6話 この日
積み上げてきたものは、揺るがない。そう思っている。でも、人が違えば状況が変わる。状況が変われば、結果も違う。
人が変われば結果は変わる。
じゃあ、どうだろう?
* * * *
今日、彼女の目覚まし時計はいつもの時間に動きだした。彼女はすぐにベルをとめる。
ベッドと側の窓を覆う朱色と白いチェックのカーテンが揺れた。
普段は、ある程度すみやかに起きて着替をはじめる彼女だが、今日は少し勝手が違うようだ。
目覚まし時計をとめた彼女の右手は、一行に動きだす気配のないまま、布団の中に戻ることもしないで投げ出されている。中途半端に横たわる細い手首に、か細く鳴く鳥の声が触れる。
柔らかく、暖かい。でも、硬く、冷たい。
日の光りが昇りきらないこの時間帯。眩しさをさえぎる為のカーテンは、生まれたときから望む役にたてていなかった。
朝日を透かして、目覚めの良い時間を。この部屋を暖かな空気でいっぱいにしたい。そんな望み。
でも彼女の為にカーテンができるのは、冷たい外の世界からの刺激をやんわりと軽減させることだけ。
いつ頃からだろうか?
カーテンの世代交代よりも少し前のこと。
彼女は部屋の窓を、雨戸でしめきることはしなかった。この寒い冬の時期だって、ただの一度も。
しめきりはしないけれど、――むしろ暖かさを望んでいるけれど――薄い布地で隠し隔てる。
そうやって彼女は、長く冷たい冬を乗り越え、すごしてきた。
程なくして起き出した彼女は、寝ぼけた様子をまるで見せずに、鏡の前でスッスと髪にクシを通した。
枠の中の自分と目を合わせた彼女は、目の下に人さし指を添え、ひっぱっている。数回瞬きをした後、もう一度彼女は自身と目線を交した。
彼女は朝ごはんも早々にすませ、テーブルにきちんとついてふわふわのロールパンにかじりつく家族に声をかける。淡いストライプのお揃いパジャマを着た父親も母親も、まだ寝ぼけまなこ。弟だけがぱっちりおめめで、牛乳のたっぷり入った透明コップに口をおしつけている。
今日はいつもより空気が暖かく、日の昇り具合いもなかなかだ。
それでも彼女は白い息を吐いて道を急ぐ。赤いコートを見つめる黒い猫。電線にとまり彼女を見るすずめ。朝ごはんの、やわらかなお味噌汁の匂いが漂う。
その風景の雰囲気に溶け込んだ彼女は、ふと立ち止まり、掌を添え併せ息を吹きかけた。白い息はなぜか冷たく見えるけれど、とても温かいものだ。本人しか知りえないから、猫にもすずめにも定かではないけれど。
一台の郵便屋さんが歩道の近くを通りすぎるのを見て、彼女は歩みを早めた。
坂道を上りきると、彼女は驚いて目をしばたかせた。
いつもの場所に、川田さんがいる。例のごとく郵便屋さんのバイクを横に停めて、立ち尽くしている。 その光景を見て、彼女は駆けだした。
昨日は『風邪で休んだ』ということを伝えるため――理由があった。じゃあ、今日川田さんがどうしてあそこにいるのか。彼女を待っているのなら、それはどんな理由からなのか。正確なことは彼女には分からない。
でも、何かあるのは確かだ。それを感じとったからこそ、今彼女は走っているのかもしれない。
考える為の空気を白い息に変えて、次々と吐きだしながらも、彼女の頭の中では言葉がぐるぐると回っているのだろう。
ゆるやかな下り坂を駆け下りる。そんな行為が、なおさら彼女に息を吐かせた。彼女の体温が上がり、頬は温かさで覆われ、頭を働かせなくする。
必死な彼女の存在に気づいた川田さんが、手を振りだす。それは、彼女が川田さんの元にたどり着く、数秒前のことだった。
言葉にならない想いが彼女の肺の中を回り、いつまでたっても出てこない。息を吐く反動で、せわしなく浮き沈みする華奢な肩がどこか悲しい。
上半身を傾けて、ずり落ちる鞄をなんとか肩に掛けなおすも、すぐにだらんと垂れてしまう。
川田さんはそんな彼女に一言、遅かったね、と声をかけた。寝坊でもしたの、と二言目。
彼女はようやく顔を上げ、朝の光に照らされながら笑う川田さんを見た。
川田さんの言葉。おでこに微かにはりつく前髪、服の中で背中を流れる汗。そのどれもを感じて、急速に彼女の心は温度を下げていった。
何も応えない彼女を尻目に、川田さんは慌てたようすでバイクにまたがる。彼女の動きを制す役目をした川田さんの左手は、すぐにハンドルへと吸いついた。彼女が目をとじると同時に、バイクは走りだし、背中だけを見せてやわらかな坂道を進んでいった。
バイクの音が遠くに消えた頃、後ろからの大きな音がして彼女は反射的にとび退いた。
辺りに轟音を残したトラックは、川田さんの消えたいった道を急いで、車体を左右にゴタゴタと揺らしている。
車道と歩道の境目にいた彼女への警告音が、痛く耳に残る。
彼女は歩道の端にあるフェンスへと、横に寄りかかるように立ち位置を変えた。彼女は、頼りない網目状のそれに頭をもたせかけ、大きく息を吐いて再度目をとじた。
昨日、彼女がベッドに入ってから、寝息が聴こえてくるまでには、普段よりも少し時間がかかった。今朝、目覚ましが鳴ってからの少しの間、静かな時間が流れたのもそのせいだ。
彼女は自分でそのことに気づいた。
目をとじて考えれば、いたって簡単に分かったことだろう。今日の、ベッドからここまでの道のりは、普段と違った雰囲気・時間背景だった。
風を通してやまないフェンスは、彼女の熱い体を冷やすにはもってこいだ。頭だけが急激に冷めている今の現状は、彼女の脳に嫌にはっきりと物事を考えさせる。
一段と冷えた風が彼女の体を通りすぎた。
彼女は首筋の凍えに気づき、目をとじたまま左手を沿わせるとそこにはマフラーがなかった。冬の寒い季節、彼女は好んで毎日マフラーをまいてすごしていた。外出時・登下校ならなおさらだ。
彼女は微かに笑った。白い息が口からこぼれる。
体はとうに冷えきっていた。彼女は向きなおり、背中をフェンスに任せた。冷えた鼻先を両掌で覆うようにして、目頭から鼻の側面に左右の人さし指添えた。
吐きだされる白い息は、途端に見えなくなった。
目をとじていると、自分の中も外の世界も鮮明に感じられるようになる。それに、見たくないものは見えない。
彼女の耳に、次第に物音が膨らんでいく。最初は耳に入ることもなかった。だんだんとそこに何かがはじまりだす予感。
彼女は目をあけた。
世界は、彼女の望む形になったのだろうか。
音の広がりは、フェンス越しの校庭にあるものだった。野球部とサッカー部の部員が、部活はじめに準備をしている。
せっせと動きまわる人たち。
彼女は視界いっぱいにはじまりを感じたのか。
コートの袖下でかじかむ手が、力なく握られる。とても弱々しい。それでも、決意の形を作っている。
右から左へ。左から右へ。見える世界から力をもらうかのように、彼女の表情がみるみるうちに変わりはじめた。
彼女の瞳が、心なしか強く光る。丸い目に光。口元もきりりとしまる。 ぐてっとしてどうにか腕にとどまっている鞄を肩に掛け、息を大きく吸い込み、ゆっくり静かに吐いた。
歩きだした彼女の長い髪がなびく。確かに彼女は歩道を踏みしめる。いつもの静かで平坦な道とは違うけれど、彼女にとっては同じ道だ。
彼女の動きが、なんのまえぶれもなくとまった。首を右に傾げて、髪がするんと肩からすべる。今度は左に傾げた。
しばしその場に立ち尽くした彼女は、何を思ったのかさっき自身がもたれかかっていたであろう辺りのフェンスの所まで戻り、金網に軽く背中をあずけた。
目をあけたままの彼女は、何を思い、考えているのか。
部活のランニングの掛け声が、彼女にも響いた。背中に映る広がりを彼女はめいっぱい受けて、身をゆだねている。
彼女はまた首を傾げた。
本当にかなり遅くなりました(ρ゜∩゜)
これからは4日か5日おきに更新できるようにがんばるので、続けて読んでくださると嬉しいです。間違っても未完で終わりませんよ!
感想や文章の指摘など、もらえるものはもらいますので、できたらお願いします(〃∪〃)
え〜っと、では、読んでいただき、ありがとうございました(*´∀`)ノ
では〜☆