「ビオトープ」という言葉
またまたSNSからのネタである。
とある投稿者が、『海水ビオトープ』を見に行った、とつぶやいた。
それは、なかなか見事な飼育槽であった。
水生生物飼育定番の濾過装置はなく、ポンプで水流を作っているだけ。
しかし、様々な工夫の末、海水耐性のあるマングローブなどの木々を植え、潮の干満を再現し、各種の熱帯性海水魚や無脊椎生物、そして微生物群が、互いの生物活動を利用してつながりあい、小さな生態系を作り出すことによって、水替えなどの手間がほとんどかからない状態だという。
素晴らしい技術と情熱である。
いちアクアリストとして敬意を払うし、願わくば、俺も目指したい境地でもある。
ただ、俺はビオトープ管理士であり、そのことに多少矜持もあるから、もちろん、頭の隅には引っかかった。『海水ビオトープ』という言葉が、である。
正直、「これをビオトープと呼ぶのはおかしいよな」とは思った。
だが『外来水草を入れ、色メダカを泳がせた水盤』がビオトープと呼ばれて久しい昨今、べつにどうということはない。騒ぐだけ損であるから、『いいね』すら押さずに流した。
だが、これを「ビオトープじゃない」と文句をつけた人がいたらしい。
らしい、というのは、現時点でその返信を見ていないからなのだが、まあ、それも想定の範囲内。暇な人もいたもの、俺のあずかり知らぬことであるし、勝手にやってくれ、くらいの気持ちでいた。
だが、そのことはどうもプチ炎上したらしく、SNS上の識者たちがいろいろコメントを始めたことで、俺は「ああ、まずいな」と思ったのである。
端的に言えば、『ビオトープの本』を書いている有名インフルエンサーですら、ビオトープとは何か、またビオトープでないものを持ち出された時にどう対応すべきか、わかってない、ということが可視化されたのである。
敢えてこう言い切るのは、どうせそのお偉い方々は、百億パーセントこのエッセイなど読まないと確信しているからであるし、それでも言っておかなければならない、と思うからである。
まず、なんでこの『海水ビオトープ』がビオトープではないのか、という件
ビオトープの語源は「ビオ(生物)」+「トープ(場所)」の合成語であり、生物の住みかであれば、ビオトープである、という。
これを持ち出して、最初の方は「これはビオトープじゃないのか」と、憤っておられるわけだが、実はそれを適用すると「地球上にビオトープじゃない場所は無い」ってことになってしまう。
何故なら、大気圏の超高空から深海、地底や極地の海底に至るまで、『生物のいない場所』などないからである。
そこまで行かなくとも
ドブは『ユスリカ・チョウバエビオトープ』
街路樹は『イラガ・ムクドリビオトープ』
風呂場は『黒かびビオトープ』
キッチンは『ゴキブリ・コバエビオトープ』
プールは『レジオネラ菌ビオトープ』
と呼んでいいことになる。
これらと比べれば、『普通の農地』の方がよほど『ビオトープ』と呼ぶに相応しいのではないか。いや、正直言って、この『海水ビオトープ』よりビオトープに近いと思っている。
それは極論だ、と思うだろうか?
では、『農地』と今回の『海水ビオトープ』の違いはどこにあるだろう?
・自分が気に入った生物を投入し
・様々な生物の生活活動を利用して
・そこに人間が手を加え
・思った通りの状況を作り出す
どこか違うだろうか?
じゃあ、ビオトープである条件とは何なのか?
・そこで生物が生活していること
・周辺環境との明確な区分があること
・外部環境との生物や物質の行き来があること
である。
以下 Wikipediaからの引用
ドイツ連邦自然保護局ではビオトープを「有機的に結びついた生物群。すなわち生物社会(一定の組み合わせの種によって構成される生物群集)の生息空間」と位置づけている。別の表現をするならば「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」であり、生態系とはこの点で区別される。つまり、ビオトープ(環境)とその中で生息する生物群集(中身)によって、生態系は構成されていると言うこともできる。
引用終わり
お分かりだろうか。
たしかに、どこにも「外部環境との生物や物質の行き来があること」とは書かれていない。しかし「地理的最小単位」のものなのであって、「設備」ではない。
また、周囲とかかわりのない領域がいくつ集まっても『生態系』は構成されない。
よく使われる、たらいやプラ船は「地形」ではない、が、その地にある木石や倒木などと同等の存在と位置付けることが可能で、それらは周辺環境と無関係に存在しているわけではない。
視点を変えてみよう。
例えばここに、プラスチックの球塊があったとする。プラスチックであるから、基本的に分解されず、形状は水を貯めず、付着する藻類も分解する菌類もなく、ただそこにある。
これをビオトープと呼ぶだろうか、という話である。
海水で構成された循環型水槽。これが室内にある。
行き来する生物は無い。
物質循環も閉じている。
それが存在することで、微気候にも変化はない。
つまり、なんら周辺環境に影響はない。
プラスチックの塊が置いてあるのと何が違うのであろうか? 少なくとも俺には分からない。
もちろん、影響が全くゼロということではないだろう。
だが、それは農地よりも大きいだろうか?
釣り堀よりも大きいだろうか?
盆栽より影響があるだろうか?
もしかすると、街路樹の方がマシではないのか?
そんなものを『ビオトープ』というくくりの中に入れていいのか?
そういう疑問を俺は持つ。
次に、そう思っているにもかかわらず、なんでこれを俺が『こんなもんビオトープじゃねえよwww』と指摘しなかったのか、という件。
「言葉は使ったもん勝ち」である、ということだ。
言葉は、共通認識であるから、たとえ間違った意味であろうとも、使って意味が通じたら勝ちなのである。
それは間違いだといくら騒いでも、いまさらゴキブリが「ごきかぶり」にはならないし、ホンソメワケベラが「ホソソメワケベラ」に戻ることもない。
「独壇場」が「どくせんじょう」と正しく読まれるようになることもないのである。
そうは言っても『ビオトープ』という言葉には、俺には少なくとも強い思い入れはある。
正直に言えば汚してほしくない。
だから、あえて触れない。
そういうことだった。
騒いだところで変わらないどころか、騒ぐことで反発され、逆の力が強く働く、と思ったのであり、結局、それはその通りになった。
いわく「堅苦しく言葉の定義を言うことで、初心者が入りづらくなる」
いわく「専門家ヅラして敷居を高くすることで、せっかく興味を持った人が逃げていく」
いわく「厳しいことをキツイ言葉で言うから反発を買う」
いわく「そんな面倒なこと言うなら、俺は好きなようにやる」
言葉はそのままではないが、おおよそそんな感じだ。
最後になんで、その道のインフルエンサーが『これもビオトープでいいのです』と言っていることが問題なのか……いや違うな。気に入らないのか、という件。
そう、俺が気に入らないだけだ。
だから、個人的にエッセイで書く。
インフルエンサーが肯定すれば、上記のような集団認識が強化される。
『ああ、これもビオトープでいいんだ』
となる。
ビオトープは、それだけで本来「地域生態系に貢献するエリア」という意味を持っていたにもかかわらず、わざわざそう言わなくてはならなくなる。
すでにビオトープを屋外飼育池と勘違いしている人も多い。
そこから外来種や人工品種が逸出すると、敵視する人もいる。
俺の住むとこの地方紙では、社説に『ビオトープを作るくらいなら、地域生態系を回復させるべき』などという、ワケの分からん文章を見たこともある。
それが何だって?
今度は屋内水槽の、ちょっと状態の良い奴が『海水ビオトープ』?
で、それをこともあろうに「湿地帯ビオトープ」の著者であるあんたが肯定すんのか。
ふざけるな。
論文書いてる研究者かなんか知らんけど、おまえ、ビオトープ管理士とか、明らかに下に見てるよな。
何様だよ。と正直思う。
鼻で笑っているどころか、バカにしているどころか、そもそも視界にすら入っていない。
それがよくわかる。
知識も技術も及ばなくても、それなりに活動してんだ。
舐めるな。
おまえ、もしもだ。
水生甲虫がモビルスーツって呼ばれるようになったらどう思うんだ?
ゲンゴロウと機動兵器を、いちいち区別せにゃならんのだぞ。
そのうち甲虫じゃないカゲロウの幼虫とかもモビルスーツって呼ばれるようになって、ヘビトンボの幼虫はビグザムとか呼ばれるようになって、ヤゴはまとめてゲルググになるんだ。
耐えられるのか?
まあ、んなこたぁどうでもいいわ。
こうまで言えるのも、どうせそいつはここなんか絶対読まないからだし。
直接ケンカ売る気はないしな。
勝ち負けじゃねえ、意味がないからだ。
言ったろ?
言葉は使ったもん勝ちなんだよ。インフルエンサーのあいつがそう言ったら、力は俺の数万倍。
もうそれが正解なんだ。
アホらしい。
もう、ビオトープって言葉にしがみつくのは無駄なんだろうな。
だが、あんなものよりも
農地や
街路樹の根元や
その辺のどぶ川や
どっかの屋上の方が
何百倍も『ビオトープ』に相応しい。
アレはビオトープじゃない。
『前人未踏の、非常に高度な技術で作られたバランスドアクアリウム』なのだ。
それだけは言っておく。