第 2 章 魔法 (6)
2.6. 建国暦 4220.03.17 : 共同統治区 - 第 1 オアシス
「起きろシドー!!」
俺はクルーザーでフローズン・ダイキリを飲んでいたはずだった。そしたらまたしてもバルバドスの雷鳴が轟き、驚いて海に落ちたところで覚醒した。
まるで意味が分からない。
「うあぅ……何事ですか……」
俺は軽い見当識障害を起こしていた。
ブレスレット型端末を確認すると、 6 刻。その下には地球時間で 5:00 と表示されている。何だか頭痛ぇし……そういえば、昨日は遅くまで飲んでいたんだった。
「オアシスが襲われてるらしい! 早く用意しろ!」
「分かりました!」
事の重大さに眠気は吹っ飛び、一気に覚醒した。
革製の胸当てとブーツを身に纏い、マスク用の布を肩にかけ、短剣を装備して部屋を飛び出した。階段を降りると、 1 階の飲み屋兼食堂にエセルデとバルバドスがいた。柄にもなく深刻そうな顔だ。
どういうわけか今日は皆、揃いも揃って黒ずくめだ。かく言う俺も、白いベース服を砂虫に汚されてしまったため、黒いベース服を着込んでいる。
「どういう状況ですか? エリアルさんがいないようですが」
「分からん。エリアルが確認を取っておる」
「そうでしたか」
俺は手持ち無沙汰から勝手に水差しとコップを運んで来て、水を注いだ。
「どうです?」
「む、もらおう」
「悪いな」
冷たい水を飲むと、気分の悪さも治まった。軽い頭痛程度なら、動くのに支障はないだろう。
勢い良く扉が開き、エリアルさんが駆け込んで来た。
「昨日仕留め損ねた砂虫です! 部族の戦士達が足止めしていますが、長くは持ちません!」
「マジかよ!」
「時間をかけるほど被害は拡大するな。直ぐに出るぞ!」
エセルデの号令で宿を飛び出した途端に、砂混じりの強風の洗礼を受けた。砂が目に入り、慌てて肩にかけていた布を顔に巻く。
それはそうとバルバドスが強盗にしか見えない。
「何だよ?」
「素敵なマスクですね」
「シドーさんと同じですね」
エリアルさんが気を使ってくれたが、俺も強盗犯の片割れだということが露見してしまった。というか、エリアルさん以外は山賊ルックだ。こんな集団には夜中遭いたくない。
周囲はまだ薄暗い。日の出は 5:30 頃と聞いた。夜明けまで 30 分。
砂虫が風上にいた。奴が身じろぎする度に砂が舞い上がり、砂嵐となって吹き付けてくる。俺は迷惑そうに目を細めた。周囲の家屋は倒壊している。オアシスの戦士が防衛線を築き、それ以上の侵入を防いでいる。
「昨日に引き続き、また砂虫とやりあうわけじゃが、幸い地の利はこちらにある。砂の上は動きづらいじゃろうが、それは砂海から出た奴も同じ。むしろこっちが有利じゃ。ボートは使わず、作戦は昨日と同じで行く」
「分かった」「了解しました!」「了解です」
バルバドスとエリアルさんと俺の声が重なった。
俺たちは暴れ砂虫に向かって走った。その速度は、やはりエリアルさんが群を抜いている。 4 本足は伊達ではない。その次にバルバドス、やや遅れて俺、最後にエセルデの順となる。エセルデを中心とした V の字、鶴翼の陣形になっている。左翼が長いから、『し』の字と言う方が正確か。
左後ろを振り返って見ると、体重が重い熊族のエセルデは、足場の悪さに苦労しているようだ。走りながら、スリーピースの槍を連結させている。今気づいたが、どうやら柄の部分は空洞になっているようだ。だからあんなに軽かったのか。
エセルデを挟んで左にいるのが、虎族のバルバドスだ。足場の悪さも関係なく、軽快に走っている。
その更に左前方を、ケンタウルス族であるエリアルさんがギャロップで走る。水色の髪が風になびき、後ろに流れている。蒼いチュニックを着て、山賊チームで唯一華やかな蒼一点。
薄闇の向こうに浮かび上がる長大なシルエット。髭のように見えるのは、打ち込まれた矢か。オアシスの戦士達がハリネズミにしている。弓で攻撃しているのは、正しい選択だと思う。
「砂虫は普通、オアシスの近くまでは来ないのですが!」
エリアルさんが振り返って言う。
「怒りに我を忘れている」
「そうだ! 仕留めないとどこまでも追って来るな!」
バルバドスにネタを華麗にスルーされた。当然と言えば当然だが、微塵も反応されないネタほど悲しいものはない。
「皆さん、いったん引いてください!!」
一足先に到着したエリアルさんが、オアシスの戦士達を下がらせる。その隙間を埋めるように俺とバルバドスが突っ込む。
「私は上から行きます!」
「俺は横からやる!」
「魔力励起レベル 5」
ボイスコントロールにより、ブレスレット型端末が第七世代ナノマシンに指令を出し、魔力回路を活性化させる。
空中に透明な板を作る。ジャンプしながら透明な階段を登り、高度を上げていく。
「何だそりゃ!!!」「天族か!?」「おお、イースの使いよ!」
バルバドスを筆頭に、オアシスの戦士達が叫ぶ。俺には不明な単語もあったが、ツッコミどうも。
観客の期待を背に、最後の足場を思い切り跳ぶ。重力の支配を一瞬だけかいくぐり、羽ばたく鳥の気分を味わった。オリンピックなら大幅に記録を更新しただろう。インチキだから出場停止か、同じナノマシンを使ったアスリートに負ける可能性の方が高いだろうが。
宙を走っている間に短剣を引き抜く。もし勢いが足りなければ、砂虫の口に自ら飛び込むことになる。飛んで火に入る馬鹿 1 人というわけだ。幸い、魔力で肉体が強化されていたために、勢いは十分にあったし、落ちそうになってもまた足場を作るだけだ。
俺はリラックスし、着地と同時に傷だらけの背中に突き立てた。意識して刃筋を通す。砂虫の体表を滑りながら、長い傷をつけた。 3 m くらい滑って止まる。昨日、俺がつけた傷跡がある。間違いなく昨日の奴だ。
砂虫は、昨日のように体をうねらせて俺を振り払おうとはしなかった。出血しすぎて活きが悪くなっているようだ。既に瀕死じゃないのか? だが油断はしない。振り落とされたら、また魔力回路を起動して登ってこなければならないからだ。
砂上ではバルバドスが左に回り込んでいた。上半身を捻り、全体重を乗せた一撃が、砂虫の厚い皮と締まった肉を長々と切り裂いた。
これには砂虫もたまらず、尻尾を振って元凶を排除しようとする。 30 mの巨体から繰り出される肉の壁が、バルバドスに迫る。
それを見計らったように、エリアルさんが空洞矢を放った。砂虫は出鼻を挫かれた。顔だか口だか区別がつかない頭部に新しい矢が生え、反射的に頭を振った砂虫が、一瞬だけ動きを止める。
その間にバルバドスが素早く引いた。つるべ落としの動きで、バルバドスの替わりに前に出たエセルデが、長槍を小枝のように軽がると扱い、砂虫の胴体に突き刺した。直ぐに引き抜いて反撃に備えるところは、歴戦の貫禄を感じさせる。
見事な連携だった。俺は飛ばされないように砂虫にしがみつき、背中で細かいことをやってるだけだった。だが、そんな俺だから気づけた。オアシスの外れからやってくる 3 つのシルエット。
「北西方向に砂虫! 3 匹が接近中です!!」
「そんな!?」
エリアルさんが驚愕する。
「嘘だろ!?」「4 匹は無理だ!」
オアシスの戦士達に動揺が広がった。
エセルデの判断は素早かった。
「先に向こうの 3 匹を叩くぞ! 儂らはすれ違いざま、順に攻撃していく。それなりに手傷は負わせられるじゃろう。お主らは町に入ろうとする砂虫を足止めせよ!」
「町を守れ!!」
バルバドスが声を張り上げる。
「応!!」「分かった!」「くそっ、やったる!」
エセルデの合図を受けた俺は、ぐったりした砂虫の胴体を走り、砂上に向かって飛び降りた。この砂虫はもう動けないだろうから後回しだ。
短剣を逆手に握り、両手両足で着地して衝撃を分散させる。芯に響くのを堪えつつ、足を伸ばしてクラウチング・ポーズを取る。
「走ってばかりですね」
荒い息を収めるため、俺は一つ深呼吸をして走り出した。
砂虫は 3 匹。最初の奴ほど大きくはないが、それでも皆、楽に 20 m は超えている。
ざくざくと砂地を走りながら考える。
エセルデの作戦通りにやるなら、最大火力で攻撃した後、間をおかず次の砂虫に向かうべきなのだろう。しかし、刃渡り 60cm 程の短剣では、短時間で効果的な攻撃を加えることは到底できそうにない。ここに来て俺は、短剣を選択したことを後悔し始めていた。
携帯性を重視して短剣を選んだが、破壊力を重視しなければいけないケースもあるのだ。俺はそういった場合は、逃げればいいと思っていた。しかし、今回のように、引くに引けないケースもあるのだった。
携帯性を重視したのは、旅のためだ。長距離を移動する場合、荷物は軽ければ軽いほうがいい。そのために、軽く鋭い短剣を選択した。しかし今後のことを考えると、重くても長剣にすべきかもしれない。
攻撃力が高いのはハルバードだ。だが、俺にとっては重すぎる。やはり重さがネックになるか。重いものを抱えて逃げることは出来ない。それは、敵に遭った時の選択肢が減るということだ。
いや、待て。旅をするなら武器以外の荷物を持ち運ぶことになる。それは結構な重量になるはずで、逃げるときは文字通りのお荷物となるだろう。逃げるという状況は、実のところ少ないのかもしれない。荷を捨てるなら別だが、それなら武器を捨てたって同じだろう。重要なのは攻撃力の方かもしれない。
こういったことを頭の片隅で考えながら、俺は自ら魔力回路を起動させた。脳の特定部位から点火した電気パルスが、脳全体に広がっていく。精神的な余裕があれば、ナノマシンのサポートを受けずに起動することが可能だ。魔力を練りつつ、更に考えを進める。
先日壊してしまった光の魔具や、火の魔具があれば、役に立ったろう。しかし今、手元にはない。魔具を使わず、魔法だけで攻撃することはできないのだろうか。
勉強の息抜きに、エミュレータで Wizardry 1 をやりこんだ学生時代のことを思い出す。低レベルの BISHOP を連れたパーティで Greater Daemon を無限増殖させ、呪文を全部覚えさせるまでレベルアップしてから NINJA や SAMURAI に転職とかしてたっけ。 TILTOWAIT とは言わないから、炎の嵐を起こしたり、氷の矢で攻撃することくらいできても良さそうなものだ。
向こうの世界こんな話をすると、危ない人かゲーマーと思われてしまうが、この世界での魔法は紛れもない現実である。どういうわけか、俺も魔法使いの端くれなのだ。
テレキネシスで砂虫のような巨大な重量を動かせるとは思えず、また、動かせたとしても、魔力を使い切って気絶する可能性が高い。今の俺にできるのは、基本的には透明な板、つまりは逆ベクトルを作り出すことだけだ。これは多分、テレキネシスの応用であるはずだ。
テレキネシス、もしくは魔法という未知の力であっても、何らかの法則には従っているのだろうし、重いものを動かすほど魔力が消費されるというのは、極めて自然な考えに思える。
核融合や対消滅のように、魔法のエネルギー効率が極端に良かったりすると、 1 の魔力でもの凄い仕事ができるのかもしれない。ただし、今のところ魔法の効率がどれくらいなのかを知る術はないし、変なことを試して戦闘中に気を失うくらいなら、短剣で攻撃していた方がましだった。
テレキネシスを剣として使えないだろうか。先ほどもテレキネシスの応用で、俺程度の質量を反射する透明な板を作ったが、正確には板というより、面をイメージしている。これを細長くすれば、剣にならないだろうか。それを振れば……いや、どうもしっくりこない。感覚的なものだが、そういう使い方はできないか、もしくは難しいような気がする。
俺がやっているのは、空中で下ろした足に対して、反対側の向きに力を突き上げることだ。それをイメージしやすいように、透明な板と言ってるに過ぎない。基本的には物体に作用する力のイメージなのだ。
それなら、ある点に対して一定方向の力を作用させることはできるはずだ。これは砂虫全体を動かせるほどの力でなくてもいい。ある面積に加えた力が、砂虫の防御力を突破できる程度の大きさであればいいのだ。これは矢で攻撃したのと同じことになるだろう。
ということは、それを直線的に並べれば、剣で斬ったのと同じ効果が得られるはずだ。理論上は。問題は、それだけの力を籠められるかということ、広範囲に及ぶ力を制御できるかということだ。
とりあえず方針は決まった。やってみることにしよう。
3 匹の砂虫に近づくと、その巨大さが露になった。 1 匹が大きく、残りの 2 匹は一回り小さい。しかし、大きい奴でもあの砂虫ほどではない。もしかすると親子なのではないか、という疑問が湧く。
いや、親子だから何だと言うのか。可哀想だから傷つけるなと? しかし、抵抗は襲われたものの義務だ。それを果たさない生命に、果たして生きる資格はあるのだろうか。生きるために当然の行動をしないのは、優しさではなく生きることの放棄、それに尽きるのではないだろうか。このまま何もしなければ、オアシスの町は更なる被害を受けるだろう。
しかし、と内なる声が囁く。
この砂虫たちが、航路に現れた砂虫とは決まっていない。もしそうだとすると、何もしていない砂虫を、ただ危険かもしれないという理由だけで殺すことになるのだ。
この砂虫たちの向かう先には、傷ついた砂虫がいる。その先にはオアシスがある。ただ一緒に暴れるのか。そのまま進んで町を破壊するのか。それとも、一緒に帰りたいだけなのか。
分からない。俺には判断がつかない。
様々な思考のピースが飛び交い、結論が出ないまま行動だけは最適に、透明な階段を登って砂虫の頭上へ。
俺は砂虫の頭部に立ったものの、どうするかを決めあぐねていた。
この砂虫たちが、何をしたいのかが知りたかった。心から。しかし俺は、無常にも見えざる手を伸ばした。攻撃のための予備動作。見えざる手が砂虫に触れた瞬間、練られた魔力が砂虫に影響を及ぼす寸前、それが流れ込んできた。
帰ろう。
砂虫は、この環境が自分達にとって危険であることを理解していた。それでも進むのは、危険な地域に向かってしまった番を取り戻そうとしているためだった。
一緒に帰ろう。
言葉としてではなく、また、感情としてでもなく、そういった思いのような何かが、俺に流れ込んできた。その瞬間、俺は叫んでいた。
「攻撃中止!!!」
それは俺の意思ではなく、砂虫の思いに感化された自分とは異なる何かが、勝手に取った行動のようだった。
攻撃しようとしていたバルバドスは、はっとしたように振り上げたハルバードを止めた。虎族の顔に困惑が浮かんでいる。
危険を承知で攻撃を止めたことが、俺は無性に嬉しかった。
「攻撃中止じゃ!!!」
エセルデも同じだった。訳が分からなかったに違いない。それでも、俺の言葉を信じてくれた。
「攻撃を中止してください!!」
エリアルさんも、オアシスの戦士達に中止を伝えてくれた。
オアシスの戦士達も、それに従ってくれた。
これが、命を託せる関係なのだろうか。
マスクの内側で、涙が頬を濡らした。
地平線の向こうから朝日が昇る。真っ赤な朝焼けがオアシスを染め上げる。
死を象徴するかのような光景の中、砂虫はその巨体を砂の上に横たえていた。強風が吹いて砂塵が舞い上がり、一瞬だけ影が光を駆逐する。砂虫は最後の力を振り絞り、頭をもたげて同胞を見た。それは最後の挨拶だったのかもしれない。
俺はそれが礼儀であるかのように、マスクとして使っている布を取り払った。
「お疲れ様でした。ゆっくりお休みなさい」
風が砂塵を駆逐し、赤い世界が戻ってくると、砂虫は全ての力を使い切ったかのように静かに横たわり、それっきり動くことはなかった。
それを見届けた 3 匹の砂虫は、暴れることも、直進して町を壊すこともなく、 180 度反転して、来た方角に戻っていった。
俺はその後姿を、砂虫の姿が砂嵐に霞んで見えなくなるまで、見つめていた。