32 その名は『--』
突然の言葉にミレイユも、隣のレオーネも戸惑っている。まぁ当然だろうけど、役者は揃っている。
「あ、あの。リターニア様、どうすればよろしいのでしょうか」
それでも、ミレイユはある程度覚悟を決めていたようで、すぐに問いを投げてきた。
その彼女の髪を軽く一撫ですると、その左手を右手でそっと持ち上げ、手のひらを重ねる。
「気負う必要は無いわ。意識を左手に集中して、私に委ねなさい。さぁ、目を閉じて」
少しだけ逡巡した彼女は、それでも私に従って目を閉じる。それを見届けた私は、左手を掲げると、その先をアルジェンナに向ける。
「お、おねえさま、、、やめて、、、」
苦しそうに呻くアルジェンナを無視して、左手を軽く握り込む。
「ぐっ、ぉぉぁぁっ」
それに呼応するように、呻くアルジェンナ。身動きが取れないまま、ヒクヒクと痙攣する彼女と対照的に、ミレイユは少し頬が紅潮していく。軽く息が上がり始めているが、これなら大丈夫だろう。
不安そうにするレオーネが彼女の右手を両手で包みこむ。
私の魔力も高まる。難しい事ではないが、今回はいつもと違うから、少しだけ緊張する。
ふぅ、と息を整え、
「移痕の儀、展開」
ぶわりと魔力が広がり、私の聖痕が輝く。
それに呼応してレオーネ、ミレイユ、そしてアルジェンナも、彼らがその身に宿す聖痕が共鳴する。だけど、彼らは一様にして、その視線を私に向けていた。近くに居る王と王妃、更には王の間の入り口に踏み込んでいる宰相達や衛兵、全ての視線が私に集まる。
・・・私から浮かび上がる、5つの聖痕に・・・
今、私から浮かび上がる聖痕、背中、左目、胸、下腹、右大腿。
あまりの魔力に、空間が陽炎の様に歪む。そして、
「悪いけど、嫌な光景が見えるわ。気にしないでね」
誰に対してでもなく、警告する。これだけ本気を出している以上、聖痕同士の共鳴が何を引き起こすか嫌でも分かる。
やがて、景色が唐突に移り変わった。
それは、いつか見た夢の続きだった。
5人の若者が、何者かと対峙する光景。床まで届く黒髪を靡かせるその女は、背後に佇む白銀の髪の女にしな垂れかかり、その背に手を添え、そして。
哄笑と共に、白銀の髪の女は生気を失い、崩れ落ちる。そして、黒髪の女の背に聖痕が浮かび、さらに4つの聖痕が浮かび上がる。
そう、今の私と同じ位置、同じ聖痕。
「ぁ、そんな、、、」
倒れたままのアルジェンナが、体を震わせながら私を見つめる。
直後、夢の景色が薄れて王の間に戻る。
「これは、、、」
体を起こしたミレイユが不思議そうに自分の左手の平を見つめている。覗き込むレオーネも、驚きと喜びの入り混じった顔をしている。
どうやら、無事に聖痕は機能し始めたようだ。
それを見届けると、私は5つの聖痕を輝かせたまま悠然と歩きだす。
混乱する者達を全て無視して、この部屋の主の様に悠然と歩き、そして、玉座へと座る。
「さ、もうお芝居は終わりでいいかしら?」
半目で睥睨し、最後にアルジェンナを見据える。既に自由となったはずなのだけど、彼女は未だに蹲ったまま、むしろより体を震わせている。まぁ、当然と言えば当然だろう。
足を組んで、肘をついて頬を乗せる。傍から見ればこの部屋の主のようだが、当然私は王ではない。
いや、王ではあるのかな。
自分の考えにクスリと笑ってしまう。
「どうして、、、そんなはずはない!ないのに!」
アルジェンナが必死に叫ぶ。その様があまりに面白くて、自由な右手を掲げてアルジェンナを捕らえる。
突然宙づりになった彼女が藻掻きながら、絶叫した。
「どうしてお前が!魔王が居るのよおおおおおおおおおおおおおおお!」
あぁ、心地良い声だ。最後にこんな声を聴いたのは、あぁ、118年前か。
私があの憎らしいブライムに貫かれる直前。
慈悲深い聖女グレイスを喰らい、聖痕を魂ごと取り込んだあの瞬間。彼らは怒りと悲しみに叫び、私へと何度となく挑んできた。
そういえば、今思い出した。あの時、唯一飛び出さなかった奴がいたけど、アレは確か、、、そうだ、まさしくアレはアルジェンナではなかったか。元々前に出る役割ではなかったはずだけど、グレイスへと駆け寄りすらしなかったのは、つまりそういう事なんだろう。
この国を好き放題歪め、私の最後の言葉を予言だなどと仕立て上げてくれた。そのお礼をしなければね。
「何に怯えているの?貴方が広めたのでしょう?魔王が聖痕と共に蘇ると。見なさいな、貴女の望んだ通り、私は還ってきたわ」
「嘘よ、、、だって、あれは、、、私が、、、それにその姿は、、、」
「そうね、お陰でなんの因果か聖女だなんて間違えられて、らしい事までしてしまったわ。我ながら恥ずかしいったらありゃしない。しかも、静かに暮らそうと思ってたのに、結局首を突っ込んだ挙句封印を解く羽目になったのだから、つくづく聖痕は呪われてるわね」
右手を握り込んでいくと、それにつれてアルジェンナが苦悶の表情を浮かべていく。
もはや声すら上げられないのか、必死に頭を振り乱している。その滑稽な姿に、我慢ができなくなってしまった。
「アハッ!アハハハハハハ!何それ!?私を笑い殺すつもり!?」
思わず仰け反ってしまい、その反動で右手を握り込んでしまった。
空気の抜けるような音がして、アルジェンナだったモノが床にぶちまけられる。
「あー、やっちゃった。ごめんねミレイユ。まぁロクでもない奴だったし、これで遺恨はもう無いでしょ」
目まぐるしく移り変わる状況に、この場の誰も付いて来れていなかったようで、アルジェンナの末路にさえどう反応すればいいのか、といった感じだ。
「君は、、、」
そんな中、恐る恐るといった感じで、レオーネが口を開いた。ミレイユを支えながら共に立ち上がると、改めて私を見据える。
「君は、一体誰なんだ?アルジェンナは、君を、、、」
「ええ、そうよ。私は魔王、その生まれ変わり。かつてはリサ・ダエーグとして魔王を務めていたわ」
ニッコリと笑みを返すと、やっと理解できたのか、どよめきが広がる。次いで、レオーネ達を囲むように衛兵達が武器を構えて駆け付けてくる。
どさくさに紛れて王と王妃も後ろへと保護されたので、私は1人。いや、
「あら、忘れ物よ」
右手を軽く払って、側に転がっていたランヴェルトを放り投げてあげる。慌てて武器を放り投げた数人の衛兵が彼を受け止め、そのまま後ろに下がっていく。人命第一、優秀である。
今度こそ、私1人が彼らと向き合う形になった。
さぁ、魔王相手に、彼らはどうするかしら。楽しみに待ち構える。
「みな、下がるんだ」
レオーネが静かに、しかし否を許さぬ声音で言い放つ。衛兵達もそれを感じ取ったのか、少しだけ迷いを見せたもののすぐに下がる。代わりに、彼が数歩前に出る。
「どうして、今まで黙っていたんだ」
「問われなかったから、って言うと卑怯よね。でもね、私は散々言い続けたわよ?聖女と呼ぶなって」
「それは、確かにそうだが、、、」
俯いて悔しそうに唇を噛みしめるレオーネ。その隣に、ミレイユが並ぶ。真っ直ぐに私を見つめるその眼は、強い意志を宿していた。
ああ、アルジェンナはこの光景を夢見ていたのかもね。
フェオールとベオークが並び立つ。魔王を前に、揺るがぬ意志を秘めた瞳。彼女がそっとレオーネの肩に触れると、それに頷いて彼も顔を上げる。
決意を秘めた、良い顔だった。
「ええ、良いわ、受けて立ちますとも」
立ち上がり、二人を見下ろして私は高らかに謳う。
「さぁ、世界の命運を賭けた戦いを始めましょうか」
ここまで散々匂わせ引っ張り隠してきた真実が遂に明るみに。次回、世界の命運を賭けた戦いが?