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前編

 質問です。

 口約束と言うものは一体どれだけの効力があるのでしょう。

 契約社会になって久しい現代において念書のない約束は無効にされても仕方のない話だろう。それなのにそんな約束を今も律儀に守ろうとしている大人を見ると、脅迫紛いのそら恐ろしさを感じてしまう。先祖を敬う畏敬の念も一族末代まで続く悪魔の呪いのようだ。

 そんな口約束の犠牲を強いられているのが他の誰でもない、この私だ。

 私には婚約者がいる。

 今時婚約者って、どこのお嬢様ですかと思うかもしれない。しかし、残念ながら私はお嬢様でも何でもなくて、至って平凡な一般の家庭に育った。

 野川家の家長、即ち私の父はこの地域に昔から住む野川一党の分家筋に当たる。亡くなった曾祖父の野川友一(のがわともいちは本家の文蔵とは腹違いの兄弟で、決して仲の良い兄弟とは言えなかった。その証拠に友一は何かと文蔵に目の敵にされたのだそうだ。相続の際も揉めに揉めて、隣同士に門を構えていながら挨拶を交わす程度の付き合いしかない。仲の悪さは今も変わらず、些細な嫌がらせは後を絶たない。

 本家から伸びた銀杏の木が大きくなりすぎて影を作り、せっかくの朝の日差しも我が家のリビングには届かない。秋には大量の枯葉が積もり、樋に詰まって毎日枯葉の掃除が大変なのだ。本家の広い庭は毎年庭師を入れて手入れをしていると言うのに、剪定をする気配もなくほったらかし状態だ。伸びてきた枝を勝手に切ったら物凄い勢いでおじさんは怒鳴り込んできた。

 正に骨肉の争い。

 可愛さ余って憎さ百倍だ。

 これは少々酷い話ではないか。

 大じいちゃんが何をしたというのだ。文蔵さんは病で亡くなったお母さんの代わりに嫁に来た義理の母がそんなに気に入らなかったのか。文句があるなら死んだ曾曾じいちゃんに言ってもらいたいものだ。

 争い事を好まない父は何を言っても無駄だと早々に諦めている。

 そんなわけで何となく野川家一党の中でも肩身の狭い思いをしている我が家は慎ましやかに鳴りを潜めて暮らしている。それなのにとんでもない問題が起きてしまったのだ。


 文蔵さんは戦争経験者だ。

 生死を共にし、戦地で世話になった花井家の家長と、とある約束が交わされた。


『戦友同士、両家の親交は未来永劫続くものとする。両家は一心同体。花井家と野川家で婚姻を結び真の家族になろう』

 約束は守られ、世代毎に縁談は引き継がれていたのだが、中々縁は結ばれなかった。時は巡りとうとう私の代まで約束は叶わないまま。そんなある日花井家に玉のような男の子が生まれたのだが、残念なことに本家に女の子は生まれなかった。分家のどの家にも女の子は生まれなかった。唯一生まれた女の子がこの私だった。本家のおじさんは苦虫を噛み締める様な顔で私を睨みつけ、花井家に嫁に行くように宣言した。


「だっ、え? 私が? ええっ!」

 13才の春に聞かされた驚きの宣言に運命を呪いたくなったのは言うまでもない。

 確かに、文蔵さんが戦地で死んでいたら本家の人々は存在していない。

 花井家に恩を感じるのも納得はする。けれど、私は分家の人間だ。文蔵さんの生死は直結して関わらない。しかも文蔵さんが嫌っていた友一の血筋の人間なのだ。そんな子を大切な戦友の家に嫁がせて良いものだろうか。

 今からでも遅くはない。今時ひとまわりの年の差なんて珍しくも何ともない。

 カモン子作り。

 ガンバレおばさんと夜な夜な本家に向かって旗を振る。

 それなのに、それなのに、見たこともない綺麗な振袖を着せられて、椿が咲き乱れるホテルの庭園に引っ張り出されてしまった。しかも本家のおじさんおばさんの付き添いって、---地獄なんですけど。


「いいか香純、お前は何も喋らなくていい。黙って相手の言うことを聞いていなさい。下手に口を開けば馬鹿がバレるだろう」


「……はぁ」

 酷い言われようだ。

 言わせてもらえば自分のことを馬鹿だと思ったことは一度もない。父は平凡なサラリーマンだけど一生懸命家族の為に働いてくれている。本家がどれだけ偉いのか知らないけれど大概にしてほしいところだ。

 文蔵さんの無茶ぶりに付き合ってあげているのはこちらだと言うことを忘れないでもらいたい。この世にもういない人の願いを聞き入れるなんて、おじさんも人が良いのか悪いのか判断に悩む。

 それでも私も人並みの女の子であるから、綺麗な着物や豪華な食事に興味はある。格式あるホテルの庭園で咲き誇る椿を眺めながら着飾って歩いているとウキウキしてくる。


「まあ、可愛らしい。お人形さんのようね」

 すれ違う紳士淑女のみなさんにそう言ってもらうとまんざらでもない気がしてくる。

 今日はお日柄も良く申し分のない晴天だ。見事なまでにお見合いの日に相応しい。

 

 ちょっとだけ期待したのが良くなかったのかもしれない。

 やっぱり本家の文蔵さんは、友一一族に意地悪を仕掛けるのを忘れない。


「初めまして。花井駿雅はないしゅんがと申します」


「……」

 耳障りの良い声が庭園に響く。

 喋るなと言われればそれに従うのみと俯いたまま軽くお辞儀をして次の挨拶を待つこと数秒。


「まあ、嫌だ。緊張して言葉も出ないみたいですわ。不躾で申し訳ありません」

 おばさんの言葉に頭を抱えたくなる。

 なんだよそれ。

 黙っていなさいと言ったのはあんた達でしょう。これもおじさん達の罠なのか。 友一血縁者は皆敵とみなされている気がする。


「いいんですのよ。初めての顔合わせですものね。緊張するも無理のないことですわ。これから少しずつ慣れていけば大丈夫。ね、駿雅さん」


「そうですね」

 そろそろと顔を上げて見合い相手を見た瞬間に私は後悔した。


 なんだろうこの屈辱感は。

 私はこれでも一応女で、それなりに見えるように飾り立てられているはずだ。お見合い相手は確かに男で私よりも数センチ背が高く声も低い。それなのに、あらゆる仕上がりに敗北を感じる。

 見ればよくある濃紺のスーツ姿だ。仕立ての完成度が高いのか、上等な生地を仕様しているせいなのか、とにかく目の前の男はキラキラしている。

 何こいつ。

 見合いなんてする必要がないレベルの美丈夫だ。例え形式上の顔合わせだとしても、お断り前提の話しならとんだ笑い話だ。


「このお話しはなかったことに。香純さんには僕以上に相応しい方がいらっしゃると思います」

 そんなお断りの文句が頭の中を木霊する。

 そうして本家の連中にまた揶揄される姿が思い浮かんでしまう。

 あー最悪だ。

 気分は急下降で何を話しているのか頭の中に一切入ってこない。

 お行儀の良い優等生そのものの見合い相手は完璧だ。同じ年でこの落ち着き加減はどう躾けられたら出るのだろう。隙のない態度で気難しいおじさんと普通に会話をしている。

 生活水準は明らかにあちらの方が上とみた。


「若い者同士でゆっくりお庭の散策でもしていらっしゃいな」

 着物を着て馬鹿みたいに浮かれていた自分を殴ってやりたい。キラキラ星人の隣りは荷が重すぎる。


「香純さんは大人しいんだね。何か僕に聞きたいことはないの」


「はあ、特には何も……」


「そうなの。僕はそんなに魅力がないのかな」


「そういう事ではなくて、今日の顔合わせは形式上のものでしょう? 今時両家の口約束で結婚相手を決めるなんて馬鹿げてますよ。この先どんな素敵な出会いが待っているのか分からないんですよ」


「つまり君は僕と結婚したくないって事?」


「そんな先の未来はまだ決められません」


「……うん。確かに、そうだよね」

 神妙に話を聞くキラキラ君は関心が無くなったのか、それ以上踏み込んでは来なかった。

 最初で最後であろうはずのお見合いはこうして終了した。

 

 それから数日後、母が見合いの返事をおじさんから受け取った。


「香純ちゃん、先方から婚約の件お話しを進めてくださいと返事があったそうよ」


「ええっ」

 何を血迷ってあのキラキラ星人は返事を返したのか。

 こちらからは断れないというのに、寝言は寝てから言ってもらいたい。

 ああ、もうどうしてこんなことになってるんだろう。 

 私の第二の災難はこうして始まったのだった。

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