少女と雪だるま [前編]
カッサンドラの冬はとても寒かった。
息を吐けば白く、雪はたくさん降り積もり、辺りは一面銀世界――。
うさぎもクマも森に棲む妖精たちも、今は穴を掘ったり暖かい洞窟なんかで寒さを凌いでいる様子。
そんな中で、一人の元気な少女がいた。
少女は厚手のコートを着込み、中庭の中心で雪を一生懸命固めていた。
「あんた、また雪遊び? 外は寒いから風邪引くよ。」
「あ、母さん! 大丈夫だよー。」
「やれやれ誰に似たんだか、元気な子だねぇ。あったかい紅茶いれたんだけどいるかい? いらないかぁ……。」
この元気な少女は何処にでもいる、一見普通の子供だった。
母親のことが大好きで、それと同じくらい外で遊ぶことも大好きだった。ただ、他の子供たちと少し違って父親がおらず、母親と二人きりで生活していたのだ。
「何作ってるんだい?」
「えっとねー……雪だるま!」
「へぇ、雪だるまねぇ。いい感じじゃないか。」
「えへへ、かっこよくて可愛いのを作るんだよ!」
「なら、頑張らないとね! そーいや母さんも、昔はよく作ったモンだけどねぇ……。」
母親は手のひらを上に向け、ひらひらと落ちる雪を見て小さく笑った。少女もまた、母親のほころんだ顔を見て自分も小さく笑う。
親子揃ってきゃっきゃっと笑い合った。いつしか少女の雪だるま作りに母親も参加し、大きな雪だるまを楽しそうに作っていった。
雪の塊をころころ転がしたり、時には適当な雪をくっつけて叩いたり。そしてまた、雪の塊を二人一緒に転がしたのだった。
そうこうしている内に、雪の塊は大きな雪だまとなった。
少女は雪だまに目と口を描き、母親はおヒゲをちょんちょんっと付け足して少女の言うかっこよくて可愛い雪だるまは完成した。……と、思ったのだが。
少女は声を上げた。
「あ、手がない!」
少女は慌てた様子でその場でくるくる回る。
「ど、どうしよう。」
「あんた落ち着きな。ほら、小枝がいっぱい落ちているじゃないか。」
あくまで優しく助言する母親だったが、その表情はくすっと笑っていた。
少女は頬を少し赤らめると中庭を走りまわり、落ちている小枝を拾い集めて一本一本状態のいいものを選び、雪だるまの左右に一本ずつさした。
「へえ、随分と見栄えがよくなったねぇ。」
「可愛いでしょ?」
誇らしげに胸を張って少女は自信満々にそう言った。
しかし、こればかりは母親も声を出して笑わずにはいられなかった。
「お、お母さん?」
「ははははっ、ごめんごめん。さぁて、そろそろ本当に風邪を引くよ? 家に入って一緒に紅茶を飲もうじゃないか。」
「うん、わかった! でも、その前に。」
少女は固めた雪が崩れてしまわないように、そっと。小さな首をあたためていた真っ赤なマフラーを、それから厚手のコートを脱いで雪だるまに着せたのだ。
「よし! とってもキュートでダンディでかっこいい。似合ってるわ。」
「名前はなんていうんだい?」
「ブラボー! かっこいいし、とっても可愛い……えっ、な、名前?」
「ははははっ、モノに名前をつけるなんてお前もまだまだ子供だねぇ。」
「それでも、いいもーん。」
母親の問い掛けに思わず答えてしまい少女は一瞬驚いた。
でも、すぐにそんな気持ちは吹き飛んだ。
何故ならば、雪だるまが少し笑ったような気がしたからだ。
かっこよくて可愛くて、それから名前だってよく似合っている。少女はすこぶる上機嫌な様子で母親の後を追って家に入っていった。
☆ ☆ ☆
『ブラボー……それが、おれに与えられた新たな名か。』
誰もいやしない、そんな一面銀世界に一人残された雪だるま。
雪だるまである彼は、少女が呼んだ名前を誰に語るでもなく、自分自身に言い聞かせるように心の中で呟いた。
そんな経験をしたことがない雪だるまは、驚いていた。
『こんなことは初めてだ、妙な気分だ。』
この気持ちは嬉しさからくるものなのか。
それとも別の何かなのかと、問いかけたい気持ちでいっぱいだったが、それは出来なかった。
雪だるまが立つここは「雪」が全てを支配する銀世界。
寒さを凌ぐ生き物は皆それぞれ、暖かい場所にいた。ここは誰もいない、雪だるまだけの銀世界。
雪だるまはふと、少女の家へ意識を集中させる。
窓から伺える少女と母親は楽しそうに紅茶とお菓子を食べていた。幸せそうだった。そして雪だるまは、コートとマフラーのぬくもりに気付く。
『あたたかい。このままでは、溶けてしまうぜ……。』
雪だるまには少々堪えるあたたかさだった。
『もしおれがニンゲンだったなら、違ったのだろうか。』
雪だるまは心の奥で呟いた。
『おれはブラボー、そしてニンゲンはおれを雪だるまと呼ぶ。そう、おれは雪だるまなのだ…………なのに。』
少女が残してくれたぬくもりは尚も続く。
雪だるまの全身を優しく包み込んで、今まで彼が経験したことのない、とてもあたたかいものだった。
少女のぬくもりがじわじわと雪だるまの心を溶かしていく。
『明日も遊べるといいな。』
雪だるまは喜んでいた。そして、雪だるまは思った。
『これが愛ってやつか……!!』
☆ ☆ ☆
「へっ、ロマンチストな雪だるまもいたもんだな!」
『誰だ!!』
それは堂々とした威勢のいい軽快な声で、天から舞い降りた。
雪だるまはとてもびっくりしたが、雪なんで頭は動かない。上に何がいるのか、雪だるまは見上げることができなかった。
だが、その代わりに愉快な鈴の音がゆっくりと雪だるまに近づいていく。
その鈴の音にいつしか心奪われた雪だるまは、すっかり警戒を解いた。
鈴の音色とともに一台の小さなソリがやってきた。
ソリの上には真っ赤な色した青年があぐらを掻いて座っている。
すると、よっこらせ、という年寄くさい掛け声で謎の青年はソリから降りた。
「俺はサンタクロースだ、よろしくな!」
謎の青年、もといサンタクロースはニカッと笑う。
そして、もの言わぬ雪だるまに真っ直ぐ近づいた。
「やぁ、雪だるま。びっくりしたろ?」
しかし、雪だるまは黙ったままだ。
「大丈夫さ! 警戒しなくていいんだぜ、雪だるま。俺はヒトとはちょっと違うから、おまえの声は聞こえるのさ。少女に愛を感じたんだろ?」
サンタクロースは雪だるまの目線に顔を合わせると、ぐいっと親指を立てた。
『貴様が噂のサンタクロース? そんな馬鹿な!!』
雪だるまは第一声がそれしか出せなかった。
☆ ☆ ☆
警戒はとっくに解いていた。
しかし、知らないやつは誰もいないであろう超有名人、サンタクロースである。
雪の国では「ナンバー1」と言っても過言じゃない。
あの人気者のサンタクロースである。
その有名人である彼が、自ら名乗り出て目の前に立っていたから、雪だるまであっても息をのんでいたのだ。
真っ赤な服に、空を飛ぶソリ。
噂に聞く特徴と合致しているが、雪だるまは今だに信じられないでいる。
「嘘じゃないさ。ここにそう書いてあんだろ?」
そういって青年は胸元にあるワッペンを雪だるまに見せた。
そこには確かに「SANTA CLAUS」と書かれていた。
『疑ってすまなかった。』
「いいってことよ、大抵はみんなそういう反応をするさ!」
『キミがサンタクロースだということは理解した。……だが、ここへは何しに来たんだ?』
「プレゼントを配りに来たに決まってるさ、雪だるま。俺はサンタクロース、みんなが期待しているんだからな!」
サンタクロースは「よっこらせ」という掛け声とともに、ソリから大きな袋を持ち上げて、肩に担いでみせた。
「ふぅ、重い。」
サンタクロースの袋はどうも荷物でいっぱいのようだ。凄く辛そうな顔をして、悪態をついた。
袋はというと、何だか僅かに動いている。
そのまま凄い勢いで、サンタクロースの頬に袋が体当たりをした。
「いてっ!」
サンタクロースは思わず声を上げる。
しかし、何事もなかったように雪だるまの前にどかっと座ったのだ。
『プレゼント? まだ昼なのにかい?』
「昼でも夜でも、サンタはみんなの夢を叶えにいくんだよ。……雪だるま、細かいことは気にしちゃダメだぜ?」
『サンタ、おれは確かにただの雪だるまかもしれない。だが、おれにも名前はある! ブラボーだ。』
「へえ、俺の次にいい名前だな。ブラボー、ははっ!」
サンタクロースは人差し指で鼻をぐぐっと擦ると、軽快に笑った。
雪だるまは少し不服に思ったが雪なので表情には出ない、それをわかっていた雪だるまはさらに不機嫌になった。
そんな気持ちを知ってか知らずか、サンタクロースは袋を地面に置き、ごそごそと手を突っ込んだ。
『何をしているんだ?』
「プレゼントを取ってんだよ……あーくそ、早く出てこいよ!」
『プレゼント?』
「お前にだよ。」
その言葉に雪だるまはびっくりした。
その微妙な変化を感じとったサンタクロースはニヤニヤと笑った。
しかし、一向にプレゼントは雪だるまの前に現れなかった。
☆ ☆ ☆
幾何かの時間が経ち、それでも出てこないプレゼント。
何度やっても出てこない「プレゼント」に嫌気がさして、サンタクロースは口を開いた。
「早く出てこないと、暖炉に袋を放り投げてやってもいいんだぜ?」
「……っ、そんなバカな?! 今行くわよ!!」
すると、どういうことだろう。
サンタクロースの袋から女性が飛び出してきたのだ。
「うう、めっちゃ寒いって。来るんじゃなかったなー……。」
「雪だるま、さぁさ受け取ってくれ! 俺からのささやかなプレセント、クリスマス・ジングルベルだ!」
『クリスマス・ジングルベル?』
「あ、わたしです。」
サンタクロースの袋から飛び出た謎の女性は、膝の埃をぽんぽんっと払った。
状況がよく飲み込めない雪だるまはサンタクロースの方へ意識をやるも、サンタクロースは口の前に人差し指を立ててしーっとした。
謎の女性は一度咳払いし声の調子を整えたかと思うと、雪だるまを見下ろして口を開いた。
「わらわの名はクリスマス・ジングルベル――この世の夜を統括する、夜の大魔女とはわらわのことじゃ! その名に恥じぬ美貌と聡明な頭脳を持ち、そんじょそこらの魔女じゃ太刀打ちできない魔力を有しているぞ……。ふふん、ええーい! 頭が高いぞ、雪んこよ。頭を垂れるがよいッ!」
『すまない。』
雪だるまは申し訳なさそうに言った。
『おれは雪だるまだから動けないんだ。本当にすまない。』
「うぐっ……! そんなの見ればわかるわ。」
『そうなのか?』
「こんなヤツだが悪いやつじゃないんだ、ブラボー。勘弁してやってくれ。」
サンタクロースはこれまた申し訳なさそうに頭をぺこぺこ下げて、雪だるまに謝った。
『あれでも、何か違和感が……。』
「違和感ねぇ……。あー、喋り方とか?」
『そうそう、それだと思う。』
「キャラ作りってやつさ。」
『そうなのか?』
「まぁ色々あるんだろ。魔女だから。」
『そうか、魔女なら仕方ないな。』
違和感を感じる雪だるまに、サンタクロースはちらちら魔女を見ると小声でフォローにならないフォローをもらした。
それを見ていた魔女は咳払いをして、サンタクロースを鋭い目で睨み付けた。
「二人とも静かにせよ。話しが進まぬ!」
イライラと地団駄を踏む魔女。
サンタクロースは慌てたように声をあげる。
「あーでもアレだ、魔力がすげぇってのはホントだからな。そこだけはウソじゃねぇから安心しな!」
『……いや、安心も何も。これから何をするんだ?』
「うむ、説明しよう! 一度しか言わぬ、ゆえに耳の穴をかっぽじってしかと聞くように。」
『おれ雪だるまだから……耳は作られてないんだ、すまない。でも、心の中で聞いてるぜ。』
「うぐっ!! さりげなくカッコイイことを言いおって……。」
魔女は困ったように頬を掻いて愛想笑いを浮かべると、何事も無かったようにぽんっと煙を立てて一本のステッキを取り出した。
『おおっ、ブラボー! 魔女はマジシャンだったのか!』
「黙らっしゃい。」
魔法のステッキは魔女の手のひらでくるくると回って、そのまま魔女の足元に振り下ろされた。
それから降り積もった雪の上に線を描き、雪だるまと少年の絵を魔女は描いた。
「へえ、お前って絵上手いんだな。雪だるまはブラボーで、隣の男の子はお前の趣味か?」
「うるさい。」
『これおれなのか! かっこいいな! で、これは何なんだ?!』
「コホン、それはのう。つまりこういうことじゃ。大魔女であるわらわが、お主の願いを聞いてやろうということじゃよ、雪だるまくん。」
『おれの願い?』
「ふっふっふ、わらわは何でも御見通しじゃぞ……。」
魔女はゆっくりと歩み寄り、雪だるまの顔の近くで含んだ笑みを浮かべた。
雪だるまは自分の心に問いかける、そして――。
『あなたが叶えてくれる、そういうことなのか?』
「ああもちろんさ、サンタクロースの俺が保証するぜ。」
保証、その言葉が雪だるまの心に沁みわたる。
何よりも信頼できる「魔法」の呪文。
☆ ☆ ☆
少女の顔が浮かんだ。
雪だるまが願うこと、それはただ「ひとつ」だけ。
『……明日はクリスマス。もしおれの願いが叶うなら……。』
「うむ、願ってよいのじゃ。」
『一度でいいから、このぬくもりをくれた少女と……。遊んでみたい、遊びたいんだ!』
雪だるまは素直な気持ちを魔女に告げ、魔女はその願いを承諾し、サンタクロースは二人を見守った。
魔女は何かの呪文を唱えると辺り一面の光が魔女に集まり、三人が立っている場所以外からは光が奪われ、真っ暗に染まった。
『夜になったぞ?!』
「いいや、違うさ。夜になったんじゃなく、時間が止まったのさ。」
「ふっふっふ、凄かろう?」
魔女は得意気に言い放つと、集めた光を魔法のステッキに込めた。
魔法のステッキはまばゆい光を放ち、魔女はそれをくるくると回す。すると、集めた光は雪だるまの周辺に降り注ぎ、雪だるまの全身を光が覆った。
「まるで星のワルツ、だな。」
サンタクロースは静かに一人呟く。
その呟きを魔女も聞いたのか、唇の端を持ち上げてニヤッと笑った。光はどんどん雪だるまに集まり、やがて辺りは真っ白になった。
「おっと忘れておったのじゃ! この魔法はリスクの大きい魔法ゆえ、わらわと契約を結ばねばならぬぞ。」
『このタイミングでか?!』
「どうした、雪だるま。今更怖気づいただなんて、そんな寝言聞きたくはないぜ?」
「怖気づいたとしても、もう戻れはせぬ! 観念せい、雪んこ!」
大魔法を詠唱する魔女の頬に一滴の汗が流れた。
魔女の必死な姿に、雪だるまの心は打たれる。
『ああ、心は決まっている! 続けてくれ、ジングルベル。』
「では最後に確認するぞ、雪んこ。この魔法はすごい魔法である、そのぶんリスクもあるのじゃ。クリスマスの夜を終えると、元の雪んこに戻ってしまう。正体がバレても駄目なのじゃ! 気を付けるのだぞ。よろしいか?」
『……ああ、一日で十分さ。』
「一日じゃ友達にすらなれないかもしれないぜ?」
『その分いっぱい遊んでやるー! やってくれぇぇっ!』
魔女は力いっぱい魔法のステッキを振り上げる。
雪だるまめがけて。
「そーら、えいっ。」
☆ ☆ ☆
カサンドラの冬は、再び時が刻み始めた。
魔女は言う、
「雪だるまは少女に恋をし人間に。人間になれたはいいが一日で恋人かー、難儀な話じゃのう。」
「いや、そういう単純な話でもないと思うが……まぁそれならそれでいいさ。」
「ふぅん?」
魔女はどうにも歯切れの悪いサンタクロースをじろじろ見ていたが、サンタクロースは説明するのが面倒になってふたたび魔女を袋の中へ突っ込んだ。
明日はクリスマス。
サンタクロースはとっても忙しい日。
雪だるまは明日無事に過ごせるのだろうかと考えながら、子供たちに配るプレゼントをたくさん抱えて、ソリは夜の大空へと飛翔する。
サンタクロースの視線は少女の家に向く。
「次に目が覚めた時、雪だるまの夢は叶う。たった一日の夢、大切に使えよ。」