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塀の向こうで

作者: 鱈井 元衡

武井たけい克滋かつしげ(2013-2091)


21世紀中期を代表する社会学者。

昔から他人とそりが合わず、山里に暮らすことを理想にしていたという。救国戦争における凄惨な状況を目にしており、それ以降反戦・反ナショナリズムを唱えた。哲雄体制に疑義を呈する内容のため多くの著作が発禁処分に処された。2058年にはSNS上での反社会的投稿が理由で半年ほど投獄されている。後、哲幸によって歴史研究機関理事長への就任を打診されるが、拒絶した。

彼の文章はいずれも第二次立憲君主制時代の最後の平和と、その破綻を克明に語っている。

『塀の向こうで』は2064年九月六日、自身のブログ『虹の製造過程について』にて発表された記事。


――


 教壇に立つために道を歩く際、必ず常に特殊鉄鋼・宇治支社――もとい、救国軍宇治駐屯所を通りかかる。

 鉄筋コンクリートで頑丈に作られたこのベージュ色の建物は、戦火にさらされずなお堅牢な姿を誇っている。

 そして、高い所に『救国軍本部』と大きく記されている。いかにも、国家を鎮護するものであると主張するかのように。

 だが、特殊鉄鋼時代のロゴや標語は完全に塗りつぶされておらず、なおも判読できる。通りかかるたびに、旧特鋼の社員が詰めているのが見える。

 そもそも、制度の外にある者が国政を壟断している現状が異常なのだ。

 人々がそれを不本意ながら受け入れている様子を見ても、これが国家か? と問わずにはいられない。

 国民にとってもはや政府や政党ではなく、民間軍事会社の一社員が頼みの綱となっているこの状況が。

 だが、ずっと昔から、この状況に至るまでの軌道は敷かれていたのだ。



 現代日本の情勢は明治維新以来の共同体の解体の最終段階にあると言える。日本では21世紀に入って、国家の存立基盤、大衆を動員するための目的を何に刷新するかでずっと争い続けて来た。国民が本来の共同体を失い、精神的な空虚に苦しむ中で、それを埋め合わせる代替品が、危機感という麻薬をスパイスにして縦横無尽になだれこんできた。

 中央集権体制は、国民に強固な連帯意識を生み出すが、一端崩壊してしまえば人々から紐帯の理由を奪い、虚無にすべり落としてしまう。

 明治維新以来、廃仏毀釈、太平洋戦争での敗北によって人々は少しずつ自分たちが持っていたはずの文化的背景からすべり落ち、帰属するものをはぎ取られていった。

 長きにわたるゆるやかな社会の解体の末に、国民の精神にはまっさらな虚無しか残らなかったのである。

 そして危機的状況は人々の虚無の中に狂気を注ぎ込んだ。

 奴隷貿易によって母国を失ったアメリカ黒人と同じく、あったはずの根源を失わされたことで凄まじい孤独に身をおかなければならなかったのである。本来あったはずの何かを再建しなければならなかった。


 21世紀初頭から特殊鉄鋼をはじめとする大企業は人間の自由な往来を制限し、従事させるような方向性に移行していった。

 そしてそれは、人的資源の流出を防ぎたい国家の思惑とも合致していた。

 とにもかくにも国民が必要だった。出生地主義に関する、2038年のあの法改正によって大転換が起こるに至る。

「それまで選挙権がなかった在留者にも国民としての尊厳が与えられる」という賛成意見もあれば、「これは日本国内における民族同士の闘争を招来する」という否定意見もあった。

 いずれにせよもはや移民によらなくては成り立たないことは誰の目にも明らかであった。

 だがこの権利の拡充は、法の平等や人道的見地といった綺麗な物から来るものでは決してない。

 そもそも、なぜ日本の生まれたからといって、日本国家との、国民としての契約を結ばされねばならないのか。結局それは、人間の自由な思想信条の選択を疎外するものではないのか。

 この法改正は要するに、「日本に生まれた者は誰しも日本人でなければならない」という脅迫であった。この国に生まれた以上、というドクサを自明にするものであった。

 かくして、国家はその構成員の内部に差異があることを許さない。

『日本人』に包摂される人々が急増する中で、まず彼らが抱いたのは、自分たちの中に内通者がいるという恐怖であった。彼らは社会秩序の破壊者であることを免れ得ないと。

 しかし、そのような恐怖を抱く人は、受け入れる者も、受け入れられる者も、共に根本から変革しなければならない、ということを見落としている。

 元から日本に居住する人間にとってすら恩恵をもたらすものではなかった排外主義はなりをひそめたが、その一方で急速に権力への期待は高まっていった。あらゆる共同体から振り落とされた者は、ますます国家と自分自身という閉じた関係にはまりこまずにはいられない。国家への従属ではなく、より下層の地域社会への回帰を志す者もいたが、世界的に戦乱がうずまく時代にあっては国家への過剰な期待の方が勝った。国家が福祉や権利を保証してくれた時代ならそれでも構わなかったかもしれないが、問題は国家がすでに社会に対して果たす役割が縮小しているにも関わらず、いや、だからこそ、国家に多くのことを委ねねばならなかったことだ。振り返って自分自身を見ると、

 文化的に均質性をもたらすことが非現実的である以上、結局政治的信条の合致を求める方向性に転換していくのは必然であった。なぜ日本に生まれ暮らすものでありながら、日本国家への忠誠を示さないのか。民族としての日本人をとるか、政治的集合としての日本人をとるかの意識のゆらぎは、ここに至って思わぬ解決策を見いだしたのである。

 権利を主張する前に義務を果たせ。人々は政府や資本家よりもむしろマイノリティに不満の矛先を向けた。何十年間もこの国では繰り返されてきたことではあるが、それまでの違いは彼らがもはや同族を扱わねばならないことである。少なくない人間にとってそれは耐えがたい苦痛だった。

 それに対する抗議の意思は、各地でパニックを引き起こした。こういった事例ははるか10年代でも見られたが、その頃と異なるのは明確な犠牲者が出ていることである。

 特殊鉄鋼もこうした情勢を収拾するよりは、むしろインターネットの広告による収益を得る好機として、積極的に利用した。これによって特鋼にどれだけ莫大な金が入ったかは、戦後間もない頃に暴露された数々の報告によって明るみに出ている。


 別の方向からこの施策に反対する者もいた。権利を付与されるのを望まない人だっている、という意見もあった。

 では、共同体に属することを望まない人間の存在を是認するというのか。そもそも見ている物が違うのだから、噛み合う議論となるはずもないのだが。


 誰もが、この歴史的転回にあたって、古いアイデンティティに固執したわけではなかった。中には、新しい国民意識の創出を企んだ者もいる。

 松浦まつうら千春ちはるは、なお日本人たることを望む人々に向かって、『太平洋主義』への転向をすすめた。日本の文化がミクロネシアやニューギニアとの近似性を示しているという理論の元に、このアイデンティティに至ったのだ。

「我々はもはや日本人ではない……『太平洋人』なのだ!」

 松浦は文化的に近似である中韓を謝絶し、東南アジア諸国に接近することを主張した。

 このような発想は、いささか突飛に過ぎたようで、大多数の支持を得るには至っていない。だが、存在するはずのない過去の理想をでっちあげる手法よりはましな代物といえるかもしれない。

 しかし、大和民族とそれ以外の人間という別は、実際の個々人の民族意識の複雑さを無視して厳然たるものであるかのように振舞った。

このような中で、用語として立ち上ったのが『血の清さ』である。

 非大和民族の台頭を危惧する世相の中、SNSでは、選挙になるにつれて「私には一滴も外国人の血など流れていない」というのを強調するような投稿が相次いだ。

 縄文主義活動家の伊沢いさわテトは2043年、自分が執筆した新生国家案の中で、疑似的な身分制度を構築しようと企てた。彼は科学的な手法を用いて自分の純血性を確定し、先祖代々日本人であるかどうかの血統証明書の提出の義務付けすら提案した。

 このような主張は無論荒唐無稽な物としてはねのけられたが、「大和民族とそれ以外の日本人の間には差別がなければならない」という無意識のドクサは社会の分断を煽る要素としてくすぶり続けた。国籍を取得するために自衛隊への入隊を強制しようとする意見がまかり通った。

 まさに、近世スペインの異端審問と同じような悲劇が繰り返され続けた。ユダヤ教徒やムスリムから改宗してキリスト教徒となった者たちが、旧来のキリスト教徒に、本当の改宗者であるかどうかを疑われたように。

 そしてこの時には、新しい日本人が本当に日本を愛する者であるかどうかを疑った。

 古くから日本人と呼ばれた者の間でも、このように愚かしい猜疑心を起こすに至った。

 遺伝子をナチスのアーリア人理論を思わせる疑似科学が復活した。

 このように浅ましい状況の中で、他人への不寛容をあらわにするハードルはただ低くなり続けて行った。


 こうした状況を見ると、不思議に思う。たとえ民衆や人種が異なっても、同じ目的の元に結集する政治的集団として立ち上がることこそが近代精神の帰着点ではないのか。そして実際、日本でも同じような状況が要請されたにも関わらず、結局内紛にも似た混沌を生じ、その解決のためにもっとも忌まわしい手段にいきつかなければならなくなった。

 人々は敵意を向けられないために、周囲に同調するためには意見をどんどん過激にするしかなかった。

 もはや民族としての日本人は存在せず、単なる集団としての日本人しか存在を許されなくなったのである。

 漂白され続ける中では、民族の違いなどもはや問題にならず、渡辺派の中にも、縄文主義者の中にも極端な思想を唱える海外移民がいることがそれを照明している。新参者であるかあらこそ、極端に保守的な一派に組する者はいつの時代でもいる。

 20年代に活発化した多様性や共生の議論は内戦の後、完全にいかに市民を均質な思想信条の元に統率していくかをめぐる戦略に乗っ取られてしまった。誰もが多様な国家の姿を唱えたが、それらは混沌によって全て吹き飛ばされ、ジェンダーを巡り侃々諤々と交わされた意見も、結局男性性への傾倒という結論に至ってしまった。誰もが世界を支配しようと望んだ。

 支配への欲望がただ、無意味に拡大し続けた。


 だがその欲望にも一端歯止めがかかった。


 列島を血に染めたあの戦争によって人々は生き延びることに躍起になり、誰かを目の敵にする暇はなくなった。とにもかくにも、人々は憎悪に疲れた。敵意だけで人間は前身できない。社会の維持のためには他者との共存、共存のためにはある程度の譲歩、妥協が必要であるということを廃墟を目の前にしてようやく人々は思い出したのだ。2049年を最後に、戦争による治安の悪化を名目として、長らく続いた労働力の受け入れも停止された。

 そして、先の戦争を天災だと思うことにした。これが自分たちの失敗によって引き起こされたと考えたら、到底精神的に持たなかっただろう。

 ひとまず最低限の一致団結で野放図な闘争を少しでも制御しようとした。それは一抹の良心と呼べるものだったかもしれない。

 だがそれを収束させるのがひとえにあの男に手のひらにあるということがこの国にとっての絶望であった。

 この頃になると縄文主義者の暴力も渡辺氏の台頭により見境のないものとなっており、もはや大土偶への帰依を人々に宣べ伝える宗教団体を偽装することで当局からの追及を避けようとした頃の穏健さは影も形もない。

 そして東北・北海道に割拠する佐藤政権はいまだ健在であり、本州以南にとっては脅威であり続けている。一層現実的な危機感を抱かせる問題として、住居から離散し、社会や国家が把握できなくなった人々のことだ。

 渡辺氏の台頭以前からすでに「日本国民たるものはすべからく日本国家に属するべきである」という思想が根付いていたこともあり、社会から見捨てられ、不可視化された落伍者は恐怖の対象であった。まさにそういう人間こそ縄文主義者や保守派移民は何よりも嫌悪し、排撃したのである。

 彼らが復讐する可能性に人々は怯えた。縄文主義者は、それまでは移民に対して差別的な言辞を弄していたが、この頃から自分たちからの離散者に矛先を転じるようになった。良心的な者たちの庇護を受けて社会になじんだ新参者ですら、社会から疎外された同胞たちに対して厳しい言葉を向けざるを得なかった。このような発言に駆り立てた状況に罪があると分かっていても、である。こうした落伍者が集う集落と、そこで行われる人身売買や麻薬密売について特集したルポも、人々の憎悪を煽った。外国勢力との繋がりを陰謀論的に示唆すれば、彼らを非人間的に処理してますます下層社会に封印することなど日常茶飯事だった。

 もはや日本人の条件は、国家へ所属しているかどうかだった――厳密には、それぞれが勝手に思う国家像に。もう誰も日本の歴史や文化に興味など示していなかった。

 日本国統合の象徴とされた皇室に対する敬意も消え失せてしまったようだ。


 元々すがっていたのに引きはがされた物を取り戻すかのように、民衆は誰が最も国家その物になれるか競い合っている。自分たちが猜疑心以外に何も持ち合わせていない、後ろめたい愛国精神こそが市民の原動力だ。

 かつて、政府が機能し、国民の生活を保障してくれている間は、そのようなことは必要なかった。

 しかし今ではもう国家は公助などを提供してくれない、虚像のような、干からびたものになったにも関わらず――いや、なったからこそ、ナショナリズムが勃興しつつあるのである。

 こうして荒廃した社会の元で、ますます、権利を主張する前に義務を果たせ、という虚妄が肥大している。

 ここ数年、渡辺氏の提案の元で再び徴兵制復活の議論が激しくたぎっている。表向きは、混渦巻く世界情勢の中で、全国民がいつでも有事に備えられる体制を整えるためというのが名目となっていた。

 これを私は、彼が裏切り、破壊した特殊鉄鋼の遺志を継ぐものでしかないとみる。

 かつて日本人が出生地主義とは、市民の平等という美しい建前のもとに、人間を限られた土地の中に囲い込み、私有化するシステムであることを否定できない。そして渡辺氏の施策はそのデメリットの最悪な一面を体現するものであるように思えてならない。

 ここ数年では、嫌悪感に基づく愛国精神の発露というブームにもとうとう陰りが見えて来た。渡辺氏の元での復興、そして佐藤政権討伐という二大テーマはヘイト疲れを起こした国民に新しい活力を与えた。

 救国軍・自衛隊連合軍の奮闘の末、仙台以南の地域が解放された今、佐藤政権掃討のために入隊を志願する若者が後を絶たないという。

 このありさまでは、他国との連帯など起きるはずもない。大アジア主義や太平洋主義などの超国家主義思想が入り込む余地など彼らにはありそうにない。

 私は、渡辺氏の思想に共鳴し、軍事教練を擬したスパルタ教育を施す施設を見たことがある。ブロック塀の向こうでちょうど、匍匐前進をしている所だった。

 参加者には女も男も、肌の白い人間も黒い人間もおり、多様ではあったが、彼らの精神の内部に宿るものは全く同一のものだ。

 誰もが死んだ魚の目をしていた。共生のための努力ではない。誰かを守る力を自分で養おうというのではない。いやいやながら暴力に適応する精神を養わされているようにしか見えない。

 私はそこに人間の尊厳があるようには見えない。最も尊い国家的使命を笠に着て、人間同士の差異を等閑視することで無理やり平等を実現しようというのだから。

 だが、国家の存続のためという大義によって、いかなる人間の酷使も是認されてしまう。近年問題となっている、現地社会から孤立している非日本語話者の子供を家族から引きはがし、日本人として育てるのも基本的にはここから来る発想だ。私は、これを同化とは少し違う現象だと思う。昔から日本人と呼ばれた者にとっても、これは過去の抹消だ。方言が排斥されたのと同じく、自分自身の多様さすら消し去っていくことなのであるから。

 その中で、人間の本来持っていた豊かさはかき消されていった。

 端的に言えばここ数十年は、民族や人種といった物に束縛されていた日本人という言葉を、日本国家への奉仕者という意味に作り変える過程であったと言える。

 おおよそ、理性では理解しがたいような意見を有象無象が主張し、巷で通っている。すでに無力化した政党政治への怨嗟がネット上に満ちている。

 しかもこのような連中を学者や政財界の重鎮が支持しているのである。にも拘わらず良識のありそうな輩も一般の民衆をひたすら呪うばかりで、この混乱の大元である多くの過失に目を向けようとしない。

 縄文主義への傾倒も、渡辺氏への熱狂も、根底においては何ら変わる所がない。

 そして、慨嘆せざるを得ない。

 国家とは人類が真の統一に至るまでの中途の段階であったはずだ。20世紀に国民国家が及ぼす危害がいかにおぞましいかという課題を突き付けられ、それを解決するために努力し続けてきたのではないか。

 結局、人間はネーションへの帰属意識に縛られ続けたままで、未だにそれ以上の次元で生きていくことができていない。

 そしてそれは、人間の生まれつきの限界ではなく、まぎれもなく政治や企業の専横にあり、利他的な精神性を理解できない大多数の頑迷さにある。

 民族と人種の垣根を超え、怨讐を解消し、融和に向けて努力し続ける未来の姿があったはずだった。

 だがその可能性をここ数十年の人類はかなぐり捨てて来た。その結果が今日の世界なのである。ヨーロッパでも、アメリカでも、東南アジアでも、まさに日本が直面する現状と同じ修羅道が規模を数百倍にして繰り広げられている。今なお、その腐った風潮に乗じて、頭角を露わそうとする者たちがいる。だが彼らがどれだけ邪悪であるかを糾弾するのが重要なわけはない。

 そしていくらでも煮詰めたかすがまろび出てくる怨念の連鎖を断ち切るために、あの男はその鎖そのものを空虚をもってかき消そうというのだ。


 要するに、彼らは大衆を一つの目的に向かって敷設する装置なのだ。そしてその目的にそぐわないあらゆる個人と思想信条は、現在進行形で物理的にかき消されていく。

 渡辺氏は巨人だ。地ならしを行い、大衆の憎悪も歓喜も踏み消す巨大な足なのだ。人々がずっと待望してきた、全てを無に帰する装置が、ついに実現したのだ。


――


かつら聖邦きよくに(2012-2060)

縄文主義者の政治活動家。

前半生については謎が多い。弁護士を目指していたが、あまりうまくいかなかったという。しかし弁舌には優れており、徒党を率いることに関しては才能があった。高校生の時には、先生に自分を善人だと誤解させることが唯一の楽しみであったと自伝で語っている。縄文主義者に加わり、頭角を現した。

AIによって縄文時代に帰り、煽る歌を粗製乱造し、差別を美化するような風潮を作り上げようとした。

戦時中の動向もやはり不明瞭だが、鉄鋼の要人の暗殺を目的とする爆破テロの嫌疑がかかっている。

戦後間もない頃に旧来の残党から離脱。独自に分派を作り上げ、地下で執筆活動を続けた。2054年、政党『縄魂党』を立ち上げ、選挙に乗り出すが落選。それ以後は人々に教えを説く裏で武器の密輸、製造を行っていた。

縄文主義の作り上げた教義には表向き忠実であり、大土偶に向かって毎日礼拝していたが、実際には全く信仰してはいなかったという。

2060年三月十六日、哲雄の暗殺を遂行するが失敗。拷問を受け最初は縄文主義に殉じようとするが、激しい折檻の末哲雄の忠臣たることを宣告。その翌日に銃殺刑に処された。


伊沢いさわテト(2023-2102)

聖邦の片腕として辣腕を振るった人物。

名前は第二次立憲君主制時代平成期に販売されていた音楽制作ソフト、重音かさねテトに由来する。

宗教史に造詣が深く、東南アジアやアフリカの宗教研究を元に、縄文時代の宗教をでっちあげた。他にも大土偶のデザインを担当した。

これら歴史的な後付けのない宗教儀式は、哲雄に捧げられた数々の信仰様式の参考になったことが指摘されている。

戦後縄文主義者が急激に勢いづき、いくつもの分派に別れるなか暴力革命を唱える聖邦と対立し、彼から離れて行った。

そして縄文主義自体に見切りをつけ、2059年三月、ひそかに自分の仲間たちの居場所を情報局に密告した。

反体制的な行為のため禁固刑に処されたが、早めに縄文主義運動をやめていたため、命を奪われることはなかった。そして早くも2067年には哲雄に取り立てられ、宗教に関する献策を多く行った。2088年、日本各地の神社や仏寺を哲雄を祭る施設に変える法令が発令された時は、それを実行するため各地を巡行し、遺棄されていたかつての新興宗教の施設を無理やり哲雄を祭る神殿に作り変えることすら行った。御神体や仏像を哲雄の細胞組織や哲雄像に入れ替えさせることも稀ではなかった。晩年は哲雄時代のことを知る数少ない人物として重用された。

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