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「あら、宇都宮くん。朝早くから精が出るわね」


 どの口が言ってんだよ、と喉まで出かかったツッコミを俺は必死で殺した。

 この先輩に油を注いではいけない。


 競技大会当日の朝、実行委員会の仕事でテントの組み立てやライン引きなどをやらされていた。

 まだ学校に生徒の姿はほどんど見られず、体育教員と委員会の連中が、忙しなく動き回っているのが目に付いた。

 もちろん先輩も俺と同じように仕事をしている。

 俺よりも早く来て一仕事終えた先輩は、どうやら俺を手伝いに来てくれたらしい。


「精が出るって……なんか卑猥ね」


 朝から何を言ってんだこの人は……。

 そんな戯言を聞き流しながら、俺は黙々とパイプ椅子をテントの中へと運ぶ。


「精が出るの由来って、案外そういうものなのかしら?」


 先輩も口を止めることはないが、仕事はしているようだった。


 今日は先輩の口数がやたらと多い。

 まぁ、その理由もある程度の察しはつく。

 実行委員に巻き込んでしまったことを、申し訳なく思っているのだろう。

 だから、こうして早く登校し、俺の分の仕事も手伝ってくれているのだ。


 いつも適当なことばかり言っているが、そういった心配りは上手くできる。

 適当なようで、適当じゃない。

 憎みたいようで、憎めない。

 そんなウザったい性格をしているのが、この壬生 彩夏という人間だ。


 しかし、その先輩の行動を、俺は好意的に受け止めることができなかった。

 先輩にそんな気はないのだろうが、何だか情けをかけられてる気がしてしまうのだ。

 それに、この程度の仕事なら一人でも事足りる。

 

「……先輩」


 俺は曇った表情で、彩夏先輩を呼び止めた。

 先輩は間髪開けずに口を開く。


「どうしたの? 犬の排泄物でも踏んだような顔をして」


 一瞬、次の言葉が彼方へ飛んでいきそうになったが、ギリギリのところで発言できた。


「いや、このくらいの仕事なら一人でできるんで……他を手伝ってあげてくださいよ」


 そこで初めて先輩の口が止まった。

 それに合わせるようにして、長い黒髪がゆったりと揺らぐ。


 先輩は今、どんな気持ちなのだろう。


 普通の人間ならば、こんなことを考えるのかな。俺にはない感情だ。なんてことを思った。

 まるで自分を上から見下ろしているような感覚。

 俺はこれ以上なく冷静だった。


「……えぇ、そうよね」


 珍しく歯切れの悪い言い回しだ。

 俺は何も言わない。


「それじゃあ、他をあたるわ」


 それだけ言って、速足で俺から離れていく。

 俺は視界から先輩がいなくなる前に、仕事を再開した。

 その後、一通りの作業を終えるまで、俺は言葉を殺していた。




 朝の作業を終え、教室へ向かう頃には、もう生徒たちも賑やかに登校していた。

 「昨日の特番見た?」「あいつのツイッターやばい」「テンガエッグは至高だよな」

 朝から祭りのような騒がしさだ。


 俺は幼い頃から、周りの会話を拾ってしまう癖がある。

 おそらくそれは、この能力に関係する癖だろうと思う。

 俺は人より、他人の感情に敏感なのかもしれない。


 ――ドンッ


 冴えない頭で考えていたところ、背中に強い衝撃を感じた。

 その衝撃からは、こちらを気遣った少しの優しさが感じられた。

 そんなことをする奴など、俺の知る限りでは一人しかいない。


「おはよッ!」


 振り返るとそこには予想通りの人物がいた。


「痛い。朝から機嫌悪いね」


 俺は全身全霊を込めて、厭味ったらしい顔をして見せる。


「どっかの誰かさんが、私をおいて先に登校しちゃうからねッ!」


 あからさまに怒った様子で、絢音は言う。


 そう、今日は絢音をおいて一人で登校した。

 いつも二人で登校しているというわけではない。むしろ、一緒に登校する方が稀だが、今日は例外だった。

 昨日の帰りに、明日は作業があるし一緒に登校しようと約束していた。

 だが、俺は適当に理由をつけて断りの連絡をした。それも今朝に。

 

「だから、忘れてたんだよ。連絡も入れただろ?」


「はぁ? それで済まされるわけないでしょ? 大罪だよ、大罪」


 絢音は頑なに許そうとしない。

 まぁ、俺も悪いとは思うが。


「約束も守れないとか信じらんない。それに……――」


 勢いよく出ていた言葉が、そこまで言って止まった。

 不思議に思った俺は、ほぼ反射のように聞き返す。


「それに、何?」


 絢音は俺をキッと睨みつけ、爆発しそうなほど目を見開いた。

 しかし、それも冷めたように一瞬で終わり、いつもの絢音に戻っていく。


「……知らない。もういい」


 水をかけられた焔の如く様変わりした絢音は、そそくさと俺をおいて先を歩いていく。

 それを見つめながら、俺は浮き上がってくる罪悪感を噛みしめた。

 

 先輩といい。絢音といい。

 実行委員会に携わってから、本当にロクなことがない。

 ――あぁ、なんで俺がこんな目に……。


 俺は心の中で嘆息し、先ほどの罪悪感を踏み潰す想いで、絢音のあとを歩き始めた。

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