破
世界はクソだし、賃労働もクソだ。
ついでに言えば資本主義もクソだが、アカはもっとクソだ。そのクソそのものが人生だ。
しかし生きると言う屈辱と苦痛は酒だとか哲学なんかじゃ緩和されない。セックスも睡眠薬程度の効果しかない。
そして眠れば悪夢を見る。
全てがクソだ。
そうやっておれたちは、一生懸命がんばって死のうとしている。
眠りの次に死に近いのはスピードだ。
それもバイクがいい。アクセルを開けばスピードが出る。スピードは死そのものだ。
でも雨が降る日はバイクに乗らない。
乗れない事は無いが乗らない事にしている。カーブを曲がりたくなくなって、ハンドルから手を離すなら、それはおれの希望だ。
しかしタイヤが滑って転ぶのは単なるマヌケだ。そんなのはゴメンだ。
賃労働のために電車に乗る。
まるでそびえ立つクソだ。いや、世界と言うクソの中を水平に流れていくおれたちがクソそのものだ。
電車の速度は死からほど遠く、車輌の中も駅も酷く無秩序で、それはつまりクソだ。
少なくとも道路交通法に支配された道路は幾分かマシだ。
それでもマシと言うだけに過ぎない。クソはクソだ。
とにかく雨の日は仕方なく電車に乗る。
おれはその日も職場から最寄りの駅まで歩いていた。
濡れた路面に繁華街の電飾が反射して鬱陶しく感じるが、外国人旅行者たちはSF映画のようだと喜んで撮影していた。
白人のチンポを喜んで舐めるクソと、白人のケツを喜んで舐めるクソばかりだ。
おれたちは生麦事件を忘れてしまった。
おれたちがクソになったのはその所為だ。
雨が降っている。クソが積もっている。
おれたちは安物のビニール傘をぶつけ合いながら繁華街を抜けて駅前の交差点にたどり着く。
その時だ。
「もう厭なの」
女の叫び声が聞こえたんだ。
それは何週間か前に家の近所にあるバス停で遭遇した女の声だった。
おれがバスの中でセックスをして世界が終わった時の女だ。
その新しく始まった世界もクソってことを思い出した。
「もう厭なの」
女は同じように叫びながら横断歩道を歩いていた。
おれもだよ。もう厭だ。
どんな世界もクソだ。おれは疲れた。
スクランブル交差点の信号は赤に切り替わっていた。だが女は気にするでもなく力無い足取りでふらふらしている。
停止線から頭を出した車はジリジリと進み、いまにも走り出しそうだった。
叫ぶ女は轢かれるかも知れないと思った。
世界はクソだ。だが目の前で人が死ぬのはもっとクソだ。
「もう厭なの」
そう叫ぶ女を歩道に引っ張ろうとして、果たしてその女は実在するのだろうかと気になった。
非実在の女であれば轢かれる心配は無い。
現に車はクラクションを鳴らすでもなく、また歩道にいる人々も女を気にかけるでもない。
都会にありがちなクソみたいな光景と言えばそれまでだ。
だが果たしてそれだけだろうか。
家の近所で遭遇した女と、職場の近所でも遭遇すると言う気味の悪さに背筋が寒くなる。
「もう厭なの」
女はあの時と同じように繰り返し叫んでいる。
誰も車道にいる女を気にかけない。
それは社会性なのか女が非実在なのか。
電車通勤した事を後悔しながら、おれは女の手を引いて服を脱がせた。
非実在なら構わないはずだ。
世界はクソだ。クソの中でクソみたいなセックスをしてクソみたいな眠りに落ちる。
それの何が悪いんだ?
スクランブル交差点の真ん中で眠っていると、空から降る一億のクソが世界を包み、再び世界は終わった。




