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那須さんが文芸部の部室に訪れたのは、企業見学からしばらくしてのことだった。
いつものように絢音と彩夏先輩の三人で、くだらない会話をしていたところに、何の前触れもなく彼女が来たのだ。
「……お言葉に甘えてきてみたんだけど」
那須さんは不安そうに首を傾げて、俺に向かってそう言ってくる。
明るい茶色の髪も、首の動きに合わせてゆらりと動いた。
「待ってたよ。どうぞ中に入って」
俺は笑顔で応える。
意識的に微笑ましい顔をするのは得意じゃないので、ぎこちないものになったと思う。
絢音と彩夏先輩にも、部活見学の件は話していたので、二人とも驚いたりはしなかった。
「あなたが那須 さくらさんね。私は文芸部の部長を務める壬生 彩夏よ。宇都宮くんから話は聞いてるわ」
部室に入ってきた那須さんに、先輩は落ち着いた声で挨拶した。
いつもの部活の時とは、まるで別人の様子だ。
能ある鷹は爪を隠す、といった感じだろうか。
「ど、どうも……壬生先輩がいるなんて、驚きです」
立ったままの那須さんは、口に手を当て控えめに驚きを表現する。
そういえば、文芸部のメンバーについては何も話さなかったかもしれない。
「あら、私のことを知っているのかしら? それは嬉しいわね、仲良くなれそうな気がするわ」
「この学校の生徒ならみんな知ってますよ、きっと」
さすがは有名人。
立瀬高校で人気投票をしたなら、先輩はきっと表彰台に入るのだろうな。
というか……いつもの先輩のキャラどこいったの?
さっきまで、『今期のアニメは糞ばっかりね。腐女子人気を狙ったようなものばかり! そうじゃないのよ、時代は百合よ! 百合!』などと言っていた人間とは思えない。
「那須さん、立ち話もなんだから適当な場所に座って」
俺は気をつかって座るように促す。
ありがとうと言ってから、那須さんは先輩の隣の椅子に座った。
「あっ、高根沢さんも文芸部なんだね。よろしく」
正面に座る絢音を見て、那須さんは笑顔で言う。
「あー、うん……よろしく」
絢音の態度に落ち着きがないのは、きっと女子との会話に慣れていないからなのだろう。
「なに緊張してんだよ」
俺は絢音にしか聞こえない声で囁いた。
「うっさい! 黙ってて!」
思いのほか強い言葉が返ってきたので、俺は面食らってしまう。
もしかすると、絢音は少し不機嫌なのかもしれない。先ほどまでは普通だった気がするのだが。
「では、入部試験に移りましょうか」
「は……?」
先輩が発した謎の単語に、俺は思わず聞き返した。
そんなものがこの部活に存在したか……?
いや、あり得ない。少なくとも俺たちは、そんなものは受けていない。
「伝統的な儀式よ。那須さん、申し訳ないけれど、あなたにも受けてもらうわ」
「え、はい。お構いなく!」
先輩は悪気もなく、嘘を吐きまくる。
ここに来て、ようやく普段の最低加減が戻ってきたようだ。
「まずはーー」
それからしばらくの間は、入部試験と題したオタトークで二人は盛り上がっていた。
俺もたまに会話に参加したが、絢音はまったく会話に入ってこなかった。
下校のチャイムが鳴り響き、俺たち四人は部室を後にする。
那須さんと先輩は、すっかり意気投合し、仲良さげに熱い会話を繰り広げていた。
この調子なら、那須さんは文芸部に入ってくれるだろう。
「んじゃあ、俺たちはここで」
校門を出たところで、俺は先輩と那須さんに言った。
俺と絢音は幼馴染みということもあり家が近い。先輩は俺たちとは逆方向に家があるので、いつもこうしてここで解散となる。
那須さんの家も、先輩方面らしかった。
「えぇ、また明日」
「じゃあね宇都宮くん、明日ね」
別れの挨拶を済ませ、俺はいつものように歩き出す。
その後ろを、いつものように絢音がついてきた。
小学生の頃から、この下校風景は変わらない。
「なんか今日、元気ないな」
俺は後ろを振り返るでもなく、ぶっきらぼうに言葉をぶつけた。
「……そんなことないよ」
答えてはくれたが、絢音は明らかに元気がない。
そもそも、それを隠そうとしていない気がする。
思考を読み取れてしまう俺には、その理由など簡単にわかった。
「そっか、俺の勘違いね」
しかし、俺はあえてその事について触れないでおく。
特に理由があるわけではないが、強いていうなら照れくさいのだ。
お互いに素直じゃないところも、小学生の頃から変わっていない。
「――――ねぇ」
ふいに声をかけられた俺は、慌てたように振り返った。
憂いを帯びたような瞳で俺を見つめ、絢音は悲しげに笑った。
「何で那須さんを誘ったの?」
まさか、絢音の方から踏み込んでくるなんて……。
どんな言葉を返せばいいのか分からず、誤魔化すために前へと向きなおる。
それに、このまま絢音を見ていたら、思考を読んでしまう気がした。
考えてみたが、ここは正直に答えたほうが良いだろう。
「先輩と気が合いそうだったし、可愛いと思ったから」
「……ふーん、そうなんだ……可愛いと思ったんだ」
「結果的に成功だったな、部員が増えて良かったじゃん。楽しくなりそうって言ってたもんな」
背中に鋭い視線を感じたが、俺は振り返らない。
相変わらず、俺たちは捻くれてるな、と改めて思う。
歩き始めてから十五分ほどで、絢音の家についた。
絢音はじゃあね、とだけ言って家の中に入っていった。
俺はその場に立ち尽くし、閉ざされた玄関を見つめる。
この不安定な距離感も、幼い頃と何ら変わりない。
俺は大きく溜息をついて、さっき絢音が抱いていた気持ちを思い返す。
何だか無性に叫びたい気分だった。