356 そして魔王が誕生した
愛。
それは一体何なのだろうか。
きっと、全ての人がそれは祝福だと答えるだろう。
だけど、私にとっては呪いと成り果ててしまった。
母が最期に残した言葉によって、正気を取り戻してしまった少女。
だけど、その先に待ち受けているのは父と母の死体と、己の手に残る命が散る感触だけ。
そんなものを十歳の子供が受け止められる訳など無く、
「、、、」
最後に選んだのは、自らの死、、、そのはずだった。
胸の聖痕はそんな事さえ許さず、私を突き動かした。
心が壊れた体を操り、手当たり次第に命を貪り、その果てに。
「メルダエグニティス!」
「、、、」
「貴様あああああああああああああ!!!」
ネイが見せた事も無い怒りを露わにし、少女へと飛び掛かる。
無防備なままそれを受けて組み伏せられる少女。
その虚ろな瞳に、ネイが更に怒りを膨らませる。
「何という、、、痛ましい事を、、、違う、これは妾が招いた事。なればこそ、、、責務を果たすのみ。例えそれが、この子に恨まれる事になろうとも、、、」
ネイの手が胸の聖痕へと伸ばされる。
それに抗う様に紅い光が奔り、だけどネイはそれを意に介さずに聖痕に触れる。
「無駄な足掻きじゃ。ここは妾の領域、裏でコソコソとしておったようじゃが、ここで仕舞いじゃ!微睡みの彼方へと失せるが良い!」
その体から眩い光が放たれ、それに抑え込まれる様に紅い光が消えていく。
その最後に、
「無駄、ねぇ。本当にそうかしらね?」
少女の口から、少女とは思えない言葉が放たれる。
「!?」
それに気付いたネイが手を離し、だけどその時にはもう少女は気を失い、聖痕も光を失っていた。
それから数日後。
少女は目を覚まし、だけどそれだけだった。
あるゆる事に一切の反応を示さず、ただベッドに横たわるだけの存在。
その横で、
「、、、記憶を消すしかない」
ネイが少女の頬を優しく撫でながら呟く。
それに対して答えなどあるはずが無く、、、
「本当に宜しいのですか?」
ネイの隣に現れた全身をローブで覆った謎の人物。
その小柄な何者かはフードを取り、ネイに首を垂れる。
「グレイスか。マンベルの巫女が何用じゃ」
グレイスが、マンベルの巫女?
突然齎された情報、だけど今の私にそれをどうこうする暇など無く、
「、、、女神様の望みを果たしに」
「、、、この子を殺すか」
「いいえ、違います」
ネイの言葉を否定し、真っすぐに彼女を見つめるグレイス。
その口から、衝撃の言葉が告げられる。
「この子の内に入らねばなりません。邪神の復活を阻止する、、、その為にこの子の魂を護らねばなりません」
ネイが弾かれる様にグレイスの肩を掴む。
「何を言うておる!それが何を意味するか分かっておるのか!」
「無論です、ネイ様。だからこそ私自らが出向いたのです」
一度目を伏せた後、開いた目を少女へと向ける。
「、、、私と大差無い年齢の少女が、このような過酷な運命を歩まされているのです。この魂を賭す覚悟で無ければ何も成せません」
「愚か者が。其方とて幼子じゃろう、それが何を悟ったかのような口を聞くか!」
そうか、グレイスは確かに私と同じ位の年齢だった。
でも、こんなにも小さい頃からマンベルの巫女をやっていたなんて、、、
「ネイ様」
宥めるような口調のグレイスに、ネイが気勢を削がれて一歩下がる。
「、、、済まぬ」
「いいえ、大丈夫です。それよりも、大事なお話が御座います」
覚悟の込められた言葉に、ネイもまた平静を取り戻して頷く。
眠り続ける少女、その横でネイとグレイスが言葉を交わす、、、それは、私にとっても無視出来ない内容だった。
「今はまだその時ではありません。邪神が封印の彼方へと押し込まれ、こうして私も動ける様になりましたが、この子の内に入れば事情は変わります」
「、、、そうじゃな。既に魂は彼奴の領域とされておろう。今この時に其方が入り込めば即座に排除されてしまおう」
「故に、策を講じます、、、この子の記憶を消すと同時に、改竄を行ってください。この子と私が敵対するように」
、、、まだ、続きを聞かないと。
「如何にする?今更其方を悪とするなぞ、世が許さぬぞ?」
「、、、、、、彼女を」
そういう事か。
グレイスは、邪神に悟られない様にする為に私の記憶を弄らせた。
私のした事をそのまま残し、だけどそれは全て私の意思であったと。
それを裏付ける為に、ネイは兵を出し、そこから始まる事となる、、、魔王の物語が。
記憶が抜けていたり、妙な違和感があったのはそのせいなのだ。
「、、、じゃが、内にある負の感情はどうする。それが膨れてしまえば、彼奴の餌にしかならぬぞ?」
「、、、それは全て私が引き受けます。長い年月を掛ける事となりますが、そうすれば彼女は最後の手段を取る事となります」
「、、、移痕の儀か、、、本当に良いのか?それでは其方が全てを背負う事になるのだぞ?」
グレイスは少女の顔を見つめ、険しいままだった表情を微かに和らげる。
「マンベルに産まれ、巫女を継いだ時点であらゆる覚悟をしております。そう育てられましたから、、、ですが、この子は違います。何の責務も咎も無い子が何も報われず愛される事も無いなど、私は見過ごせません」
「、、、妾からすれば其方も同じぞ。それに、始まりは仮初と言えど愛し子を悪とせねばならぬなど、、、、、、これも我が罪か」
ネイの言葉を最後に二人は視線を交わし、グレイスは転移で去る。
そして、ネイはもう一度少女の頬を撫で、部屋を出て行った。