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5話 次の日

 風はいじわる。

 風は気まぐれ?

 ふわりと浮かべば風に乗れるけど、手紙は飛ぶことができない。

 だから、届かない。



  * * * *




 今日も彼女は、母親よりも早くに台所に立っていた。コンロの上で、火にかけられたフライパンから湯気が上がっている。

 ゆらゆら、ふらふら。

 じりじり、クラクラ。

「……あっ!」

 焦げくさい臭いと音で、我に返った様子の彼女は、急いでコンロの火をとめた。

 彼女はため息をつきながら、左手で頭をこづいた。フライパンを、流しの溜った水に浸けると、深く、固まって溶ける音がした。

 それは、きっと水の泣く声。熱い。押しつけるようなことしないで。



 彼女は坂道を、前に前に進む自分の黒いつま先を見ながら歩いていた。

 冷たい風が彼女をあざ笑う。懸命に歩く体に体当たりをする。

 痛みを感じるのは、彼女だけなのだろうか。双方が痛くて、はじめて成り立つものが、本物ではないのだろうか。実体のない、実体を見せないものが、彼女を傷つけても、それは正当として彼女の中で評価される。自分が悪いのだと思えば、全てが過去になる。

 長い髪が顔にかかっても、耳にかけることもしないで、自然と動く足を見ていた。

 歩きながら震えることには慣れていた。

 でも、震えながら歩くことに慣れていなかった。

 下り坂が終わると、いつもの場所が彼女の瞳に映る。

 そこには、郵便屋さんのバイクを車道の脇に停め、ヘルメットを片手に、立っている男の人がいた。

 その光景を確かめるようにして、彼女は目をしばたかせた。

 心の震えと一緒に、彼女の表情が固まった。まぶたも動かない。さっきまで勝手に動いていた足さえも、ただ棒としてそこに立っているだけだ。

 動きをとめた彼女の体は自然と冷えはじめる。それでも、どんどん熱くなる気持ちが一方にはあった。でも、望む形ではないことも、彼女は知っている。

「あ、やあ。おはよう、灯ちゃん」

 彼女に気づいた男の人は、白い歯を見せて穏やかに笑った。肌があさ黒いから、よけい目立ってしまう。

 もう中年をとうに過ぎたというのに、男の人には子犬の面影があるように人なつっこい印象を与える。

「川田さん!」

 彼女が男の人にかけよる。

「この前は悪かったね。カゼにかかってしまってね。新米の細井に代わりを頼んだんだが」

「はい。お話はちゃんと聞きました。大変でしたね。この頃も寒いです」

 彼女は微笑みながら、マフラーと同じクリーム色の手袋をした両手をぐーぱー、ぐーぱーして見せた。

「本当に寒くなった。でも温かそうな格好してるよ。赤いコートも似合っているし。本当は、もっと早くに喋りたかったんだけどな。時間に余裕なくてね」

「いえ! いつも無理言って頼んでいるんですから。細かいことは気にしないでください」

 笑ってそう言う彼女を見て、川田さんは途端に黙ってしまい、遠くを見つめた。

 まだ少し緑の残っているこの町は、空気だけは澄んでいた。朝ならなおさらだ。

「もう、何年になるのかな?」

 消え入りそうな声でそう言う川田さんの顔は、ふざけたりせずにまっすぐ彼女の方に向けられている。

 彼女はきょとんとしていたが、しばらくして言葉の意味を理解したようだ。

「八年……くらいですね」

「……ながいなぁ」

「……そうですね」

 彼女は、ふふふ、と苦笑いをしながら答える。

 川田さんは鼻をこすった。

「はじめて灯ちゃんに会ったときは、こーんなちっちゃくてなぁ」

 川田さんは右手の甲を上にして、自分の腰の辺りを上下させて見せた。

「そんなに小さくなかったはずですよ」

「いやぁ、ちっちゃかったよ。赤いランドセルを背中に乗っけてね。どっちが主体なのかも分からなかったくらいさ」

「おおげさですよ」

 川田さんは、また遠くを眺めながら話しはじめた。遠くに見える山も、どこかへと続いているんだ。

「あれは……そうだな。最初は、君の家の前だった。小さな体にランドセルを背負った女の子が立っていたんだ」

 彼女は黙ったまま風にふかれている。

「あの頃は俺も若かったかな、今からすれば。俺が、何してるの? って聞いたら、手紙!って言うんだもんな。わけが分からなかったよ」

 川田さんは、時折笑いながら彼女の方に顔を向けつつも、目をあわすことはしなかった。

「そうか。あれから八年もたつのか。そりゃあ、灯ちゃんが大きくなるはずだ。もう、父親の心境だよ……」

 眉毛の両端を下げて、反対車線を通る車を見ていた川田さんの言葉が途切れる。

 彼女は川田さんの顔をよく見ようと、顔を傾けて、覗きこもうとした。

「……まだ、待つのかい?」

 川田さんは、彼女の目を見た。

 どこからか、木の葉っぱがザワザワと風に踊らされる音がする。

「もうそろそろ、忘れた方がいいんじゃないかな? 朝早く起きることもやめて、普通に生活したらいい。本当は部活にだって入りたいんだろう? ……いや、部活については勘なんだけどね」

 川田さんはうつ向いて、白いヘルメットを両手に持ち代えて無器用に転がしている。何かの拍子に、簡単に地面に落ちてしまいそうだ。

「ほら、そんな男に縛られるなんてもったいないだろう。灯ちゃんなら、すぐにいい人ができるよ。あ、ほら、そうだ。細井なんてどう? 仕事も真面目にするし、約束ごとも破ったりなんか――」

 風がやんだ。

 風はいじわる。

 風は気まぐれ?

 それでも彼女は微笑んでみせた。

「ごめんね。傷つけるつもりはなかったんだよ。細井が灯ちゃんのことをしつこいくらいに聞いてくるんだ。だから、つい灯ちゃんの幸せそうな顔が見たくなってね」

 川田さんは、彼女に出会って間もない時期に、奥さんと娘さんを火事で失ってしまった。それは、彼女も聞いた話だ。

 さみしそうな横顔が、自分のせいだとわかっていながらも、彼女は川田さんの提案を受け入れることができない。

「気づかいは、とても嬉しいです。でも、ごめんなさい」

 そう言ってから、頭を下げた。

 その姿を川田さんは見ている。

「……そんなにいい男なのかい? そいつは」

 川田さんは、諦めたように、やれやれとまばたきをして、息をはいてから言った。

 彼女は少し目を伏せた。

 やんだ風でも探しているのだろうか。

「うーん。どうでしょう?」

 川田さんの両手にしっかりと持たれたヘルメットを見ながら、呟く。

 いつものような微笑みを見せずに、彼女はそこにいる。

「優しい人です。とても。でも、ひどい人です」

 川田さんは、彼女の言葉の意図を読みとろうとしてか、口を少し開けながら黙って聞いていた。

「でも、本当に悪いのは私です。待つことしかできない私がいけないんですよ」

 彼女は、右肩に掛けた鞄を掛けなおし、両手を合わせた。

「本当によかったと思っているんです。もし、場所を聞いていたら、住所を知ってしまっていたらどうしよう、どうしただろうって考えたことがあります」

 合わせた手の、片方である左手で頭を抱えて、髪の毛をねかせた。

「……それが怖いのは、臆病者の証拠です」

 また、風がふきつける。








川田さんがピックアップされた回ですね。ドキドキです。落胆などされていないといいのですが……。


弱い体が、また弱りつつあるので、更新が遅れだすかもしれません……いつも大体この二時とか辺りの時間帯に更新するつもりと流れなので、覗いてもらえたら嬉しいです。


うー まだ序盤の中盤(? 終盤?)ですが、感想、評価など待っています。

ではヾ(´∀`)

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