【1-1】
こんなこと、ある? 気がつくとアタシは見知らぬ場所にいた。住宅地の一角。
何より問題なのは、ここへくるまでの記憶がまったくないことだ。しかもアタシの出で立ちたるや。
ヘルメットを被りバイクにまたがっていた。つまり記憶がないまま運転していたのだ、怖っ。
さらに言うと、これはアタシのバイクではない。某宅配ピザ屋のバイクである。よく見るとヘルメットにもジャンパーにもピザ屋のロゴが入っている。
アタシはピザ屋のバイトじゃないので、どうやら、これらは記憶を失う以前に盗んだものらしい。
ジャンパーの内側を見て焦った。レオタードを着ていた。ズボンも履いておらず下はスニーカーのみ。
そう、新体操の選手が表彰台に上がるときのような恰好でアタシはピザの出前に出ていたのだ、恥ずかしっ。
レオタードはまあ仕方ない。これはアタシの、ゆうたら仕事着なのだ。新体操の選手じゃないよ? アタシが所属している裏組織のユニフォームがレオタードなのですよ。
この状況の説明として考えられるのは、組織の任務にあたっている最中にアタシの身に何かが起こったということ。
その何かがまったく思い出せないし、そもそも何の任務だったかも憶えていない。
だったら組織に電話して、たしかめればいい。そう思ったが財布もケータイも持っていないことに気づいた。
自分の着ているピザ屋のジャンパーを弄ってみても何も入ってやしない。乗っているバイクを調べても集金袋さえない。ただ、荷台のボックスに箱入りのピザが1枚……。
箱の上に伝票みたいなのが貼付けてあって、汚い字で「ミサワ様」と書かれている。もちろんアタシの字ではない。
そこで、はたと気がつく。いまアタシが三沢さんのお宅のまえにバイクを停めていることを。
状況から考えると、アタシはピザ屋になりすましてここへ配達にやってきたらしい。
どんな状況だよ、とは思う。が、お金も通信手段もなく、ましてや直近の記憶すらないアタシにはほかに選択肢がなかった。このピザをお届けするという選択しか。
三沢と表札の出されたそのお宅は、もちろん戸建てで、そこいらの家よりも大きかった。
おそるおそるアタシは表札下のインターホンを押した。
「……はい、どちら様でしょうか」
応対に出たその声は男性のものだった。
「ピザリカです。ご注文のピザ、お届けに上がりました」
アタシは持ち前の演技力を発揮して言った。
元気のない宅配ピザ屋なんて、あやしいし、それだけは絶対に避けないといけない。
無言の状態が数秒間。そして返答があった。
「ドアの鍵、開いているので、玄関のなかまで入ってきてください」
少しだけイヤな感じがした。
すごくおかしなことを言われたわけじゃないけど、なぜこの家主は自分でドアを開けようとしないのか。
何か魂胆があるんじゃあないか、と裏世界で生きるアタシはどうしても考えてしまう。
最大限の注意を払いつつ玄関のドアを開けた。上がり框のところに立っていたのは30代くらいの男性だった。
「……水戸さん? 水戸さんじゃあないか」
いきなり名前を呼ばれてアタシは戸惑った。この男、何者?
「なんて恰好してるんだよ、水戸さん」
ジャンパーのチャックを上げて着込み、裾をぐんぐんに伸ばしても露出した脚は隠しようがなかった。
恥ずかしいのと、男の正体が気になるのとで、うわーっていう感情にアタシはなった。
「たしかに私は水戸ですが、あなたは」
「ヒドいなあ……青山だよ。あの夜のこと忘れちゃったの?」