第 1 章 適応するもの (7)
1.7.1. 建国暦 4220.03.02 : ギルドタワー - 遥けきシェンドゥ店
冒険者にとっての道具とは、生活用品のことではない。サバイバル用品なのだ。日常的に使われる大量生産品のような品であっても、極限状況で確実に使用できないとなれば、危うくなるのは自らの命である。時に、道具の良し悪しが冒険の明暗を分ける。
なるべく安いに越したことはないが、そのような背景があるため、冒険用品は安いだけでは不十分なのだ。
『遥けきシェンドゥ』は、ギルドタワー 2F にある冒険者御用達の店だ。高品質な道具を求める冒険者の要望に応え、『遥けきシェンドゥ』店では全ての商品が品質チェックされている。不適格な商品は店内に並ぶ前に撥ねられ、不良品が置かれることはない。
そのため料金が割高になるのは致し方なく、中心区にある巨大マーケットの 1 ~ 2 割増の値段になっている。
多くの冒険者は『遥けきシェンドゥ』店を評価する。そうでないものはマーケットに行く。
俺は前者だ。銀貨 1 枚を惜しんで不良品を掴まされ、命を落としてしまったのでは、何のために膨大な労力をかけて遺伝子治療をしたのか分からないではないか。
そのように命を落とした倹約冒険者の逸話は、半悲半笑で語り継がれることになる。
まだ夢も希望も持っているし、冒険に使う道具は、値段よりも品質を重視したいと思うのだ。
先ほど冒険者ランクが 5 になったため、冒険者ギルドの提携ショップで 20% 引きで買い物できるようになった。ここの商品が、定価の 15% 増しだとすると、 115% × 0.8 = 92% となる。
品質が保証された商品を、ほぼ定価で買える計算だ。ただし、マーケットあたりでは値切るのを前提として値札が付けられているため、買い物上手な人なら定価の 70% 程度で購入することができるだろう。俺は値切りを面倒と考える性格なので、冒険用品は今後も『遥けきシェンドゥ』で買うつもりだ。
今回は 70% 引き――恐るべきことに定価の 30% で購入できるエセルデに、代理で買ってもらうことになったため、これを機に一通りそろえるつもりでいる。
本来、代理購入は禁止されているが、チームのメンバーになら黙認されているらしい。自分で使うと言い張られたら、証明のしようもないからな。やりすぎるとランクダウンもしくは取り消しになるからほどほどに。
物珍しさにあちこち見回す俺とは違い、エセルデは目的のコーナーまで迷うことなく進み、通信機を手に取った。
「これなどどうじゃ? 頑丈さは折り紙つきじゃぞ」
「小さいのがいいならこういうタイプだ」
エセルデのは 10cm × 4cm × 2cm くらいの二つ折りタイプで、バルバドスのは 12cm × 6cm × 1cm くらいの薄型タイプだった。二つ折りタイプは金属性で、薄型タイプはギルドカードと同じ竹のような材質だ。この世界の科学技術は侮れないものがあるから、案外プラスチック製なのかもしれない。
「普段身に着けておくなら軽いほうがいいですね。でも、防水なら、重くてもそっちがいいです。実際使っているところを見たいのですが」
「儂の通信機でやってみよう」
エセルデは展示品を戻し、ポケットから出した通信機を出した。
通信機は二つ折りタイプで、上部は鏡状のモニタ、下部に操作パネルが並んでいる。操作パネル表面の薄いラインをなぞって起動すると、鏡に文字が浮かび上がった。これで登録したり、登録者にかけたりするのだろう。
まんま携帯電話だな。ごつい爪で突いたり、引っかいたりしても傷つかないのだから、確かに頑丈だ。爪でも操作できるということは、モーションセンサーか?
「エセルデからバルバドスへ。テストじゃ」
バルバドスにかけたようだ。
「来た」
バルバドスが通信機を操作すると、エセルデの声が流れた。
『エセルデからバルバドスへ。テストじゃ』
なるほど、リアルタイム通信ではなく、伝言サービスのようなものか。というか、音声をメモリに保存するシステムが近い――あれだ、留守番電話。
「とまあこんな風に使うんじゃ」
「なかなか便利そうですね。エネルギーは何ですか?」
「使用者の魔力じゃの」
エセルデが衝撃的な事実を教えてくれた。
「魔力」
「うむ」
そんなのねーよ。
「えーと、私にも使えるものですか? 魔力で使うということが良く分からないのですが」
「ギルドカードが機能しておるから問題ないはずじゃが。それは魔力で動いておるでな。基本的に、どんな人間にも魔力はある。魔具によっては強い魔力がないと動かなかったりするが、通信機くらいなら子供でも動かせるじゃろう。さっき儂がやったように試してみよ」
俺はエセルデの通信機を借り、パネルを操作した。モニタにバルバドスの文字が浮かび上がった。起動は OK のようだ。これより通信を開始する。
「こちらシドー。通信テストです」
「送信する時は魔力を込めないと動かねーぞ」
「どうやって魔力を込めるのですか?」
「気合を入れてみろよ」
「……とりあえずやってみましょう。ぬうぅ……通信テストです!」
「そよとも動かんの」
「くおぉ……テストです!!」
「気合が足りねーんじゃねぇか?」
「テストテストテストテストオォ!!!」
額に青筋が出るくらい気合を入れてみた。うんともすんとも言わなかった。
「お客様、申し訳ありませんが店内ではお静かに願います」
バルバドスとエセルデが顔を見合わせた。
まだ冬だというのに、額から一筋の汗が滑り落ちた。
「魔力を扱えない奴も、いるにはいるがなあ」
「通信機は、待ち受け時には能動的に魔力を摂取しますが、通信時には魔力を込める必要があります。起動までしているなら魔力はあるはずです」
猫族か虎族の特徴を持つ店員さんがフォローしてくれた。いい人だ。心の中でフロアマネージャと呼ぼう。ちなみに男性だ。
俺はフロアマネージャに詰め寄った。
「ということは訓練次第でいずれ私でも通信機を使えると言うことですね!?」
「は、はい、魔力を扱えるようになれば、使えるようになるはずです」
フロアマネージャは仰け反って答えた。
「では、じっくり訓練することにします。このシルバーグレーの通信機は防水ですか?」
「はい。水の中でも通信できます」
「水中では話せんじゃろ……」
携帯電話を水に落としてダメにしたことがあるので、防水であるかどうかは俺にとっての重要なファクターだ。
「ありがとうございます」
フロアマネージャは一礼して去った。このさりげなさがいい。
あと 1 つ、薄型で軽いのを練習用に買っていこう。通信機 1 つあたり小金貨 25 枚にもなるが、こっちには VIP 待遇のエセルデ様がついている。
「この 2 つを買おうと思います。後は短剣、軽めの防具、ブーツ、解体用ナイフ、衣類一式といったところですが、遠征用に旅道具一式もあればいいですね」
「衣類はマーケットで買うのがいいだろう。ここは普段着に関しては種類が少ないしな。防具なら、昨日使った脛当てと籠手をやるよ」
「よろしいんですか?」
「俺はもう使わないし、この魔具があるからな」
そう言ってバルバドスは、袖をまくって手首に付けているリングを見せた。似たようなのが足首にもついている。プロテクターにしては妙な形で、何だろうと思っていたら、魔具だったのか。日常的につけても目立たないから便利そうだ。
俺はもふもふの手を取って、まじまじとリングを観察した。バルバドスは引きつっているが、それどころではない。
「魔法の防具ですか」
そういえば、蟲と戦った初日に、妙な武器を使っていた人族がいたっけ。
「このリングにはどういう効果があるんですか?」
「魔力を込めると半尺程の範囲の肉体をガードする。強度はそうだな、岩を思い切り殴っても怪我をしないくらいはある。武器を失ったときの、文字通り奥の手ってやつだ」
「それは凄い。どういう仕組みなんでしょうか」
「さあな。ちゃんと使えるなら知らなくても問題ねぇよ」
「さあ次に行こうかの」
バルバドスの魔具が気になったものの、買いたい物はまだある。武器コーナーでは、カウンターにいた店員に、剣と解体用ナイフを見せてもらった。やはり長剣よりも短剣がいい。軽いからな。
防具コーナーではマントを薦められた。重いから長剣は持たないというようなことを言ったら、「それならマントも軽い方がいいよ。重いと肩が凝るから」と言われ、小金貨 10 枚のマントを購入する運びとなった。魔具並みの値段がついているが、滅多に出回らない希少な素材らしい。引裂き強度が高く、刃を通さないのが特徴だ。もっとも衝撃は通すので防具は必要だ。砂色の生地に縁取りしてあるだけの簡単な刺繍で、地味なところが気に入った。
それ以外には、肩と胸を金属補強した革のベスト、拳を金属補強した革グローブ、つま先を金属補強した編み上げのブーツを購入した。グローブは少しきつめのサイズを選び、靴は、厚手の靴下を履いたときのことを考えてゆとりを持たせた。
冒険用品としては、大型のリュックサック、テント、軽金属製の調理器具、水筒、ポンチョタイプの雨具を購入した。
テントは 2 ポール式のドームテントだ。前後にある入り口にはメッシュ状の布地になっていて、風は通すが虫は通さないところなど、芸が細かい。
雨具とテントには、レベル 2 の『這いよるもの』の皮膚が使われている。蟲の素材を有効利用するとは、さすが人間、転んでも唯は起きない。生地は防水でありながら透湿性を備えているので、よほど激しい運動をしなければ蒸れることがない。
色は、テントが明るいグリーンで、雨具は暗い緑だ。
ちなみに、マントが寝袋を兼ねている。テントはフルクローズで外界から遮断され、風を通さない。そのため、テントの中でマントに包まれば温かく、革のベストを敷けば地面からの冷え込みを抑えられる。ただし夏場の日差しの下では灼熱地獄とか。木陰に設営するか、前後の入り口を両方開放すれば、幾らかましになるとのこと。
変わったところでは、火熾し用の魔具、水集め用の魔具、光の魔具も購入したが、通信機と同じで今の俺には扱えない。ちくしょう。
なんだかんだで結構買ってしまったな。
通信機 2 個 : 小金貨 50 枚
火熾し用魔具 : 小金貨 10 枚
水集め用魔具 : 小金貨 15 枚
光の魔具 : 小金貨 12 枚
短剣 : 小金貨 8 枚
解体用ナイフ : 小金貨 1 枚
マント : 小金貨 10 枚
革ベスト : 小金貨 4 枚
グローブ : 小金貨 2 枚
ブーツ : 小金貨 3 枚
リュックサック : 小金貨 3 枚
テント : 小金貨 6 枚
雨具 : 小金貨 2 枚
調理器具 : 小銀貨 8 枚
水筒 : 小銀貨 3 枚
これを小金貨に換算すると 127.1 枚で、日本円にすると約 127 万円だ。しかしエセルデの 70% OFF が効いて、小金貨 38 枚と小銀貨 1 枚と軽銀貨 3 枚にまで下がった。 38 万円というところだが、それでも買い過ぎだ。
購入した商品をリュックサックに詰めて背負った。重量は 20kg にもなるだろうか。そのままでは肩に全重量がかかってしまうが、腰のベルトを締めると幾分楽に感じられた。後は中心区の巨大マーケットで衣類を買って帰ろう。
「通信機が使えるようになったら連絡するんじゃぞ」
「防具は次に会うときに持ってきてやるよ」
「色々と助かりました、エセルデ。バルバドスも付き合ってくれてありがとうございます」
お互いの通信コードを登録した俺達は再会を約束し、別れを告げた。
俺はその足で巨大マーケットに向かった。
1.7.2. 建国暦 4220.03.02 : 中心区 - 巨大マーケット
センダーの建物が上へ上へと伸びていく中で、 1 階建ての巨大マーケットは横へ横へと拡張されていった建物だ。
巨大すぎて 1 日では回りきれないと言われる建物の、幾つもある入り口の一つから中へ入ると、郊外のショッピングセンターのように膨大な数の店が立ち並んでいた。
ある程度はカテゴライズされているようだが、パッと見で、食品店、服飾店、雑貨屋、アクセサリー店、家具屋、書店などが視界に入って来る。これは慣れないと迷うし、探せないぞ。しかしたいていの物は巨大マーケット内で揃いそうだ。
当然、通路を行き交う人は多い。本来俺はこういった場所へ出向くことは少ないのだが、生活用品を買うためにやむなく見回ることにした。多少の好奇心があったのは否定しない。
ウィンドウショッピングの合間に、民族工芸店のように奇妙なものが売られている店で立ち止まった。店名は『静謐なるエオン』。たいそう厳重に飾られた彫刻が目に入った。やる気のない顔の下に、細長い足が 8 本ついた物体。
この世界の文化が理解できない。
「これは呪物?」
「な、何を言ってるんですか! モケラの彫刻ですよ!」
セクシーな豹柄の毛を生やした豹族のハーフっぽいお姉さんに怒られた。
「も、もけら?」
「建国暦 4001 年に活動した有名な彫刻家です。幼少期から写実主義を貫いたモケラは 36 歳で抽象主義に転じ、その後の芸術に大きな影響を与えました。当時の芸術は写実的であることが至上とされ、印象主義の評価は低かったのですが、写実派きっての巨匠が印象派作品を作ったということで、若い芸術家を中心に──」
俺は店員の言葉を聞き流して物思いにふけった。何があったんだもけら。季節の変わり目には変な奴が出てくるが、時代の変わり目に変わったものを作りたかったのか。あるいは子供を笑わせようとして作ったものが思いのほか受けて、後戻り出来なくなったとか。
俺には酔っ払った幼稚園児の工作としか感じられない。これに高額を払うくらいなら、かつて出会った『日本一不味い札幌ラーメン』を食べた方がましに思える。
「普通は美味しいか、悪くても普通に食べられるラーメンを、ここまで貶めることができようとは」と驚愕させてくれた『日本一不味い札幌ラーメン』は、俺にとってあり得ないものの代名詞だ。
「──それでは私はこれで」
「またのお越しをお待ちしております」
義務感 100% の声に見送られ、俺はふらふらと店を後にした。
遊んでいる場合ではないのだ。いくつかの店をはしごして、下着に衣類、靴、それらを小分けするためのズダ袋を買った。それぞれの店で「まとめ買いすれば負けてくれるか」と聞いたら 10 ~ 20% 引いてくれた。最初からその値段で売ればいいだろと思うのは俺だけではないはずだ。
荷物が大幅に増えて、お金が少し減った。
シャツ(色違い) 10 枚 : 小銀貨 16 枚
パンツ(色違い) 10 枚 : 小銀貨 18 枚
靴下(黒・灰) 10 枚 : 小銀貨 8 枚
靴(黒・茶) 2 足 : 小銀貨 15 枚
ベース服(白・黒・グレーのストライプ) 3 着 : 小銀貨 32 枚
オーバーコート 2 着(白・黒) : 小銀貨 30 枚
マフラー的な布(茶・黒) 2 枚 : 小銀貨 18 枚
ズダ袋 5 枚 : 小銀貨 10 枚
全部あわせると、小銀貨で 147 枚だ。銀貨の価値は金貨の 1/10 のため、小金貨換算では約 15 枚分になる。
今日だけで小金貨で約 53 枚を使ってしまった。賞金が大金貨 110 枚と小金貨 4 枚だったから、手元には大金貨 100 枚と小金貨 1 枚ちょっとが残っているが、これ以上使うと家の入手に響く。
必要なものは手に入ったので、買い物はこの位にしておこう。
「あのお菓子は美味しそうですね。お土産に買って帰りましょう」
言ったそばから土産物屋風の高そうな店に入った。
リュックサックに入りきらない荷物をズダ袋に入れて両手に持ち、腰には 2 本の短剣を吊るし、俺は長い道のりを歩いて帰った。地獄の行程だった。
ディー家に着いたときは全身から汗を吹き出し、足もだるくなっていた。こちとら歩兵じゃないんだ。 2 日続けて重装備行軍させるんじゃない。