第 2 章 魔法 (8)
2.8. 建国暦 4220.03.17 : 共同統治区 - 第 1 オアシス
「誰か来た」
巨大な虎の手から鋭い爪を出し、バルバドスは路地裏を指し示した。風に運ばれた砂が石畳や壁を削る音に混ざり、かすかな気配がした。どうやら戦士に呼ばれた人手が到着したようだ。
「この内容で説明したいんじゃが、良いかの」
「はい。統一機構に提出する書類としては問題ありません」
エセルデとエリアルさんが、如何にも打ち合わせといった小芝居を披露してくれた。
俺は苦笑をこらえた。
「相談は終わったかい」
裏通りから現れた声の主に、俺たちの視線が集中した。現れたのは 1 人きり。復興作業の人員にしては、 1 人しかいないというのはおかしい気がした。
「どちら様かの?」
落ち着いた声でエセルデが尋ねる。
「ここで長をやっとるカシートという」
獣人の中でも、鳥の特徴を持った種族を鳥人と呼ぶ。現れた鳥人は、頭が梟の形状だから梟族だ。背に生えている淡褐色の羽は、飾りではない。
身長は俺よりやや小さい。目は丸く、眉は急角度でつり上がり、顔の中心には細い嘴が備わっている。顔がハート型に縁取られているため、どことなくユーモラスな印象を受けるが、油断は出来ない。
「こんな開けた場所で密談とは、ちいと無用心だな。耳がいい奴もいるんだぜ。クカカ!」
「はて? 我らが交わしていたのは単なる相談。密談などではありませんが?」
エセルデが慎重に尋ねる。情報を与えまいとしているのか、やけに余所行きの口調になっているのが気にかかる。相手が長という立場を慮っているのか? 権威なら元戦士ギルドマスターにだってあるだろうに。
カシートの声質から判断すると、エセルデよりも年上なのかもしれない。それだけならいいのだが……
「まずは砂虫を倒してくれたことに礼を言わせてもらう。生活物資が届かなくて難儀してたところだ。
密談と言ったのはな、砂虫の生態を偽るという話が聞こえたからよ」
カシートは器用にも、梟のくちばしでニヤリと笑った。
俺とエセルデは一瞬、視線を交差させた。遠くから俺たちの声を拾ったのか。本人の申告通り、かなり耳はいいようだ。
俺は瞬時にで考えを巡らせ、愛想笑いを浮かべた。
「実は私、国では動物の生態を研究していまして。砂虫の行動パターンが私の研究対象に似ていることに気づいたのです」
「ほうほう。守備隊から話は聞いたが、砂虫を攻撃せずに追い返したんだったな。別に変な言い訳しなくたっていいじゃねぇか」
「砂虫を専門に研究していたわけではありませんので。小心者ゆえ、間違っていたらどうするつもりだった、などと責められると落ち込んでしまうのですよ」
「グワフ!?」
バルバドスはおかしな声を発すると、後ろを向いて肩を震わせた。俺がアルカイック・スマイルを浮かべて情報を与えないようにしてるのに、やめろ不審者。
エセルデはとりなすように言った。
「騙すようで心苦しくはありましたが、口裏を合わせておいたのです。貴方に聞かれてしまったので、苦しい言い訳をせんで良くなりましたがの」
「ほぉ。まあ統一機構が補償してくれるらしいから、どんな説明でも構わんがな」
俺はハッとした。エリアルさんが補償の話をしたのはいつだ?
「どこから聞いていました?」
「砂虫が子育てをしている辺りかな」
「こ、このジジイ……」
俺は引きつった顔で呻いた。
「ど、どうしましたか?」
咄嗟に本性が出てしまった俺に、エリアルさんが引き気味になっている。しかし些細なことを気にしている場合ではないのだ。
「ほとんど最初から聞かれてますね……」
俺はうなだれた。
結局、カシートには全てを話さざるを得なかった。
「悪いな、手伝ってもらった上に、貴重な技術まで教えてもらって」
「どの口が言いますか? 口止め料と言われたのでは断りようがないじゃないですか。
もっとも、魔法の全てを理解しているわけではありませんので、教えられるのは基本だけですよ」
「高望みはしない主義だ」
「昼は復興作業を手伝わせ、夜は魔力の講習、統一機構から補償も出て、それ以上望むものなんかねーだろ」
バルバドスは呆れ顔だ。
「カシートさん。この技術を広めるなとは言いませんが、私の名前は出さないでください。それと、一緒に戦った彼らに口止めをお願いします」
「分かってるって。何度も言うない。心配性だな、お前さん」
「その軽さが心配なんです。酒に酔ってうっかり口を滑らしそうな気がします」
「酔うと口は軽くなるがな」
俺は冷たい目でカシートを見た。
「冗談だっての」
次のオアシスに向けて旅立つことになった。
「ほう、行っちまうのか。名残惜しいな」
「社交辞令でもそう言ってもらえるのは嬉しいですね」
「ようやく砂まみれの作業から開放されるってもんだ」
「そういうことは思っていても言わないものですよ、バルバドス」
「砂漠は当分続きますけどね」
エリアルさんがクスリと笑った。
「私はこの水が飲めなくなるのが心残りです」
俺はガラスのコップを掲げた。中には、砂漠から湧き出した泉の水が入っている。俺のお気に入りだ。
「水に困らない砂漠があるなんて、想像したこともありませんでした」
「上下水道のあるセンダーあたりに比べりゃ不自由なんだろうが、水に困ったことはない。魚がいるのは昔からある泉だ。いないのは場所を変えて湧き出すタイプの泉だな。もしかしたら来年あたり、場所を変えてるかもな」
カシートはホウと笑った。
「魚がいる方の水は硬いですね。魚がいない方の水が、軟らかくて私好みです」
「硬い? 何言ってんだ?」
俺はバルバドスに説明した。
「硬いというのは比喩ですよ。水に、その土地固有の成分が溶け込んでいるということです。
砂漠から湧き出す水は、そういった成分があまり溶け込んでいないようです。だから、すっきりとした味わいなんですね。このコップの水は、軟らかい水です。
一方、魚がいる泉には、タニシのような白い貝殻がたくさん堆積していました。それが水に溶け込むと、カルシウムに富む水になります。あー、カルシウムというのは、骨を形成するのに役立つ成分のことです。舌全体で味わうと、何処となくミルクのような味がしませんか? ミルクはカルシウムが豊富ですけど、この水にもその何分の 1 かは溶け込んでいると思いますよ。こちらが硬い水です」
「言われてみれば微かに……」
エリアルさんはまじまじとコップを見つめる。
俺に言わせれば、甘ったるいジュースや酒よりも、この軟水の方がずっと美味しい。
「相変わらずシドーは妙な言葉を使うな」
「せめて文学的と言ってもらえませんか」
「グハハッ! 腹痛ぇ、笑わすな!」
俺はにこりと笑って左腰に吊った短剣に手をかけると、バルバドスは待ってましたと言わんばかりにハルバードに手をかけた。
「土木作業ばかりで体が鈍ってたところだ」
「魔法の講習は取りやめて、夜間の戦闘訓練としゃれ込みましょう。砂恐怖症が進行しないように気をつけてください」
「誰が怖がるか、んなもん!」
「止めんかお主ら。クランに入って遠慮しなくなったのはいい。じゃが、時と場合を考えんか」
「ちょっと羨ましいです……」
「クカカ! お前さんたち面白いな!
だがなるほど、軟らかい水が時間をかけて硬くなるか。なら俺は硬い水の方が好きだぜ。鳥人の多くはこの水に惹かれて集まってくる」
「人の好みは千差万別ですからね。鳥人は丈夫な骨を作りたいから硬い水を好むのかもしれませんね。私の故郷では、美味しい水が美人を作ると言われてましたよ」
「確かに鳥人には美人が多い。半鳥人もな。気は強ぇが美人揃いだ。嫁さん探したくなったら訪ねて来な。紹介してやるよ」
「余計なお世話だと思います!」
「うぉ、何怒ってんだ、お嬢ちゃんは?」
エリアルさんは何かを言いかけ、憮然と口をつぐんだ。
「あの日か?」
エリアルさんはもの凄い目つきでバルバドスを睨み、無言で去っていった。流石のバルバドスも怯んでいる。
「バルバドスや……」
「あれほどの殺気を浴びたのは久しぶりだ……」
「バルバドスにそうまで言わしめるとは、手ごわい敵だったのですね」
「別れた女だがな」
「浮気でもしましたか?」
「浮気じゃねぇが、娼館に行ったのがばれたんだ。しかもとりわけ機嫌の悪い日に。お陰で殺されかけた」
それは浮気じゃないのか? 俺は何とも言えず、頬を掻いた。早いとこデリカシーを覚えさせないと、女性に刺されかねない。何故か俺がとばっちりを受けている未来図が浮かび、頭を振って縁起の悪い光景を消し去った。
「ククク! やっぱ面白れぇよ。お前さんたちはよ。だからこいつをくれてやろう。ほれ」
手渡されたのは、金の装飾が施された白い巾着だった。
「ありがとうございます?」
巾着の中で野球の球サイズのものがごろごろと動く。袋を開くと、薄紅色の実が入っていた。形状は林檎と桃の中間といった感じだ。どこか神聖な雰囲気がある。もちろん錯覚だ。高級感のある袋に騙されてるんだろう。
「美味しそうな果物のようですね」
「どれ」
エセルデが覗き込んで黙った。
「何だこりゃ? 見たことねぇ実だな」
バルバドスは無造作につまみ上げた。
「ネクタールの実だ。寿命を延ばすと言い伝えられている。お嬢ちゃんのところが必死に交易を再開したがってる裏の理由だな」
「へぇ、寿命を……そんな言い伝えがあるくらいだから、さぞお高いんでしょうね」
俺は胡散臭げに質問した。
「一般には出回らねぇよ。偉い奴が独占しちまうからだ。知ってる奴も限られる。その熊族は知ったみたいだがな」
「エセルデは顔が広いので、一般人が知らないようなことも知っています」
「そうかい」
カシートは肩をすくめた。
「交易が途絶えたときに限って豊作になる。これも何とかの法則かね。 4 個用意したからあのオッカナイお嬢ちゃんにも分けてやんな」
「ネクタールの実ねぇ?」
バルバドスは無造作に齧りついた。一口で半分消えたのは流石だ。
「酒に浸けてあるのか? すっきりした甘さで美味いぜ!!」
「もともとそういう味だ。しかし思い切りのいい虎族だ」
「まあバルバドスですから……お気遣い感謝します」
「何、いいこと教えてもらったからな。借りは作りたくねぇんだ」
「意外と義理堅くていらっしゃる」
「誰かと同じでな」
俺は誰のことを言っているのだろうと首をかしげた。
「クカカ!」
「何ですか?」
「何でもねぇさ!」
「ネクタールの実は、後で分けさせていただきます。バルバドスの分はもうありませんよ」
「ちっ!」
「食べるのが楽しみです。お世話になった一家と一緒に頂くことにしましょう」
「お前さん、その実を分けて食べる気かい?」
「4 人でいただくつもりです」
カシートは、奇妙な生物を発見した科学者のような目つきをした。
「……そいつはお勧めできねぇ。止めときな」
「どうしてですか?」
「ネクタールの実は 1 個で完結してるんだ。分けて食べると効果がない」
「でも美味しいんでしょう?」
「いや美味しいって……」
カシートは絶句してしまった。
これは、何万円もするメロンやマンゴーをジュースにして飲むような暴挙か? ちゃんと味わって食べるんだからいいじゃないか。というか劇的に寿命を延ばす食い物なんてないわ。どこの始皇帝だ。
「私がこの国に来たときにお世話になった一家です。彼らなくして今の私はありません。希少で美味しいものなら、寿命が延びなくたって喜んでくれますよ、きっと」
「確かに美味いかもしれんが……ええい、物の価値が分からん奴め! あと 3 個くれてやるから 1 個ずつ食えよ!」
「よろしいんですか? 私のことなら気にしなくてもいいですよ」
どうせ仙薬のパチモノだし、美味けりゃ満足なんだが。
「別に気にしてねぇ。豊作だと言ったろ」
「俺にもくれ」
「女にやるのか?」
「俺が食うんだ」
「…………だからぁ 1 個だって言ってるだろぉ!? 4 分の 1 でも 2 個でもねえ!! 食えるのは 1 個なんだよぉ!!」
「まあまあ落ち着いて。そんなことを言うからには、害でもあるんですか?」
「寿命を延ばすと言われるくらい効力の強い実だ。食べ過ぎて害がないわけねぇだろ。かと言って少なけりゃ効果はないし、用法・用量を守って正しく食ってくれ」
「分かりました。それにしてもカシートさんはお人よしですね」
「お前さんに言われたかねぇよ!」
「まあまあ。落ち着きなされ」
エセルデが苦笑しながら、同じ言葉でなだめた。
「いや、すまん。俺としたことが。こいつらを相手にしてると調子が狂う」
「どちらもマイペースな奴らじゃからのぉ。かく乱と呼ばれたカシート殿でも一筋縄では行きませんかな」
「……気づいたのか。神槍の」
神槍はエセルデのことだろう。いつも槍使ってるし。かく乱っていうと、工作員関係か? あとで聞いてみることにして、とりあえずは様子を見守ろう。誰かと違って、俺は空気が読めるからだ。
「伝説の人物が東の果てまで流れているとは思いませんでしたわい」
「お前さんこそ、戦士ギルドを辞した後まででかい依頼を抱えるとは、因果な商売だな」
「お互いに」
カシートとエセルデは腹黒そうな笑みを浮かべた。うん、間違いなく狐族と狸族の血が入ってるな。