生き物を放流、放逐してはいけない
チョウやガの幼虫を育て、放逐している人たちがいるようだ。
しかもあろうことか、それを生物や自然に親しむ教育の一環として、保育園や小学校で行っているという。
この行為。昭和であれば、まあ善行の範囲内に収まっていたのかもしれないと思うが、令和五年の現在では、そうではない。
だが、善行と信じてそれをやっている者に、飼育個体を放すのは良くないと、言ったところで、まず素直に言うことは聞かない。
現にそういう人に「放逐は良くない」とSNSで言ったところ
「自分の子が通っている保育園や小学校では蝶や蛾の幼虫を飼育して放しているが、その子らに蝶や蛾が成虫になったら殺せと教えるのか」
と言われた。
いや、終生管理できないような生物は、まず飼育してはいけないというのが、現代のコンセンサスである。
放せないなら殺さなければらない状況だということは、要するに飼いきれないということと同義である。つまり、そもそも飼育する資格がないのだ。
なんでそうまでしてチョウやガを飼育せねばならないのか?
なんでそうまでして子供にそれをやらせねばならないのか?
もし、完全変態の昆虫の観察をさせたいなら、カブトムシでもクワガタでもいいはずだ。
彼らが飼育に時間がかかりすぎるので、もっとサイクルの短い鱗翅目の成長過程を見せたいというなら、カイコでもいいはずだ。
いや、どうしてもオオミズアオなりクスサンなり、美しい蛾を啓蒙したい、その幼虫からの華麗な変身を間近で見せたい、というなら、累代飼育できる環境を整えるしかない。
そしてそれができないというなら、それはもう羽化したら殺す以外の選択肢はない。
そういう含みを持って「活動を見直すべきでは?」と言った、俺に対して、向こうが発したのは
「その活動を見直すべきというのはあなたの考えなので、保育園や小学校を回って提唱してください。 蝶や蛾の幼虫を飼育した子供たちが生き物に興味を持ってくれるなら放って良いと思っています。そんな問題より生き物に興味が全く無い人が増えてしまっている現状の方が大きな問題だと思っています(原文ママ)」
という、非常に挑発的かつ、的外れな返答であった。
たった数行の中に、矛盾すらはらんでいるこの文。
この活動がいくつもの問題をはらんでいることに、気づいているのか、気づいていて知らないふりをしているのか分からないが、自分の活動を正当化するために子供をダシに使っていると明言しているに等しい。
冒頭には「あなたの考え」と断じているが、その背景や理由に思いを馳せることなく、後段は無根拠に「己の考え」を述べているに過ぎない。
俺が敢えて「活動を見直すべき」根拠を書かなかったのは、その程度は書くまでもないと思っていたからである。根拠が書かれていないことで「あなたの考え」に過ぎないと断じるのであれば、根拠をここに書くしかない。
『チョウやガの幼虫を飼育し、成虫を野に放つこと、そしてそれを教育の場で行うことの問題点』について、論理的に、である。
なんでSNSで議論しないのか、といえば、どうせこういう輩は人の話を聞く気も、新しい知見を学ぶ気も無いので、ハッキリ言って『時間のムダ』だからだ。
さて、チョウやガの幼虫を飼育すること、そのものには大きな問題がない。
昆虫は再生産力が強い。たとえメス親を一頭やそこら捕獲して、管理下で産卵させようとも、捕獲されることで自然界に空いた部分は、他の個体が埋めてしまう。
エサの為の食草が人間によって折り取られるなどの被害はあろうが、それは工夫で軽減できる。
たとえば、枝をネットで覆い、その中で幼虫を飼うようにすれば葉が萎れず消費量が格段に減るので、野外の植物への負担は減る。キアゲハのようにセリ科であれば何でも食うような幼虫には、ニンジンやパセリを栽培して与える方法もある。
では『問題点』とは何か。それは『放逐』すること、そしてそれを『子供に教育すること』である。
まず『放逐』の問題点だが、飼育下では幼虫の死亡率が非常に低いこと、が挙げられる。
ガやチョウの幼虫及び卵には、寄生バエや寄生バチが卵を産み付ける。寄生された幼虫や卵は死ぬ。寄生される確率は、時に数十パーセントにもなるという。
寄生バエは獲物を見つけると、卵や幼虫を腹から一つずつ射出して産み付ける。見つければ次々に射出できるため、高密度で獲物がいるほど寄生率が上がることは容易に推測できる。逆に低密度で獲物がいれば、見つける手間がかかり寄生率は下がる。
正確に寄生率を出した最近の研究は見当たらなかったが、それもそのはずで、相当広範囲からデータをとらないと、信用できる結果が得られないわけだ。
だが、この寄生バエの習性は、獲物が大発生すれば、寄生率が上がりその個体数を抑制するわけで、非常によくできたシステムと言えよう。
つまり飼育下では、高密度で育ちながら、寄生はまったくされないことになる。
死ぬはずの幼虫が、高密度で生き残ってしまうことにより、次世代の成虫の数は自然のサイクルよりも多くなる。これを自然界に戻すということは、その次の世代の発生量に影響を与えることになる。
定期的に大発生するガやチョウもいるが、そのサイクルが乱されることになるわけだ。
これはガやチョウの個体数が異常に増加する可能性だが、逆の問題も考えられる。
飼育下で、本来あり得なかった病気が発生する可能性である。
飼育下では、湿度や温度、光サイクルといった条件が均一化される傾向がある。これにより自然界でのふ化や脱皮、羽化のタイミングがズレたり、自然条件下では出会わないはずの複数種の昆虫が直接的、間接的に接触する可能性がある。
たとえば、ある種のチョウのほとんどが保有する病原体があったとする。
そのチョウは、その病原体の抗体を持ち、発病確率は数パーセントしかないとする。
温度条件、湿度条件、時期や標高などの問題で、自然環境下では、このチョウとまず接触することのないチョウやガがいるとする。
このチョウやガは、病原体に触れたことがないから抗体を持たず、もし感染すれば、ほぼ百パーセントが発病することになる。
だが、自然環境下では接触できない彼らでも、飼育下では接触の機会があるわけだ。
たとえ一緒くたに飼育しているわけでなくとも、飼育器具や糞などの廃棄物、人間の手指などを通して感染が広がる可能性はある。
そうして、新たな病原体を持った個体が、もし放逐されれば、野生個体群に壊滅的ダメージを与える可能性も否定できない。
これは理屈に過ぎない、と思われるかもしれない。だが、チョウやガではないが、外国産カブトやクワガタから伝染したもともと日本にはいないダニにびっしり寄生されたカブトムシなどが野外で捕まっている例はすでにある。
カエルツボカビ病の例もある。ペットとして輸入された両生類から検出されたこのカビは、世界中で猛威を振るっている。今や、オタマからカエルにして放逐するのも完全なNG行為なのである。
遺伝的な問題もある。
放逐したチョウやガをどこで捕獲してきたか、であるが、他の地方から捕獲してきたものを放逐した場合、たとえ同種がその地域に分布していたとしても、問題が生じる。
生物の多くは、その地域ごとに違った遺伝型を持ち、長年かけてその生息場所に合った形質を獲得して生活している。同じ日本、同じ県内だなどといっても、そんなものは人間が決めた境界線に過ぎないわけで、距離は近くとも標高や水系が変わればまるで違う場合もある。
たとえば、けっこう生物好きの人でもキリギリスがヒガシキリギリスとニシキリギリスに分かれるなどとは、夢にも思っていなかったのではないか。生物に興味のない人に至っては、分かれたことすら知るまい。
むろん、ガやチョウはキリギリスなどより移動能力が高いから、このことについては、かなりマシな方だとは思う。
だが、よくありがちなのは、旅先で捕獲してきた珍しいチョウやガのことだ。これらが産卵して殖えすぎた時、同種が分布しているからと放逐してしまうと、どんな結果を招くかは分からない。
特定外来種指定されたアカボシゴマダラやツヤハダゴマダラカミキリなどの、日本への侵入経路はさておき、在来種と非常によく似たこのような昆虫が、人為的に移動され拡散された可能性は高いと思う。
そして最大の問題は『飼育生物の放逐』が『教育の場』で行われていることである。
SNSの人は『蝶や蛾の幼虫を飼育した子供たちが生き物に興味を持ってくれるなら放って良いと思っています。そんな問題より生き物に興味が全く無い人が増えてしまっている現状の方が大きな問題だと思っています』
と言う。
だが、問題を問題として教えずして、明らかに問題のある行為を、とりあえずの興味を引くために子供にやらせる、というのがどういう意味を持つか分かって言っているのであろうか。
そもそも「蛾や蝶」は良くて「他の生物」だとダメな理由は何なのか?
殖やしたカブトムシはいいのか。
オタマから育てたカエルはいいのか。
大きくなりすぎたゼニガメはどうなのか。
鳥の雛を拾って育てるのはどうなのか。
この辺の区別、線引きを、教えているのか。
実際のところ、どれもNG行為なわけだが、それでも程度問題だとでもいうつもりか。
自分が飼いきれない、という勝手な理由で放逐するってことについて、喩えとして適切かどうかは分からないが、それは、スポーツに興味を持ってもらうために、「この程度の反則行為はやって良い」と教えるようなものではないのか。
また、自動車教習所で「この程度の違反は大丈夫」と教えることと同じではないのか。
それも、それが反則でも違反でもなく、問題のない行為、むしろ命を助けるいいことだと教えているってことにならないか。
こういう教えを受けた子供たちが、どういう大人に育つのか。
何かをお気楽に飼育して、大きくなりすぎ、あるいは殖えすぎて手に負えなくなった時に、『殺すのはかわいそうだから放してやろう』という判断を容易にするのではないか。
それと『生き物に興味が全く無い人が増えてしまっている現状の方が大きな問題だと思っています』のあたり。
統計でもとったのか?
単なる、自分の狭い行動範囲から見た雑感ではないのか?
雑感でいいなら俺も言わせてもらうが、ここ数十年、生き物に興味ある人は減っても増えてもいないと思う。
『ずっと少ないまま』だ。
そして、正直言って、半端に興味あってロクに知識を得ようとしない人の方が、興味を持たない人より数段厄介だ。
お気持ちで自然を語り、お気持ちで生き物に対応し、自己満足してSNSで自己顕示欲を満足させる。
そして、生物についての「誤った行動」は、たった一人の行動でも大きなダメージを与える可能性がある。
放流しまくる問題釣り師、無法な鳥カメラマン、すぐ飽きて捨てるペット飼育者、彼らは『生き物に興味ある人』なのだ。
そもそも放流(放逐)が野生個体群を衰退させる、というのは、2023年2月7日(水)公開のProceedings of the National Academy of Sciences誌に掲載された、北海道大学による「在来種の意図的な放流は生態系の安定を損なう」という研究成果がある。
北海道大学大学院環境起学の先崎理之助教授(地球環境科学研究院)は、ノースカロライナ⼤学グリーンズボロ校の照井慧助教授、北海道⽴総合研究機構の⼘部浩⼀研究主幹、国⽴極地研究所(当時)の⻄沢⽂吾⽒と共同で、⿂のふ化放流は多くの場合で放流対象種を増やす効果はなく、その種を含む⽣物群集を減らすことを明らかにしている。
以下、北海道大学ホームページより引用
『そこで研究チームは、シミュレーションによる理論分析と全道の保護⽔⾯河川における過去 21 年の⿂類群集データによる実証分析を⾏い、放流が河川の⿂類群集に与える影響を検証しました。実証分析で対象とした保護⽔⾯河川には、放流が⾏われていない河川とサクラマスの放流が様々な規模で⾏われている河川が含まれます。これらの分析の結果、放流は種内・種間競争の激化を促すことで、放流対象種の⾃然繁殖を抑制し、さらに他種を排除する作⽤を持つため、⻑期的に⿂類群集全体の種数や密度を低下させることが明らかになりました。本研究結果は、持続可能な⿂類の資源管理や⽣物多様性保全に対する放流の効果は限定的であり、⽣息環境の復元などの別の抜本的対策が求められることを⽰しています。』
引用終わり
この研究のすごいところは、単なる数理解析による可能性の示唆だけでなく、実際の魚類群集データを用いて、他種への影響まで証明していることである。
「これは魚類についてであるから、虫は関係ない」とでも思うだろうか?
たしかに、これはあくまで放流の淡水域での魚類への影響を証明したに過ぎず、他の生物についてはこの限りではない。
だが、ということはこれ以上の悪影響を与えている可能性もある、ということだ。
前段で述べたように、普通に考えるだけでも悪影響がある可能性が高いし、何度も言うが「放逐は善」と教えられ、思い込んだ子供たちは、それを他の生物にも適用する可能性がある。
SNSで話したこの人が、他の生物の放逐についてどう考えているか分からないが、在来種(別亜種)の個人的放逐だけでも
・増えすぎたカブトムシを放す
・クマゼミを東日本に放す
・好きな種類のタナゴを釣りやすい場所に放す
・ヒキガエルを放す
・オオサンショウウオを別の場所に放す
・セマルハコガメを放す
・大きくなったゼニガメを放す
これらの行為で、多くの地域個体群、地域生態系が修復不能にされてしまった。
見た目でほぼ区別のつかない在来種(別亜種)の放逐は、場合によっては、金魚や熱帯魚を放逐するよりたちが悪いのだ。
断言しても良いが、これらを行った連中は「いいこと」をしているつもりだ。
だが、これらすべてが、結果から言えば悪行どころではない「極悪」だ。
良いことをした『つもり』だからといって、許されることではない。
忘れるな。
一番怖いのは「正義」だ。後ろめたさ無しにのびのびと、力いっぱい、周囲に啓蒙しつつ、まっすぐに進むその道が、「誤り」と気づくまでに、どれだけの被害を対象に、また周囲に与えるか。
少なくとも俺は、こと自然に働きかける場合には、どんな行動をするときも「悪影響」の可能性を考えるようにしている。それも、一時的かつ一次的な結果だけでなく、その先の先の可能性まで考える。
特に、生体の移動、放逐は絶対の禁忌の一つ。自分はもちろん、他人にも絶対に推奨しない。観察会やビオトープ指導の際には、必ず子供たちに伝える概念だ。
やっちまってからでは遅いのだ。
生き物は、生きていて移動し、増え、影響を拡大する可能性があるのだから。
俺だって、生き物を殺したくなんかない。
なんで、観察会で捕獲してしまった巨大アカミミガメを、五匹も飼育していると思うのか。
放すわけにはいかない。自分で殺せもしないなら、終生飼育するしかねえんだ。
飼育生物は終生飼育。どうしても無理なら終生飼育できる人や機関に渡す。それも無理なら自らの手で殺す。これができないのなら、飼育しない。
飼育しなくても生物の面白さ、命の大切さ、生物多様性の意味は伝えることができる。
これは「俺個人の考え」などではなく「生き物と関わる人々が共通認識とすべき鉄則であり初歩の初歩」だ。
それをまず教育しないで、『いいこと』として放逐を経験させるなど、悪手の中の悪手。愚の骨頂と言っていい。
ここまで書いてもがわからないなら、理解力がないか、理解しようとする気持ちがない。
良かれと思ってやってきた、これまでの行動を否定されるのは辛かろうが、それを認めないならば、「生物多様性に対して非常にマイナスなこと」をやり続けることになる。
そんな人間なら、『生物に無関心な人々』の方がずっと無害だ。
出来れば、もう生物に一切かかわらないで欲しい。