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間違った歴史を、君と正す「総集編」

作者: 紡雪
掲載日:2026/09/22

「うわあああ!」


森に囲まれていてただでさえ弱くなっている太陽の光が届かない神社。俺は、耳を両手で塞いでその場にしゃがみ込んだ。けれど、耳を塞いだところで、なぜか《《それ》》は聞こえる。


どうして?どうして?


《《それ》》は、神社の四方八方から聞こえる不気味な声。


前からなにか気配を感じる。俺の直観が目をぎゅっと瞑らせ、さらに体を縮めこませた。


「誰か…助けて……。」


出たのは本当に微かな声だ。

人間は恐怖に貶められると、ここまで声をはれないものだと思い知った。


「誰か……。」


「いけなーい遅刻遅刻!!」


次の瞬間!そう叫ぶ声が聞こえ、俺は思わず目を開けてしまった。だけど、その行為に決して後悔することはなかった。それだけは言える。


静かで闇に包まれた森から現れたのは、パンを口で咥えた高校生ぐらいの女性だった。


《《彼女》》に─────────

そんな愉快な声をあげて森から飛び出してきた《《彼女》》に会って────────


俺の日常が大きく変わった。


事の始まりは少し前の下校途中に遡る────────────────────


俺たちが住むこの夏焼《なつやき》村では、よく不思議な現象が起きる。

俺の名前は天瀬《あませ》 悠《ゆう》。15歳だ。


「ねぇねぇ、悠。最近出るんだって」


近所に住んでいる同い年の大津《おおつ》瑠夏《るか》。学校から下校している時にそんなことを聞かれ、俺は咄嗟に何が?と問い返した。


「老若男女問わない人の声がね、聞こえるんだって。」


「あの神社ってもう鳥居しか原型が残ってないあの神社か?」


「そそ。」


それを聞いて俺は胸を躍らせる。その様子を見た瑠夏はにやりと口角を上げる。


「おっ。興味持ったかな?」


「そりゃ心霊現象は大好物だからな。」


「でも、本物は見たことないもんね。」


その一言を瑠夏が放った瞬間、悠は唇を尖らせた。


仕方ないじゃん。まだ遭遇してないんだし。あーあ、本当にいるのかなー


バッグを後ろの背中に移動させた拍子に俺は真上を向いた。太陽はすでにかくれんぼを始めていたが、かくれるのが下手なため、山の陰からオレンジ色の光で村を照らしていた。


「それともう一つ。この村に巫女さんがやってくるらしいよ〜」


瑠夏が思い出したようにそう言う。


「それは聞いた。《《不思議な池》》とかはあるけど、まさかこんな辺境な村に来るなんて…物好きだよな。」


そう、夏焼村に《《夏休み前日》》の今日。巫女がやって来るという噂が広がっていた。それはもちろん学校でも今日の話題として広がっていたので、よく知っている。


「じゃあね。夏休みだし、しばらく会えないかな?」


分かれ道で瑠夏は少し寂し気な顔をした。それを感じ取った俺は鼻で笑う。


「こんな田舎なんだから、夏休みでも一週間に3回は会えるよ。」


「確かに、こんな狭くてド田舎な村ならいつでも会えるわね。」


「おいおい、言いすぎじゃね?」


そんな会話をして瑠夏は、肩の力が抜けたように笑みをこぼした。それに呼応するように悠は声を出して笑う。


「じゃっ!」


「夏バテすんなよ~」


分かれ道からアニメのオープニング一曲分ほど時間が経った頃。


「明日から夏休みか」


悠が体を程よく伸ばしてそう呟いた。その場所は、瑠夏が言っていた噂話。例の神社がある通りだった。そう考えると……


不穏な風が俺の髪を撫でる。

だが、その時の俺の表情はわくわくでいっぱいだった。


心霊現象が見えるかもしれない。


それは小学生のようなほんの好奇心の一歩だった。


神社に向けて自分の足を一歩踏み出した瞬間


「ワンッ!」


どこからか犬の鳴き声が聞こえてきて、身体をびっくと震わせた。


うわっ!脅かすなよ…


最初に後ろを向く、次に黒目で左、そして右を確認するが、どこにも犬の姿はなかった。


改めて悠は神社へと歩き出す。神社に向かう途中の森は静さと暗さに飲まれていた。

森を進むにつれて旗や名前の書いてある石が見え始める。


「しっぺい太郎?誰の名前なんだろ?」


なにかに恨みを持った人が書いたような荒い文字だったが何とか読み取れた。石にはしっぺい太郎と書いてある。


誰かの名前かな?


やがて、森の奥に階段を発見する。

五、六段ほどの階段を上った先に、立派な鳥居が見える。普段は赤い鳥居でも、この時間帯となると、うっすら紫黒く感じ取れた。左手には、まるで大きな岩が崩壊した後のような、信じられない光景が広がっていた。


ここで何があったんだ?こんな岩が割れるなんて…


その光景をしばらく見て、俺は絶句する。


そして、鳥居の右手前にはまっすぐと前を向いている犬の像があった。ただ、その犬は神聖な神社にあるとは思えない凶悪なまるで《《怒った》》顔をしていた。


「ワンッ!!」


その像を見た瞬間背後から再び犬の鳴き声が聞こえた。

すぐに背後を向くが当然、犬の姿どころか生き物は見当たらなかった。


さっきより大きく聞こえたような…


そう考えながら悠の右足のつま先が鳥居を越えた瞬間だった。


「ワンッ!!ワンワン!!」


犬が再びけたたましく鳴き立てた直後。


《《それ》》が聞こえ始めた。


まさか…本当に……


悠の顔のわくわくが少しずつ崩壊し始める。足は震えて動かない。

無理やり足を動かそうとするが、言うことをきかず、そのままバランスを崩して尻もちをつく。


「うわあああ!」


森に囲まれていて太陽の光が届かない神社。俺は、耳を両手で塞いでその場にしゃがみ込んだ。けれど、耳を塞いだところで、なぜか《《それ》》は聞こえる。


どうして?どうして?


一定のスピードで鳴り続けていた自分の心音が早くなる度に《《それ》》の声が段々と近づいてくる感覚だった。

《《それ》》は、神社の四方八方から聞こえる不気味な声。老若男女問わない、色んな人がなにかに苦しみ、うなだれていて、生きている人間が出せるような声とは到底思えなかった。


前からなにか気配を感じる。俺の直観が目をぎゅっと瞑らせ、さらに体を縮めこませた。


「誰か…助けて……。」


出たのは本当に微かな声だった。

人間は恐怖に貶められると、ここまで声をはれないものだと思い知った。


「誰か……。」


「いけなーい遅刻遅刻!!」


次の瞬間!そう叫ぶ声が聞こえ、俺は思わず目を開けてしまった。


静寂に包まれていた夕暮れの神社にパンを噛み砕く音が響き渡る。


静かで闇に包まれていたはずの森から現れたのは、パンを口で咥えた高校生ぐらいの女性だった。


「ちょっ!?」


彼女は現れて早々、俺の右腕を引っ張って鳥居をくぐった。

悠の全身が鳥居をくぐった瞬間、先ほどまで聞こえていたはずの老若男女の声は消えていた。目の前には本殿であったであろう、廃墟と化した建物があった。屋根は二割ほど崩壊していて、お賽銭箱があったであろう位置に瓦礫が散乱していた。


本殿だ…。って今はそんなことより。


「誰!?」


俺の右腕をつかんだままでいる彼女にかけた第一声はそれだった。


「tふg…たn¥…ゴホッゴボッ!」


あろうことかパンを食べながら話し始めた彼女の言うことは聞き取れるわけもなく、俺は突っ込みを入れた。


「なんて!?というかなんで朝にやるノリを今!?こんな今から日が沈むよって時にやってるん!?」


「あなたねぇ、それよりいうことがあるんじゃないの?」


パンを完食した彼女はそう聞いてくる。


そうだ、俺は間違いなく助けられた。命の恩人にあんな態度…失礼だったな。


悠は彼女の方を向いて、


「助けてくれて本当にありがとうございました。」


少し照れくさそうにそう言い、最敬礼をした。


「いや、そうじゃなくてあなたの名前は?」


「天瀬《あませ》 悠《ゆう》…です。」


お礼を言ったのに、思っていた反応とは違って俺が少しもやっとした。

だが、彼女は「そっか!」と明るい声を上げてほほ笑んでいた。


「私は笛江戸《ふえど》 咲良《さくら》。最近この村に来た巫女なの。よろしくね。」


「よろしくお願いします。」


この人、噂になってた巫女だったんだ。


「呼び捨て、ため口でいいよ。それに、悠は悪くないし、お礼なんていいよ。悪いのは…昔の人たちだから。」


「昔の人たち?」


「おん。それにしても、派手に壊れてんね~。」


本殿の壊れ具合を改めて実感した彼女は困ったような顔をしていた。


「これ、昔の書物とか残ってるのかな?」


咲良は頭をかきながら本殿に向かった。


なんで昔の本?


訝しむような顔をしながら悠も彼女に着いていく。


崩壊した屋根を華麗にかわして安全な道を飛んで飛んで進んでいき、やがて、本棚のようなものがある場所についた。本棚には多くの本が入っていた。だが、それをよく見て悠はすぐに異変に気付いた。


全部同じ?


タイトルはすべて同じ本だったのだ。


いやでも、内容が違うだけかも…。


そう思い、いくつかの本を手に取り、最初の数ページをペラペラめくってみる。


結果としてはどの本も同じだった。そしてもう一つわかることは、文字が書かれているのは10ページ程度、そこから先のページは白紙だった。


本の内容にはこう書かれている。


今年《こんねん》も、泣く泣く生贄を奉った。

だが、須要《しゅよう》なことである。明神《みょうじん》様に。


否《いな》!!

〇〇〇に!!!


あの者は明神様ではない。恐ろし〇〇〇に違いない。某《《それがし》》は見た。


襲い掛かる《《犬の姿》》を。



その文章に出てきた《《犬》》には確かに覚えがあった。それも相まって、本を閉じながら俺はつぶやく。


「犬のせいなのか…」


「…本当に?」


そのつぶやきに反応したのは咲良だった。


「だって本に書いてあるし…」


「確かに書物にはそう書いてあるけど、その書いてあることが全部本当とは限らないんじゃない?」


そんなこと言われても……。

本に書いてあることが事実じゃない?たとえそうだとしてもな~


昔の出来事なんて今じゃ知る由もないし。


「よしっ!!」


次の瞬間、咲良が書物を閉じると同時に悠の方を向いた。


「じゃっ、真実を見に行こっか。」


「えっ?そんなことできるわけ…」


悠がそう言い切る前に咲良はお札を人差し指と中指で挟み、前に出す。そしてすぐにほほ笑んだ表情でそう言った。


「私、間違って伝えられた伝承をお直しする巫女なの。」


その瞬間俺の目の前はまばゆい光に包まれた。


その目の前のまぶしさに思わず目を瞑ってしまう。ほんのりと温かいぬくもりに包まれて、心地よい風が俺の髪を揺すった。


そして、目を開けると……俺たちは外にいた。

そして、そして、そして、目の前には……廃墟化していたはずの本殿が修復されていて、堂々とした表情でたたずんでいた。


「ここは?」


どうして、神社が直おってるの?


「ここは、鎌倉時代末期よ。」


「うん?」


悠は目を丸くする。


「わかりやすく言えば、さっき見た書物が書かれた時代かな?」


「今から本当の歴史を私たちは知りに行くのよ。」


普通の人なら信じられないかもしれない。けれど、目の前の光景がそれを否定する余地をすべて奪っていた。


夕暮れ間近だったはずの空には太陽が元気にこちらを照らしていて、神社の周りにある森は消え失せ、少し斜めっている木造の住居が点々と建っていた。さらに言えば、この半そで半ズボンの格好でいる俺にとっては少し寒気がした。今の猛暑の夏。こんな昼間で、こんなに寒く感じるのは明らかにおかしい。


いや、そもそも今は夏なのか?何月なんだ?


そんなことを考えていると、咲良は口を開いた。


「よく混乱しないよね~。ぶっちゃけ私が悠の立場ならもっとあわてたりすると思うんだけど…むしろわくわくしてる?」


わくわくしている。


それを自分の意識で再確認した後、俺の胸は熱くなる。


さっきあんなに怖い目に遭ったのに、こういう非現実的なことにはやっぱりわくわくしちゃうんだよな~。


「それはそうと、本当の歴史って言ったって、具体的にどうすればいい?」


「いつもまずは情報収集ね。早いとこ犬さんを見つけたいかな。」


神社から出て、村の人を探すことにした俺たちはとにかく歩き出す。しばらく歩いていくと、何やら物音が聞こえてきた。


「何の音だろう?楽器かな?」


「人がいるってことだな。向かおう。」


歩けば歩くほど、楽器の音が大きくなっていく。それとともに、住居の数がだんだんと増えていった。


お祭りでもやってるのかな~?


そう心で思っていると、多くの人が集まっている広場のような場所が見えた。


「本当にお祭りをやってるのか?」


「でも、様子がおかしくない?なんか、楽しそうな声はしないし、《《泣いてる》》?」


「泣いてる…」


目を細めて広場を見つめる咲良が放った言葉に俺は驚き復唱した。


広場に着くと、確かに暗い雰囲気があたりを埋め尽くしていた。中には泣いている者もいて、楽しそうにしている人は誰一人と居ない様子。

その中心には、白木でできた柩《ひつぎ》が置かれていた。


不思議そうな顔でその様子を見ている俺たちに一人の老人が近づいてきた。


「この村の村長です。…あなた方は?」


「俺たちは未来…」


そこまで言いかけた悠の口を咲良の両手が塞ぐ。


「旅の僧です。」


咲良は苦笑いでそう返答して、悠とともに後ろに数歩後退する。


「言い忘れてたけど、未来から来たことは絶対に言ってはいけないわよ。未来に影響しちゃうこともあるから会話や行動には気を付けて。」


俺だけに聞こえる声でそう言った後、咲良は村長の前に戻る。


いい匂いだったな…


取り残された俺は一瞬そんなことを考えてしまい、すぐに首を振って頭をリセットする。


確かに会話とかには気を付けないと!!


「旅の僧というのは、去年《こぞ》からここに居座る僧の方と知人《ちじん》ですかな?」


「そうです。その方は今どこにいますか?」


ここは、知り合いのふりをして、その人からも情報収集をしようと考えた咲良は否定はしなかった。


「あちらの宿にいらっしゃいますよ。」


村長が指をさす方向を見ると、先ほどの住居と比べると、二回り大きい建物があった。ただ、それより気になることが咲良にはあった。その隣の家の屋根には現代では見慣れないものが刺さっていた。


《《白羽の矢》》?


その家の前では泣き崩れた様子の女性と男性がいて、周りの人はその様子を少し離れた場所から静かに見守っていた。


「ありがとうございます。隣の家の人たちは…?」


「…あの家の娘さんが今年の年番《ねんばん》なんですよ。」


最初の一言を言うのに溜めがあり、心苦しそうに村長は話し出す。


「毎年、葉月《はづき》。見付天神様《みつけてんじんさま》にお供えをする《《しきたり》》があるんですよ。あの矢が見えますか?」


そう言われて、悠も家の屋根に刺さっている矢の存在に気づく。


「あの矢が刺さった家の娘さんがあの柩に入って今夜、お供えするんです。」


それを聞いて俺たちの顔色はたちまち蒼くなっていった。

背中が冷たくなり、悠は思わず後ずさる。咲良は冷や汗をかき、静かに目を瞑っていた。


「そう…ですか。」


「…助ける方法とかってないのか?」


これはダメだ。間違っている。


そう感じた悠の本能が勝手に口を動かし、そう発言をしていた。


「無理ですね…」


「どうして?神様ならそれぐらい許してくれるだろ!?」


「無理なん…です。」


村長は目を瞑る。


「…!!」


次に発言しようとするタイミングで、咲良は悠を止めた。


「落ち着いて。」


耳元で優しく、けれど少し気迫のある声で言われた悠は口を閉じる。


「ありがとうございます。私たちは一度宿の方に向かいたいと思いますので。」


悠の背中を押しながら、その場から離れようとする咲良。

二人が離れた直後、村長は一言つぶやく。


「しっぺい太郎さんがいれば…いや、それはダメだ。見付天神様がお怒りになる。」


「少し落ち着いて、ね?」


「確かに許せないことだけど、そこまでの干渉は必要以上に歴史を変えてしまう。」


「私たちはあくまで《《正しい歴史を知りに来ただけ》》。」


村長から離れた後、咲良にそう言われて軽く頷いた。


「ごめん。」


私たちが宿へ向かうと、ちょうど宿から出てきた人がいた。その人は笠《かさ》をかぶっていて、微かに顔を出している白髪が目立っており、腰には刀を付けている老人だった。


「旅の僧の方ですか?」


「ワンッ!!」


ワン?


思っていた返事ではなかった。…がすぐにそれは現れる。

老人の足元から潔白な毛が凛々しく目立つ犬が吠えていたのだ。


悠は咄嗟に警戒した。


あの本の内容通りならこの犬がこの村に悪い影響を与えるのか?


「すまない。こいつはしっぺい太郎という犬で…この村の未来を救うための希望である。」


希望?逆じゃ……。

この人にとっての希望ならこの人は村にとっては悪い人?

頭の中で考えがまとまらない。どっちが正しい?どっちが正義?


悠は先ほどのお供えの話を含めて、頭の整理がつかないままでいた。次第に呼吸のテンポがだんだんとズレていく。


犬が悪い。この犬のせい…。


次の瞬間、俺の手に冷たい何かが触れた。咲良の手だった。物理的には冷たいはずだが、なぜか温かいぬくもりを感じる。


頭の中で水滴がはじける音がする。


書いてあることが全部本当とは限らないんじゃない?


突如、咲良の言葉だけが現れて、頭の中を洗い流す。

悠は深呼吸をして呼吸を整えた。


「それって、この村のお祭りと関係があるのか?」


横から悠が口を出すと、老人は一瞬驚いた顔をして、こくりとうなずく。


「立ち話はなんだ。お主たちが助力してくれるなら拙者の部屋で話そう。」



移動をした後、最初に口を開いたのは老人だった。


「まず、拙者の名は、雲水《うんすい》と申す。お主らの名は?」


「私は咲良です。」


「俺は悠。」


「そうか、まず最初に聞いておきたいことがある。お主らはこの村のしきたりに疑問を抱くか?」


その問いに二人は頷く。


「そうか、安心したぞ。この村の者たちは……」


そこまで言いかけて、雲水はごほんと咳をしてから再び口を開ける。


「さて、君たちはこの村のお祭りの意味は理解しているのかな?」


「はい。毎年葉月に屋根に矢が刺さった家の娘を…その、《《生贄》》にする……ですよね。」


咲良はつらそうな顔をする。下を見れば、拳は強く握られていることに悠は気が付く。


「うむ。拙者もそれを聞いて耳を疑った。神様がそんな事するはずがないってな。だから、去年《こぞ》にこっそり見に行ったのだ。」


「そこでは耳に続き、目も疑った。」


「何があったんですか?」


「あれは神様ではない。物の怪だ。そして、その物の怪はこう言った。」


「信濃の国のしっぺい太郎に今宵今晩《こよいこんばん》のことは知らせるな!!とな。」


悪いのはその物の怪なのか?それでそいつはしっぺい太郎を恐れている…


悠は部屋の中で上品に眠るしっぺい太郎を見つめた。


「拙者は信濃の国に向かい、一年《ひととせ》、しっぺい太郎という者を探した。根気よく探した結果、こいつが光前寺《こうぜんじ》という所で見つかったんだ。」


雲水はしっぺい太郎の背中を優しく撫でながらそう言うと、咲良は驚く。


「人じゃなくて犬だったのね。」


「拙者も思ったぞ。人じゃないのかってな!そのせいでたいそう時間もかかった!」


ガハハッと柄にもなく笑う雲水に二人は一瞬戸惑うが、顔は穏やかになる。


嬉しそうに笑っているのはそういうことだろう。


次のお祭りまでにギリギリ間に合ったから。


悠は、雲水のことは信頼できる。そう心から感じた。


「あとは…」


雲水がそこまで言った時、咲良が遮る。


「あの柩の中にしっぺい太郎を入れる。かな?」


「おっ、考えが合うじゃないか。」


「どういうこと?」


悠は最初首を曲げて聞く。


「物の怪はしっぺい太郎のことを恐れているってところまでは分かるわよね?」


その解答は「いえす」だ。悠がうなずくと、咲良は続ける。


「娘さんの代わりにしっぺい太郎を入れて柩の中にいれば、物の怪にはバレないし、娘さんの安全も保障できる。つまり…」


「一石二鳥ってことか!」


「そう!」


「時間がないからな、今すぐ村長に交渉に行くとしようか。」


雲水の意見に二人は賛成して、村長のもとへ向かう。



「先ほど時次丸《ときじまる》が倒れたらしいです。」


「うむ…。早くお供えをしなくてはならければいけないですね…」


焦った顔でそう決断する村長のもとへ、三人が到着した。


「村長…。拙者がしっぺい太郎を連れてきました。今こそ物の怪を倒しましょうぞ!」


「今なんと!?」


「今年のお供え物の中にしっぺい太郎を入れ…て……。」


気が付けば村長は泣き崩れてしまっていた。


やはり、ダメなのか…?この村の人たちは……。


雲水がそう考えた直後、村長の声が微かに聞こえた。


「……わ………しょう。」


「!?」


「終わらせましょう!!あっしは何をすればいいですか!!?」


気づけば村長の声につられてきた村の人たちが周りに集まっていて、事情を聴いた人々は舞い上がった。


そして雲水が説明をし始める。その集団から少し離れていた咲良と悠が小声で話していた。


「犬はもう悪者だとは思われてないってことは、未来が良い方向に変わったんじゃないか?」


「わからない…。でも、私たちがいなかったとしても、しっぺい太郎は雲水さんが連れてきてくれる。つまり、この流れになるのは史実なんじゃないかな?」


「ってことは…」


まだ何かある。


その事実が悠の頭の中で浮かび上がった。


不安な表情を一瞬でもした悠を見て咲良は


「危険なことが起こるかも…悠はもう未来に帰った方がいいのかもしれない。」


そう真剣な眼差しを悠に向けた。


「危険なことが起こるかも…悠はもう未来に帰った方がいいのかもしれない。」


そう真剣な眼差しを悠に向けた。


「危険なのは咲良も一緒だろ?君が残るなら俺も残る。この話は終わり!」


即答した悠に咲良は細めで見つめた。


「怖くないの?何が起こるかわからないんだよ?」


そう問いかけようとしたがその言葉を私は飲み込む。

なぜならその問いはすぐに無くなったからだ。


見つめた私の瞳には悠の《《わくわくしている表情》》が写った。


深くため息をする咲良。


そうだ。悠は最初っからこういうのにわくわくする子だった。


呆れた顔をしたと自分では思っていたが、実際は私の口角が上がっており、私は……笑っていた。


「どした?」


「ううん。期待してるぞ!」


軽く悠の背中をたたいて咲良も集団の方へと駆け出した。


悠は目を瞑っていた。

俺の背中には少し叩かれた後の余韻があった。それにはきっといろんな意味があるんだろう…。

俺は瞑っていた目を開ける。


「ああ!」


誰にも聞こえていないだろう…けどこれは、自分への喝だ!!



太陽が完全に落ち切った後、この村は暗闇に包まれていた。

真っ暗闇な山道のはずだが、点々と小さな明かりがあった。


柩を四人ほどで慎重に運び、周りには松明を灯す人たちが多くいた。子供から大人まで、村のすべての人々が山道を歩く。


神社に着いて、全員が鳥居をくぐった。

微かに見えるのは闇に溶け込む本殿。悠は昼間に見た時よりそれに貫録を感じた。


柩を本殿の前に降ろした直後、柩を持っていた四人は一目散に後ろへ下がった。


三、四回、鼓動が鳴った直後、近くで何かの雄たけびが聞こえた。


「なんの…雄たけびだ?」


「すぐにわかる。」


悠の問いに小声で即答する雲水に、悠にもその緊迫感が改めて伝わった。


いったい何が?


「今年もご苦労…」


今まで聞いた声の中で聞いたことのないほどの低い声。その声はエコがのったように、《《山全体》》から聞こえた。


ズシンッ!!という轟音が鳴ると同時に、衝撃と風が舞う。それにより、松明の火が一斉に揺さぶられ、半数以上が耐えられず消えた。その後も何度も何度も鳴り響き、その音は次第に近づいてくる。


そして、山の奥から大きな目が二つギロッとこちらを睨んだ。


そして、そして、そいつはこの場に顕現した。


「あ……。」


悠は絶望のあまり、声が消えた。



「夏焼村に派遣?どこですかそこ!!?」


家の者から急にそこに行けと言われ咲良は嫌々向かった。


お前にとっての試練になる。父からその一言だけもらって。


でも、ここまではちょっと想像してなかったかも。


咲良は冷や汗を垂らして、手の震えを止めようと拳を握る。


実家の過去の書物で見たことがある。


《《それ》》はその土地の神様を追い出して、悪い影響を与え続けるという。けど、《《それ》》には決して、決して、決して!《《反抗》》してはいけないという。


《(それ)》の名は…《《狒々《ひひ》》》


ああ、父が言っていた試練は…この村に私が派遣された理由は……。


これ、生きて未来に帰れるかな。



現れた狒々はすでに怒っていた。


「その中身には人間の匂いはしない!!」


バレている…。


その事実が先ほどまでの村の人たちの期待を踏みにじった。


やつが暴れだした場合、話し合いでは、戦えないものは逃げるという選択一択。子供を優先して逃がす。


逃げる暇があるのなら……。


次の瞬間、狒々は大きな岩を持ち上げて投げる。

岩は俺たちの上空を越して、鳥居の上をとらえた。ずしんっ!という音ともに、地面が一瞬揺れる。砂埃が舞い上がり、ただでさえ見えない視界がさらに悪くなった。砂埃が消えた途端、わずかに残った松明の光で信じられない光景がうかがえた。


鳥居があった場所には岩が入れ替わっており、鳥居は岩の下敷きになったことがわかった。それと同時に、《《逃げ場》》を塞がれたという絶望感が漂ってきた。


「隠れろ!!」


雲水のその叫び声とともに、静寂に包まれていた神社は悲鳴や叫び声が溢れかえった。


「キャーー!!」


叫びながら逃げる女性を狒々は巨大な右手で押しつぶす。


その光景が真っ暗闇だからこそ、誰にも見えなかったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


おそらく、狒々には暗闇の中でも見えている。

逆に神社の遮蔽物で消えなかった松明により、私たちには狒々の姿は見えている。


札を取り出した、咲良は札を地面にたたきつける。

札は次第に光りだして、透明な壁を形成する。簡単に言えば《《結界》》だ。


「あの物の怪は狒々よ!!おそらく逃げてもダメ!!私の後ろに固まって!!!」


歴史に関与してはいけない。そのことを頑固に守っていた咲良ですら、この混乱状態により忘れていた。脳が命令することは一つでも多くこの場の命を助けろということだ。


「ダメ!私の後ろに固まって!!」


人々の悲鳴だけが少しずつ消えていく。


「拙者が相手だ!」


狒々に向かっていくのは一人、雲水。


「ワオーン!!」


という遠吠えと同時に、柩が開いた。

もう一匹、しっぺい太郎。


この二人が叫んでヘイトを買おうとしたが、狒々が暴れだして数秒。響き渡っていた悲鳴は一人、また一人と少なくなっていた。


しっぺい太郎は柩から出た直後、なんの指示もされていないのにも関わらず、自分の役割を全うするかのように獅子に噛み付く。


「お前はしっぺい太郎!?何故ここに!!」


明らかな動揺を見せた狒々の隙を狙って、雲水は足に向かって抜刀をする。


「!?」


傷口が浅い!!


むしろ、腕に反動がきて、痺れがほんの数秒現れる。


誰一人として、私の結界の後ろには来ない。


悠ともはぐれてしまった。

もう守るのは無理、それなら…今の私のできることは……闘いに巻き込まれる人たちを避難させながら雲水さんとしっぺい太郎の援護をすること!!


「貴様ら!!!!」


耳の奥まで轟く叫び声に身体の芯まで震えた。腕の痺れが取れきれていない雲水に狒々の腕が迫った。


雲水は反撃を諦めて、咄嗟に背後に飛ぶ。


「うおおおおお!!」


回避した方向にもう片方の腕を勢いよく振り下げる狒々。暗闇から急に現れた拳に雲水は刀を構えるが、わかってしまう。地面に押し付けられて雲水を襲うであろう《死》。


刀と狒々の拳がぶつかる直後、その間に割入ってくるのは、咲良だった。


咲良は札を前に突き出し、結界を展開する。


「その札は…?」


驚きのあまりそう呟いた雲水。


結界に拳が直撃し、互いに弾き飛ばされる。


「何だと!!?」


「助かったぞ!咲良殿!!」


「気にしないでください!私は援護します!」


上手く着地した咲良は札を数枚、懐から取り出した。



真っ暗な闇から聞こえる止まない悲鳴。

極限状態に陥った悠は足が震えて一歩たりとも動けなくなっていた。


闇に目が慣れてきたとしても、唯一はっきりと光を発しているのは狒々が暴れている箇所のみ。狒々の攻撃を防御する咲良。刀を振るって少しながらもダメージを与える雲水さん。そして、狒々の周りをしつこくまとわりつくしっぺい太郎。


しっぺい太郎が狒々の足元で走り回ると、狒々がじたばたしだす。やがて、それを軽々しく身体を動かしてかわすしっぺい太郎に憤りを感じた狒々は再びけたたましい咆哮を放って、暴れだした。


その暴れた様子は神様とはとてもかけ離れた様子であった。


悠は心の中でぼそっとつぶやく。


彼女の言う通り、帰っておいた方がよかったのかもしれない。


勢いをつけて軽く飛ぶしっぺい太郎は、そのまま神社の屋根に着地し、さらに今度は強く飛ぶことで、暴れた狒々の鼻を上空からとらえる。


「ワオーン!!」


しっぺい太郎はそのまま狒々の鼻を噛みついた。



俺は何もできていない…無力だ。


悠がそう考えた時だった。

闇に慣れた視界が小さい少女を見つける。


生き残りの…村人…。


その少女はおびえて動けない様子だった。まさに自分と同じ状況。

近づこうとしても、足は決して動かない。



鼻を噛みつかれた狒々は、痛みで目を瞑ったことにより、本殿へと身体を傾かせた。

そのままゴオンという鈍い音ともに、本殿に激突する狒々。騒音とともに本殿の屋根が崩壊し、半壊する。狒々は瓦礫などが背中に当たることで、今度は反対の方向へと歩き出す。



途端、悠の視界には巨体が現れた。その巨体は小さな少女のいる場所へと倒れようとしている。その巨体に押しつぶされれば、助かることは到底できないと悠は感じる。


助けろ!動け俺の足!!


確かに俺は動こうとした。けれど、俺の足は動かない。まるで接着剤が地面と靴の間に塗られているかのように。


動けよ!!頼む!!!


頼む!!!!


それでも俺の足は動かなかった。


ダメだ…俺は本当に、本当に、《《無力》》だ。


「危険なのは咲良も一緒だろ?君が残るなら俺も残る。この話は終わり!」


即答した俺を見つめて、咲良は深くため息をした。そして…


彼女は……笑っていた。


「どした?」


「ううん。期待してるぞ!」


俺がその光景を…その言葉を思い出すと同時に、俺の足は一歩、また一歩と進んでいた。暗闇なんて関係ない。今、悠の視界は目の前に見える少女だけしか見ていなかった。


狒々の巨体が地面に着く直前、俺は手を伸ばして絶望の表情をしている少女を抱き抱える。走った勢いが俺たちを滑らせ、危険な範囲から離れた。


ズシン!!!


危機一髪だった。真後ろで、狒々が地面に倒れ、衝撃がさらに俺たちを吹き飛ばした。俺は、少女に覆いかぶさり、頭を守る。


俺たちは、草むらへと吹き飛ばされるが、植物がクッションとなって衝撃を緩和してくれた。


「はっ!!はっ!!はっ!!」


止まっていた呼吸活動を再開させた。俺は荒く息を吸う。


生きてる…。


俺も、この子も。


気絶した少女を見つめて安堵する俺。次の瞬間、視界はぷつんと途切れる。


狒々は、鼻を押さえながらうめき声をあげた。


「おのれ…」


右手を地面に置いて、立ち上がる直前。

すかさず雲水が狒々の懐に迫り、狒々の顔をとらえた。


「いくら物の怪でも、目はどうであろうか!?」


雲水は刀を構えて


一瞬。


狒々の目に斬撃が走る。


「ぐおおお!!」


狒々の腕が雲水を薙ぎ払う。


「……っ!」


雲水の身体が吹き飛ぶ。

だが、狒々の腕は咲良の結界に阻まれていた。


吹き飛ばされた雲水は、空中で一回転して着地する。


「雲水さん…」


安堵の声を放つ咲良は時々視線を周りに向ける。


悠がどこにもいない…。


視界が真っ暗で見えないだけなのか、あるいは……。


「ワオーン!!」


そこまで考えた咲良は、しっぺい太郎の遠吠えで意識を狒々に戻す。

その背後からしっぺい太郎が飛び出して狒々に向かっていく。


ここからはまさに持久戦だった。

狒々を倒すのが先か、こちらの体力が尽きるのが先か。


そしてそれは…こちらの分が悪かった。


「ぬぅ…」


雲水は倒れそうになる自分の身体を刀を地面にさすことで支えた。


「はぁ…雲水…さん!」


動けない雲水の周りにお札を投げて結界を張る咲良。だが、すでにガス欠寸前の咲良は声を荒げて、力を振り絞った。


満身創痍の二人を差し置いて、一匹だけは狒々にまとわりつく。


「お前だけは本当にしつこいな!!」


「グルゥゥ!!」


鋭い目で狒々を睨みつけたしっぺい太郎は再び鼻を噛みつこうと飛んで、飛んで…目の前に現れたのは、狒々の拳だった。


「ワオ…」


しっぺい太郎は狒々の拳にたたきつけられ短く叫ぶ。それと同時に、赤い鮮血がしっぺい太郎とともに宙を舞った。そのまま地面に向かってたたきつけられたしっぺい太郎の身体は地面に落ちる直前、


「これで終いだ!!」


狒々に足で蹴られて吹き飛ばされる。しっぺい太郎は鳥居を塞ぐ岩に突っ込み、再びこの神社は静寂に包まれた。


「フハハ…ハッハッハ!!!」


しばらくしてこの空気を支配したのは狒々の勝利の笑いだった。


雲水は顔を上げて、歯を嚙み締めた表情で狒々を睨みつける。


パリンッ!!!


甲高い音ともに何かが割れる音がした。


「なっ…!!」


目の前を見れば、結界に小さいひびが入っていることが確認できる。そのひびはだんだんと広がっていき、無数の亀裂となる。


パリンッ!!!!


結界が…砕け散った。


雲水に残っていたわずかな戦意すら、その瞬間に消え失せた。


「お前たちにも…」


突如、笑いを止めた狒々が拳を握った。


「とどめを!!」


とどめを刺そうと拳を放つ標的は…。


「いかん……咲良殿!!!」


「え…?」


素っ頓狂な声を上げた咲良にはすでに拳は迫っていた。

咲良と拳の間に雲水が割り込み、刀を前に向ける。


見極めるんだ…


雲水が刀で拳を撫でるように受け流す。


キンッ!!


その衝撃に耐えられなかった刀は折れて、その7割を失う。…が、狒々の拳は受け流すことに成功し、拳は地面を殴った。


上から向かってくるのは、狒々の追撃。


トンッ


「雲水さん…どうして?」


傷だらけの雲水の手が咲良の背中を押し出す。


「どうして、私なんかを守るのよ!!!」


ボロボロな雲水を見つめる咲良の瞳には涙があふれていた。


「若い者には生きてほしい…それだけですぞ。」


あの宿泊所で見せたあの時の笑顔を、雲水は放っていた。


そして、そして、狒々の鋭い爪が雲水を襲った。


「ゴブッ……」


雲水の身体から力が抜ける。


「いやあああああ!!!」



……。


「…ん?」


なにかに照らされて、悠は目を覚ます。


朝日だ……。


起き上がり本殿の方を見れば、絶望が待っていた。


「雲水…さん…。」


悠は、考える間もなく、本殿へ走り出す。



朝がやっと来た…。そう雲水は思う。


頭がぼーっとする前に…!!!


拙者はずっと考えていた。なぜ、お供えは《《夜中》》になのか。


苦手なんであろう?この美しく光る朝日が…。


「ぬぉぉぉ!!」


苦しそうに暴れだした狒々は神社の影へと隠れようとする。


血が…。視界が赤くなっていく…。


この隙を見逃すのは拙者の恥になる!


かっ!!!


目を開き、命の力を最後まで振り絞って、折れた刀を握る。


その刀を…狒々のもう片方の目にめがけて……


投げた。


刀を投げた雲水は何やら満足気な顔を浮かべていた。


刀が物の怪の目に刺さってもいい。目に刺さらなくてもいい。


拙者の最後の役割は、相手の視界を奪うこと。


目に刺さらない時、それはつまり物の怪の目が朝日にやられ、目を瞑った時。


雲水の投げた刀は虚しく跳ね返る。

狙いは特別良かった。けれど、狒々は朝日から守るために両手で目を覆ったからだ。


「しっぺい太郎…今ですぞ……!」


「ワ”オ”ーーーーン”!!!」


半壊した岩の上で遠吠えをするしっぺい太郎の声は枯れていた。おそらく血がのどや肺に溜まっているんだろう。


「お主を連れてきたのは……間違いではなかったようですな。」


この村を救う《《希望》》。


視界が揺らぐ。雲水はその場で倒れそうになるが、咲良がそれを支えた。


パッサッ…


その際、雲水のかぶっていた笠が地面に落ちる。


「……!!」


支えたタイミングで咲良の手がわずかに雲水の手に触れた。


「冷たい…」


咲良の表情が凍りついた。


この冷たさが何を《《意味》》するのか理解……するのに、時間はかからなかった。


「嫌っ…!!」


咲良は制服の上着を脱いで、雲水の出血部に当てた。涙が咲良の頬をつたって雲水の腕に落ちる。


次の瞬間、しっぺい太郎は岩から飛び降りて走り出す。陰に隠れたくても、目の見えない狒々はそれに気づかない。


しっぺい太郎は走っている最中、何度も途中で転んだ。おそらく足の骨が折れている。それが遠くから見ている悠には簡単に分かった。


それでもしっぺい太郎は走り、やがて狒々の足に飛び込む。


「ワ”オ”ン”!」


「まだくたばってなかったのか!?お前は本当にしつこいな!!」


視覚を失った狒々は、野生の感で腕を伸ばす。


「危ない!!」


それを見て悠は叫ぶ。

しっぺい太郎は横っ飛びしてそれをよけるが、折れた足で着地ができるわけもなく…転ぶ。


「ぐおおお!!」


朝日が増し、狒々は悲鳴を上げた。バランスを崩して倒れかかる隙を、しっぺい太郎は立ち上がり、狒々に襲い掛かる。


ボロボロじゃないか…。


しっぺい太郎は狒々の身体によじ登り、長い腕を走る。その姿を悠は瞬きをせずに、ただ見ていた。


もうわかったから……。


しっぺい太郎は狒々の肩に到達し、軽くジャンプすることで勢いよく狒々の首元に突撃する。


もうわかったから!!


気づけば悠は走り出していた。


ごめんよ、しっぺい太郎は決して悪いことはしていない。本当の歴史は……。


狒々は最後のあがきを見せて、身体を大きく揺さぶり、しっぺい太郎を吹き飛ばした。


走っている悠の目の前からしっぺい太郎が飛んできて、悠がしっぺい太郎を受け止める。…が、少し後ろへ飛ばされた。


「があああああああ!!!」


狒々は立ち上がり、咆哮を上げた。おそらく自分自身の最後の力を振り絞るための咆哮であろう。


その咆哮を聞いたしっぺい太郎は再び走り出す。


「もう行くな!!」


俺が起き上がって前を向いた時、しっぺい太郎はこちらを向いていた。


「ワン!」


その眼差しは「気にするな。」「任せろ。」などを訴えかけくる。


「……ありがとう。」



先ほどの悠の叫び声に、咲良が気づく。


悠の声…?


生きていた…本当に良かった。


その喜びの感情はすぐに塗り替えられる。


自分の目の前で、呼吸が弱々しくなっていく恩人の姿。

咲良の手が震える。傷口を押さえているはずなのに、血がそれをお構いなしといわんばかりに飛び出す。


もし本当に生きているなら…お願い……。


「た……すけて……!!」



「悠!!!」


その声を確かに悠は聞き取った、崩壊した神社に隠れて見にくいが、声がする方向へと走り出す。


今の俺にできること……。


しっぺい太郎が狒々に到着するのと、悠が咲良のもとに到着するのはほぼ同時だった。


しっぺい太郎は狒々の腰に噛みついて、敵が倒れるまで離れまいという芯を貫く。



「咲良!!」


悠が瓦礫を飛び越えた先にいたのは、血溜まりに浮かぶ雲水と傷口を押さえつける咲良の姿だった。


「…悠。」


「雲水さんが…。私、何もできなくて……どうすれば。」


震えた声で訴えかける咲良。悠はそんな咲良により沿って雲水を見つめる。その瞬間、雲水の口元が小さく動く。


「……何もできない。まった…く…そのとおりだ……。」


「もうしゃべっちゃダメ!」


しゃべるたびに血が出てくる。それを見た咲良は雲水がしゃべるのを止めようとする。


「おぬしらが……今できる…ことは………」


そして、長い溜めから、苦しそうに一息つく。


「《《ここにいてはできないことだ。》》」


なんだと思う?


そう聞いているような優しい表情。


「生き残りの人たちを助けること…。」


悠は雲水と目が合う。


「……分かった。」


と答えて咲良に手を差し出す。


「咲良、行こう。」


「でも……」


「雲水さんが言ったんだ。俺たちにできることをやろう。」


咲良はしばらく雲水を見つめていた。そして……悠の手を取る。



一人になった雲水はその後ろ姿を見ていた。


「拙者の妻にそっくりだな…」


生涯愛し、亡くなってしまった妻の姿をどこか感じさせる。


咲良殿よ、決して自分を責めるな……。


ただの老いぼれの…自己満足じゃよ。


心の中でほほ笑みながら…雲水は静かに目を閉じる。そして、意識は深い海へと沈んでいく。ゆっくりと…ゆっくりと……



体力が限界を迎えた咲良は戦闘に参加することはできず、悠に支えてもらいながら村人を探した。


「しっかりして!」


悠は倒れている村人に声をかけた。


…が、返答はない。


「もう誰も……」


咲良がそう呟きかけた時、悠がすぐに否定する。


「いや、一人は生きている。近くの草むらで気絶しているけど、」


「そっか…」


咲良が気を取り戻したように見えた。


向こうを見れば、狒々としっぺい太郎の死闘は続いている。


「勝てるかな?」


「絶対勝つよ。」


「ここへ来る前は一ミリも信じてなかったのにね~」


「そうだったっけ?」


こんな状況だからこそ、俺たちはそんな会話をした。


けれど、咲良の表情から笑みが消える。


「……もしだよ?」


「もし狒々が勝った時は、私は迷わず……」


そこで咲良は言葉を止めた。

悠が振り向く。


「……悠を逃がす」


「え?」


「絶対に。何があっても」


その声には、冗談なんて一つも混じっていなかった。


「それは俺だけか?」


悠のその問いに咲良は走りながら目を逸らした。


「私は派遣された人間…役目を終えるまでは帰れない。」


「役目ならもう終わっただろ。」


真実は、犬が正義で狒々が悪だった。ここまでくれば覆ることは難しいだろう。


「いいえ、まだよ。狒々を倒しただけじゃ、未来に伝わった歴史は変わらない。しっぺい太郎が悪者だったという記録を、正しいものにしなきゃいけない。」


村人が一人しか残っていないんだもの。私が…確実に伝えなければ。


「…君が残るなら俺も残る。」


「もうそのわがままは通じないわよ。」


その瞬間、朝日が完全に登り、お互いに真剣な眼差しを向け合う二人を照らす。


片手を目に、もう片手を頭に当てて、もがき、苦しむ狒々にしっぺい太郎が最後の力を振り絞り、飛んだ。


狒々の横腹にしっぺい太郎の頭突きが炸裂し、狒々は抵抗する力を無くす。


最後は雄叫びもなかった。力なくしっぺい太郎とは反対の方向へ数歩歩き、倒れていく。


その倒れる方向には、悠と咲良がいた。


狒々の存在を視認した咲良は目を細めた。


「私を置いて、走りなさい!」


咲良は瞬時に悠に命令をした。それでも、咲良を支えながら避けようとする悠。


ほんとにバカ!


咲良は札を出して、悠を未来に返すことを決める。


札が中に舞い、二つ目の朝日のように光り出す。


その光に悠は見覚えがあった。それ故に……咲良の腕を強く掴む。


「離して!」


その腕を強く引き、悠の手から離れる。


これでいいの、最後の力で結界を作れば私は生き残れる……《《はず》》。


この状況を悠が帰るための理由として使う。


咲良が右手で、お札を懐から出して、結界の準備を始める。


その時だった──────


「あの時は咲良を一人にしたくなかった。でも今は違う。」


「何が違うの?」


「俺たちは一緒に帰るんだ。」


私は……自分に嘘をついた。

無理、この体力じゃ結界なんて貼れない。待っているのは狒々の下敷きなること。


でも、怖かった。派遣された自分の役割を果たせなかった時、父が失望する姿。


「お前は、役割は完璧にこなす。自慢の娘だ。これからも頼むぞ。」


父に褒められた。滅多に褒めてくれない父でも、役割をこなしたあとだけは必ず褒めてくれた。それだけで私は笑顔になれた。


「任せて!」


「役割だけは絶対にこなせよ…絶対に。」


その父の期待を……。


「真実は未来に伝わる!!」


でも…。


「俺を!信じろ!!」


手を伸ばす悠の必死で、真面目な顔。


今日出会ったばかりなのに…何となくで連れてきただけなのに……。


私は気づけば彼の手を掴んでいた。


その手を悠はがっしりと掴み、二人は光に包まれていく。


ズドーーーーーン!!!!!


狒々が倒れると同時に砂埃が舞う。


血だらけで骨折をしたしっぺい太郎。


やっとの思いで勝利を掴んだ。粘り勝ち。


鳥居は壊れ、本殿は半壊。崩れた岩。それらは日に照らされ輝いていた。


「起きたら誰も村にいないから、何かあったのかとは思ったけど…」


体調不良から復帰した時次丸が神社の階段を上る。そこに現れたのは壊れた鳥居に岩。


時次丸は顔色を青色に変えて呟く。


「本当に…何があったんだ?」


そこには変わり果てた神社の姿。

多くの血溜まり、一ミリたりとも動かない倒れた村人たち。


そして、倒れる狒々。血だらけで立つしっぺい太郎。


「……犬?お前がやったのか?」


しっぺい太郎は時次丸が現れるのに気づくと、ゆっくりとその場から消えた。


「待て!許さないぞ!!」


足を一歩前に出した時、なにかにぶつかる。


「…村長?」


しゃがんで顔を確認すると、すでに息を引き取った村長だった。


「ひっ…!」


「どうして…。」


ボロボロと涙が溢れてくる。


「あの犬を呪ってやる!!!」


崩れ落ちた時次丸が泣き叫ぶと、誰もいないはずなのに、後ろの草むらから声が聞こえた。


草むらから出てきたのは、今年、生贄になるはずだった少女だった。


彼女は、悠が助けることのできた唯一の村人。いつから目を覚ましていたのかは、誰にも分からない。


ただ一つだけ。


彼女は、あの夜に起きたすべてを知っていた。


「違うよ……しっぺい太郎は……みんなを助けてくれたんだよ。」


その言葉は、やがて誰かへ伝わり、誰かからまた誰かへ伝わっていく。


未来に───────────



後に残された書物に記されていたのは、かつてこの地で起きた真実。


それを知った人々は、壊れた神社を再び建て直した。


そこはいつしか、村を救った一匹の犬……しっぺい太郎を祀る神社となったそうな。


──────────────────────



白い光に包まれた二人が次に目を開けた時は、夕暮れに包まれていた。


戻ってきたのか?


蒸し暑い。闇を照らす近代の力。いや、何よりの証拠がある。


「神社が…修復されてる?」


悠たちが過去に行く前は廃墟だったはずの本殿は、立派にたたずんでいる。周りを見れば、鳥居も修繕されていた。そして、鳥居の右手には…見ていると、今にも動き出してほしいと思うほど…勇敢な犬の像が飾られていた。


真実が未来に伝わったんだ!


「咲良!」


悠が後ろを振り返れば、咲良はその場に座り込んでいた。


「変わってる…よかった……。」


「ほらな、信じろって言ったろ?」


それを聞いた咲良は悠に迫る。


「今更だけど、あの発言に根拠はあったんですかー?」


「……あったよ。」


鋭い目つきで訝しむ咲良の視線に苦しくなった悠は腕を組んで


「結果良ければ全て良し!」


と頷く。


「ごまかした!」


「ごめん、ごめんて」


謝りながら笑う悠の姿に、ぷくっと頬を膨らまして怒る咲良も笑ってしまう。


ありがとうね、悠。


笑いながら悠は、改めて神社を見渡した。


「それにしても、本当に過去に行ってたんだな…」


「まだ信じてなかったの?証拠にほら、」


そう言って咲良が懐から取り出したのは《《パン》》だった。


「おいしそうだったパンがこんなにかぴかぴに……」


「まだ持ってたのかよ?」


呆れた感じで聞いたのに、咲良には興味を持ったのだと感じられ、


「三枚は常備してるわ!」


「食べる?」


「食べん!!!」


即答した悠は、神社を後に帰ろうした。


「ぼちぼち帰りますか。」


「そういえば、咲良はもう帰っちゃうのか?」


「ええ、父さんに連絡して帰るつもり」


私はそう思っていた。


悠と別れた後、私は一人で電話をしていた。


ツーツー


電話の音が鳴り止み、


留守か…


そう思った直後だった。


おかけになった電話番号は、現在使われておりません。


ザーー


雨の音がその場を支配する。雨脚が強くなる。風が強くなる。



翌日


悠があくびをしながら階段から降りていくと、母がリビングでテレビを夢中で見ていることに気づいた。


「おはよ、なんかあったの?」


「日本観測史上初となるJEF4クラスの竜巻が……」


悠がテレビを見ると、それがテレビの画面の大部分を占めていた。


「竜巻?」


最初に悠が思ったのは珍しいという考えだった。


「ええ、場所は遠いらしいんだけど…日本全国で異常気象が発生しているらしいわよ。」


悠がご飯をかき込みながら、家の窓へ視線を移す。


「晴れてる…」


「昨日の夜は雨降ったらしいけどね~」


朝ご飯を終えた悠は、折りたたみ傘を片手に持って神社に向かう。雨の匂いがして、水たまりに青空が写り、雲河を創りだしていた。


「昨日はもう日が暮れてたからな~」


階段を上って、上って、鳥居が見えてくる。昨日と違って今日は光が鳥居を照らしていて、朱色が鮮明に目立っていた。


鳥居をくぐって見えたのは……


「…咲良?」


そこにいたのは、パンをくわえた巫女。


「…悠?」


彼女は横目で悠を視認すると、駆け寄ってきた。


「どうしたんだ、お父さんと連絡つかなかったのか?」


それを見て、悠は思ったことを口にする。


「うん、多分だけど、この村に派遣された役割が終わってないってことなのかも。」


「昨日この神社に泊まらせてもらったんだけど、」


「それってめちゃくちゃ罰当たりじゃないか?」


当然のようにそう言った咲良に驚いた悠は思わず、話を切った。


「しっぺい太郎なら許してくれるわ。」


「確かに。」



「それで、書物が新しくなっていて、大量にあったもんだから……途中で読むのあきらめたんだけど、」


「龍神伝説っていう単語が出てきたの。それがどうしても引っかかって…悠はなんか知らない?」


「それなら……龍神伝説って、あれか?」


「知ってるの?」


「この村じゃ有名だぞ。……ただ、俺も詳しいことまでは知らない。」


「どこにあるの?」


「この村の東側にある。……はず。」


「…はずって、本当にこの村に住んでるの?」


「しょうがないじゃん、今まで伝統とか歴史になんか興味なかったんだから。」


「今はあるのね?」


「……まぁ。」


「そっか!」


頬をかいて、恥ずかしそうに口にした悠の一言。その一言を聞けただけで咲良は嬉しそうに笑った。


その直後……


「ワンッ」


どこからか犬の鳴き声が聞こえた気がした。


「……?」


悠は一瞬だけ振り返る。

けれど、そこには誰もいない。


「どうしたの?」


「いや……なんでもない。」


二人はそのまま、神社を後にした。



悠と咲良が歩いて着いたところは、先ほどの神社とは一変したまた違う神社であり、真珠色の鳥居が俺たちを出迎えてくれた。

長い正中《せいちゅう》が目の前に広がっており、その先には朱色の本殿が木々に囲まれていた。


しばらく歩き、正中を半分ほど歩いたころだろうか?


これが…


右手に巨大な池が現れる。


手前には先ほどと同じような色の小さな鳥居がある。

次の瞬間だった。


………!!!


咲良は急激に頭痛を感じた。鼻に違和感があり、手をやると一指し指と親指に血が付く。


鼻血?


けど……もう止まってる。さっきまで確かに出ていたはずなのに。


咲良は、言葉にできない違和感を覚えた。


「どした?」


悠が振り返る瞬間、白いワイシャツが赤く汚れるのが嫌だった私はワイシャツをまくって腕で血をぬぐった。


「なんでもないよ、ただ、ちょっと池に見とれてただけ。」


そんなことをしていると、本殿から男が出てきた。


「誰だろ?」


「…多分神主さんよ!」


二人はその男に近づいて行くと、


「……君、名前は?」


突如、男は咲良に名前を聞いてきた。咲良は一瞬驚いたが、冷静に名前を答える。


「笛江戸咲良ですけど…」


男の顔から、一瞬で血の気が引いた。


「……笛江戸?」


こくん、と咲良は頷く。


神主はしばらく黙り込んだ。


そして――


「帰れ」


その男はぼそっと一言つぶやく。


「……え?」


咲良はその言葉が聞こえて、思わず素っ頓狂な声を上げた。


「今すぐこの池から離れろ!!」


咲良の肩を掴んで、無理やり来た道に押し戻す。


「ちょ、ちょっと待てよ!」


横から混乱しながらも、その人の手を咲良の肩から離した。


そして、二人とその人の間に僅かな空間が空く。


「帰れと言っている!!」


神主は手を払い、怒鳴りながら、咲良を池から遠ざけようとする。


「あなた、何なんですか!? いきなり帰れって……!」


「いいから帰れ!」


普通じゃない。危険だ。


そう感じた悠は、咲良を守るためにその場から離れようと促した。

咲良もそれに賛成し、来た道を戻る。


荒い息を上げたその人はやっと二人が遠のいたところで小さく呟く。


「まだ間に合う……」


神社から去ってしばらく経った。大きな鳥居も見えないところまで歩いてくると、二人は安心して、歩く速度を落とした。


「何だったんだろ、今の?」


「わかんないけど、すごく必死だった…というより、少し怖かったね。」


「少しというか…結構怖かったな。」


「どうする、もう過去に行くか?過去に行けば少なくてもあの人には遭遇しないけど…」


いや、違う。そもそも間違った歴史が伝わっているのかもわからないしな…


軽率な自分の発言に気づいたけれど、悠が言葉を撤回する前に咲良が反応する。


「いや、言ってなかったけど、過去に行くチャンスは一度しかない。ちゃんと情報をゲットしてから行かないとアドバンテージがないし…」


「そうだよな、ごめん。」


そこで謝った後に悠はあることに気づいた。


…過去に行こうとはしている?


咲良の発言からすると、情報がそろえてから過去に行くと捉えられる。


咲良は間違った歴史が伝わっていることに何かしらで気づいた?それとも、


「……てば!」


正しい、誤り関係なしで過去に行こうとしている?


「悠ってば!!」


「…!えっと、なんだっけ?」


考え事をしていた悠は、咲良に声を掛けられて焦る。


「とりあえず村の人たちに聞き込みに行こうって。」


「ああ、そうだな。」


ミーーンミーーンミーーン!


夏休みの真っただ中、元気に演奏をするセミの声。

猛暑日を超えて酷暑日。


暑い。汗がときどき視界を奪う。そこから俺はある提案をする。


「まずさ、アイスが売っている駄菓子屋さんとか聞き込みどう?」


「賛成。」


昨日行った過去の涼しさが恋しいなぁ…


ガラガラ


駄菓子屋に入った瞬間、チリンチリンと風鈴のさえずりとともに、冷房の風が俺たちを包んだ。触覚でも聴覚でも涼しく感じていた俺は、最後に味覚を涼しくするべく、冷凍のコーナーからアイスを取り出した。


「咲良は何にする?」


「私はね~って、聞き込みに来たんでしょ!?」


「じゃあ俺だけ買お!せっかく奢ろうと思ったのにな~」


わざとらしくそう言ってからレジに向かう悠は途中で背中をちょんちょんとつつかれ、後ろを向く。そこには、少し照れくさそうにチョコ味のアイスを持っている咲良がいた。


「うまっ!」


頬に手を当てて喜ぶ咲良を隣で見ながら、悠は目的を達成するために、店員の人に話を聞く。


「悠はもう夏休みなのね~」


「うん、満喫してるよ。」


小さい村ゆえ、村の人とはほぼ全員と面識のあるため、聞き込みもしやすい。

この人は昔から駄菓子屋の店員さんとして、よく駄菓子のサービスをしてもらっていた。だからというわけではないが、子どもたちからとても愛されているおばあちゃん。


「話は変わっちゃうんだけどさ、桜ヶ池の龍神伝説って知ってる?」


「知っているよ~」


その言葉に反応する咲良は残りのアイスをパクパク食べて、


「本当ですか?」


「毎年9月の終盤にお祭りがあってね~お赤飯を入れたお櫃《ひつ》をお供えするんだよ。」


お櫃って炊いたご飯を保存するためのやつよね?というか、お祭りって…


「悠は参加しなかったの?」


「多分、家でゴロゴロしてたんじゃないかな。」


キリッとドヤ顔でそう言う悠の頬を咲良が軽くつねる。


「あの神社って神主さんとかいる?」


先ほどのことをごまかそうと、悠はおばあちゃんにまた質問をした。


「いたわよ~とても親切にしてくださる方が、確か…泉《《いずみ》》さんだったかな~この歳になると記憶があいまいで困っちゃうわね。」


「その人ってずっとあの神社にいるの?」


「たまに、どこかの湖に行くって聞いたことがあるわ。」


悠もアイスを食べ終わったころ、二人はお店から出ようとした。


「色々ありがとう!」


「また来ま~す。」


「最後に聞きたいんだけど…」


そのおばあちゃんの言葉に二人は足を止める。


「二人は付き合ってるの?」


二人は目を見開き


「と、友達だよ!!」


そう叫ぶ悠の声に呼応するようにチリンと再び風鈴が鳴った。


その後もいろんな場所で情報収集をした。


「泉さん?あの人は昔からあそこにいるぞ。」


おじいさんは畑で汗をぬぐいながらそう言った。


「でも、あの人……桜ヶ池の話になると妙に口を閉ざすんだよね。」


野菜売り場の店員さんは品出しをしながらそう言った。


「長野県の諏訪湖によく行くらしいよ。」


学校の先生はそう言った。


「ありがとうございました。」


悠がお礼を言うと、先生は


「宿題は早めに終わらせろよ~」


「だって」


くすくす笑いながらちゃかす咲良。


「咲良こそ宿題とかすっ飛ばしてこの村に来たんじゃないの?」


「学校へは行かせてもらえなかったからな、私。」


うまく言い返したと思っていた悠の表情が変わる。


「学費が無駄だとか何とかで、巫女の仕事ばっかやらされてさ。……学校の友達がいたらこんな感じだったのかな?って思うよ。」


心の寂しさを隠しきれていない咲良の表情に、悠は何も答えることができなかった。


人様の事情にあんまりとやかく言うのはどうかと思う。でも、少し厳しすぎないか?狒々が倒れてきたときもそうだ。狒々ではなく、また違うことに恐れている感じがした。もしそれが…親だったなら……。


その考えを取っ払うように頭をふる。


「やっぱり、あの神社でちゃんと情報が欲しいわね。」


咲良は顎に手を当てながら、今までの情報を書いたメモ帳を見つめる。


「泉さんが諏訪湖に行くタイミングを狙うか?」


「それは時期が不確定すぎる。」


そもそもお祭りの時期がはまあまあ近いし、諏訪湖に行くとも限らない。


咲良は先ほどの神主の顔を思い出した。

あの男は、私の名前を聞いた瞬間に明らかに怯えていた。


何かを知っている。それだけは間違いない。


「それじゃあ…」


二人ともこの案は前々から頭の中にはあった。

強行突破を仕掛ける。


「深夜に行こう。」


悠の言葉に咲良は頷いた。


男が神社で寝泊まりしていても、していなくても。起こさないように静かに、息を殺して……書物を見る。


「最悪のパターン。バレた場合、そのまま過去へ行くわ。」


その案に悠も賛同した。


「そうだな、それが一番リスクが低い。できるだけ情報収集した上で、過去に逃げよう。」


「悠にもお札を渡しておくわね。私が動けない時は悠が使って。」


「わかった。」


ただ……


《《過去に行く》》


ここで再びこの疑問に戻ってくる。


咲良からお札を貰いながら、


「なあ、咲良。」


「なーに?」


「過去に行くのはいいんだけど、本当に間違った歴史が伝わっているのか?」


その疑問を、咲良にぶつけた。だが、意外な答えが返ってきた。


「それは、勘よ。」


「勘?」


「うん。なんとなく……違うって分かるの。」


「なんで?」


「さあ? 巫女だからじゃない?」


そんな回答を当たり前のように話す彼女を見て俺の肩の力は一気に抜けた。


杞憂だったのか…


「巫女ってすごいんだな。」


「今更気づいたの?」


ドヤッとした顔で、背伸びをし、全身でアピールをする咲良。思わず悠は


少し子供っぽいところがあるんだよな…


と、クスッと笑ってしまう。


「あ!ほんとは馬鹿にしてるでしょ!!」


頬を膨らませて、軽く肩に頭をぶつける。


「あんまり痛くない…」


「そりゃ、手加減したからよ!」


「本当かな~?」


そんな周りから見れば少し微笑ましい会話をする二人を夕焼けが照らしていた。


「私は一回、神社に戻ってしっぺい太郎の書物を最後まで読むわ。」


「わかった。じゃあ、深夜に迎えに行く。」


「寝落ちしないでね~」


咲良とは一旦別れ、悠は家に帰る。そして、テレビの電源を入れた。


「現在、大雨の中、竜巻による被害者の救出が行われています。」


さらに、テレビの上画面にスクロールで次のことが流れてきた。


8県において大雨特別警報発生中!!避難勧告!!


今後も大雨にご注意を!!


「竜巻を視認した際は無理に逃げようとせず、その場にしゃがんで頭を守りましょう。」


などと、対策などを伝えるニュースキャスターに、必死さが伝わってくる。


そして、テレビの画面は変わる。


「現在、各地のスーパーから冷凍食品、レトルト類、カップラーメン類の品切れが発生しています。政府は……」


ここはこんなに晴れているのに……


テレビのニュースを見て俺は絶句した。


そのため寝落ちどころか、目が覚めて全く眠れる気持ちにはならなかった。


「続いてのニュースです。静岡県中部で、新たな縄文時代の遺跡が発見されました。

今回発見されたのは、約五千年前のものとみられる集落跡で……」


時計の針が進み、この村に静寂が訪れる。


俺は咲良と合流し、桜ヶ池に向かった。


「ゆっくりね…」


静かに本殿の扉を開けた。


「真っ暗だな…」


「大丈夫、ライト持ってきたから。」


「それってもしかして…」


あの神社から…


「しっぺい太郎なら許してくれるわ。」


やっぱり……


気が抜けてしまった悠は再び気を引き締めた。


集中しなきゃ。


咲良が右を照らすと、棚には書物が並べられていた。


どの神社も、本殿に書物を置いておくもんなんだな~


そう考えながら、本殿に足を踏み入れる。


咲良は髪を耳にかけて、口でライトを咥える。そして、書物を前にし、素早く目を入れる。


これじゃない…


二人は、それらしきタイトルの書物を探すが、あるのは『お祭りの赤飯の作り方』『この神社の掃除の仕方』『神社同士の交流』などと、関係なさそうなものばかりだ。


泉さんが来るかもしれない。それゆえに焦りながら、急かす気持ちがあり、見逃している可能性だって十分にある。


ない、ない、ない、ない、ない、ない、


そこで、悠はある気になる書物を見つけた。


『絶対の掟』


なんだろこれ?


手にしようとした直前、咲良が声を上げる。


「あった龍神伝説について!」


「し~!」


「ごめんごめん。」


悠は咲良の方に寄り、書物を見る。


皇円《《こうえん》》阿闍梨《《あじゃり》》は、弥勒菩薩《《みろくぼさつ》》の出現を待ちわび、桜ヶ池で龍神となって眠る。


未来に起こるであろう様々な問題を解決できるのは弥勒菩薩しかいないと考え、弥勒菩薩に教えを乞うために、56億7000万年後に人類を救うために現れるその時まで、龍になってこの池で待つとして入定《《にゅうじょう》》した。


龍神に仕える者は、二つの湖より選ばれる。


そこまで読んだとき、足音が向かってくる音がした。


即座に咲良は札を手にもつ。


過去に行くのか?


「ごめん。」


突如、咲良は謝った。そして、あろうことか切り札の札を懐にしまった。


「…え?」


「やっぱり、泉さんがあそこまで私を追い返そうとする理由が知りたい。」


わずかな光がある中で、彼女の決断した顔が微かに見えて、悠は静かに頷いた。


「ごめん。」


突如、咲良は謝った。そして、あろうことか切り札の札を懐にしまった。


「…え?」


「やっぱり、泉さんがあそこまで私を追い返そうとする理由が知りたい。」


わずかな光がある中で、彼女の決断した顔が微かに見えて、悠は静かに頷いた。


「誰だ!!」


カチッ


先ほどまで真っ暗だった部屋がまぶしく光りだし、目がくらむ二人。


「お前たちか…何を見た?」


訝しげに俺たちを見る泉は手で払いのけながら


「今すぐ帰れ!!」


と叫んだ。その気迫に耐え、咲良も一歩前に出て思いを訴える。


「どうしてですか!?」


「どうして私の顔を見るとあなたは顔色を変えるんですか?」


しばらくの沈黙の後、泉は口を開く。


「あれはもう読んだのか?」


泉が指をさす先には、『絶対の掟』という書物があった。


あれはさっきの…


悠はそれが先ほど自分が手に取ろうとしていたものだと気づく。


咲良が首を横に振ると、


「その掟に書いてあるんだよ。《《笛江戸》》と名乗る者と《《佐久瀬》》《さくせ》と名乗る者が訪れたら池に近づけるなってな。これだけは先代から耳にタコができるほど言い聞かされた。」


そう話すだけで苦い顔をする泉を見れば、よほど言い聞かされたのだろうと思った。


なるほど…だから私の名前を聞いた瞬間に帰れと叫んだのね。


心の中で納得する咲良。


「それと…いや、理由はもうわかっただろう?早く帰れ。」


「理由は?池から私を遠ざける理由は?」


「知るか!帰れよ早く!」


「嘘よ!その書物に書いてあるんでしょ?」


咲良が『絶対の掟』の書物に手を伸ばすが、触れる前に書物を泉が素早くとる。


「龍神伝説については何か知ってないか?」


悠が聞くと、泉は一瞬動揺した。


「か え れ まだ聞かないなら不法侵入で警察を呼ぶぞ。」


その脅しに二人は口答えができなくなる。


二人はとぼとぼ歩いて神社の土地から出る。それを確認した泉はひとりでに呟いた。


「佐久瀬家は…約八十年前に途絶えたはずだ。笛江戸家に至っては…鎌倉時代にはもう……」


不穏な風が雲を誘導し、満月を閉じ込める。


明かりが限りなく少なくなった神社で、泉の声が反響して聞こえる。


「言えるわけないだろ…お前が存在するはずがないなんて。」




神社から少し歩きながら悠と咲良は話していた。


「思った以上に話せたわね。」


予想だと話をする間もなく追い出されると考えていた二人にとっては結果は上々。


「ああ、それと、龍神伝説に何か関係あることが確定したな。」


「ええ、妙に反応してたからね。」


「本当ならあの書物の中身を見たかったけど…」


「無問題よ!だって……過去に行けばすべてわかるからね。」


悪い顔をしながらそんなことを言う目の前の彼女に、「悪い顔してるぞ~」と突っ込みを入れた。


「教えてくれない方が悪いからね~」


まったく、あの時のかっこいい顔はどこに行ったのやら。


悠はそう考えながら歩く。


「なあ、」


ふと、悠が声を掛ける。


「この前みたいに、化け物が出ることはないんだよな?もし、出るようなことがあれば……」


そこで俺の言葉は遮られ、


「あんなの異例の事態よ!千回に一回ぐらいの確率じゃないかな?あ!でも、私は普段あんなのに遭遇しないから、この確率を当てたのは悠だからね。」


まじかよ、普通にへこむんだけど…なら、咲良を危険にさらすぐらいなら…


「じゃあ、俺は留守番してた方がいいか?」


考えた末、悠はそんな結論が出る。それを咲良に伝えた瞬間、彼女は腹を抱えて笑い出した。


「ごめんごめん。冗談よ。真面目だね~」


こちらを向いて笑う彼女は、歯を出して、満面の笑みで笑っていた。


「だって!」


むっとした悠だったが、


むっ!?


俺の口には、《《食パン》》が詰め込まれていた。


「それ食べて炭水化物とったら、過去に行くわよ!!」


もぐもぐ


詰め込まれた食パンを歯でちぎって、右手で持ち、彼女を見るとちゃっかり咲良も食パンを咥えていた。


ほんとに好きだな、食パン。


食パンを食べ終えた咲良は、お札を取り出す。


「せっかくならかっこよく過去に行きたくない?」


わくわくを表情に出しながらそう言う咲良に思わず笑ってしまう。


「咲良って割と子供っぽいところあるよな。」


静寂に包まれた深夜の中、ゴツンッと鈍い音が響き渡る。


「準備はいい?」


「よくないかもです…」


頭を押さえている悠を見ても、咲良は無視してお札を使用する。


そして、真っ暗闇の中で、一粒の光が生まれ、その光はやがて空に浮かぶ星のきらめきに負けないほど光度を増す。


この時の私はまだ知らなかった。


次に過去から帰ってきたときに、


大切な存在を無くすことを…



「着いたわ、今は平安時代ぐらいよ。」


光が弱まったのと同時に悠は夏とは思えないほどの寒さを感じ…ない!!


え?覚悟してた割に寒くない。


意外なことに、現代の9月中旬ぐらいの気温に感じた。空を見れば太陽が出ていて、昼時ということがわかる。


「昔なほど気温が低くなるのかと思ってたんだけど…」


驚きのあまり、声に出すと咲良が自慢げに


「食パンを食べるとね、炭水化物の代謝とか何とかで体が温まるのよ!!」


っと、ドヤ顔で説明してくる。


「嘘ではないんだろうけど、多分今は関係ないと思うけど…てか、どんだけ食パンガチ勢なんだよ!!」


と、お遊びはここらへんにして、悠は周りを確認する。


周りは木に囲まれている。俺たちがいるのは安息地といわんばかりの草原。人が住んでなさそうな自然がすべてを支配した土地だった。


と思っていたんだが、森を抜けると、小さな集落と神社があった。


だが、俺たちが知っている神社とは何かが違う。

屋根も、建物も、周囲の景色も。


「……本当に、来たんだな」


俺はそこで初めて、過去に来たことを実感した。


そして、目の前に広がるこの池が《《桜ヶ池》》で間違いないだろう。


そう認識した時だった。


突如、森が騒がしく揺れ始めた。奥に見える木が揺れ、集落の建物の屋根の一部がはがれ飛ばされる。池の水面はまるで石切りをした後のように波紋がこちらに向かって広がってくる。


突風だ。目に見えてこちらに向かってくる風に二人は構えた。


その時、悠はニュースで見た光景が、脳裏をよぎった。


「無理に逃げようとせず、その場にしゃがんで頭を守りましょう」


そして、俺たちのもとにそれが到達する直前、悠は咲良の上にかぶさってしゃがむ。


3秒ほど突風に耐えた後、雷鳴の轟きとともに雨が降ってくる。


「平安時代ってこんなに天気コロコロ変わるもんなん?」


「そんなことないと思いたいけど…」


二人は雨から逃げるように、集落へ向かった。


「すいません!雨宿りさせてください!」


声がかき消されそうになるほど、雨音は強くなってきていた。

平安時代の家は、まだ竪穴住居の面影が残っていたという。


この屋根、藁で出来てるのか?


悠が横を見れば、立派な神社が建っている。


あの神社みたいにちゃんとした家を作ればいいのになぁ


そんな事を思っていると、扉はゆっくりと開く。


「あなた方は…旅の者ですか?」


「はい。」


「どうぞ。」


その女性はとても親切で、何の迷いなく二人を家に入れてくれた。


「「ありがとうございます。」」


「大変だったでしょう…」


それに頷き、


「突然の雨で、とんだ災難ですよ。」


そう悠が答えたと同時に、女性は


「違います。」


と、否定をした。


「この雨は降る運命なんですよ。雷も、風も、全て《《龍神様》》の怒り。」


「運命…?」


咲良が聞き返すと、話を逸らすように女性は


「そういえば、名乗っていませんでしたね。私は佐久瀬《さくせ》雨友《うゆう》というものです。」


次の瞬間、悠と咲良は見つめあった。


それはそうだろう、聞き覚えのある《《佐久瀬》》という苗字。その苗字は紛れもなく泉さんが


「その掟に書いてあるんだよ。《《笛江戸》》と名乗る者と《《佐久瀬》》《さくせ》と名乗る者が訪れたら池に近づけるなってな。」


と、言っていた。


「あなた方の名前は…まぁ別にいいですか。」


「…?何でですか、全然名乗りますけど……」


「明日の朝には、この村を発ちますので……」


「どこにですか?」


聞くと、雨友は視線を逸らして…


「ちょっとそこまでですよ。」


そこで、悠が話に加わる。


「皇円っていう人は知ってますか?」


「その人なら、隣の神社にいらっしゃいますよ。」


と、親切に教えてくれた。


話を聞く限り、龍神様と皇円さんは別……なのか?


まだ正しいと決まったことではないが、すでに伝わっている情報と違う。それは咲良も感じていた。


とにかく、雨が止んだら皇円さんに会いに行きたい。


そう考えながら、しばらく待つことにした。


雨の音が現代の家と比べて鮮明に聞こえる。

一定のリズムだった雨音は風で崩れ、この家とともに揺れる。


止む気配のない雨によって坂を下る水流とともに時間が過ぎていく。


咲良を見ると、体育座りの体系で眠っていた。

きっと、しっぺい太郎の書物を夜通しで読み漁っていたんだろう。


今は寝かせておこう…


力なく眠るその姿に、とても起こす気にはなれなかった。


まあ、起こす理由もないけどな。


次に雨友さんを見ると、荷造りをしていた。それを見て、悠はふと


明日の朝は晴れるといいな…


そう考えていた。


次に俺は、地面を見ていた。


暇だ…、暇だ!!


現代の娯楽を知ってしまった俺はもう、何もしない時間なんて耐えられないよ…。傘でもあればなぁ~


「………。」


俺、折りたたみ傘持ってる…。


俺は昨日の朝、家から出るときにポケットに小さい折りたたみ傘を入れていた。


「少し、神社の方見てきます!」


疲れている咲良を起こすのは気が引けるからな…一度俺一人で偵察に行くとしよう。


咲良を起こさないようにゆっくりと扉を開けて、折りたたみ傘を開いて歩き出した。


「変わった傘ですね。」


荷造りを中断して見送ってくれる雨友が傘を見て驚いた様子を見せた。


「あはは…」


苦笑いでごまかし、雨の中を歩き出す。


葉っぱと雨の匂いがこだましている中、悠は時代に似合わない匂いを放っていた。


そんな中、悠の視線に一人の男性が止まる。


誰だろう…?


こんな雨風の中、池に近づく男性がいた。


雨で視界が悪く、しっかりと顔を見ることはできない。手には何かを持っている。


……札?


男はそれを胸元に掲げ、静かに目を閉じた。


まるで、池の中にいる何かに祈りを捧げているようだった。


次の瞬間、突風が吹く。

悠は腕で風の流れに耐えながら、細目で男を見ようとするが、風で流れてきた水の粒に完全に視界をやられてしまう。


「……え?」


さっきまで確かに、そこにいたはずなのに、次に目を開けた時には、男は姿を消していた。


傘は裏返り、骨の部分が何本か折れてしまっていたため、片手で常に支えていないと、傘としての機能は期待できなかった。


あの人ってもしかして…皇円さんなのか?


軽い散歩のつもりが、傘を壊してしまった。

けれども、収穫もあった。


とにかく一度戻ろう…


悠は傘を支えて、雨友の家に戻る。


「おかえりなさい。」


咲良は目を覚ましていて、雨友の荷造りを手伝っていた。


「ただいま~」


壊れた折りたたみ傘を無理やり元の状態に収納しようとする悠を見て


落ち込んでいる様子とかではないわね…なんかあったのかな?


そう思い、


「何か収穫はあったの?」


「うーん、微妙なとこ。視界が悪くてあまり見えなかったけど、皇円さんかもしれない人はいた。」


「ほんとに!?」


骨は壊れているが、傘を小さくする軸の部分は壊れていないため、何とかポケットに収納できるいつもの状態に戻すことに成功した悠は立ち上がる。


「なんか池の前で祈ってる男の人がいてさ、気づいたら消えてたんだよ。」


「本当ですか?」


悠の言葉に食いついたのは意外な人物だった。


「そんな、早すぎる…彼はもう《《生贄》》になったんですか?」


そう呟くのは雨友。


「私がもたもたしているから……ごめんなさい。」


焦りながら、立ち上げるなり、周りの物にぶつかり、終いには荷造りしていた荷物を蹴ってしまう。その衝撃で荷物は散乱する。


「ちょ、落ち着いてください。まだ、皇円さんと決まったわけじゃないんですから。」


咲良が雨友を落ち着かせるために、身体を支えてゆっくりと座らせる。


落ち着きを取り戻した雨友に、咲良は聞く。


「一体どういうことなんですか?」


「……龍神様が眠りから覚めようとしているんです。この嵐は前兆でしょう。龍神様が眠りから覚めるのを阻止するために、《《生贄》》が必要なんです。」


そこで、悠は何かを察してしまう。


明日の朝には家をでていくという発言とこの焦り…


まさか…


「その生贄が私、佐久瀬の姓を持つものです。」


だから、名前を聞こうとしなかったのか…


どうせもう会うことはないということは知っていたから。


「私、怖かったんです。」


「それは怖いですよ!!」


「怖かったから…この役割から逃げ続けてきたんです。」


逃げてもいいじゃないか…


悠はそう思う…けれど、それを発言できない。なぜなら、龍神の復活が何を表すのかを俺たちは何も知らない。


昔の人が勝手に考えた夢物語かもしれない。けれど…そうではないかもしれないということを《《この天候》》が物語っている。


「話は変わるんですけど、それが皇円さんと何の関係があるんですか?」


「彼も《《生贄》》なんです。」


どういうことだ?


そう考えるが、その答えはすぐに帰ってくる。


「皇円さんの姓は《《笛江戸》》…彼はこの池で、私は信濃の国にある諏訪湖で、身を投げるんです。」


雨友のその言葉を聞いて、咲良と悠は驚愕した。


笛江戸…それは紛れもなく咲良の苗字だった。


そうか……、泉さんは私を助けようとしたのね。


そう考えると、泉が私を池に近づけなかった理由が納得できる。


その証拠も相まって、やはり脳裏に浮かんでしまう。


私も生贄だと。


不確定要素ではある…あるのだが……


ドクン、ドクンと心臓の鼓動が高まる。息が苦しい。鼻だけでは足りない。思わず口を開いて、大きく息を吸った。


自分が生贄だと思ったから、こんなに苦しいんだ。

きっと、そうだ。

落ち着けと自分に言い聞かせる。


あれ…なんか……


視界がぼやけて、そこまで考えた時、すでに咲良の意識は闇の中に包まれていた。


暗い。


何も見えない。


なのに、なぜか一つだけ分かる。


未来に帰らなきゃ。


そして、あの場所へ。


諏訪湖へ。




次に目を覚ました時、夜が明けていた。


隣を見れば、悠が眠っている。…が、雨友さんの姿がどこにもなかった。次に、荷造りしていた場所から荷物がなくなっていることに気づく。


「まさか…」


生贄になるために…!?


「悠!起きて!!」


近くで眠っている悠の肩を揺すると、数秒後にゆっくりと目を開けた。


「咲良、起きたのか!!」


「ええ、もう元気よ。それより雨友さんはどこに?」


どこって、俺が寝る直前までそこに…


と、その方向を見るが、そこには誰にもいない。


昨日の寝る直前に彼女が呟いていたことを思い出す。


「嵐の前の…………必要な生贄は私だけでよかったんだ。」


それを脳内で思い出した直後、


雨友さん……


悠は雨友を探そうとすぐに外にでて周りを確認する。昨日より数段階強い雨が打ち付けられ、また強風が吹き荒れていた。


そんな中でも、微かに聞こえる荒れた声。


「なあ、何か聞こえないか?」


二人が耳を澄ます中でも、たった数秒の横からの雨によりびしょ濡れになる。


どこだ?いったいどこから?


悠の髪をつたって、水滴が地面ではじけると同時に二人は叫んだ。


「神社から!」


二人は雨の中走り出す。

いち早く雨友さんの安否を確認したかったゆえ、雨に濡れるのなんて気にしていられない。


そうして聞こえてくるのは、男性の声だった。


「どうして、彼女を行かせたんだ!!」


「知りませんよ、昨晩、信濃の国に向かったそうですもん。」


「間違いなく必要な生贄はこちらだった。見てみろこの嵐を!!」


怒鳴られて、それに対して「勝手に行っちゃったんだからしょうがないじゃないですか。」というのは女性の声だ。


その話に割はいるのは、やっとの思いで神社にたどり着く二人だった。


「雨友さんじゃ…ない。」


それにさっきの会話…


「必要な生贄って何ですか?」


咲良の声が響き渡る。


「お前らは何者だ?」


「私たちは…雨友さんの親戚です。」


さぞ当たり前のように嘘をつき始めたよ…


「そんな嘘ついて大丈夫なのか?(小声)」


「嘘も方便よ(小声)」


悠は隣で、他人のふりをする。


「親戚…か…」


その男はそう呟いた後、即座に土下座をした。雨が降っていて、地面には水たまりができていたが、しっかり頭まで地面につけた完璧な土下座だった。


え…?


「申し訳ない!!本当なら俺一人の命で済んだんだ!!」


ザーーーー


雨のカーテンが、悠と咲良の前で、土下座をする男を薄く映し出す。


「どういうことですか?」


男は土下座の体制のまま、顔だけを二人に向ける。


「龍神様の生贄が二人いるということは知っているのか?」


それに二人は頷く。


「そうか…では、本当は一人でいいってことは知ってるのか?」


「一人?」


「龍神様は二つの地、どちらかから復活するといわれている。」


二つの池というのは、桜ヶ池と諏訪湖であることを咲良は思い出す。


「だが…」


「ちょっと待ってください。」


悠が言うと、男は話を止める。


「なんだ?」


「いい加減土下座やめません?」


土下座の体制のまま、説明されても集中できなかった悠は思わずそんなことをお願いする。


こちらは嘘をついているので、とてつもなく申し訳なくなったのだ。


「失礼…」と立ち上がると、男は話を続ける。


「ゴホンッ!龍神様が復活する場所は明確には一か所、書物には復活が近づくと、天候を操って暴れだすそうだ。」


「それが、この嵐?」


「ああ、だから今回龍神様が顔を出すのはこの地から、つまり、《《諏訪湖》》じゃない。」


そこで、女性が追加で話し出す。


「だから、皇円師匠は雨友様をこの地にとどめておいたの。」


さりげなく、女性の口から出てきた皇円という名に、悠と咲良は反応した。


この人が…私のご先祖様……


「だが、間違っていた場合、取り返しがつかないと…彼女は……」


皇円は目を瞑って、悔しがる。


「本当に申し訳ない…」


ああ…すごく気まずい…申し訳ない。


再び最敬礼をする皇円に、咲良はとてつもない罪悪感に襲われる。


「でも、皇円師匠、そこまでして生贄になるなんて一体何が起こるんですか?」


不思議そうに女性が聞くと、


「誰も見たことがないから、何が起こるかはわからない。」


そう断言する皇円の顔は覚悟が決まっていた。


「誰も見たことがないから、何が起こるかはわからない。」


誰も見たことない。

それなのに、生贄という風習だけは今まで続いている。

……ということは、今までずっと生贄を捧げ続けてきたってことなのか?


そういった質問が頭に浮かんだ直後だった…


咲良は何も言わずに、お札《《ふだ》》を取り出した。


「…咲良?」


悠が異変に気付いた時にはもう遅かった。

目の前がまばゆい光に包まれる。咲良は悠の腕をつかんで、光に向かって飛び込んだ。

反応が遅れた俺は、そのまま咲良に連れていかれ……



不思議な感覚だった。


咲良はお札を取り出す瞬間、そう感じた。

意識があるのに体がいうことを聞かない。


ダメ、まだ聞きたい情報がたくさんあるのに…


お札を持っている手に力を集中させるが、阻止するどころか使用してしまった。そこで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚が途切れるのがわかった。


真っ暗…何も見えない。


次の瞬間だった。


……え。


脳内で何か聞こえた。それは最初こそ微々たる声量だったが、だんだんと大きくなっていく。


諏訪…………かえ。


諏訪湖へ………向かえ。


やがて、鮮明にその声は反響して聞こえた。


あなたは誰なの?


しゃべることができなかった私はそう思った。


我は……暮龗神《くれおかみのかみ》


人呼んで《《龍神》》である。



その名を聞いた私は心の底で思い知った。


雨友さんが生贄になるために諏訪湖に向かったことと、龍神が私を諏訪湖へと向かせようとすることに…


そこまで考えてしまった時、ふと不確実なことを思う。


やっぱり私は……



そこで失った四感が戻ってくる。


「…おい、大丈夫か!?」


「咲良!!」


目の前には、慌てた様子で私の肩を揺すっている悠がいた。


「え…っとなに?」


「なにって、お札を使ったと思ったら、うんともすんとも言わないから。」


咲良が周りを見ると、《《もう一人》》誰かいることに気づく。


「お前ら、帰れって言ったよな!?」


そのもう一人は泉さんだった。

そこで、咲良は状況を把握する。

過去でお札を使ったのは、神社。つまり、未来に帰ってきた時に私たちが地面に足をつける地点は……桜ヶ池の神社の本殿。


「あはは、寝ぼけちゃったのかな?」


「こんな昼間にか?」


ドンッという音を立てて本殿の扉が開く。そこからは眩しい日差しが差し込み、咲良の目を細めさせた。


あーさっきのせいで帰ってくる時間がずれちゃったのかな。


このお札は誰でも使えるわけではない。私…巫女だからこそ、使いこなせる御業。


普通の人が使えば元の時代に戻れない確率の方が高い。


これぐらいで済んだのはむしろ褒めて欲しいわね。


そんなことを考えながら心の中でドヤッ顔をする。…と、冗談はここまでしておいて……。


咲良は光に慣れてきた目を泉に向ける。


「泉さんに聞きたいことがあります。正直に答えてくださいね?」


そして、私はその質問を口にする。



「私は生贄なんですか?」


覚悟はしていた。何となくわかっていたから。けれど………


泉は驚愕していた。そして、思わず咲良から視線をずらした。


その顔を見れば私は図星だということが簡単に分かる。


隣を見れば、悠も黙って下を向いている。


「悠も気づいてたのね?」


「……確信はなかったけど。」


悠の考察はこうだった。

今の全国各地での異常な天候は、過去に行った時の天候と似ているものがあった。

そして確信的だったのは、咲良の先祖が生贄だったということ。


悠は拳を強く握りしめる。

その隣で泉は怯えたようにぶつぶつと言い始めた。


「…えない」


「ありえないんだ!お前は一体誰なんだ!?」


決まっているでしょう。というように…


「私は笛江戸咲良ですよ。」


と答えるが、それを聞き入れられずに泉は


「ありえない。」


の一点張りだった。


「何がよ?」


「お前が…笛江戸なわけない。」


「生まれた時から私は笛江戸咲良です!」


「両親はいるのか?」


「母は亡くなったけど、父は居ます。……音信不通だけど。」


「本当か?本当にいるのか?」


「なによ、何が言いたいのよ!」


しびれを切らした咲良は泉を問い詰める。


しばらくの沈黙の後、泉は静かに答えた。


「…笛江戸家は鎌倉時代にもう途絶えてるんだよ!」


…え?


それを聞いた咲良は現実を受け入れられなかった。先ほどまでの威勢は消え、呆然とする。


私は養子?


一度そう思うが、


いや、お父さんとお母さんも苗字は笛江戸……。


すぐに違うことがわかる。

事実、この村に派遣されてからお父さんと連絡は取れていない。

でもそれは役割をこなせていないからだと思ってた。


冷や汗が頬を流れる。


一つ考えられることがあった。

時を巻き戻す大きな代償。

もし、過去での出来事で私のご先祖の血筋が途絶えていたなら……未来を変えてしまっていたら。


冷や汗が顎にまで達する。


泉さんは、鎌倉時代に血筋が途絶えたといっていた。


まさか…まさか!!


咲良には鎌倉時代というのに心当たりがあった。

この村に来てから、私の目の前で、私が原因で死んでしまった人がいる。


雲水さん。


彼がもし、笛江戸と関係があったなら……。


周りの声は聞こえないのに心音がうるさい。うるさすぎて心臓が痛くなってきた。


冷や汗が地面へと落ちる。


私は……


存在しないはずなの?


その考えに至った際、私は身体を震わせた。


「もう一度聞く、お前は一体誰なんだ!?」


「私は……」


生贄になるために…生まれてきたの?


そう思った瞬間、張り詰めていた何かが、音を立てて崩れた。


生贄になることを告げられる覚悟はしていた。けれど、私が本当は存在しないはずということは……無理だ。


もう…どうでもいい。そんなの、生きていても意味がない。


私は誰だ?


龍神の生贄だ。


そうだ、生贄になって…すべてを終わらせよう。


そう考えた瞬間、身体が軽くなった。

咲良はゆっくりと立ち上がり、本殿を出た。


「待て咲良!」


悠が咲良の腕をつかむが、あっけなく振りほどかれる。


「咲良!!」


本殿から出た咲良は桜ヶ池へ向かって真っすぐ歩き出す。悠の声は咲良には聞こえていないようで、ただその一つの目的を達成することを原動力に一歩、二歩と歩き出す。


間違いなく咲良は池に飛び込もうとしている!


「泉さん止めるの手伝って!!咲良を池から遠ざけるんだ!!」


叫ぶと泉は身体をびくっと動かすが、その場からは動かない。

悠は走って意地でも止めようとする。だが…


「…進めない!?」


咲良にあと一歩で届くという所で、悠はその先へ進めなくなっていた。それは何か透明の壁があるみたいで…


結界か!くそ…


どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?


咲良が池に第一歩を踏み入れようとした直後だった。


「生贄の場所はここじゃない!ここは雨すら降っていない。正しい場所は諏訪湖だ!!」


悠がそう叫ぶ。すると、咲良の足は数秒止まる。


これでいい、今は時間を稼ぐんだ。


だが、咲良が止まって安堵した悠の思いは儚く…


正しい場所?そんなのどうだっていい…。どっちでもいいでしょそんなの。


咲良の足は再び進もうとしていた。


よせ!!!!


直後、咲良の脳内にその声が響く。それは咲良にいい意味で脳に大きな衝撃を与えた。

生贄になりたいという覚悟が一瞬でも緩んだのだ。


少しだけ


やっぱり生きたい…


そう思ってしまった。その思いは無意識に私が生きられる時間を伸ばそうとする。


「…諏訪湖に行けば、全部終わるのね?」


咲良は、足を引っ込めて戻ってくる。


「今すぐ向かいましょう。」


急に悠の目の前の結界が消え、支えが無くなったことにより、そのまま倒れる。


危なかった…このままだと本当に咲良が……


疲れていないはずなのに、俺は酸素を求めていた。


「早く!大雨で電車が止まったら長野に行けなくなる!!」


咲良は悠に鋭い目を突きつけてくる。


呆然とする泉を置いて、悠は咲良に歩いてついて行く。


そのまま二人は話す雰囲気のないまま、駅に着いた。


悠は切符を買う。


「まずは、静岡駅に行こう。そこから新幹線だ。」


ここは無人駅だった故、切符を使うのは到着駅の時だ。


そして、咲良と共に電車を待っていた。

悠がスマホで天気を確認しようと手をポケットに入れた。


「長野の方は雨だな。いや、ここ以外雨だ。」


スマホの検索サイトを開けば、大雨警報や避難情報が一番上に掲載されていた。

その下には”静岡県中部、新たな縄文時代の遺跡が発見!五千年以上前の遺跡か!?”というニュースがのっている。


「悠は本当に諏訪湖だと思う?」


「うん?ああ、過去で雨が降っていた桜ヶ池が生贄の場所だった。だから雨が降っている方だと思う。」


俺はこの時嘘をついた。それを後悔する。この時もっと話し合っていれば良かったと……


電車が来て、乗客が降りるのを待って…そして……


トンッ…


そんな軽い音が聞こえた直後、俺の身体は前へと倒れる。その勢いのまま、電車に乗る。悠はすぐに後ろを向いて咲良の名前を呼ぼうとした。


「悠…嘘ついたでしょ…本当の生贄の場所は諏訪湖じゃない。」


「雨友さんは最後にこう言った…


嵐の前の静けさ、必要な生贄は私だけでよかったんだ。


ってね。」


そんなの…知ってたさ…


悠はあの日、雨友さんの言葉を聞いて、生贄の場所の判別方法に気づいていた。


「神は静寂を尊ぶとも言うし…本当の生贄の場所は桜ヶ池よ。悠も気づいてるでしょ?」


悠は何も答えない。


「図星ね…」


「いいから乗れって!」


咲良が手にお札を持っていることを視認した悠は焦って手を伸ばす。だが、遅かった。


開いたドアの向こうには、結界が張られていた。」


そうしてドアがゆっくりと閉まり出す。


「どうして!こんな回りくどいことをするんだ!?」


最後に聞こえた悠の言葉はそれだった。


どうしてって…悠がいると覚悟が揺らぐからよ……。


咲良はゆっくりと駅を後にした。


ごめんね…ちゃんと未来は守るから……



悠は一人、電車で立ち尽くしていた。手から力が抜けて、切符を2枚落とす。それに気づいた子供が、


「お兄ちゃん落としたよ!」


そう言って渡してくる。


「…ありがとう。」


まるで生気のないお礼だった。

その切符を受け取ると、駅の名前が見える。

浜松駅

静岡駅と反対方向の駅だ。


俺が諏訪湖にもあの池にも向かわせないって咲良はわかってたのか……


悠の眼から静かに溢れた涙がこぼれ落ちた。


やっぱり俺は……無力だ。



光が届かない水の中で眠る神はゆっくりと目を開けた。


今度こそ……この間違った歴史が、正されると思ったんだがな……


悠は切符を静かに握りしめた。


これは違う!こんなのは間違っている!!


心の底でそう感じる。


感情が高ぶったところで何も出来ない。今から電車を乗り換えて戻ったとしても咲良には追いつかない。


自分の無力さが情けない。結局何も出来なかった。


「大雨により危険と判断しました。ただいまをもちまして、電車の運行を休止します。繰り返します……」


そんな焦る俺を嘲笑うかのように、電車は止まる。すっからかんの席の中、ドアに一番近い位置にゆっくり座った。


進めない。それは電車だけでなく、悠の心もだった。


しばらく沈黙が続いた。乗客がほとんどいない静かな電車内で…ただ、時間が止まっていた。


けれど、確かに時間は動いていた。一分、十分、そして三十分が過ぎようとしていた頃、スマホを取り出そうとした。スマホを取り出すと、紙が一緒に飛び出してくる。

それはゆらゆらと踊りながら悠の手のひらに着地する。


これは……《《お札》》だ。


いつ、もらったっけ?なんて疑問は今はどうでもよかった。これがあれば…これさえあれば…やり直せるかもしれない。

でも、俺にこれが使えるのか?そんなこともどうでもよかった。使えるか使えないかじゃない。


何としても使うんだ。


この間違った歴史を、正す…


その思いに呼応するように、お札はひとりでに光りだした。


「…え?」


俺は、お札を使おうとした。

だが…使った覚えはなかった。


そんなことを考える悠を虚しく光が包み込む。



光が弱まると、俺の視界には何もなかった。そして、現代より少し暖かく、湿潤。

建物一つない、あたり一面緑の森林が広がっていた。

そして、もう一つ気になることがあった。周りには大きい水溜まりがいくつも確認できた。さらには今悠が立っている地面は柔らかく、不安定だった。


今は何時代だ?そもそもなんでお札は勝手に?俺は咲良と別れる直前に戻ろうとしたのに…


後ろを向くと、巨大な湖があった。その湖は海と隣接していて混ざり合っていた。


まさか、桜ヶ池なのか?


でも、神社もないし、村どころか集落すらない。


「俺は本当に…どれだけ昔に来たんだ?」


何もない更地を歩き湖に近づこうとしたが、思っていた以上に距離は遠かったらしく、いざ着いた時には息が上がっていた。


そして、何者かがいたのだ。


十代後半ほどに見える少年だった。現代の人間とはどこか違う。

日に焼けた肌。長く伸びた黒髪。

動物の皮と植物の繊維を組み合わせた服を身につけ、首には小さな石の首飾りを下げている。


そのようなものたちが数人いて、こちらを警戒するように、鋭い目で悠を見つめていた。


なにかを訴えてくるが、まるで何を言っているのかわからない。


日本語ではないよな…


「あなたたちは誰?…ハ、ハロー?」


と試しに聞いてみるが、その者たちには通じている様子はなかった。いや、もっと英語の発音をちゃんとすれば伝わる可能性はあるけど…英語を今までさぼってきたのがあだとなったな。


どうしたものか…手詰まりだ。


そう考えていると、湖に異変が現れた。湖の真ん中で渦が発生し、水滴を雨のようにまき散らして現れる。その現れ方はまさしく超常現象。


長くて太いひげを生やしていて、また立派な金色の角の存在がひと際目立つ。巨大な蛇?いや…もっと神聖で…神のようだった。


「龍神?」


悠は思い当たる名を口にした。


「おお、そこにいるもの…手を貸してくれ。」


「日本語がわかるのか?」


悠は驚いた。まさか、人ではなく、龍に…


「もちろんだ、何せ我は神だ。お主と同じ時代の同じ言語を話せる。」


ほんとに聞きたい理由こそは出てこなかったが、その言葉にはどんな理由以上に説得力があった。


「なるほど、それで、手を貸してほしいというのは?」


「最近、世界中を巻き込む大洪水が起こってな…この者たちが我の住みつくこの湖に祈ったのじゃ。その最中に、少年が大洪水で濁りに濁った湖に巻き込まれた。」


「その少年は?」


「亡くなった…だが、この者たちは悲しむどころか、喜び始めたのじゃ。なにせ、その二日後に大洪水の水が引いたのじゃからな。もちろん偶然じゃ。我は何もしておらぬ。だが、その偶然を必然だと思い込んだ。」


「じゃあ、それをこの人たちに伝えればいいんじゃないか?」


悠は先ほど会話に失敗した人たちの方を見る。


「説明は何度もした。じゃが、納得するどころか、この者たちは妙なことを始めた。」


「妙なこと?」


「あの少年と同じ一族の者を、数年に一度この湖へ連れてくるようになった。」


「……《《生贄》》?」


「お主の時代ではそう呼んでいたな。」


それを聞いた悠は苦笑いをしだす。


そんな…まさか。

生贄そのものの伝承が間違っていたなんて……。


しかも、今まさにそのターニングポイントに自分がいる。


これですべてが救える。


間違った歴史を絶やす。


…咲良を救える。


今までの咲良との思い出が脳内で再生される。そして、一つの疑問が生まれた。


本当にここで未来を変えてもいいのか?


今まで、少しの勘違いで間違った歴史が伝わり、多くの人が苦しんだ。

安易にここで歴史を変えると、間違った未来に……。


そこまで考えた悠は一度大きく深呼吸をした。


「ふーーーはぁ……。」


そのために、巫女がいるんだろう。彼女なら、咲良なら新たな間違った歴史をきっと修正してくれる。


それは他力本願かな?


心の中で笑いながら言葉を治す。


「俺も手伝う。一緒に……間違った歴史を、君と正すよ。」


「何か言ったか?」


「いいや何でもない。俺たちが間違った歴史を正すよ。」


「やはり、お主を呼んで正解だったな…」


ポツリとそんなことを龍神が言った。



悠は黙々と作業を開始した。石碑を掘り、絵で物語を作り出したのだ。口では簡単だが、多くの時間を費やした。


これなら通じるだろ?ていうか通じてくれ。




咲良は桜ヶ池に飛び込む直前だった。


気づけば自分の家にいた。

父が目の前に座っている。


なに?どういうこと?私さっきまで……。


「あの…私って夏焼村に派遣されたことあった?」


…え?私にを聞いているの?なんで知らない村の名前を?


「どこだ、その村は?」


「そ、そうよね、私も知らない…」


苦笑いでごまかすと、父は疑問に思いながらもこう言う。


「とにかく、任務ご苦労だったな。」


「あ、ありがとうございます。」


なにか忘れてる気がするんだけどな〜


部屋から出て、廊下を歩いていると、テレビの音が聞こえた。無意識に私はその音に引き付けられて、それを目にする。


「続いてのニュースです。静岡県中部で、新たな縄文時代の遺跡が発見されました。

今回発見されたのは、約五千年前のものとみられる集落跡でなんと!絵本のような、小説のようなものが書かれている石碑が見つかったのです。奇跡的に保存状態は良く、こちらが実際の写真です。」


それを見た咲良は目を見張った。

その物語を読んでいるうちに、やがて、目尻が熱くなり、水が頬をつたる。それはとどまることを知らずに次々と流れる。だが、咲良は決してそれを止めようとしなかった。


どれも下手な絵だった。本当に…下手なのに…私はなぜかその絵を理解することができた。


パンのようなものを咥えた少女が少年を助ける絵。


「何だろう…これ?」


いろんな人に聞いて情報を収集しているような絵。


「アイス…」


上空から落ちてくる怪物を差し置いて少年少女が言い合っている絵。


「なんでこんなに…懐かしいんだろう。」


深夜の神社に侵入する絵。


「この場所…知ってる。」


雨風の中、少年が少女に覆いかぶさっているような絵。


「…ゆう。」


少年を湖に落とそうとするような絵。

龍のような生物が首を振っている絵。


そして最後に、湖の前で誰かを待っているような少年の絵。


「……悠。」


気づけば私はそんなことを呟いていた。

咲良は、やがて膝をついて嗚咽を吐く。


「法則性もありませんし、専門家も大変混乱しています。今後は……」


そこで咲良はテレビのボタンを押し、電源を消した。



涙をこらえようとしても止まらない涙を私は手で優しくなでる。


…思い出した。


全部思い出した。


これは私と悠の物語だ。


咲良は廊下をまた走り、自分の部屋に向かう。そして、引き出しからお札を取り出した。


「待っててね、悠。今度は私が……迎えに行くから」


お札を見つめる咲良の口角は少し上がっていた。


次の瞬間、お札はひとりでに光りだす。


え…?私まだ何も……


そう考えた時は遅かった。


目を開けると、目の前には体育座りで湖を眺める少年がいた。


「悠…」


私はその少年の名前を呼んで近づいていく。

悠は一瞬驚いた様子だったが、ゆっくりと後ろを向く。


「悠ね~片道分のお札しか持っていかないなんて、私が石碑に気づかなかったら…」


「しょうがないだろ?勝手にお札が光だしてこんな大昔に来させられたんだから。」


久しぶりに会ったならもっと感動的な再開な感じがあったのだろう。けれど、二人にとっては電車で別れたのはついさっきの出来事なのだ。それゆえに、いつもみたいな微笑ましい言い合いから始まる。


咲良は微笑みながらゆっくりと悠の隣に正座で座った。

しばらく何もない間があった。だが、その静寂を咲良が破る。


「久しぶりにパン食べる?」


「かえって白米を食べる。」


「パン派の敵め!」


「過激派だな!」


その返答が帰ってきて、即自分の口でパンを咥える。


「…で、何を変えたの?」


もぐもぐしながら、咲良が聞くと、


「生贄そのものが間違った歴史だった。生贄が必要だと思ったのは勘違いだったってわけだ。」


そういうことね…なんか、さっきまでの行動が恥ずかしくなってくるわ。


そして…


そっか…龍神は私を守ろうとしていたのね。


咲良の心の中でいろいろと納得した。


「とりあえず、帰りましょうか。」


パンを食べ終えた咲良は立ち上がり、悠に手を差し出す。


「ああ、」


その手を取り、二人は優しい光に包まれる。


「悠…助けてくれてありがとうね!」



湖の一番底、光がほんのり届くこの場所で、龍神は長い身体を渦巻き状に巻き、眠ろうとしていた。


人間の問題は人間に解決してもらいたいからな…………あの者を無理やりにでもこの時代に連れてきたのは正解であった。お札の材料には我と関係のある何かを使っているのであろう。でも……時間を自由に飛ぶのは……疲れる。


でも…ようやく……ゆっくり眠ることができる…………。


龍神はゆっくりと目を瞑り、長い長い眠りにつく…………。



光が収まると、咲良は桜ヶ池の目の前にいた。私はすぐに走り出し、あの場所へ向かう。鳥居をくぐって階段は飛んでジャンプし、華麗に着地する。走って、走って、走って、私はもう一つの神社に向かう。


近道は…こっち!


階段を上るのではなく、森の中を走り抜けて、草むらから私は飛び出した。


「いけなーい遅刻遅刻!!」


草むらを抜けた先には一人の少年がいた。


少年はゆっくりと振り返る。


「……咲良?」


「……悠」


二人の目が合う。


そして、二人とも微笑みを交わしあった。

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