401 聖痕獣
聖痕の聖女 リターニア・グレイス
それを聞いた瞬間、ただの痣でしかない筈の胸の聖痕が疼く。
胸元を右手で抑え、何とか平静を取り繕う。
「・・・今、何て言ったの?」
リットの表情が僅かだけど引き攣る。
どうやら、無意識に魔力が溢れて髪が逆立っているらしい・・・でも、悪いけどそれに気を使う余裕は無い。
「貴女様にとっては思う所もあるでしょうが、150年ほど前に初めてその存在が確認され、当時の聖痕保有者が聖痕の共鳴を感じ取った事から、当時のマンベルの巫女がそう名付けたのです」
これまた面白くない冗談だ。
よりにもよってマンベルの巫女が?
当代の巫女だってその事は知っているだろうに、そんな状況で私を目覚めさせ、更には助力を得ようとしていた?
「・・・随分と舐めた事をするじゃない」
今のミデンとは面識は無い・・・けれど、300年前のミデンの魂は私と共に在るのだ。
そう、彼女の魂も私と共に時間に置いて行かれ、つまりは未だこの身の内に残っているのだ。
「・・・聞いていたんでしょ?これがお前達のやり方なワケ?それとも、今からそいつの所に行って躾けてやる方が良いの?」
胸の内が騒めく。
それが何を意味するのかはもう分からないけれど、少しづつ怒りが静まっていくのを感じる。
・・・優しいあの子の事だ、魂のみとなっても私を信じているのだろう。
「ったく、その内今のミデンとは会わないといけないわね。それよりも」
突然独り言を放った私に呆然とするリット、その彼に肩を竦めてみせる。
「悪いわね、今のは気にしないで。で、その聖痕獣とやらをどうすればいいの?」
「えっ、ええ、それは、ですね」
ああ、すっかり怯えさせてしまった。
まぁ、いきなりだったし私が悪い訳でもあるから、少し大人しく話を聞いてあげないとね。
何とか気を取り直したリットだけど、やはり内容的には私の心中は穏やかでは済まなかった。
まず初めに、件の聖痕獣は異形とも呼べる姿をしており、基本的な部分は四足型の獣を基としているようだけど、その足は更に四本増えて八本に。
背中からは翼と手が融合したようなものが五本生えており、それで物を掴む事も空を飛ぶ事も出来るのだという。
そして極め付けがその顔だ・・・聖痕獣の顔、それは一目見て人だと分かる造形をしている。
勿論、角や牙に鱗まであるのだから獣と呼んで間違いでは無いのだけど、だけどそれ以上に人であると思わせる目鼻立ちをしているのだ・・・まるでいつか見た魔導人形のように。
だけど、それらの情報も最後の一点で気にならなくなってしまうのだ・・・特に私は。
「そして、あの聖痕獣が聖痕獣たるのが聖痕・・・奴の醜悪な翼が生える背中、そこに聖痕は浮かび上がるのです」
「・・・よりにもよって、背中なのね」
疑問を浮かべるリットを無視して天井を仰ぎ見る。
背中の聖痕・・・忘れるはずが無い。
かつて魔王だった私がグレイス・ユールーンから奪い取り、最も多く使った聖痕だ。
それは私を通じて邪神へと奪われ、そして今やこんな醜悪な化け物へと変貌してまた私の前に現れた。
「聖痕獣を倒す事が出来れば聖痕も解放される・・・マンベルの巫女はそう語りました。故に、マンベルは奴を討伐せんと動き、邪教神団はそれを阻止しようとしているのです」
くだらない、余りにもくだらない。
そして、今代のミデンは大きな勘違いをしている。
「残念ながら、それを倒しても聖痕には何も影響はないわ」
「それはどういう意味ですか!?」
サラリと放った私の言葉に、リットが椅子を蹴り倒しながら立ち上がる。
「詳しい事は話しても理解出来ないわ。とにかく、あれは聖痕の力をそのまま具現化した存在。つまりかつて神だった者の力そのもの、その成れの果てみたいなものよ。そうね、アンタ達に分かるように言うなら、神が魔獣と化したようなものね」
「そんな・・・では、そもそも我等では倒す事すら不可能ではないですかっ!」
そう、聖痕獣を倒そうだなんて考えが間違っているのだ・・・アレを止めるには、手は一つしかない。
「普通の人も、聖痕保有者も、聖痕獣を倒すのは不可能・・・でも、私なら出来る」
聖痕を巡る運命は、どうあっても私を捕えて離してくれない・・・なら、もう自ら断ち切るしかない。
問題は、どうやってそこまで辿り着くかだ。
今の私は膨大な魔力こそ持つものの、聖痕は一つも無い。
でも、聖痕に関する全てが失われた訳では無い・・・私にはまだ策がある、そう、移痕の儀だ。
あれは聖痕を他者に移す秘儀だけど、それだけしか出来ない訳では無い。
聖痕に関わる力にも、実は干渉する事が出来るのだ。
以前はそもそも聖痕自体を持っていたからそれで十分だったけど、逆に今は移痕の儀だけが私と聖痕を繋ぐ手段であり、そして聖痕獣が聖痕の力の具現である以上、移痕の儀でその力を奪い取る事も可能だ。
だけど・・・
「それは・・・聖痕の聖女たる力故、ですか?」
「そうね、私が持つ聖痕に干渉する秘儀、それなら聖痕獣をどうにか出来ると思う」
「ではっ!」
私の言葉に色めき立つリット。
それを手で制し、彼の期待を否定する。
「勘違いしないで。これは私個人の問題、アンタらの事情なんて知った事じゃないわ。そもそも成功するかも分からないし、私もどうなるか分からない。下手すれば私も化け物になるかもしれないし、耐え切れずに死ぬかもしれない。例え成功しても、それを利用してこの国や世界をどうこうしようってつもりなら尚の事よ」
「それは・・・」
私の言葉にリットが俯く。
彼の、私に向けたプロポーズの言葉に嘘は無かったのだろう。
だけど、その先の事も見据えていたのもまた事実・・・私はもう誰の思い通りなどなってやりはしない。
「聖痕獣が居なくなった後の事は好きにすればいい。でも、アレは私一人で戦うし、居ても邪魔で目障り。用が済めばそのままここを去るから、もしも後を追う気なら相応の覚悟はしておきなさい」
言うだけ言って私は立ち上がり、ドアの前まで歩いていく。
そのまま扉を開き、
「アンタのその想いを、私は受け取れない。私はもう、そういう感情を理解出来ないのだから・・・」
振り返る事無くそう告げ、静かにその場を去った。




