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三題噺 (連作)  作者: naoyan
4/4

4話「元凶」(お題 : 煙突、運転手、角)

「お客さん、そんなに工場の夜景が珍しいですか」

帽子を目深に被った運転手がバックミラー越しに話しかけてきた。俺が窓の外に目を向けていることがそんなに気になるのか。なんとも言えない不気味さがあった。

「煙突が気になってね。こうやって光に彩られた工場を眺めていると、煙突一本一本が意思を持って今にも俺に牙を向けてきそうな気がするんだよ」

運転手はやや顔を上げたが、それでもまだツバに潜んだ顔は隠れたままだった。

「なにかやましい事がおありで?」

「・・・いや、ちょっと胸騒ぎがしてな」

再び車内には沈黙が広がった。孤独は好きだが、このような言葉の途切れには居心地の悪さを感じる。空白を埋めようと胸ポケットにあるはずの煙草を探ってみた。しかし、そこには煙草ではなく、くしゃくしゃになった退職届が入っていた。

「随分と乱雑な扱いですね。ゴミならば引き取りますよ」

運転手の白手袋に包まれた手がすっと前の席から伸びてきた。少し考えた結果、なぜだか分からぬが渡せなかった。

「仕事辞めるんだ。退職届を一旦書いてはみたが、俺の優柔不断さが災いして、退職の意志と一緒にくしゃくしゃに丸めてしまったんだ。けど、捨てるのもなんだか気が進まなくて、胸ポケットにしまいこんでたんだ。今の今まですっかり忘れてたよ」

運転手は、バックミラーに映る俺の姿に顔を向けたまま、手で顎をさすり、髭の伸び具合を執拗に確かめていた。まるで俺という人間を吟味しているかのようで、息が詰まりそうだ。

「お客さん、これから私がちょっとした小話をお話いたします。この小話自体には特に深い意味はありません。しがないタクシー運転手の戯言だと思って、どうかリラックスして聞いてください」


光のカーテンに包まれた工場地帯の中を、永遠と思えるほど長い時間、タクシーは走り続けていた。その空間には過去も未来もなく、あるのは現在だけだった。そして現在という時間が目まぐるしく更新される中、運転手の小話が始まった。


「お客さんは既にご存知でしょうね。先日ニュースで取り上げられた、大学生が雪山で変死した事件を。なんでも山小屋で倒れている男をとある登山家が発見したらしいですね。現場の状況からして事件と事故の両方とも可能性は薄く、結局その事件は自殺として処理された。なんとも不思議な事件ですねぇ。そもそもなぜ雪山の山小屋で死のうと思ったのか。確かに凍死を自殺方法として選ぶ人はいますが、凍死する為にわざわざ吹雪のなか雪山を登ろうと思いますかね。それにそもそも彼には自殺の動機がないらしいですね。ふふ

ふ。本当に不思議だ」


運転手は抑揚のない声で、滔々と事件の概要を語った。新聞やニュース番組で大々的に取り上げられていたニュースだけに、運転手の語った内容は耳にタコができるほど聞き知っている。


「変死といえば、数年前にも似たような事件がありましたよね。高校生がマラソンの途中にダムに転落し、水死した事件ですよ。あれは確か高校生が誤って転落した事故死として処理されましたね。可哀想に、高校生といえばまだまだ希望に満ち溢れている時期なのに」


信号が赤になり、会話が一旦途切れた。運転手はペットボトルの水を口に含み、目深に被った帽子をさらに目深に被った。


「あと、事件として世に発信されなかったのですが、ある事情通から恐ろしく奇妙な珍事を聞いたことがありますよ。今語った変死の類とはややズレるのですがねぇ。ある葬式で棺を開けると、そこには死者の体からくり抜かれた心臓が血まみれで転がっていたらしいですよ。ありえないですよね。とても実話とは思えない。私はその事情通に問い詰めましたが、それは確かに実在した出来事だったらしいですよ。いやぁ、事実は小説より奇なりと言いますが、世のなか何が起こるか分かりませねぇ」


信号が青に変わり、再びタクシーは発進した。窓の外では再び工場の夜景が後ろへ流れ始めた。それまで現在だったものが過去に変わり、夜景とともに後ろへと流れていく。先程まで運転手が話していた現実離れした小話も夜景とともに過去とともに後ろへ流れ去っていく・・・


✳︎✳︎✳︎


「最後に取っておきの小話をひとつ差し上げます。お客さんは“鬼人”という言葉を耳にしたことがおありでしょうか。まぁ、ないでしょうね。これは一部の限られた人間しか知らないことでしょうから。“鬼人”というのは、まぁ言ってみればサンタクロースと対極の位置にいる存在ですね。サンタクロースは良い子のもとに幸せを運ぶことが仕事ですが、“鬼人”は逆に悪い子に不幸を運ぶのです。そう、サンタクロースと同様に家の煙突から入ってね。ただ、彼らは別に子供だけを対象としているのではありません。彼ら悪いことをした人間にふっと不幸の息を吹きかけるのです。すると息を浴びた人間はたちまち地獄のような不幸に見舞われる。ふふふ、まあでも、私は“鬼人”のような存在はこの世界で必要だと思っているのですよ。彼らが悪の根を断ち切っているおかげで、世界の秩序は保たれていると言っても過言ではないでしょう。彼らは普段、人間の姿をしてこの世界のどこかに紛れ、世の悪事に対して常にアンテナを張っている。そして彼らの頭には人間には見えない角が生えているのですよ。何故かというと、彼らは人間と同じ姿をしておりますので、彼ら自身、同業者が誰なのか判断できないのですね。つまり彼らは角の有無で“鬼人”か人間かを判断しているということです。ふふふ。私の言っていることが信じられないようですね。まぁ無理に信じる必要はありませんよ。ただの作り話だと思ってもらって結構です。では、最後にもう一つだけ作り話をさせていただきます。先ほど私が語った変死の数々なのですが、すべてその“鬼人”の仕業だと言ったらあなたは信じるでしょうか。雪山で凍死した大学生、ダムで水死した高校生、心臓をくり抜かれた死者。彼らはみんな過去に悪事を働いているのですよ。大学生は友人の家からゲーム・漫画・家具・衣類を計画的に強奪した後にそれを売りさばき、パチンコ資金の足しにしていた。高校生は小学生の頃に大量の漫画をじっくりと時間をかけていくつか本屋から万引きしていた。死者は二児の母で生前は息子に虐待を繰り返していた。ふふふ。“鬼人”はこの悪事を見逃すでしょうか。まぁ見逃さないでしょうね。彼らの目的は悪事のない世界を作り上げることですからね。亡くなった方には申し訳ないですが、これらの死は世界平和への代償なのです。悪に染まった人間を駆除する“鬼人”はまさに善そのものなのですよ」


✳︎✳︎✳︎


「・・・さん、お客さん、家に着きましたよ」

視界がぼやけていて、自分が誰なのか、自分が今どこにいるのか分からなかった。ズキズキする頭を上げ、周りを見回すとそこは車内だった。どうやら俺はタクシーの中で寝てしまったらしい。いつから眠っていたのか覚えていないが、運転手が何か一人で黙々と喋っていたのは覚えている。ただ、何を喋っていたのか思い出そうとすればするほど、体全体に悪寒が走り、背中にじわじわと汗が湧き出してくる。悪夢にうなされて目が覚めた時のような恐怖が頭の中を巡回し始めた。俺は怖くなって適当な金を運転手に投げ、咄嗟に車外へ飛び出してしまった。とにかく逃げよう。車内での記憶を思い出すのが怖い。とにかく今は逃げるしかない。過去から押し寄せてくる恐怖から逃げ、今だけを必死に生きたい。


逃げるうちに段々と息が切れ、知らず知らずのうちに足が止まっていた。自宅からは随分遠ざかった。足が張り、不規則な呼吸が止めどなく続いた。そしてついに疲労に耐え切れなくなり、近くの電信柱を背にしてへたりこんでしまった。天を仰ぎ、しばらく呼吸を整えることに努めた。すると、自分が来た道から二本の光線が鋭く刺してきた。車だ。それにあの車は俺がさっきまで乗っていたタクシーだ。もはや逃げる元気もない。諦めるしかない。だが、その車はスピードを緩めずに、俺の前を通り過ぎていった。思わず安堵の息が漏れ、警戒心も徐々に和らいでいった。遠のいていくタクシーの方を見ると、先ほどの運転手がサイドミラーに映っていた。いや、先ほどとは様相が違っていた。恐怖が全身に広がり、また体が震え始めた。ミラーに映った運転手は帽子を被っていなかった。そしてその頭には、禍々しい二本の角が生えていたのだ。


すべてを思い出した。俺は仕事を辞めようか迷っていたのだ。けど、あの運転手の話を聞いてしまったおかげで踏ん切りがついた。辞めよう。どちらが善でどちらが悪かなんて、そんなの分かりきったことだ。多くの犠牲の上に成り立った世界平和なんてまやかしにすぎない。呼吸を整えながらそっと立ちがり、何気なく頭のニット帽を取り、自宅の方向へと歩を進めた。さっきまで俺の頭に生えていた角は、跡形もなく消えていた。

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