6話 魔術の実践
小さな少年は、泣き叫びながら母に縋り付いている。
母の手には少年の物であるキツネのぬいぐるみがあり、それをハサミで破壊していた。
声を無視して、破壊を続ける。
キツネの耳を切り落とし、両腕を切り落とし、中の綿を抉り、全体をハサミでズタズタにしたあと、力任せに手で引き裂いた。
「あぁっ……」
目の前にこぼれ落ちてきた綿を見て、絶望する。
少年はようやく静かになった。
母は手を止め、持っている綿と布のゴミを、無造作に床へ投げ捨てた。
ぬいぐるみの目だった赤いビーズが床を転がり壁に当たって、小さく音が鳴る。
彼女の絶叫の合図だった。
「勉強しないなら、他のぬいぐるみも同じようにするからね!!」
キーンと響く、ヒステリックな怒鳴り声。
少年は嗚咽しながら何度も謝罪する。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
座り込んだ小さな背に、扉が閉められる暴力的な音がぶつかった。
謝罪を繰り返す少年の横を通り過ぎ、大きな音を立てて、部屋の扉を閉めて行ったのだ。
階段を降りる音を聞くと、静かに、床に散乱した綿などのゴミをかき集め、それを抱き締めて、また泣き始める。
「……うぅ、うあぁぁん」
父が帰ってくるまでのあいだ、ずっとそうして泣き続けた。
あまりにも長い時間泣き続けたので、めまいがあるのか、今は座りながら少しぐらぐらしている。
「ほら、また買ってやるから。一旦落ち着け」
「ごめんなさい……」
帰った父は背中を優しく撫でながら部屋を見渡し、また彼へ視線を戻す。
「また同じのが欲しいか? それとも、今度お店に見に行こうか」
「いい」
機嫌を取るように、優しく話し掛けた。
少年は袖で涙を拭い、鼻をすすりながら静かに答える。それは不貞腐れている訳でもなく、ただ気落ちしているようだった。
「こ、今度のテスト、100点取ったらでいい」
「100点?」
「うん。お母さんと、前のテストで100点取る、って約そくしてて、それでダメだったからおこられたの」
「そうだったのか。じゃあ、それはお母さんがやり過ぎてるよ」
頭を撫でてベッドへ座らせ、ティッシュを渡した。
「ケイ。またぬいぐるみ買いにいこう。何点でも、俺からすれば自慢の息子だ。またお母さんに壊されないように、でっかくて強いやつ買おうな」
少年は俯いたまま黙りこくる。
父が顔を覗き込むと、また涙を溢していた。
追加でティッシュを渡されながら、たどたどしく話を始める。
「ぼくが悪いの。だから、お母さんはね、朝5時に起きて、朝ごはん、美味しくてむずかしいのを作ってくれてね。お家もお庭も、友だちのお家よりピカピカでね。たくさんがんばってくれてて、だから、ぼくも同じくらい、すごくならなきゃなの」
父は嫌そうな顔をした。
ケイは俯いていて、その様子には気付いていないようだ。
必死に話す。
「だから、ぼくが悪いの。たくさんがんばるの、お母さんに返せなかった」
「でも、今度絶対にぬいぐるみ買いにいこうな。100点でも0点でもだ」
ケイの話をなかったことにして、話を終わらせる。
二人で床の片付けをして、それが終わると父はドアの方へ歩き出した。
その背中に向かって、最後に言う。
「お父さん……! ぼく、お母さんのこときらいじゃないから」
「おう」
返答は素っ気ないものだった。
下へ降りていき、しばらくすると、下の階から両親の口論と、互いに向けた激しい罵声が響く。
ただ、布団に包まって耐え続けた。
「おはよう!! 早く起きなさい!! なんでそこで寝てるのよ」
「う、うぅ」
(昔の夢か。なんで今……)
朝早く、アイシアはケイの部屋に突撃した。
寝起きは最悪だ。
「はぁ、はぁ……。お、おはようございます……」
「どうしたの? 顔色悪いけど。地べたで寝ていたから風邪でも引いた?」
ケイを覗き込む。
金髪がパラパラとこぼれて、彼の頬をくすぐった。
それから顔を背けるように、寝返りをした。
頬を掻きながら言う。
「大丈夫です。ちょっと悪夢を見ていたようで……」
もう帰れないのは、最初の方から分かっていた。
ケイは諦めて身体に力を入れた。
全身の痛みに唸りながら起き上がり、もたもたと準備を始める。
いそいそと鞄を漁るケイを、つんと指で突いてくる。
「アイシアさん?」
手を止めてアイシアの方を見る。
すると、真剣な様子で話しだした。
「ケイ。昨日は説明できてない大事なことがあったわ。それと、ここ出る前にさ、流石にあんたの身分をもっと大きな街で見た方がいいわよね。あんたはいいとか言ってたけど、私はだめだと思ったの。
本当はそんなに急がなくても大丈夫だからさ」
「いえ、大丈夫です。多分、意味ないですから」
そう返事した直後、内心焦った。
今の言葉に配慮はなく、彼自身の絶望だけが乗っていたからだ。
慌ててアイシアの方を向くと、見るからに機嫌が悪くなっていた。
「あっそ。何かあるんだったら、私を巻き込まないでよね」
「アイシアさんを困らせるような事は無いです。すみません」
冷や汗をかいた。
気まずい空気の中、淡々と荷物をまとめ、またアイシアの方を見る。
そっぽを向かれてしまった。
「……」
ケイは感じていた。アイシアはまだ、彼を信頼していない。試している最中なのだ。
だからこそ、ケイは自分のことについてどこまで話すべきか迷っていた。
二人は朝食を食べに、無言のまま部屋をあとにした。
「明日、この街を出るからね。出発は夜になると思う。その予定で組んでたから、変更はできない」
「分かりました」
「次の街は治安がちょっと悪い場所よ」
「全然大丈夫です」
会話では、ケイは終始唯々諾々としているばかりだった。
彼にとって、場の空気を和らげる手段はそれしかないせいだ。
すると、ついに気まずい空気に耐えかねたアイシアは、料理を食べ終えると深呼吸をして、明るい声色で話し出した。
「こほん。天気も良いし、これからさ、ちょっと魔術の練習してみない? まだ気が早いかもだけど、私の剣術見て、補助のイメージしたりとか」
「は、はい。分かりました」
彼女は少し考えて、独り言のように言い出す。
「ケイ、やっぱり、さっきのことはなしにして。あんたに何か事情があって、たとえ私が巻き込まれても、別に気にしないから。私強いし」
ケイは困惑しながらも、それを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
アイシアは言ったあと、髪で顔を隠すようにしながらさっと立ち上がって、すぐに後ろを向いてしまった。
もう出発するのかと、慌てて立ち上がった。
昨日、本には目を通してある。
アーティファクトを見たので、魔術の存在に対して懐疑の念はほとんど無い。
「郊外にちょうど良い所があるのよ」
二人は街の外へと向かうことにした。
(あれ? さっきすれ違った人……)
郊外の野原に行き、アイシアはケイが本を見ている間、好きなように素振りを始めた。
空は晴れていて、風は冷たい。地面には小さな白い花がたまに咲いている。
「ふんっ、はッ!」
アイシアは銀睡蓮の細剣を振る。
動きの確認のため、速度は落とされているが、それでも武人でない者にはあまりに素早い。
ケイの目では中々追えない速度だ。
何回か見せて満足すると、手を止めて、自慢げにした。
「ふう、どうよ。発動のタイミングとか掴めそう? 実戦だと、もうちょっと速くなるけど」
「……はい」
実戦という言葉に微妙な顔をして、逃げるように手元の本を開いた。
例のクマみたいな奴と戦う羽目になるなんて……現実を直視したくない。
「ケイ、早く練習を始めなさい」
「はい」
アイシアの次はケイの番だ。
彼は一旦実戦については忘れて、今から行う魔術のための気合いを入れることにした。
「ふう、よしっ」
満足するまで本を読み込むと、立ち上がって数歩前へ出た。
本のページを頭の中で完全に構築し、杖を握る。
ゆっくりと確認するように術を詠唱した。
言語の情報がいきなり流れ込んできたときに比べれば、本の内容を丸暗記するくらい、ケイにはなんてことない。
熱に似た感覚が、杖を握る手へ集まるのを感じた。
本能が訴えている。今から、魔術を使うのだと。
(本当に魔術ってあるんだ……!)
感動を覚えた。
杖の先を見ると、魔術を発動させる宝石の部分が眩く光っている。
手へ集まった熱は、杖と手の接触している部分から杖を伝い、そこへ集まっているのだ。
「えいっ」
この時点で詠唱は半分も終わっていなかったが、杖の激しい光が限界を訴えているように感じ、それを丁度良い場所に飛ばすイメージをして、少し力んだ。
術式の陣が構築され、それは杖の光を吸収すると、水が生成される。
的は切り株の上に置かれた小さな置物だ。
(あれ、詠唱を最後まで言わなくても、案外いけるもんだ)
生成された水は意識通り、水鉄砲程度の威力で、用意していた的にぶつかった。
水の魔術は生活ではかなり便利な上、応用を利かせれば戦闘でも使い勝手の良い優秀な魔術である。
「あんた、早速詠唱を短縮して……。高ランクの冒険者みたい! やっぱり私の目は間違ってなかったわ!」
アイシアは目を輝かせた。
ケイも幼少期以来の高揚感を感じている。
(魔術、使えた! あれ、でも魔術って詠唱無しでも、今の感覚を引き出したら使えるんじゃ)
アイシアは少し後ろへ立って、魔術の様子を見ることにしたようだ。
(いいや、初めてだし、まだ実験はよそう。それより、後ろのアイシアさんにもっと凄いって思ってもらわなきゃ)
思考を切り替え、背後から見られている気配に、より気合いを入れた。
「良い感じね。本にもあるだろうけど、詠唱の短縮は才能がないとできないの。他の奴に取られないようにして正解だわ」
「はい。これって普通の感じじゃないんですね」
杖の先端を見つめた。
早速次の魔術を使う準備が整うと、構える。準備とは杖の損傷がないか確認し、違う詠唱に変えるだけだ。
「ふんっ」
また詠唱は途中までしか言えず、我慢できずに、全てぶちまけた。
次に使ったのは、風の魔術だ。
それは音速で宙を切り裂き、切り株に用意した的を真っ二つに割る。
それだけでは止まらず、切り株の10mほど向こうにあった低木すらも派手に剪定した。
しかし、ケイに喜ぶ様子はない。
(あれ、この感覚はなんだ……)
なんだか、得体の知れない不安に襲われている。
一瞬呼吸が止まり、冷や汗が額を伝う。
アイシアの興奮した声で戻って来れた。
「おお、やっぱあの魔物をやったのはこれよ! この風魔術の綺麗な切り口!」
思考をもとに戻す。
「ケイ、次は私の番よ! 見てなさい!」
ケイの魔術の素晴らしい切れ味を見て、彼女は気が変わったようだ。
再び剣の練習に向かう。
ケイは魔術の行使で疲労を感じたため、今度はそれを観察することにした。
服を捲って、冷たい風に素肌を晒した。
魔術を使ったため、身体に魔力が巡っているのだ。そのせいで、身体は熱を持っていた。
それだけでなく、凝りが解れたような心地よさもある。
あの痒さもなくなり、完全に心地よい熱に変わったようだ。
身体が軽くなったように感じながら、アイシアの動きに集中してみる。
驚いた。
今までにないほど、彼女の動きに全神経が反応していた。身体も脳の回転も、何もかもが軽やかでスムーズに流れる。
魔力の流れによって、彼の身体に変化が生じているようだ。
先程の不安をもう忘れ、ケイは楽しくなって動きを見るのに夢中になった。
手首のスナップを利かせて、同時に素早く踏み込んで切りかかる。
先程までは分からなかった、アイシアの動きだ。
アイシアの情熱的で必死な剣捌きは、今のケイにとって魅力的に見えた。
次第に、やってみたいと考えるようになる。
それは抗えない欲求だった。
「あ、アイシアさん!」
「ん? 何よ」
気付けば、声を掛けていた。
「あ、えーっと。僕も剣術に興味があります」
「ふん。まあ、良いけど。でも魔術の方が優先だからね」
「分かりました!」
今なら、アイシアと同じ構えを再現できるかもしれない。
小走りで向かう。
純白の剣が、陽の光を反射した。
それを使おうとしたが、練習用の適当な棒を押し付けられ、気が変わってそれで構えを真似し始めた。
(確か、足の位置はここで、剣はこう持って、剣の向きはすごく微妙だけど、多分、両足を結ぶ線からこの角度くらいに……よし、これでどうだ)
「ん……?」
すると、それを見たアイシアは怪訝な表情を浮かべる。いや、怪訝というより、それは敵意に近い。
「あんた、誰に習ったの。まさか実家の使者?」
「え? いや、僕は違」
言いかけたところで、アイシアは即座に体の向きを変えた。
あまりの速さに驚いたが、どうやら彼女の警戒している方向は、ケイの方だけではないようだった。




