第 3 章 美味しいごはん(2)
3.2. 建国暦 4220.04.03 : 中心区 - ギルドタワー
俺が自覚している悪癖のひとつに、ポケットに手を入れて歩くという行為がある。転んでひどい目に合うことが分かっていながら、気がつくと両手はポケットに収まっている。愚かしいが、俺だけに限った話でもないようだ。周囲を見渡せば、危機意識が低い仲間を何人か目にすることができた。同病相嬉しむ。
人は理屈だけで行動しているわけではない。あるいは、無意識下の行動を抑制することは、異世界人にも難しいということの証明であるかもしれない。
などと自己正当化していると、ポケットに突っ込んだ指先が何かに触れ、軽い金属音がした。
金貨の音はもうちょっと重い。銅貨か軽銀貨あたりだろう。枚数を把握するために巾着を出してみると、ほとんど空だった。
「あれま……」
3 枚しか入っていない。入院のどさくさですっかり忘れていたが、砂虫の報酬をもらっていないのでほぼ文無しという事実に思い至った。俺の所持金は、日本円で千円程度だ。
「道理で情けない音だと思いましたよ」
リティの耳がピクリと動いた。
「小金貨 1 枚、月 7 分でどう?」
リティは瞳を輝かせていた。
「よく金貨なんか持っていますね」
「これでも商人の卵ですから」
女子供から借金するほどダメ人間ではないつもりだ。しかしエリアルさんに借金していたことを思い出した。色々な意味で苦笑したくなった。
「まっとうな商人を目指すなら、金融には手を染めない方がいいんじゃないですか?」
「悪事みたいに言わないで。商人を目指すから、儲け話には目がないの」
「うまくいけば安定した利益を見込めるでしょうね。貸したお金が返ってこない可能性もありますが。
ところで、金貸しは恨みを買うと聞きます。金融一本で行くならまだしも、商人が恨まれるのは長い目で見ると致命的ではありませんか?」
「みゃ゛!?」
俺は聞かなかった振りをしてあげた。
「商いは慎重なくらいがいいようです。最初はこつこつ、取引を重ねて目を鍛え、勘を養い、商人としての格を上げて行く。時には冒険することも必要でしょう。裸一貫からすばらしい早さで大きくなっていって、世界を股にかける大商人になった女性がいたそうですが」
「大商人メトラ――砂の女王」
バルト砂漠が、共同統治区になる前の時代の商人だ。ふと、カシートはその時代を取り戻そうとしているのではないかと、根拠もなく思った。
「ご存知でしたか」
「うん。『商人の道』ね。お母さんが良く読んでた」
俺は古いタイプの人間なので、労働の対価ではない収益に、あまり興味がない。ハイリターンで資産が増えたとしても、ハイリスクで減っていったら目も当てられない。ギャンブルは嗜む程度でいい。
儲け第一主義が間違っているとは思っていない。しかし、そういう方面でのスキルは興味がないから、もっと別のスキルを磨きたいと思ってしまうのだ。
まあ、人それぞれだろう。リティはどのような道に進むのだろうか。
横目で見ると、左側を歩くリティの滑らかな陶磁器のように白い頬が、寒さのためかほんのり桜色に染まっていた。
「な、何?」
「どうもしませんけど?」
首をかしげる俺に、リティは可愛らしい唇を突き出した。
「むー……」
ぼーっと見つめたら、リティがぷるぷると震えだした。
「もう! 穴が開くくらい見つめるのは視姦よ!」
「……意味が分かって言ってるんですか?」
「見てもいいけどもっとソフトにお願いします! あ、でも他の子をそんな目で見ちゃダメよ? 目をつぶすから」
「人を変質者みたいに言うのは止めてもらえますか。ほら、注目を浴びてますから」
嫌らしく笑う猫耳女性や、通報すべきかどうかを迷っている風の山羊族から逃れるように、リティの背中を押してその場を離れた。
「無利子で貸してあげる」
「金貸し業は廃業したんですか?」
「堅実な商人を目指すことにします」
「顔が真っ赤ですよ」
「もう、うるさい! 小父様はいい商人になれると思う」
どういう理屈だ。
ある記憶が甦って来た。いつの日にか人間の性質が 100% 解明できたとしても、女性の考えを理解することなど絶対に不可能だ。同性の妖怪天邪鬼との方がまだ理解し合えるだろう。女心が理解できないという点で、分かり合える気がする。
ところが、女たちときたら理不尽の塊で、男は自分にそれが向かないようひたすら祈ることしかできない。
君子危うきに近寄らず。あえて触れないことにした。もちろん、流したら流したでその選択が裏目に出ることも多いのだが。全ての選択肢がハズレの場合があるからお手上げだ。
「褒められてる気がしませんが、ありがとうございます。
ちなみに、当てがあるので借金は遠慮しておきます。砂虫の報酬を支払ってもらえば、当面お金には困らないはずですので。
――知り合いに連絡します。ちょっと待っていてくださいね」
携帯と同じ感覚で持ち歩いている魔具を出し、バルバドスに連絡を入れた。
直ぐに返信があった。運よくこの辺りにいるらしい。用事を済ませてからギルドタワーに向かうとのこと。
「では 1 刻後に落ち合いましょう。
――さて、中心区を散策しながら向かいましょうか」
「うん」
俺たちは春の気配が漂い始めたセンダー都市をゆっくりと歩いた。
心なしか機嫌のよくなったリティと家具や服などを冷やかしつつ、 50 分ほど時間をつぶした。この世界でも、女性はショッピング、もしくはそれに類似する行為が好きなようだ。ただの買い物より、ウィンドウ・ショッピングの方が好きなんじゃないかと思ったのは、再三ではない。
ギルドタワー 1F のロビーにエセルデの姿を発見した。大きいのですぐ分かる。その隣にバルバドスがだらしなく座っている。虎縞だからすぐ分かる。
忘れがちだが、二人ともそれなりに有名なのである。目立っていた。あからさまに注目を浴びてはいないが、気にはされているようだ。
あそこにリティを連れて行くのはイヤだなぁと考えていたら、エセルデが俺たちを見つけて近寄ってきた。こうなっては仕方ない。覚悟を決めた。
「入院したと聞いたが、元気そうではないか」
「この通り、ピンピンしてますよ」
「病院を抜け出して来たの」
「ほほう」
「爺さんみたいなことしてんな」
「重症を負った翌日に出歩く人とは訳が違いますよ。ただの食あたりです。そんなことで入院させようって方が大げさなんです」
「寝込んだと聞いたが」
「朝になったのに気づかなくて。ちょっと眠り過ぎましたね」
「3 日はちょっとじゃないでしょ!」
「私の最高記録は 5 日間ですよ」
第一世代のナノマシンを注入する前、インフルエンザにかかって寝込んだことがある。眠りっぱなしというわけではなかったが、今となっては遠い昔の出来事だ。
「どうして自慢そうなのかな。冬眠でもしてたの?」
「風邪をこじらせて寝込んでいただけです。熊じゃないんですから冬眠はできませんよ」
俺はちらりとエセルデを見た。
「念のため言っておくが、熊族も冬眠せんからな? ところでこの娘さんはどちらさんじゃ?」
「紹介がまだでしたね。この娘はリティ。私がやっかいになっている狼族ディーのお嬢さんです」
「警備隊主任の娘さんか。儂はエセルデ。シドーの仲間じゃよ」
「あの双剣使いか。たまに防衛で一緒になることがある。俺はバルバドスだ」
「リティです。お二人のお噂はかねがね。先日の討伐では、シドー小父様を守っていただいて感謝しています」
「小さいのにしっかりしとるのぉ」
「もう 12 歳ですから」
「若いのにのぉ」
「我らがリーダーのエセルデは、大きくて、貫禄があって、リーダーっぽいでしょう」
「っぽいかのぉ」
「ええ」
次にバルバドスを示す。
「こちらのバルバドスとは同じ氏族になりました。一説によると、不幸の女神の寵愛を受けているとか」
「誰がだ!」
「神殿でお払いしてもらうといいかもしれません」
「んなことより爺さん。借金で金欠野郎の首が回らなくなる前に、報酬を分けようぜ」
「金欠野郎とはもしかすると私のことですか?」
バルバドスが歯を剥き出してファイティングポーズを取ったので、俺も微笑んで半身に構えた。
リティがさりげなく俺を盾にしている。
「こら、こんなところでやり合うんじゃない」
俺たちは肩をすくめて構えを解いた。
「あっさり」
リティは目を丸くしているが、船旅で何度もやりあっているから、エセルデなどは慣れっこになっている。
それにしても、バルバドスといると脳筋になってしまうようだ。純粋な格闘では力負けして勝負にならないが、魔力ありならいい勝負になる。速さが互角だから、訓練が楽しいのだ。
適度な運動は健康にいい。毎日腕立て、腹筋、背筋、スクワットなどのトレーニングは欠かさないが、それだけでは飽きが来る。自然、対人訓練に力が入ろうというものだ。気分は休み時間の小学生だ。
しかしこれがエセルデとなると、訓練は強化合宿の様相を呈してくる。
一般的に、獣人の身体能力は、人族よりも勝っていることが多い。例えばエセルデなどは、俺より遥かに重いくせにほとんど同等のスピードを出せる。たぶん筋繊維の密度が高いからだ。その分、物理的な強度――言い換えると防御力もある。
それはエセルデに攻撃を当てたときに実感できる。プロレスラーに殴りかかる小学生の気分が味わえるのだ。胴体に肘や膝を叩き込んでも、致命傷を与えることは物理的にできない。
一方で、軽いジャブ程度の攻撃は、相撲取りのツッパリに相当する。あたったら鳥人間コンテストの出場者だ。
結果、高負荷をかけて動き続けることになるから、数回やりあっただけで激しい筋肉痛になる。
船旅では獣人の頑丈さを思い知らされた。
「バルバドスの言うことももっともじゃな。シドーも入院費用など払わねばならんじゃろうし、さっさと振り分けるとしよう」
俺たちはリティを連れてギルドタワーの 2F に上がり、砂虫討伐の完了手続きを行った。すでにエセルデが報告を行っているため、形式的なものでしかないのだが。
手続きが終わるまで、胸の大きい受付嬢をさりげなく観察していたら、リティにしたたかに足を踏まれたため、冒険者ギルドのカウンターに貼ってあるランク表で心頭を滅却することにした。
ランク 累計獲得賞金 割引率
ランク1 - 3%
ランク2 25 枚 4%
ランク3 50 枚 5%
ランク4 100 枚 10%
ランク5 200 枚 15%
ランク6 400 枚 20%
ランク7 800 枚 25%
ランク8 1,600 枚 30%
ランク9 3,200 枚 40%
ランク10 6,400 枚 50%
砂虫の依頼は、エセルデ指名であるため、獲得賞金の小細工はできない。そのため、エリアルさんを除く 3 人の実績とすることになっている。エリアルさんは役人だから、冒険者ギルドの実績は無意味なのだ。
今回実績となる賞金は、砂虫に懸けられた大金貨 600 枚。帰りの空で遭遇したレベル 7 の蟲が 200 枚。さらに素材の皮膜がいい状態で剥ぎ取れたらしく、大金貨 20 枚になった。これを 3 人で頭割りして、約 273 枚。俺の累計獲得賞金は大金貨 680 枚弱となった。あと 120 枚ほど稼げばランク 7 になる。
ただしその 273 枚は手取りではない。実際に手に入れた金額は、ギルドの手数料や国税、もろもろの経費を差し引き、 4 人で等分すると大金貨 116 枚になる。日本円にするなら 580 万円程度になるだろうか。
がんばれば 3 人前食べる俺が、牛丼生活で 5 年ほど暮らしていける計算だ。まあローランド国に牛丼があるとすればの例えだが。
さようなら貧乏。また会えたね金貨さん。
エリアルさんには大金貨 1 枚を返済するから、とりあえず 10 枚ほどを現金化し、残りを口座に振込むと開放された気分になった。リティに踏まれた左足からも痛みが引いてきた。
「貧乏なんだかお金持ちなんだか分からないよね」
「溜め込んでおいても無駄でしょう。使ってこそのお金ですよ」
「入っても直ぐになくなりそう」
「不思議ですね」
「単に金遣いが荒いだけじゃねぇか」
「失敬な。私は倹約家のつもりです」
「土産を買うとか言ってエリアルから金借りたろ。大金貨を土産代にする倹約家がいるか」
「何を言ってるんですか。エセルデの方がヒドイですよ。ドラゴン・ステーキに中金貨 1 枚出してましたし。奢っておいてもらって何ですが」
「儂は 7 割引なんじゃ。シドーと違ってちょっとは考えとるわい」
「私だって考えてますよ。少しは」
「ねえ、エリアルさんって誰?」
「砂虫退治に同行したケンタウルス族の女だな」
「砂虫退治の依頼人です」
「女の依頼人からお金を借りたんだ」
「まあ、そういうことになりますか」
「ふーん」
リティはスッと眼差しをきつくした。ちょっと冷たいくらい美しい表情だ。こうして見ると、シヴィルさんの血を受け継いでいるのが分かって新鮮だったが、俺は変態ではないから、少女から軽蔑の眼差しで見られてもときめかない。
リティの好意は、若い頃に一度はかかるウィルス性の感染症みたいなものだ。年上の先生に憧れていた小学校時代のことを思い出し、フッと微笑んだ。
もっとも、第二世代ナノマシンが広まった今となっては、必ずしも発症するわけではなくなってしまったが。
「バルバドスや。そろそろお暇するとしよう。用事を済ませてしまわねば」
「爺さん、エリアルの分もシドーに渡してもらったらどうだ? どうせ会って礼をするんだろ? ディナーか何かで」
エセルデが何言ってんだコイツみたいな目でバルバドスを見た。俺も冷たい目でバルバドスを見た。
「そ、そうじゃな。後で口座にエリアルの分を振り込んでおくから、渡しておくのじゃぞ。ではな!」
「じゃーな」
頼んでもいない燃料を投下して、獣人たちは盛大に跡を濁して立ったので、俺は雪女みたいな気配を出しているリティに何と言葉をかけるべきか、多大な精神力を費やして考えなければならなかった。
「用事も済んだことですし、ディーのお土産を買って帰りましょう」
結局無難なことしか言えなかった。
「部屋に戻ったら詳しく教えてもらうからね」
「私たちの冒険譚を話して差し上げますよ。ところで、家を見てみたいのですが、病院に戻らなければマズイでしょうか?」
「怒られると思う。あの看護婦さんも、お母さんも怒ると思う」
「さあ、お土産買って病院に戻りましょう」
巨大マーケットで小金貨が消え、俺は浪費家の汚名を着せられた。しかし、婦長たちへの賄賂は必要経費として認めて欲しい。