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もちろん野良猫への餌やりもダメなわけだが


 あちこちで論じられているし、何番煎じになるかわからないので、今更ネコへの給餌について長々と書く気はない。

 ただ、一つだけ書いておくとすると、「自分の管理下にない、あらゆる生命に対して、給餌してはならない」というのが、現代におけるコンセンサスである、ということだ。

 いくら言い訳しようと、感情論で訴えようと、相手が何ものであろうと、これは動かせない。

 『可哀想だと思うならちゃんと飼え』で話は終わり。

 むろん、例外はある。

 野良猫を捕獲するために、そいつの警戒を解くために餌付けする行為は容認すべきだろう。

 またTNRすなわちTrap・Neuter・Returnトラップ・ニューター・リターンという、捕獲器などで野良猫を捕獲し、不妊・去勢手術を行い、元の場所に戻す活動。これについて、俺は否定的立場ではあるが、餌やり行為者とのコンセンサスを捕るための、そして将来的に野良猫を無くすための経過措置としてであるならば、餌やり行為もやむを得ないかも知れない。


 しかしまず、自分の管理下にない生物に関しては、野生、野良、半飼育に関わらず、可哀想でもなんでも、やたらに関わってはいけない、というのが基本である。

 対象が野生生物ならば、野生下で生きていけるはずの生物を、生きていけなくする可能性をはらむ。人間に近づくことで生活が変わり、行動が変わり、その影響は他の野生生物にまで及ぶこともある。

 野生の哺乳動物や鳥類は、法律で許可を得ずに飼育してはいけないことにもなっている。

また、『弱った生物は、何か問題を抱えている』可能性が高いということもあって、人間自身が危険にさらされることすらある。

 ウイルス、病原菌、寄生虫など、人間にも感染し、また時として致命的になるものが数多くある。代表的なものが、高病原性鳥インフルエンザウイルスで、これはその名に「鳥」と冠してはいるが、豚や人間など他の哺乳動物にも感染する。

 ここ数年、全世界でパンデミックを起こしたコロナウイルスの仲間も、本来は野生動物の間で受け継がれてきたウイルスであった。それがどういう経緯か、人間にも感染を拡大して、パンデミックを引き起こしたわけである。野生動物と従来とは違う関わり方をすることでこの危険性は増加するのだと理解していただきたい。


 完全な野生生物であっても、交通事故にあった動物や、風力発電の風車に激突した野鳥、半矢で負傷した動物、人為的改変で干上がりそうな場所の生物など、あきらかに人間活動の犠牲となった生物に手を貸すのは、あってもいいだろう。

 だが、それにしても専門家のいる組織や団体にまかせるべきで、基礎知識すらない個人が手を出すことは、逆効果となることもあるし、法律違反となる場合すらあって奨められない。そして、同じようなことが起こらないよう対策を進めることと両輪であるべきだと思う。

 むろん『あきらかに逸出と思われる飼育個体』に対しては、関わるのは良いと思う。むしろ、野生化してしまう懸念を考えるなら、積極的に保護すべきだと思う。ただ、そういうものにも、餌だけやってさようなら、などとやるくらいなら、一切手を出すべきではない。

 ちゃんと飼い主を探すこと、見つからなければ自分がそいつの一生を引き受ける、つまりちゃんと飼うこと、その覚悟が出来る場合のみ、関わるべきであろう。


 ところで『ちゃんと飼う』というのは、あくまで室内飼育であって、ネコを放し飼いにするのは『ちゃんと飼っている』とはいわない。まあ、ネコ以外の生物を『放し飼い』にする、なんてことは、現代日本では、相当非常識な行為とみなされると思うがどうだろうか。

 『放し飼い』などというのが許されていた時代が、たしかにあった。

 ネコどころか、イヌすらもそれが許された時代が日本にあったわけだが、イヌはダメだがネコはいいなんてことが通るわけもない。ネコでもその他哺乳類でも鳥でも魚でも放し飼いしてはいけないのは同じだ。

 閉じ込めておくなど可哀想、と思うなら飼育しなければいいだけのことだし、飼育したいなら放し飼いは不可。単純な話である。

 自分が飼育していない生物には、基本的に関わらないこと。給餌や勝手な移動はそれがどんな生物であってもやらないに越したことはないのだ。


 また、逆に言えば、どうしても生物と近距離で触れあいたいならば、法やルールに反しないものを、法やルールに反しない範囲で飼育するしかない。

 つまり飼育は唯一、生物と近距離でふれあうことのできる方法なのであるが、飼育するにしてもルールや配慮を忘れると、途端に迷惑行為となるし、飼育生物も不幸にしてしまう。


 まず、生き物を飼育する、ということは対象生物の存在全てを引き受ける責任が生ずるものだと、理解しなくてはならない。

 これは別に難しい話ではない。

 たまにSNS上で議論になっているが、「獣医に診せる金がないと飼育してはいけないのか」「飼育設備を整える金がなくても飼いたい」「近くにコオロギ売ってる店はないけど、とにかくトカゲを飼育してみたい」など。

 気持ちは分からなくもないが、これを他のモノに置き換えたらどうだろう?

 「車検や修理する金がないと車に乗っちゃいけないのか」「駐車場を借りる金はないけど車に乗りたい」「近くにガソリンスタンドはないけど、とにかく車に乗りたい」

 どれだけ変な主張か分かるだろう。

 車が大げさだというなら、電化製品ならどうか。

 「取り替え紙パック買う金ないと掃除機使えないのか」「電気来てないけど電気コタツ欲しい」「ネット環境ないしスマホもないけどパソコンでインターネットやりたい」

 できるわけないだろ、ってことくらい誰でもわかる。

 なのに、これが生き物のことになると途端に感覚が狂う。

 命を引き受ける覚悟とか、生命倫理とか、そういう問題ではないのだ。

 巨大水槽も維持できない状況でメートルクラスになる大型魚は飼えない。

 エアコンを常時つけっぱなしにする経済力もないのにエキゾチックアニマルは飼えない。

 親が死のうと大豪雪だろうと毎日欠かさず散歩に行く覚悟もないのにイヌは飼えない。

 室内でストレスなく幸せに飼育してやることが出来なければネコは飼えないのだ。


 また飼育生物は、法律上は「物」となるわけで、つまり飼い主にとっては「所有物」だ。これを理由に「何やっても飼い主の勝手」とかいう言説を見たことがあるが、たとえ何であろうと、所有物をその辺に投げ捨てたり、粗末に扱ったりしていいわけがない。

 車には洗車や燃料供給、オイル交換が必要と分かっているならば、飼育生物にはそれが快適に生活できるための環境づくりと毎日の世話が必要だと理解すべきだろう。

 所有物から発生する音や臭い、毒成分などについても、所有者に責任があるのは言うまでもない。

 深夜にギターをかき鳴らすのが近所迷惑と分かっているならば、犬の吠え声や糞にも飼い主は責任を持って対処すべきだということくらいは分かって欲しいものだが、これが分かっていない飼い主が結構な割合でいる。

 俺は毎朝、犬の散歩に出るわけだが、ほぼ毎日よその犬の糞を拾う。

 犬の糞が放置されることで、犬飼育自体が迷惑がられることを、少しでも軽減したいという思いからだ。

 糞の形状からして、「糞を片付けないバカ飼い主」は一人ではない。

 それぞれ小型犬、中型犬、大型犬のものとすぐ分かるからだ。

 小型犬の方は、遊歩道の植え込みによくあってチワワ×2とヨークシャー×2の四頭も一人で飼育している四十代くらいの女だと大体目星がついている。この糞はたまにしかないが、散歩時までフリフリスカートで、全員でうちの犬に吠え掛かって来るようなしつけもされていない小型犬を四頭も連れていては、糞の始末が満足にできるわけもない。

 中型犬の方は容疑者が多すぎて目星もついてないが、ひどいことにゴミステーションの前とか、銀行の夜間金庫のコンクリ上とか、非常に迷惑で目立つ場所に放置していく。

 もしかすると意図的なもので、ご近所や銀行への嫌がらせかもしれないが、だとすると犬飼育者として迷惑なので、嫌がらせ用の糞は自分のモノを使ってほしい。

 大型犬の糞はもっと頻度が低いものの、荒天時や連休に放置が目立つ。予想だが、毎日散歩している人はちゃんと糞を片付けるが、早出や残業、あるいは忙しくなったりしてその人の都合が悪くなった場合に、代理で散歩させる家人が糞を始末しないのであろう。

 なんにせよ、糞を片付けるなんてのは、飼育者としてやるべきことのほんの一部に過ぎない。それすらもできないヤツが、犬を幸せにできるはずがない。もはや犬猫の飼育は免許制にすべきと思うのだが、どうだろうか。「犬飼育者免許」として、4級だと中型犬まで一匹飼える。大型犬を複数飼うには一級免許が必要、とかだ。


 かように、生き物を飼育するには責任と義務が付きまとうのだ。

 『生き物を飼育するというのは、自分の人生を削って与えること』と表現した人がいるが、ある意味的を射ている。重い、と感じるだろうか? だが、生き物の方はその存在のすべてを、飼育者に預けていることを忘れてはならない。

 だが、かといって、過剰に思い入れるのも考え物で、SNS見てて(うわああああ)ってよく思うのが、衛生観念の欠如したスキンシップ。

 対象が犬猫であっても、「粘膜同士のふれあい」つまり「キス」などはヤバい。

 症状が出ていないだけで、どんな感染症を持っているか分からないのだ。犬猫から感染するヤバい病気はたくさんあるし、ウイルスだって菌だって性質が変化する。これまで人間に感染しなかったからといって、ずっと大丈夫かどうかなんて、医者にも科学者にも分からない。

 また、たとえ昨日大丈夫でも、今朝の散歩のときに、感染症をもらってきているかもしれない。散歩コースが巨大宇宙船の無菌エリアででもない限り、いつそうなるのか分からないのだ。

 犬猫ですらそうなのだ、オオトカゲにキスしたり、一緒に入浴したり、そんなことやらんでもトカゲは快適に飼育できる。ぐらついた子供の乳歯をわざわざインコに抜かせるとか、アホかとしか言いようがない。

 周囲に迷惑をかけない範囲でなら、やりたいことをやるのは飼育者の勝手、とか思うかも知れないが、変な感染症が人畜共通に変異でもしたらそれは人類規模での迷惑行為だと知れ。

 感染症を共有しないよう、過度なスキンシップをしないこと。これは自分たちだけでなく、新たな感染症を人間社会に蔓延させないための重要なルールである。

 言うまでもないが、野生生物は病原菌や寄生生物、ウイルスといったものを保持している可能性が極めて高い。

 飼育下で累代された繁殖個体ならまだしも、野生生物を捕獲して飼育するような場合は、素手で生物自体や排泄物、食べ残しなどに触れたりしないよう、十分に注意しなくてはならない。


 当然お分かりだろうが、これは放し飼いのネコが野生生物を捕獲してきた場合にも適用される。ネコ本人?も、もちろん寄生虫やウイルスに冒される可能性があるし、それが人間に感染する可能性もある。

 ネコが野生生物に対して捕食圧をかけることも、大きな問題である。

 放し飼いの問題については、衛生上の問題と、生態系に対する問題もある、ということだ。


 それと、野生生物との関わり合いには、捕獲からの食用や飼育という利用という側面もある。

 その際に、野生個体群に影響を与えるような過剰な捕獲をしないこと、も重要だ。

 もちろん、狩猟法や漁業法によって捕獲方法や種類、場所で保護されている生物も多々いるわけだが、法には必ず穴があり、まあつまり勝手に捕って食ったり飼ったりしていい生き物というものもいるわけだ。

 だが、たとえ法で守られていない生物であろうとも、過剰な捕獲行為は厳に慎まなくてはならない。野生生物の生息場所は、普通に想像するよりずっと範囲が狭いし、一か所にたくさんいるからといって、どこにでもいるわけでもない。ある場所を捕り尽くすことで、地域の個体群を壊滅に追い込むことになるかもしれない。

 情報も技術も向上している昨今、その知識と道具をもってすれば、個人でも容易に一種を捕り尽くせてしまうのだ。捕獲者はそれを自覚し、自分の必要以上に捕獲してはいけない。必要、というのは趣味で飼育するならどんな生物でも一つがいか、二つがい、つまり四匹くらいまで、ではなかろうか。

 もちろん食用、あるいは生体販売のために捕獲する、という者もいるかも知れない。俺としては容認しがたいが、違法行為でなく、ルールも破っていなければ業として成り立つこともあるわけだ。

 この場合、自分で趣味として飼育するよりは、多くの個体を捕獲してしまうことになるだろうが、それにしたってその地域の再生産力を越えるような採捕は、その業の継続性を危うくするだけである。

 厄介なのが、捕獲圧で激減し、希少化してしまった方が高く売れる、という状況である。

 以前、一本の大木に依存していたある種の昆虫を独り占めするため、採集しまくった後に木を伐り倒した大バカ者の話を聞いたことがある。仮にその昆虫が違法でなくとも、こうなると別の意味で犯罪である。

 さらに、自分の近所で捕獲出来るようになりたいからと、他地域から移植放流するバカ。

 外国産種を移植放流するバカ。

 すでに、タガメやゲンゴロウで販売規制も始まってしまったが、近視眼的な利己的行為は、自分の好きなジャンルを貶め、活動しにくく、また生きにくくするだけの愚行である。

 とここでこのように書いても、当事者たるバカどもがこの文章を読む可能性は限りなくゼロに近い。

 ゆえに、もはや、あらゆる野生生物について、なんらかの飼育規制、流通・販売規制を設けなくてはならないように思う。

 たとえば、どんな生物も累代飼育の二世代目以降でないと販売できない、というのはどうだろう。

 とはいえ、海外の生物繁殖施設で、WC、すなわち野生捕獲個体を一定期間ストックしただけで「繁殖個体でーす」なんて流通させてしまう、「生物ロンダリング」まで行われているというから、そういった規制も効果は望み薄かもしれないが。


 まあ、縁あってこの文章に目を通されるような方々には釈迦に説法かもしれないが、どんな生物でも、いったん飼育したらそいつの生涯に対して責任を持っていただきたい。

 自分の事情や立場が変わったとか、家族に反対されたとか、成長して大きくなりすぎたとか、飽きたとか、そんなしょうもない理由で手放そうとする可能性があるなら、最初っから飼育してはいけない。

 とはいえ人生、思わぬトラブルや変化で、どうしても飼育継続が不可能なことはある。

 だが、そんな場合は何が何でも引き取り手を探すべきで、野外に放逐するなどもってのほか。最悪、どうしようもなければ自分の手で殺すしかない。それができないなら……飼ってはいけない。これは犬猫も魚も、虫も植物も何でも同じだ。

 そして、むやみに無計画に繁殖はさせず、繁殖した個体の生涯にも責任を持つこと。

 すべての人がこれをやれれば、外ネコ問題もその他飼育生物の問題も外来種問題の多くも片付くはずだと思うのだが。



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