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10話 あと3日

 ずっと一緒にいた。

 ずっと一緒にいたかった。


  * * * *


 その日は暑い午後の日で、近隣の家の植物にとまる蝉が、何不自由なく声を荒げていた。

 雲へ空へとのぼる熱気に、嫌になるくらいものを指し照らす日射と温気。

 その空は青く、色風景だけ見てみると、さながら夏の日のプールのような冷たさがある。

 くすぶる風を引き留める意味はなく、引き寄せるよりは通りすぎてほしい。そんな無茶な願いを口にすることなく、カンカンの日照りの下で、緑の中、元気に遊ぶ子供たちの姿があった。



 家庭用の小さなスプリンクラーは、回転と共に辺りへしぶきを撒き散らしながら、それでもおとなしく芝生の中に溶け込むように埋まっている。

 水滴のついた草花は、嬉しそうに各々姿を輝かせている。花だんに植えられたそれらは、まだ濃く茶色を残した土に支えられていた。

「きゃー!」

 緑の静かさは吹き飛び、すぐさま隣の一家自慢の風鈴の音を乞う。

 スプリンクラーの周りを飛び跳ねるようにして動きまわる、小さな二つの濃い影。日の高さと直射日光の成せる技だ。

「アカリちゃん、こっちだよ、こっち」

 白い縁側近くに立つ男の子は、片手を口に近づけて掌を軽く曲げ、筒をつくるような形を作っている。

 頭を両手で抱えながら、大きく高い声をあげて走り回る灯。びしょびしょになった水色のワンピースは、青色へと色を変えさせられたようだ。

 灯は目をぎゅっとつぶりながら、声のした方へと駆けだした。

 十分かそこらぐらいスプリンクラーが稼働していたため、芝生に根をはられた土でさえもぬかるみ始めている。

 灯は男の子の既での所でぬかるみに足をとらてしまった。鈍い液体の音。前のめりに倒れ込む。

 重く、地面が震動する。

 端の芝生といっても、豊富にに水分を含んでいる地帯。そこに膝をついてしまったら。

 短く細い両手を地面につけ、なんとか上半身と顔の泥だらけを免れた灯は、数度瞬きをした。その後、首筋をを内側に曲げて自らの膝元を見る。

 白い肌、細く頼りない足。灯から見た曲線どまりの膝の皿は、見事に茶色で薄くコーティングされ、飛び散った細かい泥水が転々と素肌に付着している。

「う、ふぇ……」

 それを見た灯は、にじみだす涙も声も堪えられない。

「アカリちゃん、だいじょうぶだよ」

 男の子の声で、灯は地面から目線を移した。男の子は右手を差しだす。

「ほら、立って」

 男の子の手を握り、灯は介されるようにして立ち上がることができた。優しい声のお陰なのか、灯の涙は引っ込み、茶色の膝だけが残ってしまった。

 自分の膝を再度目にすると、灯は両眉の外端を下げ、次第に目が潤いだした。

「ケガはない? どこか痛くない?」

 灯は涙を溜めながらも、首を横に振った。

 左手を男の子に握られたまま、うなだれる灯。所々水に濡れて固まった髪の毛が、より長く重く垂れ下がり、形が現れる小さな頭。

 男の子は左手でその頭にそっと触れて、ゆっくりと撫でた。

「だいじょうぶだよ、これくらい。お水とアワアワですぐいつものキレイにもどるよ」

 いつの間にか灯は、顔を下に向けたまま、頭のてっぺんを男の子の胸辺りに軽く押しつけている。

 それから二人ともその体勢で、少しの時間が流れていった。

 でも、下を向く灯の目から、一度として涙がこぼれることはなかった。



 排水溝に流れていく茶色混じりの濁ったお湯。

 灯はプラスチックの椅子に腰かけ、壁に掛けたシャワーで膝にお湯を当て、タオルでゴシゴシと磨くように洗っている。

 一旦シャワーをとめてからは、これでもかと言うほどボディソープが泡立ち、洗い場はたちまち白い異様さでいっぱいになった。

 ふわふわと中を漂いだした小さな泡は、浮かんでは消え、浮かんでは消え。誕生と消失を繰り返す。全てがきっとそう。目に見えるからこそ、この泡の浮遊は他愛ないもの扱いなんだ。

 かれこれ十五分。泡立ちすぎて、当の膝を見るのが困難となった。レバーを下ろすと勢いよくシャワーからお湯が降りだし、溜りにたまった泡が次々とつぶされていき、丸くつるつるした綺麗な膝が姿を見せた。

 灯はそれを見るなりニッと笑い、自身の左右や後ろに残る白いふわふわの存在を忘れてしまったかのように、一心に見つめて膝を手で触っていた。

 灯はお風呂から上がり、タオルに体を包んで、身をよじりながら水分を拭き取る。そんなやり方のため、体の所々に水滴が残るも、タオル生地のワンピースパジャマが残らず吸いとってくれた。

 新しいバスタオルのはしっこを掴んで床にすりながら、灯がリビングへとぺたぺた歩いていくと、早めの夕食の匂いが広がっていた。

 そこまでの道のりにつく小さな水分の足形。

「アカリちゃん!」

 ソファに座って灯の弟であるタッくんと遊んでいた様子の男の子は灯に駆け寄り、灯の片手に握られているバスタオルを手に取ると、それを灯の頭にかぶせた。

「ちゃんと乾かさなくちゃ。カゼひいちゃうよ」

 髪の毛をぐしゃぐしゃと力強く、それでいて灯に痛みなど与えない男の子の手つき。

「灯ー、また慎吾くんに手をわずらわせて。ちゃんとありがとうを言うのよ」

 湯気の上がるお皿をテーブルに並べながら、せわしなく動く灯の母親は、黄色のエプロンを着ている。胸についた大きなポケットには、可愛いクマさんの茶色いアップリケがついている。

 揺れ動かされるタオルの間から見える灯の顔は、時折入りそうになる毛先を避けるように目をつぶるも、視線が慎吾から外れることはなかった。



 その日の夜、慎吾は灯の家に泊まることになっていた。

 会社から帰宅した灯の父親を交えて食卓を囲った。五人は灯の母親の手料理を味わい、どこにでも転がっているような会話を笑いながら楽しんだ。

 そしてすぐに夜はふけ、灯と慎吾はいつものとうり子供部屋での就寝となった。

 まだ幼いタッくんは両親の寝室で静かな寝息をたてているであろう時間帯。

 子供部屋には普段灯が使っているベッドが一つしかなく、当たり前のように二人並んで寝転がっている。

 真っ暗だと寝られない灯は、毎晩電気を消すのと同時に、微かな色光を映し出すプラネタリウムの小形映写機をつけるのだった。それは今夜も変わらない。

 柔らかく指す細かい青い光で、天井や壁はさながら小さな宇宙のようになり、壁が壁でなくなる瞬間だ。

 そんな中で、まだ起きていることを寝ている両親悟られないように、小声で話す灯と慎吾。

「ヒザ、もう痛くない?」

「うん。もう平気みたい」

 ヒソヒソと交される会話は、窓から暑い夜の、うるさい雑音から体の温度を保つようだった。

「シンゴくんもかなしいね。お父さんとお母さんいそがしいから」

 枕を両腕で抱きしめながら、平坦に頭を預ける灯の声は部屋全体になじんでいた。

「……うん。そうだね」

 葉切れの悪い返事をした慎吾に、灯はなんの違和感も感じなかったのか、気にもとめずそのままサラサラと言葉を発している。

「今日のお母さんのハンバーグ、おいしかったね。はりついてるチーズってなんであんなにおいしいのかな」

 壁に映しは出されても、空間に映しはしてくれない。確かに何かがそこにあるなんて、目が慣れても自信をもって言えないこと。

 返事のない部屋。

 灯は上を向いていた体を起こして、きっと隣にいるであろう慎吾の形を確かめようとしたのか、ゆっくり手をのばした。

「……アカリちゃん」

 突然の存在してるよ発言に、中途半端にのばされた灯の左手が大きな揺れを見せてとまった。

「ボクね、遠くに行くんだ」

 まだ動きをとめている灯に、抱えられていた枕が静かに太股に座らされている。

「遠くって……えんそく? りょこう?」

 灯の本心であろう言葉は暗闇に澄んで消えた。

「引っ越すんだ。遠くへ」

 闇の中は何の音もせず、誰かが動く気配もしなかった。

「外国に行くらしいんだ。飛行機に乗るんだって。だから今日もパパとママはいつもより忙がしくしてるんだ」

「……」

 慎吾も起き上がり、灯の状態を確かめるように手探りで辺りの空気に触れていく。

「シンゴくんはどうしてそんな……平気なの。アカリといられなくなっても平気なの!?」

 枕にぎゅっと抱きついて、灯は下を向いた。涙を溜めながら。

 慎吾はと言うと、まだ手探りで灯を探していた。思いの外二人の間は長く、男の子とはいえまだ幼い慎吾の腕はそれそれほどの長さはない。

「もういい! シンゴくんなんて知らない」

 灯は勢いよく、ボフッと大きな音をたててベッドに倒れ込んだ。

 その音は慎吾にも聞こえたのだろう。

「アカリちゃん……」

 寂しく響く、かすれた声。

「キライ! シンゴくんなんて大っキライ」

 枕を抱きしめる力が強まった。ポロポロと涙がシーツに落ちる度に、それに見合った音が灯の耳に入り、それでもすぐに染み消えた。

 余裕がなければ、何も見えない。聞こえない。そんな時もあるんだよ。

「……ごめんね」

 灯に背を向けられて、近寄ることも出来ずにいる慎吾は、小声で話すことを忘れてしまったのだろうか。

「ボクが小さくて何も出来ないから。……ボクがちゃんと、アカリちゃんを守れるように、悲しませなくてすむように。大きくなってしっかりしたら、ボクはずっとアカリちゃんの側にいるよ」

 灯の腕が緩んだ。

「手紙出すから。ボクの好きな水色の封筒で、手紙出すから」

 灯の両親が起きる物音などせず、網戸越しから蝉の鳴き声と、近所の犬の遠吠えが聞こえたりする。静かな時間。

「それまで、ボクのこと待ってて」

 静かに青い星を生んでいる、その動かない弱さが。強くない光をただそこに置くだけで、部屋の片隅にぽつんと居場所を作っている。



 携帯のアラームが時間ちょうどに鳴り、彼女はすぐにそれをとめま。がばっと起き上がった彼女は、寝起きだと言うのに目をしっかりひらいて、瞬きをしながら段々と頭を後ろに倒していった。天井を見上げ、目線を下げ、また上に戻し。

 口角が微かに上がり、短めの前髪を斜めに軽く促すと、暗い笑いを吐いた。髪の中に埋まる右手が動きをとめ、それに目の焦点が合った。

 彼女はまた少し頭を後ろにもたせかけて、ほんの少し笑いながら手で髪の毛を整えた。


 彼女がリビングに下りると、キッチンには黄色いエプロンをした母親が立っていて、まな板の上で心地良い音を立てている。

「お母さん……?」

 刻んでいた大根をお鍋に入れる途中で、声に振り向いた。

「あ、灯。おはよう」

 その笑顔は鍋に大根を入れる為に、少し固くなった。

「今日はね、なんだか自然と早く目が覚めてね」

 ほら、座んなさい、と灯に席につくよう促し、炊飯機を開けてご飯を盛りだした。

「本当に感謝してるのよ」

 彼女のお茶碗とお箸をテーブルに置き、今度はお玉でお鍋からお椀に何かを注いでいる。温かい湯気が上がるそれは、どうやらお味噌汁のようだ。

「平日はもちろん、休日だって。灯が朝ご飯作ってくれるから、お母さん保育士続けられてるんだよね。ありがとう」

 はい、とお味噌汁を彼女の目の前に置いた。

「でも、ごめんね」

 水で濡れた手をタオルで拭きながら、小さな気持ちをだした。

 彼女は一瞬母親をまじまじと見つめ、次にテーブルにのった朝ご飯を見て笑顔を浮かべた。

 きりりとした表情で、母親に目線を返す。

「身の周りのことくらい、ちゃんと自分で出来るようにならなくちゃいけないから」

 母親の反応も待たずに下を向き、いただきまーす、と言って、ご飯とお味噌汁と味付けのりだけという質素な朝ご飯を食べ始めた。








ブログでの時間には明らかに間に合いませんでしたが、なんとか17日に更新できてよかったです(^v^;)



気づかれた方もいるかもしれませんが(?)、サブタイトルの「あと3日」…………何かカウントダウンが始まったようです。

最後までお付き合いしてくださると嬉しいです。

では、お読みいただきありがとうございました(*´∀`)

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