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序章 Hello, Another World ! (2)

0.2. old days



祠堂虎次郎。その名前から予測できるように、祠堂家の次男である。ただし、現在の虎次郎には身寄りがない。両親は 10 年前に他界した。祠堂家の長男は虎次郎が物心つく前に亡くなっている。天涯孤独の身の上である。


今でこそ、『本気で』かめはめ波を出すために常温超伝導と生体電流の研究だとか、剣術で超究武神覇斬を再現しようとか、厨二どころか頭の病院に行ったほうが良い研究をリアルに行なっているが、これでもナノマシン工学の第一人者である。


虎次郎の母方の家系は、基本的に長生きしづらい遺伝子疾患を抱えていた。祠堂家の長男が若くして亡くなったのは、母方から受け継いだ歓迎すべからざる遺伝子が発現してしまったためである。


両親は交通事故ではあるものの、どうやら運転していた母親が、交通事故の直前に発症し、心不全を起こしたようなのだ。


他人を巻き込まなかったのが幸い。唯一巻き込まれた父に、天界で幸多からんことを。


まあ、母に関してはうざいほどべったりな父ならば、天国へのワンウェイ・ペア・チケットは、他人を足蹴にしてでも掴み取ったことだろう。天国逝き列車から、途中で放り出されなければいいが。


虎次郎が寝食を忘れるほど研究に没頭し始めたのは、そのときからだった。


遺伝子検査の結果では、母親と同じ遺伝子疾患が発病する可能性は、 35 歳まで 80% 、 40 歳までに 95% 。発症後に適切な治療を受けられれば、もう少し延命できる。


どうやら早死にする可能性が高そうだが、そうであったとしても天命と考えていた。彼の境遇では、そう考えるしかなかったのだ。


だが、死体安置所で両親を見たとき、胸の内からパトスが込み上げてきたのだ。


さほど苦しまずに逝ったのか、両親は平坦な表情をしていた。しかしその光景は、虎次郎の心を奇妙なほどに揺さぶった。


産声すら上げることもなく終わる命。餓死や病で終わる命。その一方では延命され、ろくに身動きが取れないほどに生き永らえてしまう命。


激しい生存競争がデフォルトの動物。無数の命が零れ落ち、一握りの幸運な命がこの世を謳歌する。


火山からマグマが吹き上がるイメージ。それは手のひらに引っかかった命の光を、無慈悲に焼き尽くしていく。


失われる命は、ただ運がなかったのだろう。祠堂家の遺伝子疾患も運が悪かっただけ。特定の遺伝子の 1 ヌクレオチドが、グアニンからチミンに置き換わった。それだけのこと。


生きるも死ぬも、只の運。そこに運命の干渉はない。


誰にでも平等? これが? 本当かよ。これほどまでに不平等な概念はない。


これが死か。これが生か。


目の前が真っ赤に燃え上がったかのような感情に翻弄された。両親の分まで生きねばならない。


「俺カッコイイ!」


天国にいるはずの両親が苦笑した気がした。


決意した虎次郎は自重しなかった。


手始めに、彼は両親の亡骸を庭に弔った。実は違法である。墓標は剣と十字架と銀のネックレス。蛇足だが、虎次郎の家系はクリスチャンではない。


入社したての大手企業バイオ社を辞し、保険金で地下室を改造、研究室を作った。


当時の虎次郎は 18 歳。貯金が 2 ~ 3 年分の研究費という状況の中、働きもせず研究に明け暮れようというのだ。天国へのカウントダウンが始まっているとはいえ、ほとんど背水の陣である。研究費という名の生活費が尽きたらどうなるか、考えてはいない訳ではなかったが、得意の「なるようになれ」で問題を先送りにした。


ともあれ環境は整った。病死するにせよ餓死するにせよ、後は命尽きるまで研究を続けるだけである。




虎次郎の考える遺伝子疾患の主な治療法は次の 4 種類だ。


1. 異常な遺伝子を正常な遺伝子で置き換える

2. 異常な遺伝子の不活性化し、異常なタンパク質の生成を止める

3. 対症療法で、異常タンパク質の生成を阻害する

4. 異常な遺伝子を切り取ってしまう


ここ最近は、レトロウィルス由来の人工ベクター注入による治療が流行だ。発病箇所に、正常な遺伝子の転写機能を持った人工ベクターを注射し、発症そのものを治療する。


つまりは 1 の治療法だ。成功すれば、後遺症もなく、通常の生活を送ることができる。


この治療法は、成功率はそれなりに高いが、問題点もあった。一つは根本的な治療ではないこと。子々孫々に渡って遺伝子疾患が発病する危険性がある。


そしてもう一つ。通常の遺伝子治療では、発症した箇所、もしくは発症するであろう箇所に対して治療を行なう。つまり、発症箇所が特定できないようなケースでは、治療できないのである。


祠堂家の遺伝子疾患は、遺伝子由来のガンのようなものだ。どこに発症するか分からない。どんな効果をもたらすかも分からない。そしてひとたび発症すれば、間をおかずに全身で発症する。運がよければ対症療法で生きながらえることもできるが、兄も母親も間に合わなかった。


DNA のジャンク情報であるイントロンを、必要もないのにデコードし始めるのが原因だと分かってはいても、今の技術では、それを止める術がない。


すべての細胞に対して遺伝子治療を行うには、人体はあまりにも広大な宇宙なのだ。


虎次郎は、ナノマシンによる治療を選んだ。人間の細胞 60 兆個の DNA の異常個所を、正常なヌクレオチドで置換するという壮大な計画だ。


これならば、子孫に遺伝子疾患が発病する恐れはない。仮に成功すれば、 1 の治療法よりもより優れた、ほとんど完璧な治療法と言える。一方で、海岸の砂粒一つ一つを摘み上げて選別するような、気の遠くなる治療法でもあった。


こうして虎次郎は、完全な遺伝子治療をめざして、ナノマシン工学の分野を歩み始めた。後に希代の設計屋と呼ばれるまでになろうとは、このときの虎次郎が知る由もなかった。




3 年後、日本人が持つマニアックさと、職人レベルの器用さ、そして、天才的な設計スキルを以って、第一世代のナノマシンは完成した。


第一世代は恒常性維持機能を目的としたナノマシンだった。仕様書通りの能力が発揮されれば、発病時に作り出される異常タンパク質を駆除し、健康体にしてくれるはずである。


第一世代と名づけたことからもわかるように、これが最終目的ではなかった。第一世代ナノマシンは異常遺伝子の治療を行わない。発病した場合に治療を行なうだけで、結局のところ対症療法でしかないからだ。


では、何故、不本意なものを設計したのかというと、第一に設備上の問題が挙げられる。極端に言ってしまうと、設備上の問題で実物が作れかったのである。


もう一つ問題があった。仮に作れたとしても、すべての DNA を置換するためには、時間がかかるため、治療中に遺伝子疾患を発症して死ぬ可能性があった。研究途中で死ぬのは本意ではない。どのみち、時間を稼ぐためにはそういう機能を持ったナノマシンが必要だったのだ。


第一世代を作成した虎次郎は、検証も満足に取れていないナノマシンを自らに注入した。本来、臨床試験は届出が必要なのだが、虎次郎は知ったこっちゃねえとばかりに自らの命をベットして効果を確かめた。


その効力は予想以上に発揮された。なんと、風邪などの病気にかからなくなったのである。デメリットとしては、非常に高カロリーを必要とする体質になってしまったことだ。後にして思えば、燃費の悪い設計だった。


しかし、このナノマシンの有用性は計り知れない。風邪の特効薬は未だに発見されないが、ナノマシンを注入すれば、免疫機能が強化され、ほぼ完璧な予防と治療がなされるのだから。


おまけに、インフルエンザやエイズのようなウィルスにも効くとあっては、注目されないわけがなかった。


発表後に問い合わせが殺到して ISP(インターネットサービスプロバイダ) のメールサーバがパンクしたのは序の口である。ネットワークや電話回線でさえも輻輳した。深夜の電話にはさすがに頭に来て、電話線を抜いてしまったくらいだ。


まるで悪徳サラ金の取立てを受ける債務者のようだった。しかも ISP からはメールが処理しきれないので、冗長性を持ったメールサーバの構築を勧められる始末。虎次郎はシステムエンジニアじゃないのである。


やってられなくなった虎次郎は、全ての連絡に背を向け、第一世代とは別のアプローチを持った第二世代を設計した。仕事に逃げ込んだとも言う。


第二世代は、免疫強化系のナノマシンでありながら、第一世代のように直接攻撃するタイプではなかった。人体の樹状細胞のように、体内の免疫系に対して抗原を提示して、それを攻撃させる司令塔タイプのナノマシンだった。


第一世代を洗練させた第二世代ナノマシンは、健康マニアから軍隊にまで、広く普及することになる。


これらの業績により、虎次郎には石油王並みの特許料が転がり込むはずであった。一回ではない。永続的にだ。老衰で死ぬ頃には、二位以下をぶっちぎって世界一の資産家になるのは間違いなかった。


しかし、研究のために即金を必要とした虎次郎は、特許を国に売り払った。


ダイナマイトの例にあるように、多すぎる金は不幸しかもたらさない。研究が盗まれたと言い出す科学者や、会ったこともない親類縁者が現れるのは必至だった。


というわけで、綺麗さっぱりすべての権利を売った。いくら足元を見られようとも、狂人の起こす裁判に付き合わされるよりはマシと考えたのだ。


転がり込んだ資金で土地と研究所が拡張され、最新の研究設備が配備された。


資金の一部で、専門家による設備のクリーニングを行なった。


虎次郎は研究が盗まれることはどうでもよかった。特許が誰のものになろうと、彼が必要としたのは自身の完璧な治療だけである。名声すら必要ない。


ただし、スパイに私生活を覗かれるのはカンベンだった。かめはめ波の練習をしているところを盗撮された日には自殺ものである。かめはめ波だけは、ない。


そして手元に残ったのは、またしても数年分にしかならない研究費。


資産と言う点では、長者番付の上位に位置してはいても、世界有数の金持ちから一瞬にして平社員並みの生活レベルに。資産運用などまったく考えていない、子供のような使い方だ。


別の見方をすれば、一心不乱に研究に打ち込んでいたということになる。




さらに高度なミクロの世界に踏み込んだ虎次郎は、いよいよ本命となる第三世代のナノマシンを設計。本格的な遺伝子治療に乗り出した。


1 年後の検査で、およそ半分の細胞の DNA の異常遺伝子が、正常な遺伝子に置き換わっていることが確認できた。これは発症の確率が半分になったことを意味する。


もっとも、遺伝子疾患が発症したところで、命の心配は不要だった。虎次郎の体内には第一世代、第二世代のナノマシンが常駐しているため、発病したとしてもすぐに治療されてしまうのだ。


また、統計的な検査であるため、 50% という数字は正確ではない。統計的というのは、 60 兆個の細胞の DNA を全て調べることは、未来永劫できないからである。とは言え、時間の経過と共に、順調に置き換わっているようではあった。


第一世代の公表から 2 年後、虎次郎は第三世代を洗練させて、第四世代となるナノマシンを公表した。


こうなると、世代と言うよりモデルと呼ぶのが相応しい。しかも、面倒だからという理由で、第三世代をすっとばして第四世代ナノマシンを公表したものだから、案の定、世間からネーミングセンスのなさにツッコミが入った。


虎次郎は、特許は売り払うんだから発売元で考えてくれと逆ギレして、また研究生活に戻ろうとした。


ここで世間のターン。


虎次郎が公開した第四世代の技術を軸に、ナノマシンの研究は行われていた。種々の遺伝子治療を行なうための研究が行われるのは、虎次郎も歓迎する風潮だ。しかし、直ぐに暗礁に乗り上げることになる。


第一世代から第四世代までの設計思想は理解できた。それらナノマシンを組み立てることもできた。ナノマシンが設計通りの行動パターンを取ることも確認できた。しかし、応用だけができない。


つまり、どうやってその設計図を引いたのかが、誰が考えても分からないのである。


DNA から特定の遺伝子を識別し、その中から異常なヌクレオチドを正しいものに置換する。


言ってしまえばこれだけだが、そのような行動パターンを取るナノマシンを設計するためには、超能力じみた才能が必要だったのだ。


現実的な方法では、しらみつぶしで設計し、検証していくしかないのである。研究内容が高度なだけに、原始的な手法と馬鹿にされて自信を喪失する科学者が後を絶たなかった。


しかも、実際に作られたナノマシンは、必ずしもシミュレーター通りの動作をするわけではなかった。終いには、自分が何をやっているのかさえも分からなくなる始末であった。


研究機関では、必要ないはずの第三世代に希望をかけ、無理を言って手に入れた仕様書が無駄になった。


分かったのは、祠堂虎次郎が高分子設計の鬼才ということだけだった。


さじを投げた研究機関では、後に Tiger Model.4 の基礎となる設計仕様を、虎次郎に発注する。いくつかのモデルがあれば、ナノマシンの行動パターンをある程度推測することができるからだ。


舞い込む注文に根を上げそうになりながら、虎次郎は第四世代の亜種を設計して行った。あまりの忙しさに 2 年ほど半ギレ状態になっていた。


自らのことを棚に上げ、「ネーミングセンスのかけらもねーな」と言いながらも 30 種類以上の亜種が納品され、後に遺伝子治療の基本形と呼ばれるタイガーモデルが完成した。


そしてついに虎次郎の忍耐が切れた。同じ研究畑の友人に「もう知らん」と言い捨てて、全ての受注を停止した。


そして虎次郎の研究は再開された。


マスコミからの取材攻撃はともかくとして、研究機関からのプロポーズは控えめになっていた。タイガーモデルがあれば、だいたいのケースにおいて応用できることが分かって、用済みになったという理由もある。


ポイ捨てされた虎次郎が、「何て奴らだ」と思ってしまうのも無理のないことかもしれない。




第五世代は、これまでの特化型から一転、汎用型として作られた。


後付でプログラミング可能なナノマシン。これまでのように、個々としての機能ではなく、群体によって単一機能を提供する第五世代。


ブレスレット型端末は、このときに作成された。


プログラミングを変更すれば何でもこなす万能型。なれど、プログラミングを変えるまでは他の仕事はしない職人気質。


第五世代以降は、資金面に余裕があったため、手続きの煩わしさを敬遠して、公表を後回しにしていた。


第六世代は、体内に常駐する「ナノマシンを調査するためのモデル」とした。


いまさらではあるが、「俺の身体大丈夫かな?」と心配になったために作ったモデルである。


ナノマシンはあまり排出されず、当初想定した以上に体内に留まっていた。虎次郎の体内に常駐するナノマシンは、全世代 100 種類にも及んでいた。


また、第六世代は、検索対象を変更することで、ナノマシンのみならず、肉体の異常をも観測することができる。


普段は第五世代と組ませて、怪我など不足の事態に対応させている。 5 倍速の動作などという無茶ができるのも、この治癒機能があるためだ。


最後の第七世代は、脳内に電気パルスを発生させて肉体を操作するためのモデルだ。半身不随などの治療用に開発されたはずだが、虎次郎の遊び道具と化して今に至っている。


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