34 だから私は背を向ける
「私の聖痕はね、呪われている」
力を抜いて、出しっぱなしの聖痕を、胸の物だけ残して消失させる。
「これはね、触れた物を何であれ死に至らしめる。私がこれを一時的にでも封印したのは、その力を押し留める為」
6歳の時、この聖痕を封じたのは、身を隠す為だけではない。
これは正真正銘、呪いの聖痕だ。
かつての私は、これのせいで周囲から恐れられ、同時に憎まれた。
いや、そんな生易しものではない。誰にも好意を向けられず、何処にも落ち着くことが出来ず、両親さえも私を化け物扱いして、捨てた。
今更過去の記憶が蘇ってきた。
私が魔王となる、全ての始まり。
それから何があったのか、言うまでも無く。
最後は世界に反旗を翻し、魔王と呼ばれ、そして討たれた。
「だけどね、それで抑えられるはずがないとも分かっていた。でも不思議と、誰も死ななかった。生まれてからも、封印してからも、この前襲われた時に封印を解いた後も。それでね、気付いたの。多分、もう呪いは解けている」
確信を得たのは、その後にミレイユと出会った事だろう。
必死に遠ざけようとしたのに、馬車に押し込まれ、でも何事も無く。
まさか、とは思った。でも、事実、この聖痕を御せている。自らの意志で揮った時のみ力を発揮し、それ以外では影響が無い。
それは、ずっと待ち望んでいた事だった。
「だからかしらね、聖女の真似事をしてみたくなったのは。あるいは、グレイスのお陰かもしれない。聖女の聖痕が、私の聖痕を浄化した、なんて。都合良く考えてみたりしてね。だから、せめてあの子の功績は後世に伝えないと、でしょ?」
「まさか、君は!魔王として討たれるつもりだったのか!?」
レオーネが答えに至った。まぁここまで話したのだし、気付いてくれないと困るけども。
隣のミレイユも、途中から顔を青くして口元を手で抑えていたし。
「蘇った魔王は、かつての聖女グレイス・ユールーンの献身により弱体化。それを今代のフェオールとベオークが討ち果たし、予言の成就と、魔王の討伐を果たす。それで皆幸せでしょ?」
あとは私が死ねばそれで全て解決。この聖痕も、今度こそ魔王から解き放たれた次に受け継がれる。
・・・そう、思ってたんだけどなぁ・・・
窓の外に目をやると、ちょうど城下町が見下ろせた。
王が、民を見守る為に設置したのだろう。お陰で、見たくも無いのに、人々の行き交うさまが小さく見える。
私はまだ、この世界を知らない。
かつては滅ぼす為、この目に映ったのは悲劇と憎悪に塗れた世界。
なら今度は、あの時とは違う世界を見てみるのも悪くは無いかもしれない。
まぁ、元々そのつもりだったんだし、と1人納得する。
「リターニア様、どうか留まってください!」
ミレイユの必死な声に、いけない、と気を取り直す。
「ああ、ごめんなさい。大丈夫よ」
そっと笑みを返すと、彼女がキョトンとなる。まぁ、私が勝手に心変わりしただけだし。
その隣、未だに険しい顔のレオーネと向き合い、
「よくやったわね。見事、今代の聖痕の継承者は魔王を退けたわ」
「えっ、何を」
「そういう事にしときなさって話よ。後の事は貴方達がどうにかするしかないけど、魔王の脅威は去ったのだから、まぁどうにでもなるでしょ」
グイー、と体を伸ばすと、私もようやく気が抜けた。何と言うか、やっと始まりに立てた気分だ。
「さてと」
わざとらしく声を出して、窓に近付く。
そこで振り返って、レオーネとミレイユに声を掛ける。
「じゃあ2人とも、しっかりね」
「リターニア?」
「リターニア様?」
2人の同じような反応に思わず笑ってしまう。けど、別れはその方が良い。
かつての私では得られなかった、良いお別れだ。
左手を揮って窓を壊す。高いだけあって吹き込む風もそこそこ強いけど、絶好の逃亡日和だ。
「じゃあね。負けた魔王は、大人しく逃げ去るとしましょう。でも、追ってきたら今度は容赦しないからね」
バイバイ、と手を振って窓から飛び出す。慌てて駆け寄ってくる2人がチラッと見えたけど、すぐに視界から外れる。
魔力を奔らせて身体強化を掛けると、王城の屋根を伝って城下町へと向かう。
今度こそ、この運命から逃げきってみせる。
10日後。
のんびり進む馬車に揺られながら、私はウトウト舟を漕いでいた。
穏やかな天気に、リズミカルに響く馬の蹄が地を蹴る音。これで眠くならない方が難しいだろう。
「嬢ちゃん、もうそろそろ国境だぞ」
おじさんの声で目が覚める。適当に相槌を打って、ぼんやりと外を眺める。
城から脱出した後、私はお世話になった馬車のおじさん、グランさんとばったり遭遇した。私を東の町に送り届けた後、向こうで人を拾って運んできたそうだ。
これぞ運命とばかりに三度助けてもらい、さらには商人のヘンネスさんも巻き込んでフェオール王国脱出作戦を再開する事としたのだ。
荷物は全部どこかの置いてきてしまったので、改めて着替えやらを調達してもらい、代わりに法衣を売り払ってもらって代金にしてもらう事にした。
2日程様子見をしていたけど、城も町も特に混乱はなく、私への追手もかかる気配は無かった。
とはいえ、北の平原での件は既に広まっているらしく、これに城での事も加われば一騒動起きるのは確実だろう。
というわけで、準備もそこそこに私は王都を脱出したのである。
「しかしまぁ、腐れ縁みたいだったが、今度こそいよいよかぁ」
相変わらず豪快に笑うグランさん。
街道を敢えてゆっくり進んでいるのは、追われていないから、だけではない。
王都を出て2日、西の街で休憩を取っている時に駆け込んできた商人が、街の人達にアレコレ捲し立てていたのだけど、その内容が。
「魔王撃退の祝賀会、ねぇ」
王家が主催する、お祭りのようだった。詳しくは聞かなかったけど、そこで何やら発表もあるとか。
で、人がかなり集まるだろうから警備も厳重、街道になんて気を配る事もないだろう、という事で私としてはまたと無い好機、この隙にフェオール王国を脱出するのだ。
「なんだか、いつかを思い出す展開ね」
1人でボソッと呟いて、目を細める。
遠くに来たような気分になるけど、結局は振り出しに戻っただけ。それでも、あの時よりかは幾分前向きな逃亡である。
「グランさんもヘンネスさんも、お世話になり過ぎちゃったですね」
「なぁに、それが人生ってもんだ。それより、向こうに行ったら何をするんだ?」
「とりあえず色々見て回るつもりです。フェオールにも、もう普通に戻れるとは思うけど、暫くはアチコチ見て回るつもりなので」
「おう、それがいい。世界は広いからな!」
ガハハ、と豪快な笑い声に頷いて答える。
そう、世界は広い。かつての、暗い感情に囚われていた私の目では気付かなかった事が、きっとたくさんあるだろう。それが楽しみで、そして嬉しい。
西の国境は案外簡素な物で、街道沿いに程々に立派な検問所があるだけで、壁やらは無かった。
代わりに魔導具が設置されているそうで、街道以外から侵入するとそれに検知され、即座に警備が飛んでくるらしい。
馬車から降りてグランさんにまたいつか、と軽い別れを終えて列にならぶ。
当然だけど、今の私はまた変装魔法を掛けているので、髪も瞳も色が変わっている。
今日は人も少なく、大して待つ事なく検問所に入った。
「身分証をお願いします」
何だか聞きなれた声を掛けられて顔をそちらに向けて、思わず私は顔を顰めた。反射的に一発殴ってやろうかと思ってしまった位だ。
「はいどうぞ。ってか、アンタここでなにやってるのよ。ベオークから追い出されたの?アイン」
「いえいえ、これも『仕事』ですから」
いつもの軽薄な笑みを浮かべたアインが、何故かそこに居たのだ。慣れた手つきで身分証に魔導具を翳している。
「リサ・ユールーン様、ですね。確認しました。まぁ、ミレイユお嬢様たってのお願いでしたので、お気になさらず」
声を潜めて教えてくれた。全く、あの子は。
などと愚痴を零しつつも、ニヤけてしまうのは仕方ない。折角の後押しだし、遠慮なく受取ろう。
「ありがとう、あの子にもよろしくね」
「良い旅を。またお会い出来る事を楽しみにしております」
ニッコリと社交辞令を放ってきたので、軽くあしらって私は一歩踏み出した。
長かったけど、ようやくここへ来た。
吹き抜ける優しい風が髪を揺らし、頬を撫でる。
見上げれば、高く青い空が広がり、雲一つ無かった。
最高の、新たな門出だ。
世界を見届ける為の逃亡の旅は、ここから始まるんだ。
勢いだけで突っ走ってきましたが、これにて第1章完結で御座います。
とはいえ、もう1話だけ、あらすじに対するアンサーとも言うべき回を挟みます。
ですが、物語としてはこれにて一段落です、ここまでお読みくださりありがとうございました!