどん曲を作らねばならないと思ってた矢先、既に一つできているというのは非常にありがたい。

「でもーあたしこういう単音はいいんだけど、和音の進行を考えるのはちょっと難しいなぁ」

「そこは私に任せてもらって構わないわ。あとあんたはオカリナを使ったフレーズを一つお願いね!」

「りょーかーい!」

和美は再びギターを窓際で弾きだす。

「…よし…これで、茜、この通りにエレキ弾いてみて。」

「ガッテン!しょうちのすけ!」

古いぞ。

鈴は即席のtab譜でも渡すのかと思いきや、自分のギターで音を鳴らした。茜は器用に鈴の出した音を拾いそれをエレキでなぞった。流石は耳コピ王だが、茜の特技を上手く使いこなしている鈴もなかなかだ。

ギターの低音をメインとしてブリッジミュートを合わせかつヘヴィメタルエフェクトを通したその音はなんとも威圧的なデスメタルだった。

「うぇーい!おっそろしー!」

訊けばこのシーンは雪うさぎの不安を煽るシーンのものらしい。そこにエレキとは考えたものだ。

私もうかうかしていられない。早く曲作りに専念しなくては!


・・・・・・・


あれから更に月日は経ち、クリスマスや正月もとうに過ぎていた。人形劇の発表会までそろそろ1ヶ月をきってしまう。

曲作りの方は大方まとまっていた。姫香たちにも実際にき聞いてもらい、どこをどうしてほしいなどの相談も受けて着々とか完成へと向かっていった。

だが私たちはまだ人形劇部の完成したシナリオを見てない。来週合わせのリハーサルをやるという話なのだが人形劇部の進行はどうなのだろうか?まぁ彼女たちもしっかりやっているだろう。根拠のない自己解決をする。

私は今音楽室にいるのだがボーッとしていた。ギターも弾かず、曲も書かず、ただただ時間が過ぎていくのをなんとなく感じとっていた。今日は茜と和美は用事で帰っていった。音楽室に私独りでいるところに鈴がきたが、他が帰ったことを知ると自分も帰っていった。なんとも薄情だ。しかし、私たちは特に切羽詰まっている訳ではない。リハーサルで問題点や改善点が見つかるかも知れないがそれをしないことにはなにもできなかった。

独りになった私は再び自分の目標について考えていた。確かに人形劇部とのコラボは今までにはない試みではあるが、私の目標の先輩を越える曲とはなかなか結び付かなかった。

独り腕を組み、顔を伏せ、目をつむり考えた。だが答えはみつからない。そりゃそうだ。ただ考えて答が見つかるなら誰も苦労はしない。

私は孤独な音楽家だ。まさにあの雪うさぎだ。

ああ、あのセーデが私を本物の音楽家がいる星へと連れていってくれないだろうか…。

いくら考えてもらちがあかないことは解っていた。もう観念するしかない。私も帰ろう。

音楽室は学校の三階にある。一階まで降りるのは一苦労だ。私は二階に降りたときに一階へ向かう足を停めた。

そういえば二階の隅の方に2号室があるはずだ。

そう思っただけだった筈だが、私の足は既に2号室へと向かっていた。

隅の方とは言え歩けばすぐだ。中を覗くと…

「もっとそこは感情を込めて!」

「人形の動きが雑よ!もっと命を吹き込んだつもりで!」

人形劇部もかなり熱が入っている様子だ。姫香が他の部員たちにどんどん指摘をしていた。冬休みが入ったこともあってか他の部員を見るのは久しく感じる。

「ちょっと、休憩させてくれよ…くたびれた…」

京子がへたっと座り込んだ。人形劇も体力勝負らしい。

「そうね…休憩が終わったらもう一回通すから!」

ここまで熱心な人形劇部に比べて私たちはどうだ?皆総じてサボっている。本来は私たちもこんな風に練習をするべきなのでは?

等と考えていると…。ガラッと2号室の扉が開いた。

「うわっ!!」

不意を突かれた。私は驚いてしまった。

「はいんなよ~廊下は寒いでしょ?」

菜奈だった。気づかれないつもりでいたのだが彼女にはバレていたらしい。私は2号室へと入っていった。

「あら!夏実!どうしたの?」

どうしたと言われても…

「あ、いや…特に何も…。」

練習をサボって帰ろうとしているなんて口が裂けても言えない。

「なぁ夏実!茜はいないの?」

京子が立ち上がり訊いてくる。

「うん、今日は帰っちゃったの。」

「ちぇ、つまんねーの」

と京子は再び座り込んだ。

「そうだ、皆次の一回夏実に見てもらいましょうよ!」

姫香がポンと手を叩きそう言った。

「え…でも…まだ練習段階だし…。」

美樹は自信がなさそうだった。

「美樹~!びびってんのかよ!あたしゃオッケーだよ!」

京子が美樹の肩に手を回した。

「うう…解ったよ…。」

美樹もしぶしぶ納得した。

「そうだな。誰かに見てもらうのが一番の練習になるしな。」

もっちーは手にマペットをはめて既に準備を始めていた。

そんな彼女らを眺めていると菜奈が私の元へ近寄ってきた。

「夏実…この前のメロンパン…どこで買ったの?」

「え?この前のっていうと…?」

いきなりそういわれた。この前とはいつだろう?

「夏実がお礼にくれたメロンパン…美味しかった。」

「ああ、あれ。」

思い出した、あのことか。

「あれね、私の通学路にあるパン屋さんのなの。メロンパンがイチオシっていうから買ったんだけど、そんなに気に入った?」

「うん。場所教えて」

既にメモ帳の準備までしている。菜奈はなかなか食い意地がはってると見た。

「ほらほら、早く始めるわよ!」

姫香が手をパンパンと叩く。

「姫香!役は結局さっきのでいいんだな?」

もっちーが確認をとる。何パターンかあったのか。

「ええ!あれが一番よ!」


そして劇が始まった。最初に出てきた人形は雪うさぎだ。雪うさぎの役は美樹が担当だ。

仲間が欲しいという強い気持ちはあっても、どこか不安を隠せない、少し臆病な面も備えた雪うさぎはまさに美樹に適役だった。

雪うさぎが最初に出会った仲間はオオカミだった。オオカミの役は京子だ。オオカミは最初雪うさぎを襲おうと考えてたが、雪うさぎの音楽を聞き自分も音楽を奏でたいと雪うさぎの仲間になったという筋書きだ。オオカミの荒っぽい口調とどこか乱暴なキャラは京子にぴったりだ。

次に出会ったのは山猫だった。山猫の役はもっちーだ。山猫は東の山で有名な音楽家なのだそうだが、群れるのを嫌い、いつも独りでいた。そんな山猫に雪うさぎは説得を持ちかけるのだが威圧的な言動で追い返されそうになるのだった。そこで雪うさぎとオオカミで音楽を奏でた。合奏だ。山猫はいつも独りでいたために合奏を知らなかった。合奏に魅了された山猫は二匹の仲間となった。山猫の威圧感溢れる言葉にはどこかもっちーらしさもあり、なかなか違和感なく見ることができた。

そして3匹目の仲間はフクロウだった。フクロウ役は菜奈だった。フクロウは3匹の奏でる音楽に引き寄せられてやってきた。しかしフクロウにはできる楽器がなかった。そんなフクロウに雪うさぎはある楽器を渡した。カホンだった。そうかここでカホンが出てくるのか。楽器を手に入れたフクロウは晴れて3匹への仲間入りを果たした。フクロウはのんびり屋で後先をあまり考えないキャラだったため、菜奈らしさが出ていた。

…フクロウと言えば知恵の象徴であり賢いイメージがあったのだがどうやらここでは菜奈用に作られているらしい。

最後に出会った仲間は鶴だった。鶴役は姫香だ。鶴が独りで歌っていることろへ4匹は引き寄せられるようにやってきた。鶴の歌声に感動した4匹は是非一緒に音楽をやらないかと鶴に持ちかけた。鶴は快く承諾してくれた。

…歌声に感動したのは4匹だけではない…いや…4匹と一人だ。それは私だ。姫香の歌声透き通るような…なんとも美しいものだった。地声は高い方なのだろうがその高い音域のなかでもきちんと音程を捉えていた。

この優しくも力強く、甘い歌声はどこか懐かしさすらも感じる。まさに美声呼ぶことに相応しい。どこまでハイスペックな女なのだろうか。

私は彼女の歌声を聞いた瞬間目を見開いた。そして気がついたら全身に鳥肌がたっていた。寒さのせいではない。…私たちギター部の中でもここまでの歌唱力を持つものはいない…。この声を聞いたときに私のなかに一つ天啓的なものが過った。これだ!この歌唱力だ!

話を劇に戻す。鶴を新しく迎えた音楽隊は皆の集まる広場でコンサートを行った。コンサートには沢山のお客さんが来ていた。もちろんお客さんというのはこの劇を観ている観客のことだ。この最後のコンサートを彩るのは私たちのセンスにかかっている。気合いが入るものだ!

因みに最後のコンサートの部分は観ている人達がよく知っている曲が良いということで、その吉住幼稚園の園歌をアレンジして歌うことになっている。その為に姫香は幼稚園まで出向き、楽譜をわざわざ貰ってきて私たちに渡してくれたのだ。うちには最強の耳コピ女王がいるのでそこまでの必要性はと思ったがアレンジを加えるのなら五線譜の楽譜があるのはありがたい。茜は音は解っても楽譜には起こせないのだった。私は四人でパート別けしてよりポップに仕上げた。そこに姫香の歌声が入るのだ。姫香の高い歌声に合わせるのなら少し移調したほうがいいかもしれない。

そして劇が終わった。私は劇が終わった瞬間立ち上がり姫香の元へと向かった。

「あ、夏実!どうだっ…ひゃ!?」

姫香がそういい終える前に私はガシッと姫香の両肩を掴んだ。

「おっ、おい!夏実!?どうしたんだよ!?」

近くにいた京子は訳がわからず私を止めにきた。

「姫香…この劇の曲作りする代わりになんでもするって言ったわよね…?」

「え、ええ…。確かにそう言ったけど…夏実?」

姫香は少し怯えている様子だった。今の私はどんな顔をしているのだろう。このき緊迫したシーンを他の部員は固唾を飲んで見守っていた。

「あんたにお願いがあるの!」

私の言葉には力が入っていた。


リハーサル当日、姫香の歌声に目を丸くしたのは私以外のギター部のメンバーだった。

「すっげー歌うま…」

茜は唖然としていた。

「あんた…マジ…?」

鈴も驚きを隠せないでいた。

「すっごーい!姫香ちゃん歌上手!」

和美は手をパチパチならしていた。

「え…えへ、そ…そうかしら…?」

姫香は右手を頬に当てながら少し恥ずかしそうに答えた。

「それで…彼女がメインボーカルの曲を一つ作りたいわけ!」

私のお願いとはそれのことだった。姫香もそれには納得してくれていた。

「へー!へー!いーじゃん!」

茜が身を乗りだして興味を示す。

和美も笑顔でうんうんと頷く。

だがしかし、残りの一人は納得しなかった。

「…夏実…ちょっと…」

鈴が手招きする。私は鈴の元へと寄った。

「あんた…本気なの?」

「…ええ」

…言われることは覚悟していた。

「今までギター部として活動してきてるから、まぁ一応夏実の気持ちも解る…でもさ…姫香あいつは人形劇部だよ?いいわけ?今まで私たちがしてきた活動全否定するわけ?」

「…私なりに考えた結果なの」

私もあのときは割りと衝動的になって姫香に頼み込んだのだが、あのあとになって少し躊躇ためらった。しかし今の現状を打開するにはそれしかないと私は考えた。

「あのね…鈴。私は…」

「もういい…」

鈴は溜め息をついて音楽室を出ていってしまった。

「鈴!」

やはり…不味かったか。部員の同意もなしにこの決断は軽率だったかもしれない…。

「…」

今まで賑やかだった音楽室に今度は沈黙が訪れた。

「…夏実?いったい…」

姫香が声をかけたのだが私にそれは届かなかった。

「!!夏実!」

気がついたら私も音楽室を飛び出していた。そしてひたすら走った。鈴がいそうな場所をひたすらあたった。教室、図書室、視聴覚室と…。

鈴は中庭にいた。ベンチに座り込みうつ向いていた。

「鈴…」

私の息は荒くなっていた。胸が大きく上下しているのがわかるくらいだ。

「…」

「…ごめんなさい…」

とにかく謝るしかなかった。それ以外の言葉は見つからなかった。

「…夏実はそんな風じゃないと思ってた…」

「え?」

そんな風?

「自分で成し遂げることを諦めて他人にすがる様な奴じゃないと!…思ってた…。」

「鈴…」

「私が最初人形劇部の依頼に反対したのもその理由。自分達だけでやることをさっさと諦めて簡単に他人にすがる様な人形劇部あいつらが本当に嫌いだったの。」

鈴の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「それは…違う…。」

私は力なくそう言った。

「違う?何が!?だってそうでしょ!?他所の部室にまで押し掛けて、軽々しく頭下げて…プライドもへったくれもない連中じゃない!」

「違う!」

いつ以来だろうかこんな大きな声をだしたのは。

「姫香は…人形劇部はそんな連中じゃない!確かに私達に頼ったのは事実だけど…でも私は見てきた…彼女達のプライドの高さを、志の高さを、何かを乗り越えようっていう強い気持ちを。」

私はこの間の人形劇部の練習風景を思い出した。

「あんたも見たでしょ?あの娘たちの手を…あっちこっちに絆創膏が貼ってあったでしょ。しかもあの娘たち学校で夜の九時過ぎまで練習して、土日まで潰して練習してるって。しっかりと言葉を聞いたわけじゃないけど…あの娘達は私達よりもかなり努力してると思うの。私はあの娘達がそんな軽々しい思いで私たちを頼って来たとは思えない…!」

「…だから…?そんなの…ただの…」

「鈴…自分じゃどうにもならないって解った時は誰かを頼ることは間違ってないと私は思う。誰かの力を借りることだって立派な戦い方だと思うの…。人形劇部は自分達の力ではどうにも抗えない事態に直面したからこそ私たちを頼った。そして私もずっと抱えていた悩みを晴らしたかっただから姫香を頼った。」

さっき走ってからしばらく時間が経つが未だに呼吸は安定しなかった。

「鈴…ごめんなさい…あなたに相談も無しに勝手に決めたことは悪かった。私の部長としての自覚が足りなかった。浅はかだった。本当にごめんなさい…」

私は深々と鈴に頭を下げた。気がついたら私の目にも涙が浮かんでいた。

「…夏実……」

鈴はまたうつ向いた。かと思ったら顔をあげた。

「…今回だけにしてよね。あいつらが私達を頼ったのは一回だけ…だから私達があいつらを頼るのも一回だけ…それなら…納得する。」

「鈴…ありがとう…!」

私はまた鈴に頭を下げた。


・・・・・・・


鈴との一件も終え、リハーサルも無事に終了した。残りは本番に備えるだけだ。

だがここで、ひとつの課題が残った。機材の運搬だ。私たちが楽器を持って行けるのはギターがせいぜいだ。他のアンプやミキサー、ギター以外の楽器を持ち運ぶことは困難だった。今までだったら生ギターとマイク用の小さいアンプで事足りたが今回はそうもいかない。大量の楽器を使うため、どうしても車が必要だった。

姉さんに頼み込んでもいいのだが、姉さんが乗っている車は軽自動車だ。とても全部載せきるのは難しいだろう。

どうするべきか…私は頭を抱えていた。

「…どうしたらいいと思う?」

私は回りを見渡す。が

茜は相変わらずエレキに夢中、鈴は携帯、和美はギター。私たちの部はいつもと何も変わらなかった。

「あー!」

茜が急に大声を出した。皆で一斉に彼女の方を向く。

「…何?」

私はおそるおそる訊いた。

「笹井だよ!笹井!」

「先生?」

笹井がどうかしたのか?

「笹井あのでっかい車もってんじゃん!」

茜のいうでっかい車とは…笹井がいつも乗ってくるあのミニバンだろうか。

「そーねーあれなら沢山載るよね~」

と和美はDコードをならす。

確かにあの車ならば機材持ち運びの問題は解決するが…そのためには笹井に交渉しなければならない…。めんどうだ。


「…は?今度の土曜日?」

「はい、空いてませんか?」

笹井は物理化学準備室にいた。ここが物理化学教員の職員室でもある。中には彼らの私物もあったりする。

「…なんでだよ?」

…笹井は顔をしかめてそう言った。顧問の癖に!もう少しこの部活に興味を持ってくれてもいいじゃないか!

「実は…今度人形劇部と合同での人形演劇をするんです。その為の機材の運搬に先生がもたれてる位の車が必要で…。」

笹井に敬語を使うのはなんだかムカムカくる。

「は?人形劇部?」

笹井は口をぽかんとあけてこちらを見た。

とりあえず今までの経緯を話す。

「…お前ら、それ、自分達で勝手にやってたのか?俺の許可もなしにか?」

「はい」

笹井は明らかに不機嫌だった。普段部活にも来ないくせにこんな時だけ顧問面だ。まったくふざけている!

「最初は楽曲を録音したのを渡すつもりでした。そこまでなら先生の許可は要らないと思って、でも話が進んでいくうちに録音が間に合わないことがわかって急遽生演奏方式に切り替えたんです。」

「わかった時点で報告か相談にでもくればいいだろ。」

「…先生は滅多に部活にこられませんし、今までの活動も全て私が取り仕切ってきました。その事に関して先生は何も口出しをしてきませんでした。この件も今までと同様の物と捉えています。」

とにかく私は強気に出てみた。

「…はぁ…」

笹井は頭をボリボリ掻いてちっと舌打ちをした。

「へぇ!そんなことしてるんだ!」

物理化学準備室の奥から若い女性の声がした。化学教員の水野みずの先生だ。彼女はまだ若い教員で今年この学校に新任したばかりだった。因みに私のクラスの化学担当は彼女だ。まだ慣れないところもあり授業の進行は教科書通りだが、解りやすくするための段ボールや厚紙で作った手製の模型図や、独自で編み出した語呂合わせなど、なかなかの工夫は見受けられた。生徒とも積極的にかかわり合おうと努力もしている。そんな彼女の印象はこの笹井と比べればとても良かった。

「笹井先生!これは凄いことじゃないですか?生徒達が自ら考えを起こして行動に移してるじゃないですか!まさに教育理念がもたらす最大の理想じゃないですか!」

水野先生は恐らくであるが、学園ドラマなどが好きなのだろう。憧れから先生を目指す人も少なくはない…はずだ。

「あぁ…まぁ…」

既にひねくれた教員である笹井に対してまだまだ純粋で志の高い水野先生。彼女の輝いている目が笹井に訴えかける。

「今の学校教育の中で生徒達は全て教員側の指示に従うばかりで、生徒達の自立などが見受けられる場面が少なくなっているって先日の職員会議でも議題にあがったじゃないですか!笹井先生、これは大変貴重なことですよ!ここはこの娘達の意思を尊重してあげるべきだと思います!」

水野先生が一気に笹井を捲し立てる

「…わかったよ。土曜だな?…予定しとく。」

「あ、ありがとうございます!」

水野先生のお陰でもっともつれると思っていた交渉はすんなりと終わってまった。

「あ…あなた確か…2組の内山さんよね?」

水野先生がこちらに寄ってきた。

「ふふ、がんばってね!貴女の名前しっかり覚えたから!」

私は水野先生と仲良くなってしまった…ようだ。


・・・・・・・・・・・


「…いよいよ明日ね!」

ギター部、人形劇部の前で姫香が腕を組んでいう。

「うう…緊張するなぁ…」

美樹は完全に怖じ気づいていた。

「大丈夫だって!劇自体初めてやるわけじゃないんだし!な!」

京子が美樹の背中をポンポン叩く。

「でも…私…前の劇で声裏返っちゃったし…」

「あれはあれだろ!気にしすぎだって!練習してきてんだから!大丈夫!いざとなったら額に人って指文字を書くと良いって!」

京子が励ます。

「違うぞ京子!額じゃなくて手の甲だ。」

もっちーが訂正する。

「違うよもっちー背中だよー」

菜奈が紙パックの牛乳を飲みながら更に訂正を重ねる。

「…手のひらだってばぁ…」

このメンバーは見ていて飽きない。

「違う違う!足の裏だって!」

そこに茜まで入り込んでいく。

「私はつむじって聞いた~」

和美まで。

わいわいと賑わっている音楽室の扉ががらっと開いた。廊下の冷たい風がすぐにそれを気づかせた。

「おい…内山。どの機材がいるんだ?」

笹井だった。

「おっと先生だ!久しぶり見た!」

茜が立ち上がる。

「うるせぇ。…で、どれなんだ?」

「そこにまとめてあります。」

音楽室の隅にアンプと小型ミキサー。ギター以外の楽器と椅子を置いていた。

「じゃあ…明日朝イチで詰め込んで行けばいいんだな?」

「はい、お願いします。」

ふぅ…と笹井は出ていったと思ったが入れ違いで誰かが入ってきた。

「こんにちは!」

…水野先生だ。

「あ、こんにちは!先生!」

姫香が立ち上がって先生に挨拶した。他の部員もそれに続く。

「…ええっと…知ってる…あ、水谷先生だ!」

茜のクラスは請け負っていないのか茜は大きな声で先生の名前を間違う。

「水野です…!」

先生は笑顔で訂正する。

「あ!そうだった!ごめんなしぃ!」

「ふふ、これから覚えてね!」

しかしなぜ先生が?

「…どうかしたんですか先生?」

私が疑問をぶつける。

「あ!夏実!水野先生は私たちの顧問の先生なの!」

「え!?」

…意外だ。

「ふふ…そういうこと!」

「へー!そうなんだ!」

茜も食いぎみに反応する。

「でも…私先生が顧問とか今知ったんですけど」

鈴がつーんとした態度で水野先生に言った。

「ああ…ごめんなさいね!色々暮れの準備とか忙しくてね!」

…そうか!この間の交渉の時に水野先生が加勢してくれたのは私達の事情を知っていたからだ!笹井の性格を知っているがゆえにわざと何も知らない振りをしてかつ、純粋な先生を演じて笹井を唆してくれたのだ。きっとそうに違いない!

「先生…この間はありがとうございました。」

そうとわかった私は先生にお礼を言った。

「いいえ!とんでもないわ!笹井先生って気難しい人だからああいってあげれば…ね!」

やはり読みは当たってたみたいだ。

「それに私も貴女たちの行いにすっごく感動してるの!自分達で何かをしようと計画を先生の助けも無しに立てたり、他の部活と協力したり、先生に言われなくてもどんどん新しいアクションを起こしていく貴女たちを見てるととってもワクワクしてくるの!昔の自分たちを見ているみたいで余計に…!」

私の読みはひとつだけ誤っていた。彼女が純粋な先生を演じているといったのは誤りだった。彼女は本当に、純粋に生徒の行動を重んじてくれる先生なのだ。

「夏実。実はね…水野先生はこの学校出身の先生で、昔は人形劇部の部長をしてた人なの!」

意外な事実を姫香が教えてくれた。

「へぇ…そうだったんだ…。」

「それだけじゃないぞ!先生は人形劇部の初代部長なんだ!つまり、人形劇部の創立者でもあるんだ!」

もっちーも付け足す。

「やーやー!皆してそんなーよしてよー。」

水野先生はとっても嬉しそうだ。

「へー!すげー!カッコいいー!」

茜はさらに食い付く。

「…部活って作れんだ…。」

意外なことには鈴も驚いていた。

「先生すごーい!」

和美はセーハコードのGをならして称賛を送る。

「もぉーよしてって!」

まんざらでもない先生は照れるのを隠しもしない。

「皆本番明日なんでしょ!しっかり頑張ってね!貴女たちならきっと大丈夫だから!」

「「はい!」」

水野先生が私達に激励を送った。それに私達は揃って返事をする。いよいよ明日が本番だ!


・・・・・・・・


当日、私は笹井の車の助手席に乗っていた。朝私だけが学校に来て笹井の車に荷物を積んだからだ。他のメンバーは一度学校に来るよりも直接幼稚園に行く方が近いという理由で現地で落ち合うことになっている。茜も呼ぼうかと思ったがあの遅刻魔には直接現地に行かせた方がいいだろう。現地にも遅れないといいが。昨日の部活のあのあとに体育教師にお願いして機材を体育館隅に置かせてもらっていたので正直積み込みだけならば私と笹井だけで十分事足りた。

車の中では沈黙が流れた。笹井はラジオすらもかけないらしい。

特に私も何も話すことはなかったのだが…。

「先生は…ギター部のこと…嫌いですか…?」

特に思ってもないことを訊いた。別に答えなんて欲しくはないのだがなんとなく訊いてしまった。

「…別に…興味がないだけだ。俺ギターとかやったこともねぇしよ。」

「なら…なんで顧問になったんですか?」

わたしのなんとなくは続いた。

「知らねぇよ。いつの間にかさせられてたんだよ。」

笹井は不機嫌そうに答えた。

「そうですか…」

やはり訊かなければ良かった…。

「でもよ…お前らはよくやってるとは思うさ…。」

「…え?」

私は笹井の顔を見た。先ほどと表情は変わっていないのだが。

「外の野球部だのサッカーだの見てみろよ、顧問にただ言われたことをそのまま生返事だけして馬鹿正直にやってやがる。あれじゃただのロボットだ。それで確かに実力はつくのかもしれんが俺に言わせればつまらん。面白くない。用意されたレールをそのまま走る電車じゃねえか。強くなるために考えることを放棄しているようにしかみえねぇんだよ。」

笹井がこんなにしゃべるのは初めて見た。

「それに比べりゃ自分で考えて動いてるお前らの方がまだ面白い…。」

…笹井にこんな一面があったのか…少し私は笹井を誤解していたのかもしれない。

「じゃあ…先生が部活に来ない理由って、私達に考えさせる為に…?」

「あーいや、それは本当に興味がねぇだけだ。仕事終わったらさっさと帰りてぇしよ。」

…やはり笹井は嫌いだ。


そうこうしているうちに幼稚園に到着した。

駐車場には私を除いたギター部が集まっていた。

「おはよーございますぶちょーあんどせんせー!」

茜が敬礼しながら挨拶をする。

「…おう」

車からおりるやいなや笹井は煙草に火を着けた。

「あとはお前らでやれ…」

そういい残して笹井は何処かへ行ってしまった。

「んもー無責任な顧問!」

珍しく和美が怒っている。

「別に…いない方がいいでしょあんなやつ」

鈴は最初から期待していない。

「とりあえず機材運ぼう!人形劇部は?」

「もう中だよ、私達も入ろう!寒いから!」

和美が腕を擦りながら言う。もう春先とはいえまだまだ冷えるのは確かだ。

それぞれが機材を持って幼稚園へと入っていった。

「あ!ギター部の方々ですか?」

そこにはエプロンを着けた若い女性がいた。恐らく先生だろう。

「はい!今日は宜しくお願いします。」

「ええ!こちらこそ!人形劇部の皆さん控え室にいらっしゃいますんでそちらに案内しますね!」

その先生は丁寧に私達を迎え入れてくれた。

「あ!夏実!お早う!」

控え室の中には既に準備を終えた人形劇部がいた。

「ええ、お早う」

控え室は思ったよりも広かった。とりあえず荷物を降ろす。

「先生、もうアリーナに園児さん達は入ってますか?」

私は先生に問いかける。

「いえ!まだ朝の会中なので!」

「解りました。じゃあ、皆今のうちに機材繋いじゃいましょう!」

とにかくお客様の前でちんたら準備するわけにはいかない。

アリーナの前方に大きく横広い机があり、そこには大きな黒布がかけられていた。人形劇部の準備は万端らしい。その机の後ろには丁寧に控えまで作ってあった。幼稚園側の好意だという、ありがたい。

私達は準備を急いだ。アンプを繋ぎ、ミキサーを繋ぎ、ギタースタンドを立ててギターを置いて、その他の楽器を並べる。

簡単な音だしをして、音域の調整をして何も問題なければそれで準備はOKだ。

準備を終えた私達は再び控え室に戻る。

「ふぅ…ふぅ…」

美樹が胸に手を当てて呼吸を整える。

「…大丈夫?美樹。」

姫香が美樹の背中をさする。

「うん…大丈夫。」

力なくそう答える美樹。

「ふっ!ふっ!」

準備体操をする京子。

「…すぅ~…はぁ~…」

もっちーは精神統一でもしているのか目を閉じて深呼吸を繰り返す。

「んぐんぐ」

菜奈は何かを食べている。…あ、あのメロンパンだ…本当にいって来たのか…。

「♪~」

念入りにギターのチューニングを行う和美。そのままお気に入りの曲を弾き出す。

鈴はイヤホンをして音楽を聴いている。余程音が大きいのか少し音漏れしている。

「うあぁ~~」

茜は大あくびをかます。

緊張感のないギター部だ。

と、ガチャりと控え室の扉が開いた。

「じゃあ、皆さん!お願いします!」

先生が呼びに来た。いよいよ始まるのだ。


「皆さんおはようございま~す!皆ちゃんと眠れたかな~?あ、ゆきちゃんちょっと眠そうだね~」

私達は机の後ろの控えに隠れて出番を待った。

「ちょいちょいちょい待ってくれよ。保護者も居るなんて聞いてねぇよ!」

小声で京子が漏らす。

「ええ…」

美樹も不安がっていた。

「へへへ!ビビりさんたちめ!」

茜が茶化す。あんたはもう少し緊張感をもったほうがいい。

「び…ビビってないわい!」

京子が言い返した。

「それじゃ薬原やくばら高校の皆さん!お願いします!」

「よし…行くわよ!」

姫香を先頭に人形劇部、ギター部の順で少し間を開けて並んだ。

「それじゃ皆さん自己紹介お願いします!」

姫香は先生からマイクを渡される。

「吉住幼稚園の皆さん!おはようございます!」

姫香がハキハキとした声で挨拶をする。そこに園児達からの挨拶が返ってきた。

「私達は薬原高校からやってきました。そして私は人形劇部部長の南 姫香です!今日は皆さんに是非楽しんでいってもらえたらと思っています。宜しくお願いします!」

姫香が頭を下げるとパチパチと拍手が鳴った。

次に美樹にマイクが渡される。

「え…あ…あの…」

「ほら!落ち着いて!」

姫香が小声で美樹に声をかける。

「に…人形劇部副部長の…前田 美樹です!よ…宜しくお願いします!」

自己紹介が終わった美樹は素早く京子にマイクを回した。

「えっと、じゃあ皆おはようございます!」

京子の挨拶にも園児達からの返事が返ってくる。

「人形劇部部員の岩永 京子です!しっかりがんばるんでお願いします!」

次にもっちーにマイクが渡る。

「も…望月 冬華…です。よ…宜しく…。」

もっちーもあがっている様子だった。

菜奈にマイクがわたる。

「古澤 菜奈で~す。今日はがんばりま~す。」

菜奈はいつもと変わらない。

そのままギター部にマイクが渡った。私からだ。

「皆さんおはようございます。」

とりあえず出だしは無難にでる。

「私達はギター部です。で、私はギター部部長の内山 夏実です。ギターっていうのはまぁその名前の通りギターを弾くことを中心にやっている部活なんですけど、今回は人形劇部と協力して劇を盛り上げていこうと言うことでこの劇に参加させていただいてます。人形劇中の音楽等を私達が担当して弾きますので、どうぞ音楽にもちょっと耳を傾けて聞いてもらえたらなと思っています。どうぞよろしくお願いします。」

思ったよりもしゃべれるものだな。拍手がなり終える前に茜にマイクを渡す。正直不安だが。

「みっなさーんおっはよーございます!」

一番ハイテンションな女がはっちゃける。茜のハイテンションさに園児たちも反応を示している。

「いやー右見ても左見てもちびっ子ばっかり!皆かわいいねぇ!おねーさん頑張っちゃうよぉ!あ、あたし須藤 茜でーすよろしく!」

不安は的中したが、園児達の反応は良い。保護者間では少しヒソヒソと聞こえるがまぁいいだろう。もう知らない。鈴にマイクが渡る。

「えっと…雨宮 鈴です。一応頑張るんで…よろしくお願いします。」

無難だ。茜のあとだと余計にそう感じる。

最後に和美。

「どーもー。ギター部の杉本 和美です!しっかり頑張りますんでどうぞよろしく~♪」

最後にFコードを鳴らした。和美…ずっとギター持ってたの?

「それじゃ今日皆さんに見てもらう劇は「森の音楽隊」というお話です。可愛い動物さんたちがでてきますので楽しんで見ていってください!」

姫香が言い終えると皆で所定の位置につく。真ん中の机を挟んで向かって右側に私と茜。左側に和美と鈴。そしていよいよ始まった。


『…ここはとある雪山。そこには1匹の音楽家が居ました。』

姫香のナレーションから始まる。そこに和美のアルペジオが入ってくる。劇と生楽器の融合に保護者を含めた観客の反応は良く、「おおっ」と少し声が聞こえてきた。

『その音楽家は雪ウサギ。でも雪ウサギはいっつも独りぼっちでいました。』

美樹は、黒い布をかけた机の裏からマペットをはめた手を出している。

「…はぁ…寂しいなぁ。今日も独りぼっち。あーあ、誰か一緒に音楽をしてくれないかなぁ。…そうだ!いないんだったら探しに行けばいいんだ!よし!そうしよう!」

『雪ウサギは新しい仲間を探すために山を降りました。雪ウサギはあっちこっちで音楽をしてくれる仲間を尋ねますが、なかなか見つかりません。そんなとき雪ウサギはとある洞穴を見つけました。しかし…そこは乱暴者のオオカミが住んでいる洞穴でした…!』

姫香は声に抑揚を着けてより緊張感をだす。そこに私のディミニッシュコードまで加わるものだから余計だ。

「ここは…洞穴?…うん!ここならいそうな気がする!ごめんください!誰かいませんか?」

洞穴に入っていこうとする雪ウサギに対してだめ~なんて声が園児から聞こえてくる。

「うん?だれだ?こんなところに」

オオカミのマペットをはめた京子の手がひょこっとでてくる。

「あの…一緒に音楽をしませんか?」

「おっと!これは旨そうなウサギだな!」

『洞穴の主がオオカミだと気がついたウサギはびっくりしました。』

「う、うわ!オオカミさん!食べないで!」

ここで茜お得意のへヴィメタルエフェクトエレキが入ってくる。

それが緊張感を更に引き立てる。園児たちも息を飲み込み見いる。

「へへへ!もう遅い!俺様は腹ペコなんだ!覚悟しろ!」

『そんな時、とっさに雪ウサギは持っていたギターを鳴らしました!』

ここも和美の担当だ。メジャーコードを基調とした優しいコードアルペジオだ。四小節程度の長さだが印象を与えるには十分だろう。

「お?なんだそれは?お…おい!これが音楽なのか?」

「うん。そうだよ!ね!オオカミさん一緒にやらない?」

「…よし!俺もやってやる!」

『雪ウサギの音楽の虜になったオオカミは雪ウサギの仲間になりました!二匹は更に仲間を探して旅を続けます。そして東の山へとたどり着きました。東の山にはなんとも有名な音楽家がいるという話ですが…。』

移動のシーンは軽快なポップBGMだ。

「えっと…このへんだよね?オオカミさん。」

「おい!あいつのことなんじゃないか?」

『二匹は一匹の山猫を見つけました。そうです。この山猫が有名な音楽家なのです!』

山猫はオカリナを吹いている。もちろんオカリナは和美の役だ。何かと忙しい和美だ。

「こんにちは!山猫さん!一緒に音楽をやりませんか?」

「うん?なんだお前達は?」

マペットをはめたもっちーの手が出てきた。

「僕たち…一緒に音楽をやってくれる仲間を探してるんです!一緒にやりませんか?」

「一緒にだと?ふん!ばかばかしい!音楽は一人でやるものなんだ!」

「おい!そんなことないぜ!一緒にやる合奏ってのはなかなかいいもんなんだぞ!」

『雪ウサギとオオカミが必死に説得します。』

「合奏?話には聞いたことあるが…とにかく練習の邪魔だ!もう用がないなら帰ってくれ!」

『二匹は山猫に追い返されそうになってしまいました!』

ここのシーン用に作ったテンションコード中心のBGMはなかなかはまる。名前の通り緊張が走る。

「そうだ!オオカミさん!一度見てもらおうよ!」

「…そうだな!」

『雪ウサギとオオカミは二匹で合奏を始めました。』

ここで私と和美のツインギターだ。和美がピッキングアルペジオでリードをとり、私がコードで追う。

「…なるほどな…。」

「ね!山猫さん!いいでしょ?」

「…わかった。お前たちの仲間になろう!」

『こうして、山猫は雪ウサギたちの仲間となり、一緒に旅にでかけました。そして雪ウサギ一行は更なる仲間を探し求めます。』

今回のこの劇にはなかなか和美の出番が多く、少し負担だろうと考えていたが、本番でも和美は涼しそうな顔をしていた。流石は器用人間だ。

そして場面は切り替わる。

『雪ウサギ一行は様々な場所を巡りますが、なかなか新しい仲間がみつかりません。三人は北の山で一休みすることにしました。』

「ふぅ~くたびれた!おい!ここらでちょっと休憩しないか?」

「うん。そうだね。」

「随分と見晴らしのいい山だな…。」

彼女らのマペットの動かし方は前とは比べ物にならないほど上達している。キョロキョロと回りを見渡す動きでさえも不自然さはなかった。

「あーあ、新しい仲間なかなかみつかんないなぁ!なぁ雪ウサギ!」

「う…うん。」

…ん?なんだか美樹の様子が変だ。

「おい、雪ウサギよ、これ以上仲間は必要なのか?三人もいれば十分だと私は思うのだが…。」

「そうかもしれないけ…ど…えっと…えっと…」

…まずい。セリフが飛んだか?たしかこの後は「僕はもっとたくさんの彩りを持った音楽をやりたいんだ!」と続くはずだ。頑張れ!思い出して!美樹!

美樹の表情は青ざめていた。回りの部員もそれを早急に感じ取っていた。傍らにいた京子ともっちーもオロオロしていた。私たちギター部にはどうにもフォローができない…固唾を飲んで見守る。劇において会話の間に間があいてしまうことは非常にまずい。そんな時。

Fmaj7の音がアリーナに響き渡った。その音はスローテンポでどんどん別のコードへと切り替わっていった。音の主は…鈴だった。間を繋ぐ為の鈴のアドリブだった。鈴はちらっと横目で机の裏側にいる三人に目をやる。ナイスプレイだ!観客の注目は鈴の方に向いた。

もっちーは鈴の急なアドリブに少し呆然としていたが、何かにはっと気がついたように自分のマイクの電源を切り、美樹に耳打ちをした。

多少入りは不自然だったかもしれないが、そのFmaj7から始まった音は綺麗に纏まって再びFmaj7へと戻ってきた。この間およそ八小節程度だったが美樹が立て直すまでには十分な時間だった。

「…僕は…もっと沢山の彩りを持った音楽がやりたいんだ!その為にはもっともっと仲間が必要なんです!」

「そうか…そうだな!」

鈴のアドリブによってなんとか事なきを得た。良かった良かった。そういえばこの7(セブンス)のコード進行、以前BGMとして使うために作ったが没になったやつだ。こんな所でこんな風に役立つとは…。しかもそれを急なアドリブとして活用できた鈴も見事だ。

「なぁ!ここで気晴らしに音楽でもやろうぜ!」

ここで三匹の合奏が入る。

和美がオカリナで主旋律をなぞり、私と茜はアコースティックでバッキングをとる。

『三匹が楽しく音楽を奏でていると、そこへ1羽のフクロウが近づいてきました。』

ここで菜奈の出番だ。さっきの美樹の件もあって少々不安が残るが…。

「こんにちわ~」

「あ、こんにちわ!えっと…フクロウさん何かご用ですか?」

「ううん~なんだか楽しそうな音が聞こえてきたから~」

「僕たち、一緒に音楽を奏でる仲間を探してるんです!フクロウさん、よかったら一緒にやりませんか?」

「うん!やるやる~!」

『フクロウは飛び込みで三匹の仲間になりました!しかし…』

「おい、フクロウ!お前何か楽器とかできるのかよ?」

「楽器~?なにそれ~?」

「な、何ってこれだよこれ!」

オオカミ役の京子のセリフにあわせて私はGコードを鳴らす。

「へぇ~楽しそう!貸してかして!」

ここで私と茜で交互に滅茶苦茶なコードを掻き鳴らす!実際には無い適当に押さえたコードはなんとも間抜けだ。

このシーンは何気に楽しい。

「へぇ~これが音楽か~」

「いや、音楽になってねぇし!」

オオカミの突っ込みに観客にも笑いが起こった。

「フクロウ、これだったらどうだ?」

『山猫はフクロウにとある楽器を渡しました。』

「カホンと言うんだ。リズムに乗って叩いてみな。」

ここで鈴の出番だ。用意していたカホンの上に座り、リズミカルにカホンを叩く。

「おお~これは楽しい~うん。私はこれにする~よろしくね~」

「うん!よろしく!フクロウさん!」

『こうして、新たにフクロウが仲間に加わった雪うさぎ一行は再び旅を再開し、湖畔へと向かいました。』

ここでナレーションが姫香からもっちーへと代わる

『湖畔へとたどり着いた一行はとある歌声に気付きました。』

「♪~」

ここで姫香の独唱だ。何度聞いても心を奪われる。姫香の独唱を邪魔しないように静かに和美のアルペジオが入る。決して姫香の声を遮ることはできない。細かなフィンガリングニュアンスにも慎重になる。このシーンはこの劇で一番力をいれている所だ。最初は私が担当するはずだったBGMだが、どうしても自信が追い付かず和美に任せてしまった。和美も今日一番かなりシリアスな表情をする。

姫香の歌声には観客の反応も良かった。

「うわぁ…素敵な歌声…。」

『雪うさぎはその歌声の主である、鶴へと近づいていきました。』

「こんにちわ!鶴さん!」

「あらこんにちわ!ウサギさん!」

「鶴さんとっても歌が上手なんですね!」

「いえ…そんなことはありませんよ…私なんてまだまだ下手っぴで」

「おいおい!そんなに歌えて下手なんてことはないぜ!」

「そうですよ!鶴さん、良かったら僕たちの演奏と一緒に歌ってくれませんか?」

「い…良いんですか?私で…」

「もちろんです!一緒にやりましょう!」

『そうして雪ウサギと狼と山猫とフクロウ、そして鶴は五匹で音楽隊を結成しました』

『そして月日が過ぎて、今日は待ちに待ったコンサートの日!』

「な...なんだか緊張するね...」

「そーかなー?」

「おい!そろそろ始まるぞ!」

五匹全員のマペットが並ぶ

「「吉住幼稚園の皆さんこんにちはー!」」

園児たちからも元気のいい反応が返ってくる。

「今日は私たちのコンサートに来てくれてありがとう!精一杯がんばるからみんなで楽しみましょう!」

そうして音楽隊の演奏が始まる。吉住幼稚園の園歌アレンジだ

私は電子キーボードを叩き明るい伴奏を取るドラムセットが用意できない分パーカッションはこれから出すのだ。

茜はエレキギターにオーバードライブエフェクトをかませポップ・ロック系のサウンドを生み出す。間奏にはちょっとしたギターソロも付け加えた。

鈴はベース。いつも通りのツーフィンガースタイルで弦を弾く、基本的にエフェクトはかけないらしいがアンプにイコライザーがないときは自前のグラフィックイコライザーを使う、彼女のベースの音抜けはなかなか良質だ。

和美はアコースティックギターにプラスハーモニカだ基本的に主旋律メロディーラインは彼女のハーモニカになる。

そして姫香のボーカル。彼女の一番おいしい音域が少し高めの位置にあるので、キーを半音上げてアレンジを施した。

その他の人形劇部の四人にはサビのコーラスをとってもらう。彼女の音域に比較的近い京子と奈菜は同じラインをなぞりユニゾンをとる。

比べて少し低いもっちーには三度下をとってもらい、美樹には少しきついだろうが三度上を取ってもらう。

ポップ・アレンジを施した園歌は園児、保護者、先生に大うけだった。園児たちは立ち上がり一緒に歌いだしたり踊り始めたり...

「皆さん!楽しんでいただけましたでしょうか!これで薬原高校人形劇部とギター部の合同人形劇を終わります!」

全員一同で礼をする。そしてマイクは先生へと戻される。

「はい!薬原高校のお姉さん達ありがとうございました!ここで園児のほうからお礼の言葉を述べたいと思います!」

そういうと代表園児二人が前へと出てきた。相手が二人なのでこちらも各々の代表として姫香と私の二人が出た。

「薬原高校のお姉さん、今日は楽しい劇をありがとうございました。」

カンペも見らずにすらすらとしゃべっている。今時の園児はすごいなぁ。

感謝の言葉が終わると感謝状と花束が渡された。姫香が感謝状を受け取り、私が花束を受け取る。

これですべて終わりだ。途中ヒヤヒヤもしたが、何とか成功できたのだ。本当に良かった...

控え室に戻ると...

「...皆...ごめんなさい....うっ...ひっ...」

何事かと思って振り返ると美樹が顔を覆って泣いていた。

「私が..私のせいで...」

そしてその場にうずくまってしまった。やはりさっきのことを気にしていたのか。

「美樹!あなたのせいなんかじゃないわ!あなたはよく頑張った..だから..」

姫香が駆け寄って美樹を抱きしめて慰めた。

「おいおい..そんな..泣くなよ..ちゃんと劇は成功したんだから..」

「そうだぞ美樹..自分を責めるな..」

もっちーと京子、奈菜も駆け寄る。

「でも...でも...ギター部の皆にも迷惑かけて..」

とんでもない、迷惑なんて一切...

「...あんたの」

え?

口を開いていたのは鈴だった。

「あんたの..お陰かな...折角作った曲を無駄にしなくて済んだ。」

鈴の顔は少し笑っていた。

「...え?」

「あんたたちには少しわかりにくいかも知れないけどね、私たちに言わせればミスもパフォーマンスなの。ステージの上に立てばあらゆることはやり直せない。だからパフォーマンスとして切り替える。あんたがセリフを切ったきっかけがあったから私は没にしたBGMを演奏パフォーマンスできた。わかりやすくいえば、あんたのミスは私のパフォーマンスになった。それだけのこと。」

ステージ上のミス..よくよく考えればミスのなかったステージなんて今まで無かった。完璧なステージなんて存在しない。

「だから私はあんたが泣く理由がわかんない。完璧なステージなんてあるわけないじゃん」

私が思ったことと同じことを鈴が言葉にしてくれた。

「そーそー!こないだ鈴で出し一発目間違えたもんね!」

すかさず茜がちゃちゃを入れる

「...っ!うっさい!大体あんたもしょっちゅう弦切りすぎよ!しかもいきなりマイクで弦切れちゃった~とか言うし!」

...私たちのステージはミスだらけ..いや、パフォーマンスだらけか..。

そんな二人の可笑しいやり取りを見て美樹の顔にもいつの間にか笑顔が戻っていた。


.......


先日の生演奏人形劇の評判は....私たちの想像を遥かに凌駕するほどの反響があった。保護者間での口コミなどで広がりに広がってあちらこちらで演劇の申し込み問い合わせがきているらしい。この結果に私たちは喜ぶどころか少し引いていた。

それからは毎週のようにどこかで人形劇を行っている。この間なんて地元のテレビ局の取材が来た程だ!この年齢でテレビデビューを果たしてしまった...。その上学校では校長から栄誉と賞して表彰されてしまい、人形劇部&ギター部には入部希望者が続出した。なんか...いろいろ上手く行き過ぎて少し気味が悪いが...でもまあこれで先輩と並ぶ実績は果たせたのか...


いつもの通学路、背中のギターケースを背負いなおした時に私はふと気がついた。春の暖かい空気が私の鼻の中へと舞い込んできたのだ...

そうか...冬は終わってしまったのか...また暑い夏がやってくるという嫌気よりも私は冬が終わってゆくことに悲しみを感じた。

今年の冬は私にたくさんの経験を与えてくれた。人形劇部との交流、BGM製作という新しい取り組み、そして想像を絶した反響。贅沢すぎるほどの経験を...与えてくれたのだ。

ああ...冬よ...お願いだ..もう少しだけでいい..行かないでくれ..行かないでくれ...。

私の心はセンチメンタルに覆われていた。

「よっ!夏実!あんた...え?どしたの!?」

茜が私の顔を見て驚いていた。

「いや...なにも...」

私はいつの間にか涙を流していた。冬の香りと共に涙は流れていった。


........


暖かい日差しが差す日が圧倒的に多くなり、気がつくと私たちも三年生になっていた。引退の日がじわりじわりと近づいてくる。やはりあれだけの結果を残そうともやはり私の目的は先輩を超える曲を作ることだ。やはりそれは変わらなかった。

「夏実先輩!」

座って悩んでいる私に若々しい張りのある声が飛んでくる

「ここの部分教えてもらいたいんですけど」

新しく入ってきた進入部員だ、今年はなんと五人も入ってきたのだ!あまりにもうれしくて姫香に伝えたら人形劇部は十人ほど入ってきたと言われ再び意気消沈してしまった。

「ああここね、ここは...」

私も先輩と呼ばれる日がくるとは..どうせなら部長と呼んでもらいたい気もするが...まぁいいだろう。


「お疲れ様でした!」

「はい、お疲れ様」

部員たちは帰っていき音楽室には私一人となった。

私はマイ・コードブックを開き再び曲の製作に打ち込む。今回は姫香がボーカルを取ってくれる。私はこの曲の製作にかなり時間をかけていた。もうこの製作が最後になるかもしれない。そんな気持ちがより私を慎重にさせた。こんかいの製作には結構な手ごたえを感じている。

曲のタイトルは「princess」お姫様がお城を抜け出し自由を謳歌する曲だ。

お姫様...由来は説明するまでも無いだろう。

もちろんメインキーはGコードだ。

                                 

                                 ~終~

最初はもっと短くするつもりで短編で書いていたのですが書いているうちに長くなってしまいました(笑)

作中に様々な音楽用語が出てきますが気になった方は是非調べてみてください!

誤字・脱字、矛盾や稚拙な表現等御見苦しい点多々あったかと存じますがここまで読んでくださった皆様には心より感謝申し上げます。

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