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第 2 章 魔法 (1)

2.1. 建国暦 4220.03.05 : 居住区 - ディー家



家を買うことになった。裸一貫でのし上がり、一国一城の主とは感慨深いものがある。と言いたいところだが、実際は努力の成果などではなく、宝くじにあたったも同然の幸運なのだが。


「日本の山中で熊に襲われる」程度の危険しかないはずの蟲に、次々邂逅する運の悪さに加え、本来数匹の集団で行動することの多い蟲がとてつもない大集団を作っていたのが原因だ。


これを幸運といっていいかどうかは微妙だが、短期間で大金を得ることができたのだから、結果的に運が良かったのだろう。この世界のハイリスクハイリターンっぷりが垣間見えた 1 日だった。俺としては、無茶をせずほどほどに生きたくても、向こうが頭をかじろうと寄って来るのでは、嫌でも戦わざるを得ないのである。


購入した家の外観は、この辺りでは一般的な 3 階建ての石造り。上の階に行くほど面積が狭くなる構造だ。もともと親子 3 人が暮らしていたらしいが、子供が一気に 3 人も増えて手狭になったため、引っ越していったらしい。それ何て三つ子。いいなぁ。


間取りは 1 階がダイニングキッチン、リビング、トイレ、風呂。 2 階に 8 畳程度の部屋が 2 つ。 3 階に 12 畳程度の部屋が 1 つ。リビングを 1 部屋と数えて 4DK だ。


前の住人が引っ越した後はなかなか買い手がつかず、しばらく寝かされていたのを俺が買い取ることになった。見学で俺には住みにくいと感じたので、入居前に改装してもらうことにした。


1 階のシャワー室と洗面所をつなげ、脚のつきの浴槽を入れた。ちなみに特注だ。これで風呂に入れる。


また、ダイニングキッチンとリビングをつなげて LDK にした。キッチンの水回りも使いやすいように変えてもらった。


2 階は 2 部屋をぶち抜いて 1 部屋にした。窓が 3 面にできた上に空間が広がったので、かなり風通しが良くなった。それなりに広いので倉庫扱いにしようと考えている。


3 階は廊下の壁を取っ払らい、階段の途中、 3 階の入り口に扉を設けることで、四方に窓のある風通しの良い部屋になった。ここが俺の居住空間になる。


もともと一般的な家よりも小さく作られていたために、狭い用途しかなかったのを、俺の好みに改装して暮らしやすくしたわけだ。


改装を引き受けた業者がいたく感心していた。インスピレーションが刺激されたようで、「これがシングルライフのスタンダードだ」とか言いつつ、狭くて買い手のつきにくい物件を同じような間取りに改装していっているらしい。購買層は、主に冒険者をターゲットにしているんだとか。


そういったアイディア料的な意味合いもあり、シヴィルさんの実家には、現金一括大金貨 100 枚を支払うことで取引が成立した。日本円で 500 万円くらいだろうか。改装費用を含めた値段にしては安く上がった。ローンを組まずに済ませられたのはいいが、おかげでまた文無しに逆戻りだ。


もしかすると、俺は金に縁がないのかも知れない。


改装が終わるまでは、ディー家にお世話になるから食には困らないが、気が引けるので早々に何とかしたい。いざとなったら使い道に困っている高級素材の羽を売るかな。




「魔力を扱えるようトレーニングしましょう」


せっかく魔具を購入したのに使えないとあっては、猫に小判、俺に魔具。いずれ高価なオブジェとして埃をかぶる羽目になるだろう。部屋がしょぼい博物館みたいにならないよう、気合を入れることにする。


通信機の魔具は使えない。しかし、起動はできている。ということは、無意識下で魔力が消費されているということだ。商品説明をしてくれたフロアマネージャによれば、俺に魔力がないわけではないらしい。


第七世代ナノマシンで脳をモニタしていると、どうも見たことがない電気パルスが出ている。これは、普段使わないような脳の使い方をしているということだ。試しに、ナノマシンでこの脳回路を活性化してみることにする。


端末を細かく調整し、何度目かの試行。一方の通信機を起動し、もう一方の通信機へメッセージを送る。


「通信機 A から通信機 B へ。ただいまテスト中です」


送信用に使っていた通信機のモニタに送信完了の文字が出た。もう一方の通信機であるオレンジ色の薄型通信機を操作すると、受信確認が取れた。


おお、できた。


「体調は問題なし……いや、疲れてますね。脳に負担がかかったせいでしょうか」


俺はベッドの上で胡坐をかき、しばらくぼーっと考えた。


魔力・魔石・魔具によって引き起こされる現象が魔法だ。魔具を動かすには魔力がいる。魔石は魔力を貯蔵するバッテリーの役割があり、魔具は魔力をエネルギー源として動作する。


ここで最大の疑問が発生する。


魔力とは何なのか。


魔具に魔力を籠めるとき、体内では何が起こっているのだろう。体の中の ATP(アデノシン三リン酸)のようなエネルギーが消費されているのか。それとも精神的なエネルギーのようなものが魔具に移動しているのか。


今分かっている事実は、魔力を使うと疲れるということだ。慣れないことをしたときに精神的な疲労を感じるが、あれをもっと極端にした感じだ。


第七世代ナノマシンを日常的に利用している俺としては、新しい脳回路の強化・形成には慣れている。脳回路の形成は疲労を伴うものだが、そういうものとは違う気がした。


仮に脳回路の形成によって疲れを感じたのであれば、しばらくトレーニングをすれば回路が形成されるから、この問題は解消されるはずだ。


そうでない場合。疲れるのは、体内の何らかのエネルギーが消費されているためだ。それが魔力の正体ということになる。


だとすると、魔力とはいったい何なのだろう。何のためのエネルギーなのだ。


魔具で利用されるエネルギーだというのは分かる。しかし、魔具以外に使い道がないのだとすると、これほど無意味な生体機能はない。


無意味は言い過ぎかもしれないが、生物的な見地からすると、体内で利用できないエネルギーを発生させる機能が、肉体に備わっていると考えるのは合理的ではない。(くだん)のエネルギーは、俺自身に何らかの作用をもたらすのではないか。むしろ、そう考えないと進化論的な説明がつかない。


進化論ではすべての進化の説明がつくわけではないが、だからと言って超理論をでっち上げていいわけでもなく、ともあれデータを取らないと始まらないので、脳回路を強化しつつ、体内をモニタすることにした。この回路を便宜上、魔力回路と呼ぶことにする。


ブレスレット型端末を両方使って観測する。左の端末は、第七世代ナノマシンに脳の電気パルスをモニタさせた。右の端末は、第六世代ナノマシンで肉体をモニタさせた。


俺は明鏡止水となるように心を研ぎ澄ませた。まあ、そんなことは簡単にできないので、少しの違和感も見逃さないような精神状態を心がけた。


耳鳴りがするほどの静寂の中、暗闇から囁く声に耳を傾ける。囁くのは第六感。経験から未来を推測、危険なときに警告してくれる無意識下の声だ。要はただの勘なのだが、俺はこの違和感を結構大事にしている。


ナノマシンを作っていた頃、設計段階の図面(モデリング)がシミュレーションで高スコアを叩き出した。そのこと自体は喜ばしいことだったが、何故か俺はその図面を使う気になれなず、結局別の図面を引き直してしまった。


別のケースでは、ようやく完成したナノマシンに嫌な雰囲気を感じ、破棄してしまったこともある。普通ではあり得ない行為だ。


この 2 つに関しては実証データが得られないために真相不明だが、 100 種類近くのナノマシンを体内に棲まわせて無事でいられるのは、この勘が少しは関係しているのではないだろうか。


たまには験を担ぐのもいい。


そんなことを考えながら、俺はナノマシンを操り、徐々に魔力回路を活性化させた。魔力と呼ばれる得体の知れないエネルギーが励起されているはずだ。ちなみに、回路と言っても円のように閉じた回路ではなく、雷が横に広がりつつ落ちていくようなツリー構造のイメージだ。


何も起こらない。何も感じない。俺の勘は休業しているのか、囁きも聞き取れない。人生そう都合良くは行かない。


俺は、やってみれば分かるだろうと、至極当然の結論に達した。


魔力回路を活性化していくと、不思議な想いが湧き上がってきた。


何だろうか。そうだ。かつて第一世代のナノマシンを自身で人体実験をしたときに感じたものと同じだ。


前人未到、未知なる道を進んでいるときの興奮。発病から開放されるだろうかという不安と期待。その代償として高カロリーを必要とするようになった身体。そして期待以上に発揮された第一世代ナノマシンの性能。


これは予兆か?


武者震いをひとつ、俺は第七世代ナノマシンに指示して、さらに魔力回路を活性化させた。魔力回路が活性化するとともに、脳全体が活性化していく。感覚が研ぎ澄まされていくようだ。


次の瞬間、光の魔具がかすかに光を放った。水集め用魔具から水が湧き上がった。火熾し用魔具が赤く発熱した。俺の魔力に反応している。


俺は歓喜に震える心を押し殺し、科学者の目で冷静に観察を行なった。


光の魔具は、懐中電灯のレンズ部分が半透明の金属結晶になったような形状をしている。それは今、円盤状の金属部分から仄かな光を発していた。


ジェットエンジンに似た水集め用の魔具は、鍋に水を落としている。店員の説明では、大気中の水蒸気を集めているだけなので、部屋中の水蒸気を集め終わり、湿度が 0% になったときに機能しなくなるはずだ。


火熾し用の魔具は、ゴトクの中心にあるセラミック状の石が発熱して赤くなっている。こちらも正しく機能しているようだ。


効果としては微々たるものだが、このセットがあれば、極限状態に陥っても生存の助けになるだろう。


俺は調子に乗って魔力回路をさらに活性化させた。


「ウワッ!」


世界が一変した。


最初の違和感は視界に現れた。最低限の機能しかもたない監視用モニタから、映画鑑賞用のハイコントラストのテレビ並みにバージョンアップした。鮮やかな色彩で細部まで識別することができた。部屋の隅に置いたリュックサックの生地のパターンまではっきり見える。


耳も良くなっていた。家の外で会話する住人たちの声がかすかに聞こえてくる。石造りの家で、窓を閉じているにも関わらずだ。


触感も研ぎ澄まされていた。部屋の中にいるというのに、皮膚を撫でるわずかな風の流れを知覚した。さっきまでは感じなかった、もしくは、感じても気にならなかった空気の動き。センダー都市に吹く乾いた風の味。ひんやりとした石作りの部屋の匂い。五感の全てが鋭敏になっていた。


膨大な情報が流入し、脳に負担をかけている。頭痛を感じた俺は、目を閉じ、耳をふさぎ、口で呼吸した。情報が遮断され、頭痛が和らいだ。


しかしまだ終わりではないと声がした。それはいつもの注意しなければ分からないような声ではなかった。そいつは俺の精神状態を反映しているのか、地鳴りのような声を上げて歓喜し、かつ狂乱していた。今や俺はほとんど確信していた。この先に、何かがあると。


俺はゆっくりと呼吸しながら、ただ無心に、魔力回路を活性化していく。


瞼の奥、頭の中心から星が散った。星の光は脳全体に広がり、延髄、背骨を通じて尾てい骨に流れた。何かが俺に流れ込んでくる。


「これが魔力……」


俺は今、星の柱だった。無論、比喩的な表現だが、感覚的にはそうとしか言いようがない。


「力が……漲る……」


左手首のブレスレット型端末に映る擬似 3D 表示された脳は、電気パルスが乱舞していた。あり得ないほど活動する脳。一方、肉体をモニタしている右手首の端末には、目立った変化が見られなかった。


露出を変えた複数の写真を合成して、色彩豊かな画像を作り出すハイダイナミックレンジ技法に、青白い恒星のエフェクトを乗せたような光景が広がっていた。


俺は魔力を知覚すると同時に、別次元の視界を手に入れた。星の光は力を与えてくれるが、俺はこの状態が長く続かないことも感じ取っていた。


俺は力を振り絞った。最後の実験を敢行する。カッと目を開き、魔力回路を極限まで活性化させた。どこからともなく湧き上がる膨大な力の奔流。


スパーク、スパーク、スパーク。


目がくらみそうになった。


銀河の一点で超新星(スーパーノヴァ)爆発が起こり、爆発的な光が全方位に放出された。周囲の星々は光に飲み込まれ、超新星化していく。星々は連鎖し、銀河に光の柱が生まれた。星の柱は中心部から末端へと広がっていく。脳から背骨へ、背骨から両手両足へ。


手足を動かして異常を確認する。軽い。まるで体が羽毛になったかのように重さを感じない。パワーがありあまっているというのだろうか。自分の心臓を、一回りも二回りも大きなサイクロプスの心臓に置き換えたかのようだ。


俺は神のような全能感に支配された。


「錯覚? いや」


魔力は恐ろしいほどに溢れている。光の魔具は殺人的な光量を放ち、水集め用魔具から湧き出した水は鍋から溢れて床を濡らし、火熾し用魔具からは青白い炎が吹き上がった。


俺は失明の危険を感じ、無意識に光の魔具に手を伸ばした。そして間違って向こう側へ押しやってしまった。


「ハッ!?」


そうなのだ。光の魔具が動いたのだ。触ってもいないのに!


押した感触はあった。しかし、ベッドに座った俺からは、床に置いた魔具までは届くはずがない。そして、光の魔具はより遠くまで移動していた。


俺は自分の手をまじまじと見つめた。手がどこまでも伸ばせるようなイメージ。


これは妄想か?


俺は現実を確かめようと、物理的に届くはずのない光の魔具のスイッチに、見えざる手を伸ばした。


「妄想では……ないようですね……」


俺の手は光の魔具に向けられているが、届いてはいない。それなのに触っている感覚があった。五感でも第六感でもない、七番目の感覚とも言うべき何か。


俺は光の魔具のスイッチを切った。光の魔具から光が消えた。俺はその感覚を忘れないうちに、見えざる手で水集め用魔具、火熾し用魔具のスイッチを切っていく。夢ではない証拠に、全ての魔具が沈黙した。


これはどういうことだ? 妙な脳の使い方をしたせいで脳内物質が過剰になり、幻覚を見ているのか?


沈黙した魔具が、実は元から動いていなかったのではないかという疑惑が湧き上がる。目の前の熱せられた部屋、水の滴る床。これらは幻覚から醒めると何事もなかったかのように元通りなのではないか。


俺は見えざる手で光の魔具を持ち上げた。透明人間が持ちあげているような不自然さでありながら、俺はその光景を当然と捉えている。何故なら、俺が自分の意思で持ち上げているからだ。道端に落ちていた 500 円玉を拾い上げることに、不自然さを感じる人間がいるだろうか。


これらの現象を起こす原因に心当たりがあった。それこそは想像上の産物。ファンタジーや SF で扱われる能力。何てこった。


「サイコキネシス」


猛烈な脱力感に襲われた俺は、ベッドに横たわった。俺が感じていた星の光は、薄れ、線香花火のような儚さで消えた。光の魔具が膝の上に落ちたのを感じた俺は、そのまま意識を手放した。




「──さま……」


奈落の底から浮上した俺は、ぼんやりと目を開いた。


「シドー小父様!」


「……リティ……どうしましたか?」


「布団もかけないで寝てると風邪引くよ!」


「寝ている? ……そうか、魔力の実験をしていて、疲れて寝てしまったようです」


「魔具を使っていたの?」


「ええ、その辺に転がっていませんか?」


「水が零れてる! お母さんに怒られるよ。えーと、これは光と水と火の魔具で、こっちは通信機。何で 2 個もあるの?」


「私は魔力を籠めるのが苦手なので、 2 つ買って訓練していたんです」


「いいなぁ」


「差し上げましょうか? オレンジの薄型タイプで良ければ」


「え!? いいの!?」


「はい。先ほど実験は終わりました。 2 つも必要ありませんので」


「でも、こんなに高価なものをもらうわけにはいかないわ!」


キッパリと断っているが、シルバーグレイの耳が垂れ下がっていた。遠慮しているのが丸分かりで、俺は微笑ましい気分になった。


「私では売るにしても百戦錬磨の商人に買い叩かれるでしょうし、埃をかぶって置物になっているより、リティに使ってもらえる方が、通信機も喜ぶんじゃないでしょうか」


「で、でもお母さんに怒られるかも……」


「シヴィルさんやディーにはお世話になりっぱなしです。いずれお礼をしたいと考えてました。それがリティになってもいいんじゃないでしょうか」


「うー……」


「あ、そうか。シヴィルさんに差し上げるのもいいですね」


ディーは業務用の通信機を持っているので、連絡が取れるようになれば嬉しいだろう。ディーは首輪をつけられたように感じるかもしれないが、俺はシヴィルさんが喜んでくれればそれでいいのだ。


「それはダメ!」


即答された俺は、苦笑した。シヴィルさんを口説くとでも思っているのだろうか。しないっちゅーの。


「やっぱりもらうわ」


「ええ、どうぞ」


俺は薄型の通信機を手に話しかけた。


「問題はリティが使えるかどうかですね」


「難しいの?」


「私にとっては。リティにとってはどうでしょう。やってみましょうか」


俺は魔力回路を活性化させ、オレンジ色の通信機を起動した。通信機はタイムロスもなく起動した。格段にレスポンスが良くなっていることから、使用者の魔力量が魔具の性能に影響するようだ。


「この状態で相手の通信コードを選択します」


「こう、かな?」


「それが私の通信コードです。このボタンを押してメッセージを吹き込んでください」


自分の魔力回路が活性化しているからなのか、リティの魔力が励起するのが感じられる。

「リティです。こんばんはシドー小父様!」


もう一方の通信機に反応があった。待ち受け画面を操作すると、ちゃんとリティのメッセージが入っていた。パネルを操作して再生する。


『リティです。こんばんはシドー小父様!』


俺からも返信しておく。


「シドーです。一発で成功するなんて凄いですね」


リティが操作すると、俺の声も再生された。


「というわけで、この通信機はリティに差し上げます。失くさないでくださいね」


「ありがとう! 絶対なくさないよ!」


リティはまるで頭突きするように抱きついてきた。


「グフッ! ナイスタックル……喜んでもらえたなら何よりです。一応、ディーとシヴィルさんにも伝えておいてくださいね」


ぐりぐりこすり付けるリティの頭を撫でながら、念のために忠告しておく。子供に携帯電話を持たせない主義の親もいるからな。この世界ではどうか知らんが。


「うん!」


「ところでリティは何の用だったんですか?」


「あ、ご飯だって言うの忘れてた」


「ちょうどお腹が空いたところでしたから、行きましょうか」


俺は纏わりついてくるリティの背を腹で押すようにしながら、部屋を後にした。




ダイニングキッチンにはディーとシヴィルさんがいた。


「シヴィルさん、夕食の用意ありがとうございます」


「どういたしまして」


「はいはい、シドー小父様はこっちよ」


シヴィルさんの月光のような微笑みを見ながらテーブルに着こうとしたが、リティに押されてディーの向かい側に座らされた。リティは俺の隣に座った。


「こんな時間にいるとは珍しいですね、ディー」


「今日は暇だったからな。たまにはこんな日もあるさ」


警備隊に勤務するディーが暇だと言うことは、センダー都市の犯罪発生率が警備隊の稼働率を超えなかったということだ。


「それはいいことですね」


「まったくだ。それより家を買ったらしいな?」


「ええ。と言ってもまだ改装中なので、下旬くらいに移ることになりそうです」


「え! シドー小父様引っ越しちゃうの!?」


シルバーのふさふさ尻尾をぴーんと立てて、リティが驚いている。尻尾を握りたくなる誘惑をこらえて笑みを浮かべる。


「いつまでもお世話になっているのは心苦しいですしね。ちなみに、引越先はこの家の近所ですよ」


「困ったときは遠慮せず、いつでもいらしてくださいね」


「ありがとうございます」


「シドーさんはうちの人と同じで買い物がとっても下手なんですから」


「グハッ……」


ほんわかしてるくせに、感性は主婦なのか、なかなかキツイことを言う。


「この間いただいたお菓子は大変美味しかったのですけど、小金貨 1 枚なんてあり得ませんから」


「そうよ。私なら小銀貨 7 枚までは引かせるわ」


ディーに助けを求めると、明後日の方角を向いている。だめだ、この援軍は役に立たない。


「ま、まあ、この街では初めての買い物でしたから、ちょっと戸惑ってしまって。次からは頑張って値切ります」


「お父さんと同じで、小父様にも気迫が感じられないなぁ。だいたい値切ると言ってるところに罪悪感みたいなものがあるよね。値切るんじゃなくて、如何にぼったくられないようにするか、なのよ」


額から一筋の汗が流れる。なかなか言うじゃないか、リティ。


「だいたいあの手のお菓子は、結婚式とか特別なお祝い事のときに食べるものです。普段食べるようなものじゃありませんよ」


「フルーツがたくさん乗っていて美味しかったじゃないか。お前たちが一番食べてたぞ」


ディーが助け舟を出してくれた。いいぞディー。もっと言え。役立たずなんて思って悪かったよ。


「む、まあそれはそうなんだけど……」


「そうね。シドーさんの生活力はうちの人とどっこいで、買い物なんてさせられないわね」


喜び勇んで食べていたリティは封じたが、シヴィルさんには通じないようだ。


「シドーさん。夕食を食べるときは我が家においでください」


「やった!」


喜ぶところを間違えてるからね、リティ?


「そこまで甘えるわけにも……それに、私の都合で夕食に間に合わないときだってあるでしょうし、そうなると申し訳が立ちません」


「あまったら翌日の朝ごはんにしますから、大丈夫ですよ」


「そうだ、シドー小父様から通信機もらっちゃったの。これを使えば、夕食の連絡は大丈夫よね」


「シドーさん? そんなに高価なものを簡単にあげるなんて……」


シヴィルさんがにこやかな表情で、妙な迫力を出し始めた。


こんなときに魔具のことを持ち出すなんて、なんて恐ろしい子。でももう俺は瀕死なの。やめてあげて。


「いやいやいやいや、それには理由がありまして! 訓練のために 2 つ買ったんですよ。でも訓練が終わったから必要なくなってしまったわけでありまして」


言葉遣いが危ういのは、話してる途中である可能性を思いついたからだ。


もしかして、別の魔具でも訓練できたか? 自発的に魔力を籠める必要があるアクティブ方式であれば、光の魔具であれ、水集め用の魔具であれ、何だって良かったじゃないか。訓練のためにわざわざ高い通信機を買ったのが、ただの無駄遣いだったとわ……


「それはともかく、心苦しいような気がしなくもないわけで……」


にこやかに微笑むシヴィルさんを見ていると、何故か汗が吹き出して来た。冬なのに。あれ?


ディーの目は「諦めろ」と語っていた。リティは期待するような目で見つめている。俺は敵中で孤立し、援護も期待できない。もはや降伏あるのみだった。


「えーと、お世話になります?」


俺はあっさり意見を翻した。自分の意見などその程度のものだ。


「はい。実費はいただきますので、遠慮しなくていいんですよ」


シヴィルさんに止めを刺された。


ははは、満足に買い物すらできないダメ人間判定を受けてしまったぜ……


何てこった。


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