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授業開始のチャイムが鳴ったというのに、なかなか先生を来なかった。
ホームルームの授業であるためやることもないのかもしれないが、なんとも無責任な担任教師だ。入学式の日から薄々感じていたのだが、俺らのクラス担任はハズレ教師かもしれない。
慣れない教室の雰囲気。居心地の悪い座席。
高校生活というのは、アニメやドラマなどで描かれているものとは全然違うらしい。薔薇色からはずいぶんかけ離れている気がする。
「よぉ、白夜くーん!」
急に後ろから肩を掴まれ、俺は驚きのあまり体を強張らせた。
その声が、高校に入学してから一番聞き馴染みのある声だと気づくのに、少し時間がかかってしまう。
「お前ってマジで性格悪いよな……あんま友達いねぇだろ?」
彼は嘲笑うように鋭い眼光を俺に向け、軽快にそう言ってきた。
「失礼な奴だな。俺のどこが悪い性格なんだよ」
「黒崎に平気であんなこと言ったり、宮城のこといじめたり。どこをとっても最低だろうが」
さっきの男子生徒は、宮城という名前らしい。
俺は話を聞きながら、やはりコイツは面白い奴だ。と考えていた。
基本的に人に嘘をつかない。思ったことを偽りなく相手に伝えている。正直すぎるため嫌われてしまうということもなく、その人当たりの良さから、むしろ周りからも好かれている。
まだクラス委員を決めていないが、決める時が来たら彼は真っ先に推薦される人材。
それに彼は、常に周囲に鋭い目を光らせているため、情報量が異常なまでに豊富だ。
良く言えば、リーダーシップの有る好青年。
悪く――――いや、俺風に言うなら、周りからの信頼と自分の能力に自惚れた策士。といったところだろう。
席が前後という関係で、彼とは休み時間などによく話している。
茶色の髪の毛は、彼の整った顔立ちをより際立てているようだった。
「別にいじめてなんかいないだろ? ただ話していただけだ」
「あれが会話だってんなら、俺は生涯を通して、まだ一度も会話したことないぜ」
お前もたいがい性格悪いだろ。と言おうとしたが、これ以上言葉を交わすのも面倒なので黙ることにした。
「つーか、お前の幼馴染みちゃん。ほんとに男子から人気だよなぁ……」
俺の方には目もくれず、彼――――佐野 環は一人の女子生徒を見つめていた。
俺もつられるようにして、そちらへと視線を移動させる。
一人の女子生徒の席を囲む形で、男子生徒が三人立っている。会話の内容は聞こえないが、どうやら彼女は質問攻めにあっているらしい。
「らしいな……女子からの評判は悪いみたいだけど」
そう言った俺を、環は意外そうな顔で観察した。
きっと、俺がクラスの裏事情を把握していることに驚いたのだろう。
「前にお前から聞いた話だぞ?」
「……そんなこと言ったっけな」
俺は自分の能力で知ったことを悟られないよう、適当に嘘をつく。
「にしても、マジで可愛いよな。高根沢さん」
一度は腑に落ちない顔をした環だが、すぐにそんなことを言い出した。
俺はもう一度、質問攻めにあっている彼女の方を向いた。
肩の辺りで整えられた黒髪、身長は高くないものの妙に色気を感じる体つき、透き通るような瞳。制服をこれ以上ない程に着こなす彼女は、俺の幼馴染みである高根沢 絢音だ。
絢音とは小中と同じ学校で、小さい頃から二人で遊んだりする仲だった。
彼女も環同様に、人に対してあまり嘘をつかない。俺はそういう彼女の性格が好きで、小学校に入学してすぐに自分から距離を詰めていった。
それから意気投合し、中学校の時には付き合ってみたりもした。結局、俺のせいで長続きはしなかったが。
「確かに……可愛いよなぁ」
俺は何気なくそう言って、絢音から目を逸らした。
「あんだけ可愛けりゃ、女子共の妬みの対象になるだろうよ」
呆れた顔で環はつぶやく。
絢音は昔から、女子から嫌われていた。
端正な顔立ちなうえに、嘘をつかない性格が加わり、女子からは敵として認識されてしまうことが多いのだろう。俺は男なのでよくわからないが、絢音は女子の秩序を乱してしまう存在なのかもしれない。
しかし、男子たちからの人気は依然と高い。
男子は気を遣い合って嘘をついたり、褒めたりということはあまりしない。言いたいことを言い合って日常的に喧嘩をするものだ。
絢音の性格も男子からなら受け入れられるものなのである。
まぁ、この事が結果として、さらに絢音を苦しめてしまうのだが。
理解者がいない俺よりは、異性から理解してもらえる絢音の方がよほどマシといえる。
「俺は男に生まれて正解だったよ。女子の世界でやっていける気がしない」
環を大きく嘆息し、しみじみと語った。
それから、授業が終わるまで先生は現れなかった。
六限目のホームルームは自由時間という形のまま、終わったというわけだ。
全ての授業が終わり、放課後を迎える。
部活に向かう生徒や委員会に向かう生徒が、あわただしく教室を出ていくのを俺はぼんやりと見つめていた。
「んじゃな白夜。また明日な」
環も部室に向かうためか、別れの挨拶をしてそそくさと退室した。
確か、彼は軽音部に入った。と言っていたような気がする。
俺も仕方なくノートをカバンに突っ込み、帰る支度をする。教科書のほとんどは持ち帰らないので、カバンは全く重くならない。
「ねぇ、白夜。今日も部室行くんでしょ?」
不意に声をかけられた。
俺は声のした方を見ることなく、淡白に答える。
「あぁ、いくよ。一緒に行く?」
「うん、早く行こう」
支度を終えた俺は立ち上がり、声の主を見た。
つやのある黒髪が、窓から差し込んでくる太陽の光を反射して、綺麗に輝いている。俺は微笑んでから歩き出す。
「んじゃ、行こうか。絢音」
俺の言葉を受けた絢音も、少し微笑んでから歩き出すのだった。