354 誘われしは
そっと手を伸ばし、箱に触れる。
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目を開けると、そこは見知らぬ光景、、、では無かった。
「、、、嫌がらせ、じゃあないわね」
そう、忘れる訳が無い。
ここは私の、リサ・ダエーグの家だ。
という事は、これは百年前の記憶?
確かに、こんな感じの家に住んでいた覚えはある。
だけど、これは一体何なのだろうか、、、
「いってきまーす!」
目の前の家のドアが勢いよく開かれ、小さな女の子が元気良く飛び出していく。
「ほら、走ると転ぶわよー」
そのドアから顔を出した女性が笑みを浮かべながら声を掛け、そっと閉じる。
「、、、やっぱり嫌がらせね。さっさと出ないと」
数少ない、幸福な記憶。
私が何も知らない幼子として過ごした頃の姿、、、あの子は、私だ。
だけど、母のあんな顔を私は知らない、憶えていない。
私の記憶にある母の顔は、恐怖と憎悪、嫌悪に満ちたものだけ、、、違う、そんな訳が無い。
だって、この時はまだ私は、愛を、、、
「違う、そんな事!」
怒りに任せて目の前の家を破壊する。
すると、掻き消える様に景色が変わる。
一人の女の子が町の人々に追い立てられ、泣きながら走り去っていく。
その後ろ姿が見えなくなり、数人の男達が跡を追っていき、他の奴らは何事も無かったかのように日常に戻っていく。
その中に、立ち尽くしたままの影が二つ。
そこに、一人の老人が歩み寄り、
「、、、マンベルの巫女の予言は知っておろう」
「、、、それで納得しろとでも?」
老人の言葉に、影の一つ、私の父が静かな怒りを込めた言葉を吐き出す。
「恨んでくれて構わぬ。じゃが、あの子の胸に見えた忌痕、あれは邪神の徴に他ならぬ。安心せい、皇王様があの子の面倒を見てくれる。人並みの幸福は得られぬじゃろうが、きっと、、、」
「ふざけないで下さい!」
もう一つの影、母が怒声を上げる。
「例え何が在ろうと、あの子は私達の大事な子供です!それをこんな形で無理矢理引き離しておいて、何を仰りますか!」
「、、、邪神の力は周囲を不幸にする。あの幼子が万が一にでも其方らを手に掛けてしもうたら、それこそ破滅しか訪れぬ、、、心が耐えられぬ。間違っても、ここへと戻って来ぬようにしなければならなかった」
「、、、恨みます。貴方も、皆も、、、子供一人守れない私も、一生」
最後にそう言い放ち、二人は去っていく。
その背を、老人は見なくまるで見つめ続けていた。
「何よこれ、下らない」
それを見せつけられた所で、過去は変わらない。
変わらないのに、、、目元から流れる何かを止められない。
また景色が切り替わる。
泣き疲れ、歩き疲れ、道端で蹲る少女。
それを離れた所から見守る男達。
「なぁ」
「駄目だ」
「、、、もうすぐ約束の頃合いだ。皇王様自らがお越しになるんだぞ」
「分かってる。だけど、リサちゃんが可哀そう過ぎるだろ。ウチの娘とも仲良くしてたんだぞ」
「、、、俺の息子とだってそうだ。あんな事さえ起きなければな」
「もっと早くに気付けていればな。家畜が死んだ時にもっと調べておくべきだったんだ。それをしなかった結果がこれだ、どんなに辛くても最後まで見届けるぞ」
だからどうした。
お前達が石を投げ付けた事を、私は憶えている、、、その石が、一つとして私に当たらなかった事も、、、
ネイに拾われた少女は、少しづつではあるけど普通の日常を送れるようになっていった。
ただ、その顔に笑みは無く、手を繋ぐ女性にも目を向ける事は無い。
「のう、リサよ。たまには何処かへ出掛けるかえ?」
「、、、いいです」
短く素っ気無い返事に女性、ネイは困ったような表情を浮かべる。
そうだ、これは私がネイに拾われ、彼女の下で過ごすようになった記憶だ。
ネイはとにかく私に気を遣ってくれ、こうして手を繋いで散歩へと連れ出してくれた。
だけど、憶えている。
この頃の私は、心が死んだも同然だった。
例えどんな事情があろうと、どんな真実があろうと、当人である私は何も知らないのだから。
「お願いします!どうか一目だけでも!」
次の光景に変わると同時に、声が響く。
床に頭を付け、必死に何かを訴える女性と、それを厳しい目で見つめるネイ。
「ならぬ。其方もしつこいぞ、これで何度目じゃ」
「諦めません!あの子の姿を見るまでは、何度でも参ります!」
敢えての冷たい言葉に、母は引き下がる事無く声を上げ、ついには顔を上げて真っ直ぐネイを睨む。
その姿に、ネイの瞳が微かに揺れる、、、けれど。
「客人の御帰りじゃ、丁重に送り届けよ」
「皇王様!」
母の声を無視して奥に引き下がるネイ。
それと入れ替わるように付き人達が母の腕を掴んで引き摺るように外へと連れ出していく。
「また来ます!必ず、何度でも、例えこの身が朽ちようとも!」
最後の声が響き、扉が締められる。
その言葉を、ネイは目を伏せて聞き受けた。
「、、、すまぬな、人の子よ。メルダエグニティスの覚醒だけは阻止せねばならぬのじゃ」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、足早に去っていくのだった。