序章 Hello, Another World ! (4)
0.4. 建国暦 4220.02.15 : 地球ではないどこか
ローランドの首都、カーサシス州ミルルーク市に、センダーと呼ばれる都市がある。世界でも指折りの巨大都市は区分整理がなされ、アクセス良好であるため、交通の要所としても有名だ。
中心区からは、東西南北に太い幹線道路が走る。東は山脈の麓にある宮殿に、西は工業区を要する港に、南は広大な農業区と居住区に、北は魔法院と庶民院が戦う国会議事堂につながっている。
また、中心区には店舗の集合体である巨大マーケット、市民広場には露天商が軒を並べ、ここになければ他にもないと言わしめるほど、ローランド中からあらゆる物流が集中する。それを目当てに、近隣諸国からも商人が訪れ、連日、大変な賑わいを見せている。
センダーが巨大都市でありながら『繊細な都市』と呼ばれる所以は、飛行車線と走行車線が立体的に交差し、飴細工のように美麗な景観を構築しているためだ。
白塗りの建物が立ち並ぶ街は、満月の光に照らされて、幻想的な光景だった。
その夜、中心区から宮殿寄りの立体交差点に、白い光が降り注いだ。月を光源としない原因不明の光は、次第に強さを増していった。
走行車や飛行体が道路に停まり始め、周囲は目を開けられていられないほどの光に包まれた。
突如、凄まじい雷鳴が轟いた。同時に、サーチライトのような光も掻き消えた。強い光源が消えたことで、暗闇に陥ったと錯覚した市民が騒ぎ出した。
さらにスコールが降り注いだ。
パニックになりかけていた群衆は、冷や水を浴びせられたように動きを止めた。
しばらくすると、街灯と満月の明かりで周囲が見えるようになった。空には雲一つなく、青白い満月が輝いている。それなのに土砂降りという奇妙な天候だった。天気雨ならぬ月夜雨といったところか。
奇妙な雨は 1 分ほどで収まった。雨上がりの夜空に、光と水の合成物である虹がかかった。ミルルーク市民は美しい風景に目を奪われたが、美しくない出来事も発生していた。
「これは一体どういった訳だ? 千葉のネズミの国にでも跳躍したか?」
SF アニメの影響が色濃い発言をしながら、虎次郎は水浸しになった道路上で周囲を見渡した。
「あーあ、水浸しじゃないか」
屋上で雷光を浴びたかと思えば、アラビアンナイト風未来都市だ。何故に近未来ファンタジー。雷に打たれたせいで、意識不明になり、夢でも見ているのだろうか。
もしくは、眠っている間にバーチャルリアリティ技術が発達し、植物人間にも娯楽を提供できる時代になったとか。
虎次郎は左腕に巻かれたブレスレット型端末を操作した。
「第六世代は問題なしか」
真っ先に第六世代の反応を確めたのは、第六世代が他のナノマシンや体内の情報を調べる機能を持っているだからだ。いまやナノマシン制御の根幹となっている第六世代。虎次郎の右手が陽気なタップダンスを踊り、常駐するナノマシンをスキャンするよう命令を与える。
「いるな」
燃費の悪い攻撃的な第一世代はもとより、攻撃機能を持たず、免疫系を強化するタイプの第二世代。
最終目的だった遺伝子疾患を治療した第三世代。公表するために、それを洗練させただけの第四世代。遺伝子治療用に発注を受け、安全確認のためだけに自らに注入した第四世代亜種。
プログラミング可能で、群体で単一機能を提供する第五世代。同じく、プログラミングで単一の対象を走査する第六世代。
電気パルスを脳に発生させ、自らを操り人形にする第七世代も健在だ。
雷に打たれたのであれば、これらナノマシンに異常があるはずだ。肉体も高圧電流による火傷を負っているだろう。
幸い、痛みはなかった。だが夢などではない。また、バーチャルリアリティでもない。バーチャルリアリティなら、自作の端末など出てこないだろう。たぶん。
「これが現実だとしたら、地球じゃねーな」
何故なら、虎次郎の目には、テーマパークのような街を背景として、あり得ざる住人が映し出されているからだ。
兎耳ふわふわ毛皮のバニーガールや、猫耳のおっさんは仮装と思えばいいとして、下半身がアナコンダの女がうねっていたり、上半身が人間、下半身がの馬の生物が歩いていたり、というかあの辺をふよふよ飛んでいるのは、ぬいぐるみサイズのドラゴンにしか見えない。
「どちらかといえば悪い夢のようだ」
不思議の国に、着の身着のまま迷い込んでしまったような気まずさがある。
「あいつらが話しているのは英語でもフランス語でもドイツ語でもない。ロシアやラテンとも違う。仮に地球だったとしても、古代メソポタミアの言語あたりだったら詰んだな」
これでも 4 ヶ国語に通じているのだった。他の言語であったとしても、ニュアンスでどの辺の言葉かは分かるのだが、聞こえてくるのは意味不明な言語だ。
「言葉が通じなきゃ、物語りは始まらねーんだよ」
虎次郎がぼやいていると、肩を叩かれた。
「ヴィエータリスタ・イエオリスト・サス・レグン?」
振り向くと、狼の貌をした人物だった。
虎次郎は科学者でありながら、もしくは科学者であるが故に適応力が強い。食われるかと思ったのは一瞬で、相手が知性体であるのを見て取ると、知る限りの言語で問いかけた。
「できれば日本語か英語で話してくれ。
ドゥユー・スピーク・ジャパニーズ?
パルレヴ・アングレ?
シュプレヒェン・ズィ・イングリッヒ?
ミラーテ・アングリカ?」
うろ覚えのギリシャ語まで総動員したが、狼男は困ったような表情をした。人型が共通ベースだからか、狼の顔をしていてもなんとなく通じるものがある。
「ゼス・カベリプ・スゥイ・デノ」
狼男はビルの一つを指差した。
「やっぱ通じねー。狼のおまわりさんじゃ、カツ丼は期待できそうにないな」
連れて行かれることになった。
狼族のディーは、虎次郎の扱いに困っていた。
誰もいなかった場所に、忽然と現れた不可解な人族。
深夜に出現した、世にも稀な虹に気を取られ、気づいた市民は少ないはずだ。騒ぎになる前に連れ出せて良かった。
初めて彼を見たとき、御伽噺に出てくる天族が頭に浮かんだ。天族は白い衣装を着て、背中に白い羽を持つ人間だ。もちろん、空想上の人種だ。白い羽を持つ半鳥人はいない。
白いコートを脱いだときに、羽を探してしまったのはしょうがないとはいえ、不覚だった。
自分は警備隊。現実的な考えを持つべきだ。御伽噺は作家にでも任せて、やるべきことを済ませよう。
手始めに、調書を取る。といっても、言葉が通じないので、特徴を記録していくに止まる。
混じり気のない人族。今どきひとかけらも混血の特徴が見られないのは珍しい。血統を保っている家柄なのだろうか。家内もたいがい純血に近いと思っていたが、この男を見ると、やはり混ざっていると分かる。
身に着けていたコートはハンガーで干されている。雨を吸ってしまったためだ。コートは白く、薄っぺらで、旅人に相応しいものには見えない。何より、白すぎる。長い旅を経てきたものではない。
そして何故かスリッパを履いている。これではせいぜい近所をぶらつける程度だ。だからと言って、この街に住む市民でもないだろう。
たまに、目立ちたがり屋が珍妙な格好で街を練り歩いていることがあるが、そういう違和感ではなく、もっと根本的なところで異質さを感じる。
例えば、コートの中に着ていた黒いズボンと白いシャツ。シャツは薄く、首周りが直線的な布で装飾され、袖にもボタンが幾つか並んでいる。ズボンはシャープな作りで硬そうだ。動きにくくないのだろうか。
どれも一般市民が身に付けるものには見えない。貴族か、他国の人間か。
そして、どうやって現れたのか。
犯罪者ではないから対応に気を使う。しかも理知的な人物のようだ。対話を求めているようでもある。ならば、できる限り応えなくてはならない。
「俺の名前はディー。貴方は?」
俺は自分を指差して繰り返した。
「ディー」
今度は相手を指差す。
「名前は?」
「シドー・トラジロゥ・ダ」
理解してくれたようだ。しかし聞き取ることさえ困難な発音だ。本当に名前か?
「シドー・トラッド・イル・ロゥダ?」
「アー、ノー」
首を振っている。
「シドー・トラジロゥ」
「シドー・トラッド・イル・ロゥ?」
「アー、イエス。シドウ」
「シドー?」
「オーケー。シドウ。シドウ・トラジロゥ。ディー?」
「そうだ」
難しすぎて、完全に発音できなかったが、どうやらシドーでいいらしい。
一段落したところで妻の顔が頭に浮かんだ。今日は早く帰れるはずだったのに、また怒られてしまうな。
「危険な警備隊は辞めて、実家の会社で働いてください」と言われるのだろう。俺に事務職は無理だというのに。
それにしても腹が空いた。何か食べながら調書の続きを書こうか。本格的に食べると怒られてしまうが、家で食べられる程度に軽く食べるくらいなら、ばれやしないだろう。
「ちょっと待っててくれ」
相手は大人しくしている。獣人系もみんなこうならいいんだが。まあ、狼族の俺が言えることじゃないか。
狼のおまわりさんが出て行った。
不思議の国の住人は、日常的にゆったりとした中近東風の服を着ているようで、俺の白衣やワイシャツを気にしていた。体のシルエットが出るほどタイトな服は、あまり着ないのかもしれない。まさにアラビアンナイト。
ここは多分、警察のようなところなのだろう。
鍵もかけずに出て行くとは、ずいぶんとぬるい警備態勢だ。
まあ、犯罪者とか不審者には見られていないのかもしれない。罪を犯した覚えはないから、犯罪者扱いされても困るのだが。任意でしょっぴかれたというところか。
ここから出て行ったところで、誰かと意思疎通ができるわけではないし、いいようにカモられる可能性がある。
金目のものなど何も持ってないが、そうなると危険なのはわが身だ。タコ部屋に送られて強制労働なんてことにならないよう、慎重に行動したほうがいい。
狼が良さそうだから悪いようにはならないだろうと、虎次郎は能天気に考えた。
考えなければいけないことは山ほどある。
ナノマシンには、呼吸系の粘膜付近に集まるよう、指示を出している。第一世代はウィルスの類を排除してくれるが、受動的なのだ。このような場合に活躍するのが第五世代だ。第一世代や第二世代を粘膜付近まで運搬し、防衛ラインを強化する。ウィルスが進入したら、増殖する前に叩くのだ。
異世界のウィルスに対しても、ナノマシンが有効とは限らないという懸念はある。ただ、今のところそういった問題はないようだ。息苦しくなったり、眩暈もないので、酸素濃度も適切なのだろう。
となると、次に気にかかるのは食べ物だ。衛生状態や栄養価は置いておくにしても、生物は基本的に左巻きのアミノ酸で構成されているから、食べ物も左巻きのアミノ酸でないと、栄養摂取できずに死んでしまう。
「この世界の住人が、左巻きのアミノ酸生物でありますように」
虎次郎は心から願った。
ディーが取調べの定番、丼を持ってきた。
「待ってました」
トレイにはガラスらしきコップに、水らしき飲み物。と思ったら、器は黄色いポップコーンが山盛りだった。
ディーが口を指差している。食べてくれと言っているようだ。
体内に常駐するナノマシンの関係で、俺は人一倍カロリーを必要とする体質だ。基準値を下回るとスリープモードになるはずだが、どういうわけか、体内に必要なエネルギーを横取りしてまで稼動し続けるやつがいる。そうなると栄養失調だ。
そのため、最低でも一般人の 2 倍は食べる必要がある。どのみち栄養摂取できなければ死ぬのだ。食べて見れば、この世界の食べ物を吸収できるかどうかはっきりする。
「いただきま~す」
手にとって口に放り込む。ちょっとだけ塩気のきついジャンクフードのようだ。おそらく穀物系の粉を練って揚げたものだろう。チーズっぽい粉もかかっている。
200 円くらいで売っている袋菓子にありそうな食感で、サクッとして、ほろりと解ける。
初めて味わう食べ物だ。ジャンクフードの魔力はこの世界でも健全か。二人して止まらなくなってしまい、あっという間に食べ尽くしてしまった。
「ごちそうさま」
第六世代のナノマシンが喜ばしい情報を伝えてきた。栄養摂取している。生きてるってすばらしい。
安心した俺は、コップの水を飲もうとして、生来の心配性な性格が頭をもたげた。
海外旅行でさえも、生水はあたると言われている。ナノマシンのせいで免疫系が強化されてはいるが、念の為にブレスレットを操作して、消化系器官にナノマシンを集めておく。
一口飲んで、水の成分を調べる。ディーが何か言っているが、後にしてくれ。
ちなみに、ナノマシンが成分特定までやってくれるわけではない。ナノマシンの反応データを、ブレスレット端末がデータベースと照合し、物質を特定しているのだ。
データからは、どういった成分が何 % くらいある、という程度には推測できる。それによると、この水はやや硬度が高く、日本人が飲んでも大丈夫らしいと分かった。
基本元素は、地球と同じだと信じよう。
一息で飲み干した。
「美味い」
やや硬い感じはするものの、冷えていて美味しかった。五臓六腑に染み渡るようだ。
突然、ディーが動きを止めた。右上の天上付近をじっと見つめている。
たまに猫がやる仕草だ。何もないところをじっと見ていられると、いてはいけないものがそこにいるんじゃないかという気になってくる。
やめてくんない? マジやめてくんない?
直後、サイレンが鳴り響き、虎次郎はビクっとした。
ウォーーーーーン ウォーーーーーン
長い間隔で 1 回、一呼吸置いて 1 回。 6 秒くらいの周期で、繰り返しだ。かなりの音量で、街中に鳴り響いているようだった。