第 1 章 適応するもの (3)
※ 第 1 章 適応するもの (1) の時間単位を以下のように変更しました
※ 1 年を 900 日から、 350 日に変更。 1 年 は 12 ヶ月です。
※ 同時に、リティが 5 歳 → 12 歳になります。
1.3.1. 建国暦 4220.03.01 : センダー都市 - ギルドタワー
エセルデさんは強かった。
その巨体にも関わらず、隙がまったく見つけられない。それらしい箇所にとりあえず打ち込んでは見るものの、後には恐ろしいカウンターが待っていた。
武術で言うところの後の先というやつだろうか。ならばということで、攻撃パターンを詰め将棋形式にしてみる。
上段を防がせておいて、反転させた棍の先で、下段を狙うなどの姑息な手を大いに使う。実践ではあまり有効ではない小手先の技だ。素人ながら 3 手くらい読んだつもりになって仕掛けてみた。
攻撃が終わった瞬間に間髪入れずに反撃された。伝説のマトリックス避けで、背骨が折れるかと思った。何度か試すも、読みが外れて攻撃のつなぎ目に反撃されたり、先手を打たれて一方的な展開になったり。
これはあれだ。膨大な経験に裏打ちされた攻撃パターンの蓄積だ。相手の攻撃を、瞬時に判別とか先読みしているのだろう。カウンターもまた、いい意味でパターン化されている。まさかいちいち考えながらやってるわけでもあるまいし、そうとでも考えないと、瞬時に反撃される理由が思い浮かばない。
「ならば、反応できないくらいの手数で攻めましょう」
棒術パターン a'afg 右に回りこみ i'idf 左に回りこみ fahb 左に回りこみ i で払いつつ高速の裏 c 。
パターン化された攻撃に慣れさせ、体を入れ替えた左上からの逆袈裟こそが本命。
「甘いわ!!」
なんと、届かなかった。無防備になった俺をカウンターが襲う。
「ちょちょっと危ない!?」
これを防がれたらお手上げだ。反射神経が底上げされた俺並みって、熊族は化け物か。
しかし、俺としても攻撃は避けているので、膠着状態になった。
「寸止めするつもりだとなかなか当たらんのう。本気でやるぞ」
エセルデさんの呟きに、俺はフリーズしかけた。
「はい!?」
攻撃に容赦がなくなった。さすがにパワーは乗せてないが、この速さで寸止めできるとは思えない。まあ、俺もあまり加減してなかったが。
「これはシャレになりませんよ!」
本当に避けるのが精一杯で、攻撃どころではなくなった。いくら相手の攻撃が見えていても、肉体を動かす速度には限界があるのだ。
棍で防げば、絡みつくような動きで持っていかれそうになるし、妙な回転をしてるからか変な方向に弾かれそうになるし、下手に棍で防げない。どうしろと。
ひたすら避けていただろうか。バルバドスが終了の合図を出した。
「時間だ、そこまで」
俺は荒い息を吐きながら床に倒れこんだ。
「疲れました……」
「やるのお」
「まったくだぜ」
汗だくでエセルデさんの素性を尋ねたら、戦士ギルドの元ギルドマスターだという。超熟練者じゃねぇか。侍でも戦士でもない俺が勝てるわけねぇ。得意な剣だったとしても、結果は同じだったろう。
しかし攻撃が通らなかった替わりに一撃も貰わなかったわけで、高評価を得ることができた。
その後、二人はグフグフ言いながら走行車を取りに行った。何なの、この人たち。気持ち悪いんですけど。
帰ってきた二人から武器と防具を手渡された。エセルデさんからは剣を。バルバドスからは鉄板入りブーツと、脛当てと、籠手を。
ちなみに剣は俺がリクエストした。短剣一本ででかい蟲に会いたいと思えるほど、スリルに飢えてはいない。剣ならば短剣より攻撃範囲は広がるし、扱いにも慣れている。
ブーツは少し大きかったが、足首まで編み上げるタイプだったので、紐を締めてしまえば、動くのに支障はなかった。鉄板入りなので、蹴ることもできるし、踏みつけて止めもさせる。
脛当ては足の甲から膝までをカバーしている。中段より下への攻撃は、ムエタイ戦士のように脛で防御できるだろう。
籠手は、竹を半分に割ったような半円柱で、ベルトで腕に固定する。肘からブレスレット型端末までをカバーすることができたので、故障の心配が減った。籠手の肘のところは楕円形になっていて、肘にフィットする作りだ。先端が丸みを帯びているのは、誤って自分の胴体を傷つけることがないように、らしい。
籠手と脛当ては金属製だが、軽くて動きが阻害されないのがいい。
「シドーは防御力が大幅に上がった」
「何言ってるんだ?」
「この格好おかしくないですか?」
俺は、白いワイシャツと黒いパンツのウェイター姿から、聖闘士星矢のパチモノをつけたコスプレ人間に変化した。俺は何になりたいのだろう。
「気にするやつなんざいねぇよ」
「今時分、森の中で遭うのは鳥と蟲くらいなもんじゃぞ」
「ですよね」
気にしないことにした。目の前の二人もファンタジーだし。
虎族のバルバドスは、 2.5m のハルバードに、肘、手首、膝、足首に小さなプロテクターをつけた軽装備だ。丈夫な布地のズダ袋を肩から小粋に提げている。虎族の持つ潜在能力が滲み出ているためか、近寄りがたい感じだ。
熊族のエセルデさんの武器は、ツーピースの槍だ。連結させると 5m にもなる。防具は、兜、胸当て、籠手、脛当て、ブーツだ。全身装備ではあるが、関節までは覆われていないので、動きやすそうではある。こちらは巨大な体躯と相まって、もっと近寄りたくない感じだ。
美しい女剣士はいないんだろうか。このチームには潤いがなさすぎる。
走行車で東の宮殿へ向かう間に、醜悪なぬいぐるみについて考えを整理しておこう。悪意を持った神が創った、蛍光色の化け物のことだ。
あの夜、衝撃的な出会いをしたのは、この世界で蟲と呼ばれている生物だ。何が目的なのか知らないが、人間や動物を見ると襲いかかってくる。分かっているのは、奴らが生物の脳に執着を示すということだけだ。しかし、食べているわけではないらしい。
そんなわけで、この世界で蟲は、生きとし生けるものの天敵と位置づけられている。あまりの暴れん坊ぶりに、存在自体が悪と定義され、ローランドや近隣の国では、賞金をかけてまで駆除を推奨している。
両者の関係は修復不能のようだ。
俺が最初に倒した奴は、それなりのランクだったらしい。
あの場で次点の高ランク、レベル 4 の『跳ね寄るもの』は、体長 60 cm 、一頭身のパックマンだ。せめて色がグリーンではなくてイエローだったら、と思ったが、色は単なる個体差で、イエローパックマンもいるらしい。鈴木土下座衛門の前例もあるし、地球の企業に訴えられないか心配だ。イエローは狩りつくさねばならないと決心した。
レベルというのは、速度やパワー、質量などを基に、蟲の総合的な強さを表したもので、倒しやすさと同義語だ。レベルが低いほうが倒しやすい。
また、蟲は高位になるほど、整った異形になるという特徴がある。言葉的に矛盾するようだが、より機能的に、生命として洗練されると思ってもらえればいい。
『跳ね寄るもの』がレベル 4 に分類されていたのは、レベルの概念に反するようだが、小さな身体と、厄介な速度が原因だ。小柄な身体を最大限に活用し、蝿のように予想できない動きで跳ね回り、腕や首を簡単に食いちぎっていく。
実際『跳ね寄るもの』には、警備隊や冒険者の戦士が多数犠牲になっている。反面、第七世代ナノマシンの実験で、反射速度が上がりまくっていた俺にとっては、組しやすい相手だった。
はて、何か大切なことを忘れているような?
「ホワァ!?」
嫌なことを思い出した。地下研究室のパソコンに、危険な映像データが残っていたような? パスワードかかってるから大丈夫ダヨネ…… かめはめ波とか見られていたら、俺は穴を掘って埋まる。
「どうした、素っ頓狂な声出して」
「いえ、ナンデモアリマセンヨ?」
止めよう。どうにもならないことを考えるのは、精神衛生上よろしくない。
「変な奴じゃな」
二人の不審そうな目を、俺は華麗にスルーした。
気を取り直し、次に移ろう。
『突き刺すもの』は槍状の触手を突き刺してきた蟲だ。レベル 2 の雑魚だが、触手の先端が石のように固いので、急所に刺されば普通に死ねる。
『虐げるもの』は 2 m のぬりかべだ。レベル 3 のパワーファイターで、体表を触手状に変化させ、エセルデさんのような重量級の攻撃を行なってくる。地面や木に挟まれた状態で攻撃を受けると、ぺしゃんこにされる。
『蠢くもの』は 4 m もあるゾウリムシだ。レベルは 5 もある。でかかったしな。あの質量だけでも脅威だ。轢かれたら只じゃすまない。あれに短剣で立ち向かうのは無謀というものだ。身体の周囲を取り巻くようについていた、ラッパ状の繊毛が気色悪かった。
このように、蟲との戦闘は命がけなのだ。事実、善良な市民がレベルが 2 しかない蟲に、良く殺されている。
蟲は各レベルに 1 種類というわけではなく、低レベルな程、多くの種類が登録されている。
ちなみに、最低レベル 1 の『群がるもの』は、蟲の死骸に群がってくるだけの無害? な奴らだ。しかしその名が由来する光景を目撃したものは、あまりのグロさに 3 日間は食べ物が喉を通らない。
その姿は多種多様、中心線の右側だけに目が 3 つもあったり、片側に口がついていたり、どこが中心線だか分からないような奴がいるらしい。
ピカソの絵かよ。
そんな彼らは、何処からともなくやってきては同族の死骸に集っている。
蟲は放っておいても分解されず、別の蟲の温床となるだけなので、素材を剥ぎ取った後は一箇所に死骸を集めて焼却処分するのが慣わしだ。
ちなみに、馬鹿な人間が家畜に蟲の死骸を与え続けたところ、痩せ細って死んだという逸話がある。蟲の身体は毒ではないが、動物の栄養源にはならないようだ。本当にそうなのか、栄養価の確認だけなら、ナノマシンとブレスレット型端末で行えるが、食べるつもりは断じてない。
1.3.2. 建国暦 4220.03.01 : ローランド国 - 宮殿近くの森
14 刻。地球時間では 11:40 。
宮殿詰めの衛兵に森の探索許可をもらい、走行車を預けて探索を開始した。
手順としては、俺とバルバドスのツートップで索敵、後方をエセルデさんが警戒する。
戦闘になったら、バルバドスが凶悪なハルバードで大物を牽制、エセルデさんが 5 m の槍で止めを刺す。俺は雑魚に背後に回りこまれないよう、片っ端から殺していくという段取りだ。
待て待て。
「素人に貴方達のような働きを期待されても困りますよ」
「ガハハッ! シドーの動きなら、遅れをとることはないわ」
「爺さんの攻撃を貰わないやつなんざ、戦士ギルドにだっていねーよ」
「熟練者以上の腕は持っておる。自信を持つといいぞ。もっとも、経験を積んでおらんから無茶なことはさせんがの」
「この作戦が十分無茶だと思います」
「獲物の説明をしておこう。レベル 6 の『圧し潰すもの』は 8 尺ほどの球体をしている」
バルバドスにスルー攻撃をされた。なんて奴だ。もういいよ。
っていうか、ちょっと待てよ。 8 尺ってことは、直径 5 m 弱のボールってことだよな。
「いやいや」
5 m ったらとんでもねーぞ。直径 1 m の立方体の水が 1 m × 1 m × 1 m で 1 tの重量だ。5 m の立方体だったら 5 m × 5 m × 5 m で 125 t 。球の体積は、立方体の半分、確か 52% くらいのはず。なんと 60 t 以上になる計算だ。
比重が水の半分だと仮定しても、 30 t はある。太古に滅んだスーパーサウルス並みの質量じゃねーか。
「それは人間に倒せる限界を超えてませんか?」
冷や汗をかいて呻く俺に、バルバドスはいたって気楽だった。
「安心しろよ。爺さんの槍が 8 尺ある。突き刺せば、動きが制限されるから、あとは煮るなり焼くなり好きに出来るだろ」
今の言葉で安心できる人がいるだろうか。
「だからと言って迂闊には近づくなよ。表面の腕でその重量を転がしてるんだ。下手に近寄って捕まれたら、防具なんて何の役にも立たねーぞ」
本当に安心させる気はあるのか?
「ウム。取り巻きにも注意せねばならん。数が多ければ、そちらに気をとられているうちに、蟲ごと巻き込まれて潰されかねん。奴らは同士討ちなんて気にせんからの。
しかしこの槍はミスティル鋼でできておる。だから絶対に折れん。
こいつを埋め込んで動きを封じる。その後、しかるべきところへ連絡を入れて終了じゃ。必ずしも倒す必要はない。
『圧し潰すもの』の動きは鈍い。下手を打たねば攻撃を受けることもないじゃろう」
そんな言葉で俺を慰めたつもりか、能天気な獣人たちは、ハイキングでもしそうな気楽さで森の奥地を目指した。
戦いは、前もって考えていた最悪をさらに下回る状況で始まった。
俺たちは、川のほとりで昼休みを取っていた。用意のいいバルバドスが、ズダ袋からパンと肉とチーズ出して振舞った。焚き火でお湯を沸かし、お茶を飲んだり、焼いたパンに具を挟んで食べる俺を、もの珍しそうに二人が見ていたり。
そんな折、低レベルの蟲集団と邂逅した。
俺は手抜きサンドイッチを無理やりお茶で流し込み、剣を振った。蟲は木々の間から次々と沸き出して、乱戦になった。
その戦闘に興味を惹かれたのか、報告のなかった『切り裂くもの』が寄ってきてしてしまった。レベル 7 の超大物だ。
このレベルになると、体色は蛍光色だけではなくなってくる。
巨大な二枚羽は、薄く透明な二等辺三角形だ。それがピンポン球大の胴体にくっついている。そこから、趣味の悪い蛍光色の脚が 4 本生えていた。
更に間が悪いことに、先発チームと『圧し潰すもの』が、俺たちより高度のある場所で戦っていたようなのだ。
俺は打ち合わせ通りに雑魚を掃討。エセルデさんとバルバドスは『切り裂くもの』を足止めしていた。
バルバドスの一閃が脚を切り落とし、エセルデさんがもっとも注意すべき羽を貫いた。蟲の機動力と攻撃力の一部を奪い、そのまま畳みこめるはずだった。
一瞬の油断。いや、油断はしていなかった。それは油断というより、次の攻撃のための停滞。そして遠くから聞こえる地響き。
「何の音ですか!?」
『圧し潰すもの』は坂を下りながら次第に速度を増し、木々をなぎ倒しながら迫り来る。
「来るぞ!」
エセルデさんが警告すると、巨大な質量に撥ね跳ばされた木々が、上からも横からも降ってきた。
全身から何百本もの矢と、無数の腕を生やした『圧し潰すもの』が、赤黒い全身を緑の体液で染め、俺たちの横を通り過ぎる。
「なんてこったぁ!」
慌ててバルバドスが回避行動を取った。エセルデさんも避ける。
槍が抜かれて好機と見たか、『切り裂くもの』が 2 枚の羽を広げ、回転した。その名前が由来するように、回転翼で飛んでくる木々を易々と切り裂き、エセルデさんに迫った。
「ちぃっ!」
長すぎる槍は、近距離で足枷となった。エセルデさんは、咄嗟に槍を投げつけ、横に跳んだ。
だが槍は、回転する羽と地面との間をスマートボールのように跳ね回り、運悪くエセルデさんの頭に直撃した。
「グヌゥ!」
エセルデさんのブレストプレートを、切っ先が両断した。朦朧とするエセルデさんの背が切り裂かれ、血を吹き上げた。
「やべえ、爺さんがやられた!」
エセルデさんが崩れ落ち、バルバドスが駆け寄っていく。
俺は、自分の頭が膨張したように、感覚が麻痺した。
『切り裂くもの』が迫ってくるのが、やけにスローモーションに見えた。
レベル 3 の『虐げるもの』が横殴りの攻撃をしてくる。俺は軽く身をかがめて避けた。触手が髪の毛に掠って、何本か持っていかれた。感覚が麻痺しているのか、プチリと抜けた痛みは感じなかった。
レベル 2 の『鞭打つもの』が、幾本もの長い触手をしならせ、打ち放った。無造作に刃筋を通した一刀を振るうと、触手はあっさり切断された。
『切り裂くもの』が距離を詰めてきた。もう半分もないが、全ては遠い出来事のようだ。分かっているのは、このままだと回避が間に合わず、足止めしている蟲ごと切り刻まれるということ。
俺は『虐げるもの』の肩に手をかけ、その上に乗った。怒った奴は、怪腕を振り上げた。『切り裂くもの』はすぐ後ろだ。
俺は奴を踏み台にして、前方に飛んだ。回転翼が足をかすめた。俺は冷静に、『虐げるもの』が半分になるところを見ていた。
俺は逆さまに落ちた。このままだと頭から地面に着地することになる。俺は身体を丸めて勢いをつけた。ただの b 。頭上からの唐竹割り。剣は切っ先で地面を削り、回転翼を下から打ち上げた。
俺は半回転して無事に着地した。前につんのめりそうになるのを、つま先に力を入れてこらえる。
時間の流れが戻った。消えた時間の血流を補うかのように、大量の血液が巡回した。心臓が鼓動するたびに、全身に送られていくのを感じた。
正気に返った俺が振り返ると、奴はふらふら蛇行しながら『虐げるもの』や他の蟲を殺戮していた。挙句の果てに、木々を何本も倒してようやく止まった。
俺は最後まで見届けることなく、エセルデさんに駆け寄った。
「生きてますか!?」
「今のところな! だが、このままだとやべえ!」
胸当てを外して服を切り裂き、素早く血止めしながら、バルバドスが吼える。
体毛に覆われて傷口は見えない。しかし、体毛が吸った出の量からすると、浅くはないようだ。
蟲の生き残りは 10 匹もいない。あいつが 30 匹程いた蟲を、殺しまくってくれた。
まさに大量虐殺者だ。蟲たちの怨嗟の声が聞こえるようだ。しかし実際は仲間割れすることもなく、蟲たちは無感動に俺たちの方に向かってくる。
『切り裂くもの』が二枚の翼を天に向かって突き立てた。身震いするように羽を振動させる。
あの羽が刃の役割を持っているのは分かった。ならば次は、上段からの攻撃というところだろう。親切に待ってやる義理はない。
「棒手裏剣 40 m 6 倍」
登録しておいたパターンを起動する。上向きに投げられた切っ先は、 40 m 進む間に 90度だけ回転し、ちょうど的に突き刺さる。 40 m は俺とあいつとの距離だ。
使い慣れた棒手裏剣なら 5 倍で 200km/h オーバーは固い。しかし短剣は重いからそこまでは出ないと踏み、 6 倍を選択した。
「ハッ!」
第七世代ナノマシンのアシストで、短剣が銀の光と化した。
倍率を上げるほどに、筋肉への負担が等比級数的に増えていく。一発で腕の筋繊維が断裂して、筋肉痛を保証してくれた。その甲斐あって 180 km/h は出ただろう。
あわよくばと胴体を狙ったが、やや下にずれた。しかしツキは残っていたらしい。短剣は脚の一本に命中、切り飛ばした。短剣はそのまま直進し、木に突き刺さった。
『切り裂くもの』はバランスを崩して倒れ、 2 枚の刃を大地にめり込ませた。
6 倍という無理な負担に右肘を痛めたが、顔には出さない。
「エセルデさんと先に行ってください」
「任せて大丈夫か!?」
「今ので『切り裂くもの』の動きは封じました。小物を倒してから後を追います!」
「いざとなったら全てを捨てて逃げろ! おまえなら逃げられる!」
バルバドスはエセルデさんを担ぎ上げ、疾く走り出した。
「ちゃんと迎えに来てくださいね!」
一瞬、バルバドスがこっちを見てにやりと笑ったような気がした。