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そうして世界は平和になった

※誰も幸せにはなれない話です。約一名非常に満足そうですが、どこにも幸福はありません。後味も悪いです。



 あるところに、底なしの魔力を膨大な知識で操る魔術師がおりました。彼が腕を一振りすれば、大地は隆起し、風は逆巻き、炎は野を焼き尽くし、水は全てを浄化し洗い流すようでした。

 魔術師は戦場に出れば、千の兵に匹敵する働きを見せました。王命が下れば誰よりも早く馳せ参じ、誰よりも多くの敵を屠り、誰よりも偉大な戦果を上げました。


 人々は、恐ろしい魔力を操る魔術師に、畏怖の念を抱きました。けれど同時に、彼の編み出した魔術によって人々の暮らしは格段に向上し、尊敬も向けられていました。

 魔術師は、偉大な魔術師でした。誰よりも国王陛下に重用され、誰よりも国へ益をもたらす存在であると周知されていました。また、魔術師自身も寡黙な性格ではあったものの、真摯に国へ尽くし、人々の期待に応える為に、より多くの魔術の研究を行うのでした。


 だからこそ、その後に起こった事を、悲劇と呼ばずに何と呼べば良いのでしょう。


 ある晴れた日、魔術師は忽然と姿を消したのです。その国が管理する、膨大な魔術関連の蔵書と共に。魔術師の狂乱に気付き、止めに入った兵士の何人かは、その場で命を落としたようでした。

 魔術師は己のいた全ての痕跡を消して、その国から出奔しました。住んでいた屋敷はその建物すら消え失せていたと言います。


 その国では大きな混乱が巻き起こりました。何故、地位も名誉も得ていた国一番の魔術師が、突然に姿を消してしまったのか。けれど、混乱はそれだけでは収まりませんでした。

 その魔術師と思われる人物が、魔術関連の蔵書や古文書を保管してある場所を次々と襲い、奪うようになっていったのです。少しでも希有な蔵書があれば、魔術師は必ずそこを襲い、それを奪いました。その奪い方にはまるで容赦がなく、抵抗する者には残酷な死が与えられました。


 ある者は隆起した地面に身体を貫かれ、ある者は逆巻く風に首を刎ねられました。またある者は塵も残さず焼き尽くされ、ある者は水に呑まれたと言います。

 千の兵をなぎ倒す歴戦の魔術師。敵に回ったときの脅威は、人々の想像を遥かに凌駕していました。


 人の道を外れ、非道を繰り返した魔術師は、国の為に捧げられていたその心まで、やがては魔に堕ちてしまったのでしょう。魔術師はいつしか『魔物』を使役し、自らの手足のようにそれを統べるようになりました。世界は恐怖に包み込まれ、その象徴たる魔術師は、いつしかこう呼ばれるようになりました。


 『魔王』と―――――――――









 世界を恐怖のどん底へ陥れた魔王を打ち滅ぼす為に、間も無く討伐隊が組まれました。それは絶望的な戦いでした。相手は元々世界一と言って差し支えのない魔術師でした。その魔術師が今では魔を従え、その王となっているのです。その力は人の常識では測れない、強大なものとなっていました。生半可な覚悟では、容易く退けられてしまう事でしょう。それは死を意味します。誰もが討伐隊に加わる事を躊躇いました。


 そんな中で、自ら討伐隊に名乗りを上げる者がいました。彼は、かつて偉大なる魔術師であった魔王に命を救われた少年でした。魔術の才にこそ恵まれなかったものの、魔術師を人生の『師』と仰ぎ、かつての魔王を慕っておりました。

 立派な青年へと成長した彼は、堂々とした出で立ちで言いました。


『最早私の慕った師は、どこにもおりません。なれば、せめてこの手であの人の狂乱を止めます。それがかつての師への、最後の手向けです』


 魔術の才の代わりに、剣の才に恵まれた青年は信じた師の祖国への裏切りに対し、怒りの炎を燃やしていました。

 青年は立派な青年へと成長していましたが、それでもその力は未だ魔王に遠く及ばない事でしょう。それでも青年は、その心に裏切りへの怒りと、犠牲となった人々への哀悼の念を抱き、魔王を打ち滅ぼす為に立ち上がったのです。


 人々は、青年のその勇気ある決断に畏敬を示し、青年を勇気ある者として『勇者』と呼ぶようになりました。









 魔王は、死の森と呼ばれる世界の最果てに居城を築きました。そんな魔王が繰り返す事は、今も昔も変わらず魔術書の略奪でした。自ら人間側に攻撃を仕掛ける事はなく、ただ執拗に魔術書ばかりを狙い、時には人も獣も住まないような地下や洞窟に潜る事もあるようでした。

 勇者は、魔王の噂を聞き付けては奔走しました。その途中で何度も魔物と戦い、経験を重ねる内に実力を付けて行きました。信頼出来る仲間と共に、彼は世界の平和の為に死をも恐れず、生を尊んで戦い続けました。しかし、その心にはいつだって、人々を、そして自身を容易く裏切ったかつての師への憎しみがせめぎ合っていました。


 あるとき、勇者はとうとう魔王と対峙しました。白銀色だった髪も灰色だった目も今や真っ黒に染まり、魔王からはかつての師の面影はほとんど消えかけていました。朗らかだった笑顔は何の感情も感じさせない無表情へと替わり、不健康に痩せたように見えるのに、その重圧だけは何倍にも膨れ上がっているようでした。


『何故裏切った!』


 国を、人々を、そして―――――自分を。勇者はかつて慕っていたからこそ、その疑問は容易く憎しみへと変わりました。かつての魔術師を知る者は『何か事情があるのでは』と未だに囁き合う人もいます。けれど、勇者はそんな言葉を聞く度に反吐が出るような思いでした。

 魔王は国を裏切り、人々を苛んだ。最早それだけが真実で、残酷な現実でした。

 魔王は剣を向ける勇者を、指一本真っ直ぐに突き付けるだけであしらいました。いくら力を付けたと言っても、魔王にとっては無力な赤子も同然でした。


『こんな世界は間違っている』


 魔王はまるでかつてのように、かつての優しい魔術師のようにそう、言いました。









 魔王は、勇者を手に掛ける事無く、その場を後にしました。それは、勇者にとって酷い屈辱でした。裏切った身でありながら、魔王は勇者へ情けを掛けたのです。勇者はますます魔王へ憎しみの炎を滾らせました。

 勇者は力を付ける為に、危険と言われる場所へ進んで足を踏み入れました。その間にも魔王は数多くの魔術書を蒐集していきます。彼らの出身国である王城では、かつて魔術師であった頃の魔王の下で働いていた者達が、魔王の動きに様々な憶測を立てていました。


『あの方は閲覧制限のある禁書ばかりを持ちだされた』

『禁書には人の生死を脅かす内容を多く含むと言う』

『世界を転覆させる魔術もあの方なら可能だ』

『世界に散らばる魔術書を暴き、この世界の崩壊が目的だとしたら』


 その危険性は、すぐに勇者にも知らされました。一刻も早く魔王を止めなければなりません。魔王の知識と魔力があれば、全ての魔術書を読み解いたとき、この世界の理すら変えてしまえる魔術を編み出せると言うのです。

 今や魔を統べる王となった魔王の、編み出す魔術。それがどんなに恐ろしいものであるのか、想像さえ及ばない恐怖でした。









 魔王は、かつて心優しい魔術師でした。その能力に驕る事も無く、勤勉で思いやり深く、強すぎる魔力に怯える人がいたとしても、その人柄に触れれば皆がかつての魔術師に親しみを覚えました。

 かつての魔術師に命を救われた勇者もまた、その一人でした。


『君だけでも助かって良かった』


 両親との旅の途中、賊に襲われ、勇者だけが魔術師に救われ、両親は命を落としました。魔術師は呆然とする幼い勇者を抱き上げて、心の底から悲しそうに口にしました。


『人はいずれ必ず死ぬ。けれどそれは、とても納得できる事ではない』


 はっとして、勇者は勢いよく起き上がりました。きょろきょろと辺りを見回せば、野営の為の焚き火を囲むように旅の仲間達が寝ています。見張り番として起きていた仲間が、突然起き上がった勇者にどうしたのだ、と心配そうに声を掛けました。


 勇者は、どうやら夢を見ていたようです。それは実際に過去にあった出来事でした。両親を理不尽に奪われ、呆然自失とする勇者をかつての魔術師は心から慮り、その悲しみに寄り添ってくれました。

 その魔術師が、かつて誰よりも人の死を惜しみ、それを奪う者を憎んでくれた魔術師が、今や魔王として人の命を脅かしているのです。それは到底、許される事ではありませんでした。









 勇者は見る見る内に力を付けました。何度か魔王と対峙する度、少しずつ付けられる傷の量も増え、深くなっていきました。勇者を動かすのはあるがままのこの世界を愛する気持ちと、それを揺るがす魔王への憎しみだけでした。

 あるとき、未だ幼さの残る少年が、勇者の前に立ちはだかりました。少年は不思議な気配の持ち主でした。人のような容姿をしていながら、纏う魔力の質は魔物に近いのです。不思議に思う勇者たちを少年は一蹴して、その疑問に答える事はありません。ただ、自身を『魔王の恩寵に与る者』と言いました。その言葉の通り、少年の操る魔術は、魔王に迫るものがありました。


『あの方は、とても憐れな方だよ。魔術書くらい、くれてやれば良いじゃないか』


 それは、何とも勝手な言い分でした。あの魔王のせいで、一体どれほどの犠牲が出たと言うのでしょう。そして魔王が蒐集する魔術書には、人々の命を左右する危険があるのです。


『あの方の邪魔をしない事だね。それだけが唯一、君達の被害を最小限に止める方法だよ』


 少年は人の精神に入り込み、拐かす魔物ようにそう嘯いて、姿を消しました。少年は間違っています。被害を最小限に止める事など、勇者は考えていません。これ以上の犠牲を出さない為に、勇者は魔王を討伐しなければならないのです。









 魔術書を蒐集する魔王の目的を探る為に、一旦国に返った勇者はそこに残る魔王のわずかな痕跡を探りました。魔王がかつて目を通していたと言われる本を読み漁り、魔王の通い詰めていた庭園を眺めに行きました。国一番の魔術師の誉れに与りながらも、城下町を好んでいた魔王が身分を隠して通っていた食堂でも話を聞きました。そこでも聞こえて来るのは、親しんでいた魔術師の豹変への困惑と哀しみ、そしてその所業に対する怯えでした。


 城下町では、年若い女性が魔王に攫われたと噂されていました。実際にその場を見掛けた人はいないそうですが、魔術師が出奔した日の前後で姿を消した女性がいると言うのです。

 勇者はその話を聞いて、ますます魔王を憎みました。これまで聞き知っていた魔王の所業は、ひたすらに魔術書を狙い、それを阻む者を容赦なく返り討ちにした、という事ばかりでした。それが、か弱い女性にまで危害を加えていたと言うのです。

 正しく魔王らしく、許されざる所業でした。









 選ばれた者にしか抜けないと言われる聖剣を手に入れ、勇者は魔王の魔術の半分を無効化出来るようになりました。それでも魔王の力は強大であり、その魔術を己に掛けて直接魔王が斬りかかって来たならば、聖剣の加護はその効果を発揮出来ません。けれど、これでようやく魔王とも五分の戦いが出来るようになりました。


『君は本当に強くなった』


 魔王はまるで、かつての優しい魔術師のように、どこか寂しそうにそう呟きました。そんな声は聞きたくないと、勇者はまた、剣を振り被ったのでした。










 そして、勇者は長い長い旅を経て、とうとう魔王の居城へと辿り着きました。強力な魔物の棲家である死の森を抜け、息つく間もなく居城でもまた、魔物を薙ぎ払い、勇者は仲間と共に最後の戦いへと臨みました。

 魔王は血の気の無い、ぞっとするような微笑みで勇者ら一行を迎えたのです。


 戦いは、激しいものとなりました。魔術により、身体能力の跳ねあがった魔王を退けたと思えば、今度は雷鳴が勇者らを襲います。畳みかけるように風が、炎が、水が、大地が、勇者の体力を容赦なく削っていきました。

 けれど、それは魔王も同じ事でした。前衛を担当する、勇者を含む二人を凌ぎ切ったと思えば、後ろに控える魔術師が浄化の魔術で魔王の心身に深手を負わせます。深手や毒で命が危ぶまれれば、急いで回復魔術を唱えました。


 幾度もの死闘と、幾度もの絶望を乗り越え、勝利したのは勇者一行でした。


 瀕死の魔王は、最早魔王とも思えぬほど弱り切り、魔力さえ消費しつくしてその場に蹲ります。勇者はその聖剣を魔王へ突き付けました。いくら魔王と言えど、聖剣で喉元を貫かれれば、即座にその命を失ってしまう事でしょう。


『どうしてこんな事をしたんだっ』


 勇者は、努めて冷静に問い詰めようとしました。けれど、声は勝手に震え、鼻の奥がつんと痛み、勝手に目頭まで熱くなってくるのです。ままならない自身の身体に、尚も苛立ちが募りました。


『すまない』


 魔王は、勇者のよく知る優しい声でそう口にします。勇者はますます混乱しました。髪も目の色も変わり、不気味に痩せこけ、最早かつての面影などどこにもないと言うのに、まるで何も変わっていないかのように、魔王は自然とそんな声を出すのです。


『許せなかった。納得出来なかった。とても、堪えられなかった。私はただ、』


 聖剣に対する恐れを見せる事もなく、どこか遠い目をして言葉を重ねました。


『ただもう一度、この名を呼んで欲しかった』


 魔王の言葉の意味を理解出来ず、勇者は混乱の極致へと陥ります。仲間達も顔を見合わせ、何の話だと囁き合います。人々を裏切った魔王の言葉になど耳を貸さず、一息にその首を刎ねてしまえば良いのに、何故か思い出すのは非道な魔王では無く、自身を守ってくれたかつての魔術師の姿で、勇者は身動き一つ取れなくなってしまいました。


『可哀想な魔王様』


 そこに、あの不思議な少年が現われました。その両腕には、髪の長い女性が抱かれていました。勇者はその女性の顔を見て、驚きました。女性の容姿は、見付けたら助けてあげて欲しい、と城下町の人に見せてもらった、攫われた女性の絵姿そのものだったからです。


 勇者はすぐに女性を助けなければ、と意識を切り替えました。けれど、間も無くそれが無意味であると悟ります。眠るように穏やかな女性のその顔には、生気をまるで感じられなかったからです。

 少年は、剣を構える勇者も無視して、おそらくは遺体である女性の身体を魔王のそばに横たえました。もはや指一本動かす事すら苦痛でしょう。それでも魔王は、浅い呼吸を繰り返しながら、必死に女性へ手を伸ばすのです。


『夢みたいな話だ。どこかに、君を蘇らせる文献があると聞いた。けれど、世界中探しても見付からない。そんなもの、どこにも無い。ただもう一度、君の声が聞きたいだけなのに。今になって思えば、そんなまどろっこしい事は、しなくても良かったのかもしれないな』


 魔王は穏やかに微笑んで、そっと女性の遺体に口付けました。


『君をこちらに引き戻さずとも、私がそちらへ赴けば良かったのだ』


 そして、魔王は、自ら聖剣を――――――――――――









 こうして、世界は再び安寧を取り戻しました。

 魔王という脅威は取り除かれ、人々は喜びに湧きました。どれもこれも、勇敢なる勇者様のお陰です。

けれど、肝心の勇者様は祝いの席に呼ばれても固辞し続けました。それどころか、真っ黒な意匠ばかりを身に付け、喪に服している様子なのです。人々は、清廉潔白な勇者様はきっと魔王により犠牲になった全ての人々を悼んでくれているのだと、敬服しました。


 勇者の真意を知る者は、誰もそれを語ろうとはしませんでした。





読んで頂き、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだかピヨさんのこういうお話が少し懐かしかったです。 確かに誰も救われなかったですね。 人生に次があるとすれば、彼らみんなに幸せになって欲しいです。 魔王は女性、勇者は魔王しか見えなく…
[一言] とても考えさせられるお話でした。 せめて、あの世では魔術師と女性が幸せでいれることを願っています。
[一言] 膨大な魔力故に、尊敬や畏怖の念を浴びせられ、人々から「私達とは違う」と一線を引かれてきたであろう魔術師の不器用な愛情が切なかったです。 求める術が手に入りさえすれば、それまでに葬った無辜の人…
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