表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/26

第 2 章 魔法 (11)

2.11. 建国暦 4220.03.24 : 第 4 オアシス - ミディエラ邸



魔力回路の発動はほぼ無意識の内に行われた。


おおっと?


特に何かを意図した訳ではなく、魔力制御について考えていたら勝手に発動したので驚いた。


当初苦労していた魔力の励起は、今となっては無意識レベルで行うことができる。魔力を扱うための脳回路はナノマシンにより形成済みで、後は繰り返し使うほど上達するといった状況だ。


さぁ、どうするか。


このまま魔力回路を閉じるのも芸がない。危険な遊戯に興ずるとしよう。しかしそれは諸刃の剣。バレたら怒られるので、素人にはオススメできない。


たびたび授業中にペン回しで時間をつぶすように、俺は魔力を回し始めた。魔力を練ると鋭い人間が気づいてしまうので、()のままの魔力を操る念の入用だ。悪ふざけに全力を出すタイプだ。


こちらスネーク順調だ。


いつもは魔力を螺旋で操るのだが、練らないストレートのラインで、脳天、右胸股間、左胸、脳天へと回す。これは小周天という技法だ。確か。以前小説で読んだ。本家とは違い、気の替わりに魔力を回しているわけだが。


しかも肉体が強化されるといったこともない。じゃあ何のためにやるんだと言われれば、暇だからとしか言いようがない。メリットと言えば魔力制御の熟練度が上がるくらいか。


しかしそれが重要だ。


「これを砂虫殺しの英雄に進呈しよう」


俺が自己弁護に勤しんでいると、カシートが紫の液体が入った瓶を掲げて見せた。ワインだ。銘柄なんて知らないが、こんな場面で出すからには貴重なものと相場は決まっている。


「気を使わないでください。先ほどもお礼をいただきましたし」


「あんなのは礼とは言わん。いいから、やるよ」


遠慮している風を装いつつ、俺は警戒して手を伸ばさない。腕を伸ばさない代わりに魔力の触手を伸ばし、そこらへんのものを触って遊んでいる。真面目な表情を保ったままの暇つぶし。バレたらゼッタイ怒られるだろう。


「とっとと受け取れ」


カシートの押しが強く、断れなさそうな雰囲気だ。


「先ほどのお店でも出してもらいましたし、ただ貰うのも気が引けます。どうせなら、皆で祝杯を挙げませんか」


そう言ってカシートからワインを受け取ろうとしたら、横から掻っ攫われた。


「こいつはスゲェ!」


バルバドスが喜々として値踏みしている。


「寝かせる程に美味くなるリーヴァ地方のワインじゃねぇか! 半世紀は経ってるぞ!?」


高級ワインを目にしてフリーズ状態から奇跡の復活を遂げたようだ。バルバドスの酒に対する執念の前には、オアシスが誇るシーヴァ氏の美貌も形なしか。


「酒が分かる奴もいるじゃねぇか」


「まあな! ところでデキャンタージュはいるのか?」


のんきな言葉に脱力する。


「流石に詳しいな。ウージェ、頼む」


「はいはい。このワインなら 10 分というところね。澱が入らないように注意して、早めに飲み切るのがいいと思うわ。私がやりましょうか?」


「俺がやる。移し変える容器はこれか。ガゥゥ……いい感じだ。この 10 分が長げぇぜ……グルル……」


俺は喉を鳴らしているワイン将軍を視界から追いやり、カシートに真意を問いただした。


「バルバドスが誰よりも喜んでますけど、わざわざワインを振舞うために呼び寄せたわけではないのでしょう?」


「取引きをせんか? 魔法使い」


カシートは珍しく生真面目な表情をしていた。俺はハート型にかたどられた梟面を、胡乱な目で眺めた。


「魔法使いは止めてください。それで何がお望みですか」


といっても魔力制御の技術くらいしか思いつかないが。俺は無意識のうちに、魔力の触手をカシートの方向に伸ばしていた。


おっと、まずい。


触手がカシートに重なろうとしている。その気がなかった俺は、あわてて魔力を霧散させた。しかし、一瞬遅かった。


カシートの記憶が詰まった風船が弾け、中身が飛び出した。


スタンドアローンだった俺は、ネットワークにつながった。二人だけのネットワーク。膨大な情報量が流れ込んでくる。


俺はその情報をただただ受け止めるしかなかった。自分で取りに行くのではなく、勝手に流れ込んでくるのだ。


しかも、情報にはノイズが乗っていたり、歯抜けだったりした。魔力密度が薄い上に一瞬しか接続しなかったせいで、情報が破損している。


長い刹那の時間。自業自得とはいえ拷問だった。


男の思考なんて知りたくもないし、破棄だ破棄。


しかし、情報化社会に生きてきた人間の本能なのか、脳が破損情報を処理バッファに振り分けてしまった。情報を読み取ろうかなと考えてしまったのだ。そうなるともう意識を逸らすことはほとんど無理だ。


脳は脊髄反射的に情報の復元を開始した。読み込み不能の破損ブロック多数。復元は勘。カシートの立場や人間性を考慮して、次々に隙間を埋めていく。破損していた情報は、風化のプロセスを逆回しにするかのように本来の姿を取り戻していく。


やっちまったか……


砂漠に関する情報が多い。砂漠の外交について考えを巡らせているようだ。カシートの言では聖地だそうだが。


聖地に対する感情。砂漠の統治は砂漠の民によって行なわれるべきと考える原理主義。魔力制御は、近隣諸国への切り札の一つにしたいというところか。


カシートの思考と感情を、俺は知った。


同時に俺は、テレパシーの使い道を見出した。


人間の脳は情報が氾濫しているために、他人が侵入して、特定の情報を拾い集めることはほとんど不可能だ。しかし、相手に考えさせた情報を読み取ることはできる。つまりは嘘発見器と同じ手法だった。話術で相手の考えを誘導し、それを読み取ることができる。


あるいは CIA のように、有益な情報が出るまで延々と読み取り続けることで、やがて目的の情報にたどり着くことがあるかもしれない。読み取る係になった人間は、気の毒としか言いようがない。


いかさまめいたことをしてしまったという罪悪感は一瞬だ。それどころではなかった。思考のピースが高速で組み立てられて良く。思考の果てに完成したモデルは、以前と異なる結論だった。


俺はフリーズしかけた。この能力が他に漏れることは、危険かもしれない。


超ヤベー!


もしもテレパシーが使えると知られたら、重大な秘密を抱える人間に命を狙われ、能力を利用したがる人間に拉致される危険性がある。


テレパシーはそれほど便利な能力ではないが、それはこの能力の特性を知ればこそだ。知らない人間からしてみれば、神のごとき能力と思うかも知れない。


事実は違う。その存在を知っている人間なら対策は立てられる。


魔力を検知する魔具は既存の技術で作れる。その魔具を身に付けておけば、こっそりと思考を読み取られることは防げるだろう。


俺なら自分の魔力で相手の魔力を撥ね退ける。魔力が有限である以上、相手とパスがつながらない距離まで走って逃げたっていい。


問題はテレパシーそのものにあるのではない。それを知る極一部の人間と、知らない人間に分かれてしまうことだ。前者は優位な立場にある。そう、今、俺がカシートにしたイカサマのように。


中途半端な状況が一番マズイ。


時間の経過と共に俺の個人情報は拡散するだろう。同時に、俺たちの危険度は跳ね上がる。


魔力制御の情報を速やかに広める必要があるか。しかしそうなると、能力を使える人間と使えない人間の対立の種を、俺が蒔くことになるのか……?


「どうかしたか?」


「――あ、いえ、失礼しました」


俺は静かに息を吐いた。吐息には俺の不安成分が盛大に混じっているはずだ。


どういう流れにするのがいいか、考えろ。


「カシートがお望みなのは、魔力制御の技術ですよね?」


「単刀直入に言うと、その技術を売ってもらいたい」


「話が早いのはいいことです。

確か以前に言ったと思いますが、私はカシートが情報を広めるのは止めていません。私の名前を出さないという条件を守るなら、好きに扱っていただいて構いません」


そうだ。むしろ広めるべきだ。


俺はカシートを利用して、何とか知識を広められないかと考えた。別に酷いとは思わなかった。相手も魔力制御の技術を利用する気満々だし、お互い様というやつだろう。この世は全てギブ&テイクだ。一見不平等な交換であっても、お互いにメリットがあれば成り立つのだ。


「……欲のないことだな。だが、売り手は一人が望ましい」


「というと、仲間にも口外するなということですか?」


「そういうことだ」


俺は情報の拡散を望んでいる。カシートは大口顧客に対して情報を売ろうと考えている。両者の望みは異なるが、同一の方向を向いているようだ。問題は仲間たちの動向だ。それぞれの立場に抵触しなければいいんだよな。


「そうですね、順序立てて整理して行きましょう。まず口外無用の件について、バルバドスに関しては……まあ問題ないですね」


「何でだよ?」


7 等分したワインを飲み干し、悲しそうに空のグラスを持つバルバドスが、俺のグラスを物欲しそうに見ている。


「バルバドスの所属する組織が、氏族(クラン)と冒険者ギルドだけだからです。氏族は営利目的ではありませんし、冒険者ギルドは営利の方向性が違います。

また、バルバドスはお金に執着しているわけでもなく、雑事を嫌う性格。私が頼めば、黙っていてくれるでしょう?」


「黙ってろと言われりゃそうするが」


「ありがとうございます。次にエリアルさんの場合、統一機構の役割を考えれば、砂漠に無関係な出来事を報告する義務はないような気がします。

どうでしょう、差し支えなければ秘密にしていただけないでしょうか」


「シドーさんと最初に交わした約束は今も覚えています。シドーさんのお名前は絶対に明かしませんし、報告するつもりもありません」


毅然と宣言するエリアルさんに、俺は感謝の意を伝えた。


「なるほどな」


カシートはほとんど真円とも言える目を半分閉じた。人族(ヒトぞく)で言うところの、目つきを鋭くしたのかも知れないが、眠そうに見える。


「だが、神槍はそうはいくまい」


「国に仕えているからですか?」


「シドーや、どうして知っておるのじゃ?」


ようやく魅惑の魔法が切れたエセルデが驚いている。


「エセルデの爺さんが役人ってのは、聞いたことがねぇな」


「私は立場上知っていましたが、お二人に話したことはありません」


「推測ですよ」


俺は人差し指を顎にあて、きっぱりと言った。


「戦士ギルドのマスターが、ギルドを辞めた後でも普通の冒険者になるはずがありません。それに、エセルデの冒険者ギルドランクは、未だローランド国で最高位にあります。少なからず、国と関係していると考えるのが自然です。

もっとも、私がそう考えたのは、エリアルさんとバルバドスに魔力制御の講習をしている時でしたが」


「ほう?」


エセルデは巨大な腕を組み、首を傾げた。相対的に小さく見えるワイングラスを持っている姿は、 2.4 m の巨体でありながらどことなくコミカルで、森の熊さんといった雰囲気だ。


「エセルデは魔力制御の有用性を分かっていましたよね。だとすると不思議なんです。冒険者なら生き延びるための手段は多い方がいい。後方勤務や現場に出ない管理者ならまだしも、エセルデは現役の冒険者です。先日大量の蟲が沸いたときは死にかけましたし、砂虫狩りも命がけでした。そのエセルデが魔力制御の技術を習得せずにいる」


エセルデのこげ茶色の目が、穏やかに俺のことを見定めている。その顔に、不穏な表情が浮かんでいないのが不思議だった。どうしてそんな目ができるんだ? 信用されているから?


「カシートも私の講習を受けたから知っているでしょうが、私は自分の魔力で貴方達の魔力の流れをサポートしました。これを他人の助けなしでやろうとしたら、コツを掴むだけで何ヶ月もかかるでしょう。いくらやり方を知っていてもです。もしかすると習得できないかもしれない。

魔力制御の技術は習った方が得なんです。

では、それをしない理由は?

仮に、エセルデが魔力制御の技術を習得したらどうなるでしょう。情報の有用性故に報告の義務が生じるのではないでしょうか。しかしそれは私の希望に反しています。そう、エセルデは私の意志を尊重したかった」


俺は一息に話し、エセルデに質問した。


「違いますか?」


「違わんな」


エセルデは満足そうに頷いた。


「何故そこまでするんです?」


「儂はシドーに助けられた。だから借りを返す。命の借りは命で返す」


俺は豪雷に打たれたような衝撃を受けた。エセルデは本気だった。少なくとも俺にはそう感じられた。


大そうなことを言う人間には何度も会った。それでも、エセルデほどの大言は聞いたことがない。


負けた、と思った。俺はエセルデの大きさに、完全に参ってしまった。


「どうしたのじゃ?」


「ちょっと考えごとを。ブラッシングして差し上げましょうか?」


「いらんわ」


「残念です」


「なあ爺さん。俺のことなら気にすんなよ。ところで、ものは相談なんだがそのワイン……」


小さいバルバドスの、もの欲しげな視線を受けたエセルデは、黙ってワインを飲み干した。


「ヌァ!」


間抜けな声を発した命の恩人に、エセルデは空のグラスを掲げ、ニヤリと笑った。


「残念じゃったのぉ」


唯々諾々と従うことが恩を返すことにはならない。それに相応しい場所、相応しい時がある。つまりはそういうことだろう。


エセルデの価値観が俺の中に染み込んで行く。また俺は変われたようだ。環境に適応できる生物の未来は明るい。喜ばしいことだ。


カシートに続きを促され、俺は中断していた思考を再開した。


エセルデが俺に抱いている想いは分かった。だから俺は、その尊い想いを利用することはできなかった。正確にはしたくはなかった。


これは、軌道修正が必要だ。思い切って U ターンをかますか。


「例えば、私がカシートと取引きするとしましょう。すると魔力制御の技術をカシート一人が扱うことになりますね。これは他の国々の脅威となり得ます。

エセルデはこの脅威を報告しなくてはなりません」


これでエセルデの立場はリセットされた。後はカシートにがんばってもらうしかないか。検討を祈るよ、ホント。


「しかしこの問題は、期間を設定することで妥協点が見出せるのではないでしょうか」


「その期間ってのは?」


「つまり 2 ヶ月です。その間に情報を売りまくってください。その後、私はこの技術を無償で公開します」


これがエセルデを利用することなく、カシートを俺の意図する方向へと誘導する一手だ。この期間は短いほうがいいが、 2 ヶ月あれば、カシートなら情報を捌けるはずだ。


「何だと!?」


俺は中途半端な情報の開示が、如何に危険かを話した。


「いつまでも秘匿できるなら期間なんて定めません。しかしそんなのは無理です。戦いの時には、持てる力の全てを揮わなくてはならない。出し惜しみなどできません」


これには皆が首肯する。


「手も触れずに物を動かす。他人の考えを知り得る可能性がある。魔力制御に慣れることでこのような現象が起こせます。使っているところを見られても、魔具とごまかせるかもしれません。しかし、不思議に思う人間はいるでしょう」


情報は必ず漏れる。俺たちには、情報が広まっていく期間が最も危険なのだと話した。だから一気に、爆発的に広めてやるのだ。


さらに魔術師ギルドの件についても話をしておくのを忘れない。


「少なくとも、魔術師ギルドは調査に乗り出すでしょう。秘匿された情報がどこから漏れたか、知りたがるはずです」


「魔術師ギルドは知っていたのか……」


カシートはショックを受けたようだ。しかし、秘匿されている情報は売れるのだ。公開されている情報だって売れるくらいだ。要はやり方次第だ。


魔術師ギルドの動向に関しては疑問が残るが、彼の組織が国にも秘密にしているようなら、最終的にローランド国にも技術提供されることになるので、ローランドのデメリットはない。一方、魔術師ギルドは技術を独占できなくなる。


ローランド国が魔力制御の技術を把握していて、エセルデが知らなかっただけの場合。ローランド国が独占していた技術が、他の国々にも提供されてしまう。いかにもまずい。しかしこれは、エセルデの責任の範囲外だろう。


そして既に俺たちが知ってしまっている。もはや、情報の拡散は止められない。


「彼らには彼らの思惑があるとして、情報の鮮度は短いと考えておいた方が良いでしょう。カシートは国に対して技術を提供するつもりですよね? おそらく、ローランドも含めた近隣の全ての国家――統一機構に参加している国々に」


「ああ」


「ということであれば国家間の均衡は保たれるはず。ローランド国が不利になることもなく、統一機構の一国家が有利になることもない。また、 2 ヶ月という期限が担保となります。短期間であれば、魔力制御の技術を独占していても、パワーバランスが大きく傾くことはありません。傾いたとしても、最終的には元に戻るでしょうし。後はローランド側のエセルデと、砂漠側のカシートで調整してもらえませんか」


「儂か!?」


「丸投げかよ!?」


エセルデとカシートが顔を見合わせた次の瞬間、部屋を揺るがしかねない音量で哄笑した。


「グアッハッハハ!!」


「クカカカカ!」


執務机に座って空気と化していたシーヴァ氏がぽつりと漏らした。


「実に興味深い方だ」


俺と黒曜石の瞳が合うと、シーヴァ氏は妖艶な笑みを浮かべた。美しすぎて、男性的な女性と言われても信じてしまいそうだ。


背徳的な気分になりかねないので、伯父さんの隣で大人しくしているウージェさんで口直しをした。やはり女性がイイ。


「シドーさん、こちらでやりませんか?」


「そうよ、こっちに来なさいよ。一緒に飲み(やり)ましょう」


二人の台詞を聞いて、バラライカを踊っている薔薇族の人が頭に浮かんだ。


失せろボケェ!


俺は空想に蹴りを入れておぞましい光景を叩き割り、ウージェさんのところに向かった。


「ガハハハゲホガホ……」


「カカカカカカカグハハッ……」


背中で熊と梟が笑いすぎてむせている。バルバドスは「何だこのジジイども」という目で引いていた。俺も同感だった。


「文化が違いますね……」




カシートとエセルデは、悪そうな笑みを浮かべ、今後の予定を調整している。かと思えば、唐突に関係なさそうな話題を出して相手のペースを乱したり、煙に巻いたり、水面下の探り合いを繰り広げている。


もうね、どっちも狸だ。いっそ、二人とも目の周りを黒く塗ってやろうかと思ったが、エセルデはパンダになるから止めた。一緒に討伐に行くと、脱力して仕事になりそうにない。


「シドーさんの見識には、目を見張りますね」


航路の治安を回復したためか、シーヴァ氏は好意的だった。


厚過ぎない唇は薄紅色で、ゆるやかな弧を描いている。目を閉じがちなのは、周りを魅了しないためだということに気がついた。


顔が良すぎるのも大変だな。羨ましくなんかないぞ……


「そんなことはありません。興味があることを考え込む性質なだけです。今回の件にしても、不確定要素がなくて良かった」


「不確定要素というのは?」


「エセルデが想定外の行動を取り得る原因のことです。例えば家族が人質に取られていたり、急遽どうしてもお金が必要になったりするケースなどでしょうか。

そういうのは極端な例でしょうが、今回はそういう要因がないと割り切って、素直に考えたものがたまたま当たっただけです。光栄ですが、褒められるようなことではありません」


俺はシーヴァ氏にアルカイック・スマイルを浮かべて見せた。目を閉じてるから見てないんだろうけど。


「たまたまだろうが何だろうが、凄ぇじゃねぇか。付き合いの長い俺が、まったく気がつかなかったぜ」


「気づいたからといって、バルバドスとエセルデの関係が変わるわけでもありませんから、いいんじゃないですか? ところで、このおワインは濃すぎませんか」


「水で割ると美味しいですよ」


エリアルさんはうっすらと頬を赤くして、ほろ酔い加減だ。それはいいのだが、シーヴァ氏を見るとまた固まってしまうので、ずっと俺を見つめてくるのはいかがなものか。流石に恥ずかしい。


「それなら、飲みやすそうですね」


昔はワインも水で割ってたらしい。何もストレートで飲むばかりが酒じゃない。


「ダアァ! 割るんじゃねぇ!」


「うるさいですよ、ワイン将軍。隣の部屋からクレームが来ますよ。壁が打楽器みたいに打ち鳴らされますよ」


「何のことだ?」


「隣も私の部屋ですけど……」


ポツリとつぶやくシーヴァ氏の言葉は、俺の発言同様流されるのだった。


「ワインはなあ、ストレートで飲め」


「うるさい奴じゃのぉ。静かに飲んでおれ」


「爺さんが言うか!? それにもうねえんだよ!」


「別のがあるじゃろう」


エセルデの言葉通り、テーブルの上にはエールやテキーラの瓶が並べられていた。しかし、高級過ぎる酒を味わってしまったバルバドスは、金銭感覚が麻痺して手を出さない。これだって高級な酒のはずだが、半世紀も寝かせたワインには敵わないからだ。


「……飲みたいなら差し上げますよ」


「マジか!?」


一口舐めただけのグラスを差し出すと、バルバドスは丁寧に引ったくった。まるで財宝を見つけた海賊のように嬉しそうだ。


「美味ぇ!」


「それは良かった」


芳醇なのはいいが、俺には濃すぎるようだ。何でもかんでも濃けりゃいいってもんじゃない。果汁 100% のジュースが必ずしも美味しいとは限らない。水で薄めた方が飲みやすいことだってあるのだ。


バルバドスは邪道と言いそうだが。


だいたい俺は濃い味付けが得意ではない。海老や蟹、キャビアや牛肉など、アミノ酸たっぷりな食べ物は、大量には食べられない。もしかすると飽きやすいだけなのかもしれない。


やっぱ米だ米。ああ、あっさり風味のバドワイザーが飲みてぇ……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ