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特別棟三階の一番端に俺たちの部室はあった。
漫研や書道部、美術部などと言ったメジャーな文化部は普通棟に部室があるのだが、俺らのようにマイナーな部活は扱いがぞんざいなものとなっている。
流石に特別棟の三階にもなってくると、放課後は俺たち以外の足音一つしなかった。静寂と重たい空気に包まれている。
「静かでいいよね、こっちは」
絢音の囁いたその言葉ですら、廊下に響きわたるような静けさがある。
「そうか? 廃病院みたいで気味が悪いけどな……」
廊下を歩き終えた俺たちは、『生徒会室2』と書かれた部屋の前にいた。
隣の部屋には『物理準備室』、そのまた隣には『物理室』と書かれたプレートが見受けられる。
生徒会室は普通棟にあって、しっかり生徒会の活動でつかわれている。
ならば、この生徒会でつかわれることもない名ばかりの部屋は、何のために作られたのか来るたびに疑問に思ってしまう。
一応ではあるが、部室として生徒会室を使えるので、何だか悪い気分ではないのだが。
俺はノックもすることなく部屋の扉を開いた。
中には向かい合わせに置かれた二つの長机と、いくつかのパイプ椅子があるだけで、特に目立つようなものは何もない。
「あら、今日も二人できたのね」
椅子に腰かけ、本を読んでいた女子生徒に声をかけられた。
俺と絢音は軽く頭を下げてから、椅子に座る。
「今日も早いですね、彩夏先輩」
「教室にいてもすることがないもの」
垂れ下がってきた綺麗な黒髪を整えながら、彩夏先輩は答えてくれる。
壬生 彩夏。
立瀬高校の二年にして、我らが文芸部の部長である。
腰まで伸びる長い黒髪は、彼女の清楚な雰囲気にぴったりと合っている。大和撫子という言葉があるが、あれは彼女のためのものなのだろう。
眉目秀麗、成績優秀の彼女は、この高校でもかなりの有名人で、男子からも絶大な人気を誇っている。
そんな先輩と、俺と絢音の三人で部活動をしているのは、ふとしたキッカケからであった。
それは、忘れもしない入学式の出来事。
「んじゃあ、そのアンケート。提出は頼んだぞ」
俺たちの返事など聞きもせず、担任教師は話を進める。
生徒会が発行している、学校調査というアンケートを持たされた俺と絢音は、ただその場に立っていた。
「生徒会室の場所はわかるな? まぁ、わからなくても誰かに聞けよ。それじゃ、俺は用があるんで先帰るな」
そう言い残し、彼は足早に職員室を出て行ってしまった。
俺たちも追いかけるように職員室から退室し、無理やり任せれた仕事に取り掛かる。
「あの教師、ありえねぇな……合コンのどこが用事なんだよ……」
彼の頭の中は、このあとの合コンでいっぱいだった。
思考が読み取れる俺には、どんな嘘も通じないのだ。
「合コン……?」
俺の顔を覗き込むように、絢音が尋ねてくる。
「いや、独り言。それより生徒会室いくぞ。場合わかるか?」
「ごめん、全然わからない」
「だよな。俺もわからない」
入学したばかりなのに、知っているはずがないのだ。
合コンの件は許してやるから、生徒会室の場所くらいは、せめて教えて欲しかった。
「適当に歩いてれば着くか……」
職員室に戻って聞くという選択肢もあったが、あのアウェーな場所に戻るのは気が乗らない。
それに、偶然とはいえ絢音と二人きりになれたのだ。すぐに仕事を片付けるなどもったえないというものである。
「そうだね、じゃあ探そう」
そう言って、絢音は歩き始めた。
俺も彼女の背中を追う。それから、幾分か経って俺たちはようやく生徒会室にたどり着いた。
「なんで『生徒会室2』なんだろうな……」
「さぁ、なんでだろうね。1もあるのかな?」
俺と絢音は教室のプレートを見上げ、二人して首を傾げる。
特別棟三階の最奥。
学校の中心ともいえる生徒会の部屋がある場所にしては、少々心もとない。
「まぁ、入ってみるしかねぇよな」
恐る恐るといった様子で、俺はドアをノックした。
「はい、どうぞ」
それに反応して、中から声がかかる。
声色から女性のものだということがわかった。
ガラガラと音を立て、ゆっくり扉を開くと、中には椅子に腰かけた女子生徒が一人いるだけであった。
「あら、入部希望かしら?」
「入部……? 生徒会にですか?」
女子生徒が言った言葉の意味が理解できず、俺ら思わず聞き返した。
俺の言葉を受けた女子生徒は、一瞬驚いたように目を開いたが、すぐに和やかな笑みを浮かべる。
「残念ながらここは生徒会室じゃないわ。文芸部の部室なのよ」
俺たちの目的を察したのか、丁寧に説明してくれる。
「生徒会室なら、普通棟の一階にあるわ。確か事務室の隣だったと思う」
「そ、そうなんですか」
「えぇ、では頑張ってね」
その言葉を最後に、女子生徒は再び読書を再開した。
俺と絢音は、それぞれ礼を言ってからその教室から退室しようとする。
しかし、俺は最後に一言言っておきたいことがあったので、躊躇いつつも言うことにした、
「あ、あの……」
声をかけられた女子生徒は、キョトンとした表情で俺を見てくる。
「えっと、そのラノベ……確かに一巻はあまり面白くないですけど、二巻からすげぇ面白いんで、切らずに読んだ方がいいですよ」
女子生徒が読んでいた、ブックカバーに包まれた本の正体。
それは去年から某出版社で刊行されている、大人気ネット小説の書籍版だ。
変わった設定と、個性的な文体で、慣れるまでは面白さに気づけない。
二巻まで読むとさすがに慣れてきて、ドンドン物語に吸い込まれてしまう良作である。
俺も最近読んだラノベなので、退屈そうに読んでいる女子生徒に一言伝えたかった、
「……そ、それじゃあ、ありがとうございました」
何も言い返してこない女子生徒。気まずくなった俺は、背中を向けて扉に手をかけた。
「ちょっと待ちなさい!」
急に後ろから声をかけられ、びっくりする俺。
「まだ名前を聞いていないわ」
「あ、はい。一年C組宇都宮 白夜です」
「宇都宮くん。ね……」
意味ありげな笑みを浮かべ、女子生徒は考え込むように顎に手を当てる。
「宇都宮くん。わたしは二年A組の壬生 彩夏……アニメやラノベをこよなく愛するオタクよ」
「は、はぁ……」
急に冗舌に語りはじめる先輩。外見は全然オタクに見えないのだが。
「わたしは学校ではオタクであることを隠しているの……けれど、どういうわけか宇都宮くんにはバレてしまった……」
何だか心の奥がぞくりとする。嫌な予感が脳裏を過ぎった。
「だから、口止めが必要だと思うのよ」
「口止め……?」
「そう。余計なことを外部に漏らさないよう、なるべく長い時間あなたを監視している必要があるの」
「監視……ですか……?」
「えぇ、だから宇都宮くん。あなたは文芸部に入りなさい」
先輩の突然すぎる発言に、俺は思わず固まってしまう。
「一人が嫌というなら、後ろの彼女さんも一緒にどうかしら?」
勝手に話を進行していく先輩に、俺はかろうじて言い返した。
「俺は誰にも言いませんよ。口は堅い方だし、友達少ないんで安心してください。それとコイツは彼女じゃないです」
「いいえ、信用できないわ。それにあなたが部活に入れば、オタトークが出来るというわたしのメリットがある」
「俺のメリットはいずこへ……」
興奮気味に話す先輩は、止まるところを知らない。
それからも暴走を続け、ついに俺と絢音は文芸部の一員となったのだった。