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第 3 章 美味しいごはん(1)

3.1.1. 建国暦 4220.04.01 : 中心区 - 中央病院



ダークブルーの世界で、緩やかな流れに乗ってたゆたっている。深海をかろうじてライトアップしているのは、膨大な海水量によって減光された弱弱しい光でしかない。この暗闇に等しい深海を、俺はずいぶん長いこと漂っている。


闇の中でじっとしているのはさぞ退屈だと思うかもしれないが、さほどでもない。何故なら俺の目は超高感度レンズ並みの性能を持ち、輪郭から鮮やかな色彩に至るまでをばっちり判別できているからだ。


「なんせ夢だからな」


俺には、この風景が夢であると理解できていた。夢の中で夢を自覚する明晰夢だ。


おそらく俺は海月(クラゲ)のような存在にでもなっているのだろう。流されやすい性格という暗示だろうか。


「本体にはそろそろ起きて欲しいところなんだが……」


無意識にできていたことができなくなった時、それを意図的にやろうとすると途端に難しくなる。


「やはりどうしていいか分からない。醒めない夢はなし、気長に待つか」


溜息を吐いて首を振る動作に同期して、視界が左右にパンした。


目の前をカラフルな生命体が泳いでいる。深海というのは奇妙な、というより見慣れない生き物が多いものだが、そういうものとも違う。何かの生物を幾何学的に抽象化したような、現実離れした姿だ。カンブリア時代の生物を模したロボットと言えば、雰囲気が伝わるだろうか。


これがこの世界の深海生物なのだろうか。いや、意味のない夢だろうな。


目を引くのは、大きくて丸い生命体だ。基本的には俺と同じで、海流に乗って大人しくしているのだが、たまに他の命体に襲い掛かってはその棘で串刺しにしている。自分より大きな生命体にでも果敢に挑むが、無差別に攻撃しているわけではないようだ。何種類かの生命体には、ニアミスしても攻撃しない。ウニと名づけた。


生命体はそれだけではない。八本足のヒトデ、三角と四角を組み合わせたイカ、菱形と三角を組み合わせたサカナ、直線の組み合わせであるゴカイ、半球と菱形のカメなど、それなりに賑わいを見せている。


もちろん、本当に海栗(ウニ)海星(ヒトデ)というわけではない。俺がそのような印象を抱いたというだけで、どういった生命体かも判別できないのだ。ロボット・コンテストの会場にいる気分だ。


しばらくして、新しい種類を発見した。白くて寸胴。葉巻型の先端には三角の尾がついている。そいつは周囲の生命体に手当たり次第に喰らいついていた。その大食漢にはシャチと名づけた。


旺盛な食欲で紫のカメを噛み砕いたシャチは、次のターゲットに青いウニを選んだ。ウニはリラックスでもしているのか、棘を収めてボールのように海を漂っている。シャチの接近には気づいていない。


シャチが自分の頭ほどもあるウニを噛み砕こうと、大口を開いたときだった。危険を察知したウニが全身の棘を伸ばした。体長の倍も伸びた棘が、シャチの頭部を貫通した。


「おお、さすがウニ。伊達にトゲトゲしてないぜ」


シャチがウニを振り払おうと身をよじった。しかしそれは悪手だ。暴れたせいで別の棘が刺さり、シャチは自縄自縛に陥っていた。


勝負あった。


その時、シャチがより激しく暴れて棘が折れた。シャチは自由を取り戻したものの、棘は刺さったままだ。


ダメージを受け続けたシャチはやがて息絶えた。棘が折れたウニも死んでしまった。シャチとウニは色彩を失い、灰色の体となって底知れぬ海溝に沈んでいった。


深海には平穏が戻った。


「まさかのドロー」


しかし生態系が荒れてしまい、寂しいことになっていた。きっとこのようなことが他の場所でも起こっているのだろうと、俺は夢特有の理不尽さで理解した。


「……おじ……ま……」


何処からともなく声が聞こえる。耳を済ませたが聞き取れない。


俺は魔力回路を起動した。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。それらを統合する第六感。その全てを増幅させる第七感とも言うべき感覚は、生まれたときからあったかのように、俺の意思に呼応する。


「……目を……して……」


リティ……?


これはリティの声だ。行かなければ。


俺は海面めがけてゆらゆらと上昇した。




唐突に光が溢れた。


俺は目をしかめつつ、瞼を開いた。驚くリティの顔があった。瞳に溜まった涙が、今にも零れ落ちそうだ。


「小父様!?」


「涙はいざというときに取っておいた方がいい。女性の最終兵器ですから」


「違う!」


「そうでしたか、失礼」


俺は寝ぼけた頭で謝った。


「このままずっと目覚めないんじゃないかと……」


「それほどお寝坊さんじゃありませんよ」


覆いかぶさってきたリティの涙を親指の腹で拭い、反対の手で背中を撫でた。


「ひゃあ!?」


とは言ったものの、まだ眠い。


体の調子を確認しながら身を起こしたときに、とてつもない違和感に襲われた。胃がムカムカする。やばい、吐きそうだ。


「顔が真っ青よ! 先生を呼んでくる!」


俺はリティが飛び出そうとしたのを制止した。診察の前にトイレだ。緊急事態だ。


「それより、トイレに、案内して、もらえますか」


「大丈夫なの!?」


「もちろん大丈夫です」


まったくもって大丈夫ではなかった。俺は息も絶え絶えにトイレに向かった。努力の甲斐あって、人間としての面子を保つことができた。




いやあ、ヒドイ目にあった。吐くわ下るわで、体重にして 7 ~ 8 % は減ったんじゃないだろうか。おそらく胃腸炎の症状だと思われる。


第一世代、第二世代ナノマシンを体内に常駐させて以来、俺は病知らずだった。しかしナノマシンにも、効力が及ばない場所がある。当たり前のことだが、それは体外だ。ナノマシンは俺の体内に棲まい、恒常性を維持する役割を担っている。


人間は口から摂取した食べ物を食道から胃に送り込み、腸で栄養を濾し取って吸収する生き物だ。即ち、消化器官は体外と呼ぶべきなのだ。つまり、消化器官のさらに内側――肝臓や心臓などが収まった部分が体内だ。


ということは、ナノマシンを投与された人間の消化器官内で、細菌やウィルスが猛威を振るうことは十分にあり得る話であり、消化機能を阻害された体が異物を吐き出そうとして、脅威に抵抗したということなのだろう。


俺自身は胃腸炎の経験はなかったが、各国の研究機関から、ナノマシン注入後にもそういった症状がでることがあるという報告を受けていた。しかし、どうしようもない。


細菌やウィルス、もしくはそれらに生成された毒素が体内に侵入したときは、ナノマシンの免疫機能が働くから、症状が悪化することは少ない。ならば、犬に噛まれたとでも思って、脅威が排泄されるのを待つしかないのだ。


洗面所で十分に手を洗い、うがいをして口内の粘液をゆすぐ。歯磨きもしたかったが、歯ブラシを用意していないから指で磨いた。ついでに顔を洗ってから病室に戻った。




3.1.2. 建国暦 4220.04.03 : 中央病院 - 病室


目覚めると、1 日が消えていた。何を言ってるのか分からないと思うが、俺にも分からない。 4 月 1 日の夕方に一時的に目を覚ました後、夜に寝て、気がついたら 3 日の朝だ。


「あれ? 4 月 2 日は?」


ということはほぼ 3 日もの間、意識不明だったらしい。なるほど、道理で背中や脇がだるいわけだ。床ずれだろうか。人間は年がら年中、寝そべって生活できるようにはできていない。


医師には食あたりと言われたが、そんな単純な症状じゃなかった。それは体調をモニタするため、ブレスレット型端末を起動させたときに判明した。


また気絶しそうになった。


情報収集型の第六世代ナノマシンのリンクが切れている。しかも、プログラミング型の第五世代にも反応がない。


「嘘だろおい!」


想定していた以上に一大事だった。


第五世代と第六世代のナノマシンだけが状態異常を起こしているのだろうか。第七世代の反応は正常だ。それ以外の反応は、第六世代がないと調査できない。


「ナンクルナイサー……なわけねぇ」


最悪の事態を想定してしまう癖がある身としては、楽天的ではいられない。


第七世代を除いた全てのナノマシンに異常が発生したと仮定して、考えてみよう。


俺の悲願であった、遺伝子治療を行う第三世代の消失は、致命的なものではない。最後に行った検査では、異常遺伝子の置換率は 85% 程度と推測されている。その当時から時間が経っているので、 90% 程度は置換されていると見ていい。


俺の遺伝子疾患が発症して、ある細胞で異常タンパク質が生成されたとしても、周囲の細胞が正常な DNA を持っていれば、症状が進行する可能性は激減する。俺の悲願はほぼ達成された今、第三世代ナノマシンの重要性はかなり小さくなっている。


まだ、子孫に負の資産を受け継がせてしまう可能性があるのは残念だが、俺にできることはない。


安全確認のためだけに注入した第四世代はいなくても構わない存在だ。エネルギーの無駄飯ぐらいでしかない。仮に異常があったとしても、ペットについていたノミが脱走したくらいにしか感じない。


第五世代から第七世代までは、あれば便利ではあるが、生命活動に直結しないナノマシンだ。これは置いておこう。


そして免疫系を司る第一世代、第二世代について。


第一世代は体内の免疫系を強化する攻性型。第二世代は免疫系を司る司令塔型。これらのナノマシンが消失したとするなら、マズイどころの話ではない。


俺がこの世界の食べ物を食べ、何事もなく栄養摂取できていたのは、ナノマシンの力に頼っていたからだ。栄養と一緒に取り込んだ毒素を、それらが適宜、処理してくれていたからだ。


この世界の人間にとっては毒でなくとも、俺にとっては毒――という物質はいくらでも考えられる。未知のウィルスや菌に始まり、過剰なミネラル、有害タンパク質、耐性のない高分子など。俺とこの世界の住人では、生物としての機能が異なる。解毒能力はもとより、消化能力や抗体も違う。


身近な例では、アナフィラキシー反応がある。いわゆるアレルギーだ。


ハチに刺されてアナフィラキシー・ショックで死亡したというニュースを、たまに見かけることがある。ハチに刺された者はハチ毒の免疫を獲得するが、免疫を獲得した後にハチに刺されると、ハチ毒に対する免疫が過剰反応してしまい、ショック死するというものだ。


このアレルギー反応はハチ毒がきっかけになっているが、実際のところ何がトリガーになるか分からない。アナフィラキシー反応は食べ物からも誘発されることがある。


俺は第二世代のサポートを受け、この世界の日常的な抗原に対して、免疫を獲得しているはずだ。地球とこの世界の環境に対応したハイブリッド免疫系だ。これはいい。


第二世代が機能している時は、過剰な免疫はコントロールされていた。コントロールが不能になった場合でも、第一世代が介入して抗原に対処していた。その順序が逆の場合もあったろうが、それはさして重要ではない。


問題はそれらナノマシンのサポートが失われた今、強化されたハイブリッド免疫系の暴走を防ぐものがいないということだ。かなりマズイ事態になった。食べ物がどんな反応を引き起こすのか、予想できない。


食品アレルギーの大部分が軽度から中度のアレルギー反応しか起こさないとはいえ、中には蕎麦アレルギーのように死に至る激しい反応もあるから油断はできない。


「本当に危険なんだ……」


恐ろしい未来が脳裏に再生され、背中にじっとり汗が滲んだ。


純白のテーブルクロスに、純銀製のカトラリーがセッティングされている。前菜にレムラード仕立てのサラダ。真鯛の魚料理。口直しのシャーベット。肉料理は牛ヒレのグリエトリュフソース。デザートにチョコレートケーキ。熱々のダージリン・ティ。よく冷えたシャンパン。前菜からデザートまでが同時に並んでいることを除けば、ちょっと豪華な食事風景だ。


異質なのは、銀の弾が入った銃が添えられていることだ。ルールでは、一品食べたら引き金を引かなければならない。しかも何発入っているか分からない、確率不明のロシアン・ルーレットだ。


俺は額に一筋の汗を浮かべながら前菜を食べた。不発。魚料理。不発。口直し。不発。肉料理に手を伸ばしたとき、ついに銃弾は発射された。楽しい食卓が一瞬で大惨事に。まだ見ぬ恋人はパニックに陥り、警備隊は毒性が判別できない。この世界の人間にとってはただの料理なのだから。あっけない人生の終着点。デッド・エンド。迷宮入り(コールド・ケース)のファイルが一つ増えただけで、世界は何事もなく回っていく。


ネクタールをくれたカシートに熱々のピザをぶつけてやりたくなった。激辛ハバネロもおまけにつける。目に入ればいい。


完全に八つ当たりだと理解しているが、爆弾をぶつけないだけマシと思ってもらいたい。


やりきれない感情に反応して魔力が渦巻く。


「ダアァァ!」


俺はやるせない思いを、直径 7 cm ほどの実に叩きつけた。


お見舞いにもらったルルルカの実は、堅い殻に包まれていて、割るにはハンマーか『ルルルカの実割り鋏』が必要だ。しかし魔力という理不尽な力の前に、あっさり砕け散った。


緊急の課題として、安全な食品を探さなくてはならない。最初の一品はルルルカの実だ。今決めた。


中にある大きな種を除き、白い部分を食べる。俺はねっとりとした果肉をスプーンですくった。意を決して口に入れた。


「こ、これは……」


俺はカッと目を見開いた。


「美味い!」


夢中で味わった。


甘くて濃厚なチーズケーキのような甘味に、脳内は快楽物質の洪水だ。世界には、まだまだ俺の知らない美味がある。


アナフィラキシー怖いとか言ってられるか。もともと拒食症とは無縁の人生だ。食べられるだけありがたい。アレルギーを恐れて餓死するくらいなら、食って死んでやる。


昔は河豚を食うのだって命がけだったんだ。北大路魯山人(きたおおじろざんじん)のように、世界の美味を追求するくらいの心意気を持てば、アレルギー何ほどのことか。


「はふむ、んぐ……ふう、これが至福ですか」


そういえば医者には食うなと言われたような気がする。ルルルカの実は脂肪分が多いから、胃腸に優しいものを摂るようにとのことだが、俺の体に優しいものなんかひとっつもねーんだよ。


方針が決まればやることも決まる。俺はおもむろに携帯端末を操作した。


ID(自動付与) : 0

名前 : ルルルカの実

種類 : 食べ物, 甘いもの, 美味

回避レベル : 0

摂取日(初回) : 4220.04.03

摂取日(最新) : 4220.04.03

摂取回数 : 1

備考 : 味は甘くて濃厚なチーズケーキ。 5 個食べた。


食物データベースを作成した。とりあえずカラムはこれくらいでいいだろう。必要であれば順次項目を追加すればいい。


今後、食べた食品についてデータを入力することにした。数日おいて、免疫ができたと思えるころに 2 回目を食べる。何事もなければ大丈夫ということだ。


面倒さをなるべく避けるため、音声認識で名前を言えば、摂取日(最新)と回数が自動入力される仕組みだ。手間は最小限に。何かあれば症状に応じた回避レベルと、備考を記入していく。


初回だから少しだけ食べるつもりが、あまりの美味さに全部食べてしまった。症状が重くなりそうだが……問題ないはずだ。


そうは言うものの、小心者故に思い込みでは安心できない。とりあえず銀の弾が発射されないよう願うにしても、無神論という宗教を信仰している身としては、気軽に祈ることもできない。


実は第一世代や第二世代が正常に稼動している可能性もあるが、それを期待するのは能天気というものだろう。希望が外れて奈落に落とされるより、始めからないと割り切って這い上がっていくほうがいい。


「情報収集担当の第六世代を失ったのが痛すぎる」


自分の体のことだと言うのに、何も分からないのが辛い。ナノマシン使いになる前はそれが普通だったというのに……


グレードダウンに耐えられないのが人の性か。


俺は脱力してベッドに倒れこんだ。




3.1.3. 建国暦 4220.04.03 : 中央病院 - 中庭



人気のない中庭に立っていた。用具入れから拝借したモップの柄を、木刀代わりに携えている。


「剣術パターン。定数を 6.5 倍に設定」


電子音がして、ナノマシンが待機状態になったことを告げる。


これまで、 6 倍までなら試したことはあった。


6 倍では望みの効果が得られないかもしれない。だが 7 倍はちょっと怖い。そんな考えが中途半端な定数を設定させた。


俺はモップの柄を正眼に構えた。


一歩踏み込み、第七世代ナノマシンへ指令を飛ばす。


「cfi」


上段の構えからモップを右下へ逆袈裟に斬り下げる。踏み込んで架空の刃を左に返し、モップは最速の左薙ぎ。さらに刃を返して右上に斬り上げた。モップは瞬きほどの間に、三角の軌道を描いた。


「ツゥ……」


空気抵抗の悪さ。バランスを無視した形状。それを刀のように扱ったことで右腕の筋肉が痙攣し、俺はモップを取り落とした。 6 倍ですらギリギリなのに、 6.5 倍のモーションにしたのも原因だ。


「筋繊維が断裂したか」


予想した通り、明日は筋肉痛に苦しむことになるだろう。しかし問題はここからだ。


「治療、右上腕部」


何も起こらない。


第五世代ナノマシンによる治療は行われなかった。


「どうやら本格的にご臨終のようだ」


意図せず喉の奥からうなり声が漏れた。猫科の猛獣が喉を転がすような音。近所で飼われていたドーベルマンを威嚇するために覚えた技だ。それ以来癖になって、ふとしたことで喉を鳴らしては、友人たちをぎょっとさせたものだ。


若干痛みが治まっているのは、アドレナリンやらエンドルフィン等の脳内物質が放出されたからだろう。右腕は未だに痙攣している。左手で押さえると、筋肉が不規則に収縮しているのが分かった。


「やはりこのままというわけにはいかないな」


手紙を書くことにした。




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拝啓 春風駘蕩の候、センダーでは冬が終わり、世界が鮮やかに色づき始めて

きました。


 美しい花々が咲き誇り、空はより青さを増し、小川のほとりを小さな魚が泳

ぐ姿が見られます。


 さて、先日いただいた果物はとても美味しかったです。


 お世話になった方にも好評で、大変喜ばれていました。


 一方で、ネクタールの成分は私の体にある影響を及ぼしました。詳細は長く

なりすぎるので省きますが、簡単に申しますと生命維持にかかせない機能が消

失しました。


 これは私の体質によるところも大きいのですが、かと言ってこのままという

わけにも参りません。


 ネクタールの成分、効果等について、詳細な説明を希望します。機密とか政

治家のような曖昧な言葉は聞きたくありませんので、詳しい方か全データを遣

していただくようお願い致します。


 私がこの世から旅立つ前に届けていただきますよう、重ねてお願い申し上げ

ます。


 バルト砂漠では相変わらず強く風が吹いているのでしょうか。体調の崩しや

すい季節です。健康にはくれぐれもご留意ください。        敬具


  4220年 4月 3日

シドー

カシート様

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あとは封蝋をして、ギルドで配達してもらおう。結構な金額が取られるはずだが、配達証明並みの手間をかけて送りつけてやれば、俺の必死さが伝わるだろう。


俺は筆を仕舞い、気分を落ち着かせるために息を吸い込んだ。


「カシートのアホーーー!!!」


ウォーーーン!


グアォーーー!


俺の声に釣られて遠吠えの合唱が起こり、病院のフロアが騒がしくなった。


「やかましい!」


どこかの病室から怒鳴り声がした。


「さーせん……」


彼の意見は誠にもっともだ。しかし、フラストレーションが溜まっていた獣人たちの雄たけびは、上下の階に感染して種族コンクールのオーケストラと化している。


ギャッギャッギャッギャッ!


シャーーー!


キュオキュオ!


うるせぇよ。いい加減黙れ。


「誰ですか騒いでいるのは!!」「静かにしなさい!!」


遠くから看護士の威圧する声が近づいてくる。騒動に対して制圧部隊が編成されたようだ。この声は、俺が心の中で婦長と呼んでいる中年看護士だな。身長は俺程度だが、体重はたぶん 4 割増し。エセルデとも渡り合えそうな婦長だ。


扉が開いた。


「この部屋は問題はないようね」


俺は狸寝入りでやり過ごし、扉が閉ざされると長いため息を吐いた。


「カシートの通信用魔具にもメッセージを吹き込んでおきますか」


通信用魔具の実用範囲は 5 ~ 6 km らしいが、魔力を練った俺が使えばザルト山脈の向こうのエスパ町どころか、そこから 500 km 離れた第 1 オアシスにまで届く。砂虫退治の時にリティで確認済みだ。


もっとも、遠くにいればいるほど相手の返信が困難になるから、返事がすぐに来るとは期待していない。情報を重視するカシートなら、遠距離用の通信用魔具を持っていてもおかしくはなさそうだが。


とりあえず返事があるまで、嫌がらせのように催促してやる。深夜か早朝ではどちらがより効果的だろうかと考えていると、病室のドアがノックされた。


「はい、どうぞ」


入ってきたのは取り澄ました顔のリティだった。


俺の勘が「機嫌が悪そうだ」と告げている。


「ルルルカの実、美味しかったですよ」


「水差し持ってきた。それから、病室で騒いじゃダメよ」


「よく私だと分かりましたね」


「声が聞こえたもの」


「さすがシヴィルさん譲りのいい耳です」


「お父さん譲りよ、ふん」


リティは唇を横一文字に引き締めた。


思ったとおり機嫌が悪い。


丸一日眠りこけていたときに、寝ぼけてシヴィルさんの腕に抱きついたのがお気に召さなかったらしい。


しょうがないじゃん。意識がなかったんだからさぁ。っていうかたかが腕じゃないか。などと言おうものなら、冷たい目で見られそうなので言わないでおく。


それに、リティにも心配をかけてしまった。俺に許された行動は、機嫌を取り続けることだけだ。


「まあまあまあまあ、こうして無事だったことですし、そろそろ機嫌を直してもらえませんか。そうだ、巨大マーケットに行ってみませんか。生活用品やらお見舞いを買うついでに食べ歩きでもしましょう」


「出歩いちゃダメて言われたでしょ! それにお見舞いされるのは小父様です!」


「もう治りましたよ。それにマーケットはすぐそこです。ちょっとくらい部屋を空けていたってばれませんよ」


俺はベッドから降りてブーツを履いた。寝巻き代わりに白いベース服を着ているので、カラーリングを考えて無難な黒のオーバーを羽織る。


「え、ホントに行くの!?」


「もちろんです」


「ゼッタイ怒られるわよ」


「さあさあ行きましょう」


「あ、ちょっと! 怒られても知らないから!」


俺はリティの背を押すように病室を出た。左右を確認して婦長の姿を探してしまったのは、愛嬌というものだ。


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