302 牙を向くのは
中央大陸は元より、東も西も南にも、山と呼ばれる場所はある。
但し、実際の所、そのどれもが小高い丘と呼んだ方が正しい程度のもので、それ故にちょっとした散歩気分で出向く事の出来る場所だったりする。
そう、この断絶山脈の威容こそがこの世界にとっては異質であり、だからこそこれまで誰一人踏破する事は叶わなかった、、、なんて事を考えてみたりする。
振り返ると、開けた視界から一望できる中央大陸。
霞むフェオールの王都、あちこちに点在する森。
その目を正面に向けると、岩と雪だけの荒涼とした世界が広がり、その名の通り地上と断絶された世界なのだと痛感させられる。
そんな場所を一人登り続ける私。
だけど、今は背後から近付きつつある気配がある。
数は一、であれば、それは間違いなくプリエールだろう。
相当な深手を負わせたはずだけど、それでも尚私を追ってくるのは果たして如何なる理由なのだろうか。
いや、そんな事はどうでもよくて、彼女にどんな事情があろうが私はあの女を信用出来ない。
ネイ同様、彼女もまた、私ではない何かを見つめていた。
私がそれを理解しない限り、最早何も信じられないのだ。
だからこそ、答えがあるかもしれないマンベルを目指しているのだ。
なんて威勢の良い事を考えてみたりしたけど、現実は厳しいものである。
最初こそは順調だった道程も、半分程を過ぎた辺りから鈍り始める。
頂上に向かうにつれ、雪深さとその下に隠れた山肌の険しさが、人が足を踏み入れて良いものではない様相を呈し始めた。
しかも、そんな中を生き延びた獣まで居るものだからその対処でも一苦労させられる。
魔力を放出して雪を吹き飛ばしてはいるけれど、それでも安定しない足元での戦闘を強いられ、しかも獣達はそんな環境で生きてきたからか軽い足取りで岩を飛び移りながら攻撃を仕掛けてくるのだ。
直撃こそ躱してはいるけど、細かな傷を負わされるくらいには厳しい戦いを強いられ始めたのだ。
そして気付いた、私は障壁を張っているのに傷を負っている、、、つまり、ここの獣達は恐るべき事に障壁をものともせず攻撃を当ててくるのだ。
ただでさえこの山の特性故か魔法が扱い難いのに、その上厄介な獣まで相手にしなくてはならない。
自慢じゃないけど、私でなければまともに生き残れやしないだろうと思う。
だけど、その私を追ってくる気配は少しずつではあるけど山を登ってきている。
動きからすると、どうやら獣を避ける道を選んでいる様で、進みは遅いものの一度も立ち止まらずに動き続けている。
ただ、あの時見せた戦い方は私ですら見破る事が出来なかった。
というよりも、魔法を使う際に必ずあるはずの魔力の動きが微塵も感じられなかったし、例え魔導具であっても、それが発する魔力は必ず存在する。
であれば、如何なる魔法であろうと、どんなに遅くても発動の直前には感知できるはず。
にも拘らず、プリエールからは一切それが感知出来なかった。
果たしてそれがプリエールの技量によるものなのか、或いは未知の国であるマンベルの技能なのか、答えはこの山を越えた向こうにあるのだろうか。
山頂が目前に迫り、流石に獣も姿を見なくなった。
その分雪はより深くなり、足の踏み場にも困るようになってきて、半ば這う様にして進む状態を強いられている。
幸い、食べ物は襲ってきた獣の肉を処理して焼いて食べたし、水も雪を溶かして飲んでいる。
休憩については、流石にこの状況ではどうにもならないけど、まぁ昔は一週間飲まず食わず休まずで戦い続けた事だってあるし、体調についても魔力で補助をしているからまだまだ問題無い。
後方からの追跡者についても、中腹辺りにまで迫ってはいるけれどかなり足は鈍っているようだ。
恐らく、普段は魔導具での転移で山を越えているから、実際に登るのは初めてなのかもしれない。
一人黙々と山を登り、ついには雲の中をも進んでいく事になった。
そして真っ白な視界の中を進み、雲を突き抜ける、、、その先に。
「、、、凄い」
目の前に広がる光景に思わず呟く。
雲を抜けた先は、開けた場所だった。
広々としたそこは、寒さを感じないどころか、花が咲き乱れる美しい草原だった。
さっきまでとは正反対の光景に幻覚ではないかと疑うけど、魔力の類は一切感じない。
ゆっくりと足を踏み入れ、その感触を確かめてみる。
「本当に本物だわ。まさか、頂上がこんな所だなんて」
ここまでの道程が噓のようなこの場所に、私は自然と気を抜いてしまう。
だけど、まるでその瞬間を待っていたかのように、空から何かの気配が急速に迫ってきた。
咄嗟に身体強化を掛けて大きくその場から飛び退くのとほぼ同時に、私が立っていた場所に大きな影が突き刺さる様に落ちてきた。
舞い散る花々と舞い上がる土煙、その向こうに居たのは、
「、、、翼の生えたトカゲ?でも、こんな大きな」
見た目はトカゲをそのまま大きくしたような姿だけど、その背には巨大な翼が付いていた。
敵意を超えた殺意が籠った目がこちらに向けられ、私と睨み合いになる。
そのトカゲの、鋭い牙が生えた口がゆっくりと開いていき、私は攻撃に備えて黒炎の鎌を呼び出す。
そして、、、
『聖域に足を踏み入れる者が居ろうとはな、実に面白い』