30 聖女の力
砂埃と血煙が舞い上がる。
王都北部の平原はいまや荒野の如く荒れ果て、そこにはさらに無数の魔物の死骸が積み上がっては、泡沫の如く霧散していく。
騎士達は多少の傷こそは負うものの、致命傷足る物は一つもない。長らく大きな戦が無くとも、日々の鍛錬を欠かしていない事の顕れだろう。
加えて、
「左翼前線部に負傷者数名!」
伝令からの報告に私は魔力を放つ事で応える。直後に、負傷者達が居るであろう辺りから歓声が上がり、周辺の騎士達の動きが鋭くなる。
最初の内は私が回復魔法を感知して魔力を送っていたけど、すぐに遠隔通話魔導具を持った騎士が布陣して状況を随時連絡するようになった。加えて、
「間もなく身体強化魔法の効果が切れます!」
「用意を!」
側に控える支援部隊長が魔法の効果が切れる頃合いを見計らって私に声を掛けてくれるようになった。
それを受けて私が指示を送ると、背後の魔法師達が即座に魔力を練り上げていく。
効果が切れる瞬間を見計らってそれを戦場に解き放ち、一瞬も身体強化が切れる事が無いように出来ている。
懐疑的だった彼等も、開戦直前の身体強化拡散、その後の回復魔法への補助、その様を見て何かを思ったようで、協力的になってくれたのである。
お陰で戦況は圧倒的にこちらが有利、あれだけいた魔物が既に半数以下、厄介な中型、大型の魔物も同じく半数ほどにまで減っていた。
(頃合いね)
奥に聳える山の魔物を一瞥し、右手を高らかに掲げる。
「攻撃魔法部隊、準備をお願いします!」
私の声に、後方で控えていた彼らが待ってましたと言わんばかりに魔力を練り始める。
一切の指向性を持たない、純粋な魔力の渦が膨れ上がり、私へと流れ込む。それを受けて、私の背中の聖痕が浮かび上がり、激しく光り輝く。
周りからどよめきのような声が走り抜けるのを無視して、私はさらに魔力を高める。
(使える聖痕は3つまで。そこから先は抑えきれない)
自戒しながら、今の限界まで聖痕を振り絞る。背中と左目と右大腿、背中以外は見られない様に誤魔化しているけど、それでも違和感を感じる物も居るだろう。それでも、使わないわけにはいかない。
あの山の魔物を消し飛ばすにはそれだけ必要だと見込んでいる。
逆を言えば、これで足りないなら、、、
「これより山の魔物への攻撃を行います!衝撃に備えて下さい!」
その考えを振り払うように声を張り上げる。魔力で強化したとはいえ、端々まで届くか微妙だった。けど、すぐに前線に動きがあり、大きな盾を構えた騎士達が防御線を築く。
それを見届けて、一気に仕上げに入る。
頭上遥か高く、両手を掲げた先に黒い太陽とでも言うべき魔力の塊が浮かび、巨大化していく。
(まだ、もう少し)
背後で何かが倒れる音がする。魔力を使い果たし、気絶する者が出始めたようだ。だけど立っている魔法師達は魔力を送るのを止めない。彼等も、この一撃に託しているのだ。
(良い覚悟ね。なら、聖女とやらの力、存分に見せてあげる!)
さらに己が内から魔力を引きずり出す。体を中心に渦巻く魔力が視覚化し、その奔流が体を浮き上がらせる。浮遊魔法とやらは存在しないらしけど、まぁこれは謂わば副作用みたいなものだ。今は気にしてる場合じゃない。
「行け!」
頭上に掲げていた両手を左右へと広げ、魔法を解き放つ。
黒い太陽はその質量を感じさせる事無く山の魔物へと奔る。
通り過ぎた後の空気が焼け焦げ、暴風を伴い、凝縮された魔力が悲鳴の如くうねりを上げながら。
ほんの数舜、瞬きほどの時間の後に。
戦場に鳴り響いていたあらゆる音が、消し飛んだ。
視界を覆う漆黒が日差しを遮り、夜闇の如く平原を覆う。
風が止まり、空気が固まり、存在する事自体を否定する。
そんな力が、山へと降り注いだ。
気が付くと、音が戻っていた。太陽は変わらず光と熱を降り注ぎ、穏やかな風が走り、心地よい空気を運ぶ。
騎士達は、何が起きたのかも理解できなかった。
漆黒の太陽が山のような魔物に落ちていき、弾け、飲み込み、そして。
あの巨体がそびえていた場所は、深く深く抉れていた。まるで掬い取られたかの様に陥没し、魔物の痕跡すら残っていない。その周囲に居た魔物達もまた、飲み込まれたのか消え去っている。今残っているのは、騎士達と接触している僅かな数のみ。
どこからか声が上がる。勝利の咆哮か、掃討への先触れか。我を忘れていた騎士達が一斉に動き出し、残る魔物を駆逐していく。
私の周りでも、歓声が上がっていた。あれだけの巨大な魔物を相手に、どうすればいいのか。そんな絶望感を抱いていたのだろうか。それを一撃の下、まるで飴細工を溶かすかの様に屠ったのだ。加えて、あれだけいた魔物もその余波でほぼ消え失せた。もはや恐れるものは何も無い。
誰もがそう思い、勝利に歓喜していた。
・・・私以外は・・・
何かがおかしい。
最初に抱いたのはそんな事だった。手応えは確かにあった。
硬い殻を砕き、核を消し飛ばした。それは間違いない、でも。
(あれは、、、違う)
確信めいた戸惑い。
周りの声も耳に入ってこない。右手の平を何度も握っては開き、思考に沈む。
一際大きな歓声が響き、魔物の掃討が完了した事が伝えられる。
最前線で剣を高らかに掲げるレオーネがこちらを向いていた。この場に参戦した面々も緊張を解きほぐして撤収の準備を始めている。
その様子を眺めながらふぅ、と溜め息を吐き出し。
右手を払い、見えない何かを弾き飛ばす。
「同じ手が通用するとでも?」
虚空へと言い放つ。
私の周りに居る人達が私の声に動きを止める。
「フフ、さすがですわ、お姉様」
私の背後、騎士団との間に、アルジェンナは音も無く姿を現した。陽炎が揺らめくように突然現れた彼女に、周囲が騒然となる。でも、私と彼女はそれを意に介す事なく睨み合う。
「アレを一撃で消し飛ばすなんて。以前よりお強くなられてます?」
「ええ、お陰で無駄な事をしたわ。まさか、見掛けだけだなんて」
「驚きましたか?お姉様の力が見たくて頑張ったんですよ!」
「安心しなさい。まだ、これからよ」
幾つか言葉を交わし、互いに魔力を高めていく。言葉の応酬の次は無言の戦い。
見えない魔力をぶつけ合い、飲み込まんとする顎の応酬。それが幾ばくか続き、
「ふっ!」
「アハっ!」
純白の法衣と、漆黒のドレスが同時に翻る。
アルジェンナの振り下ろされる右手を左手で払い、右手の平をガラ空きの胸に叩きつける。同時に魔力を放ち、華奢な体を吹き飛ばす。直後に背後から気配を感じ取って勢いそのままに前へと転がる。
毛先が幾らか引き千切れるのを感じつつ態勢を整え直すと、さっきまで私が立っていた所にアルジェンナが佇んでいた。
再びの睨み合い。
アルジェンナは抑えきれない喜びを顔に張り付け、対する私は多分無表情。
私はここで決着を付けるつもりだけど、アルジェンナはどうも違う。何かを狙って、、、
(違う。コイツはそもそも何故ここに来た?)
アルジェンナの狙いはそもそもミレイユのはず。ランヴェルトを抑えた所で私兵団はアインによって統制されているから、こいつが直接狙わない限りは、、、しまった!
「魔導具か!」
私の怒りを込めた声にアルジェンナの口がさらに裂けていく。
「役立たずにも使い道はあるものですねぇ、お姉様ぁ!」
振りかぶった両手に炎を纏わせながらアルジェンナが飛び込んでくる。
それを障壁で受け止めながら次の手を考える。
(クソ、例の操り魔導具をすっかり忘れてた!ランヴェルトも腐っても貴族、魔力は高いはず。加えて親ともなればあっちも迂闊に手を出せない!)
焦りを悟られない様に表情を引き締める。今はコイツをどうにかするしかない。
「アハハ!さぁ、次はどうしますか!お姉様!」
余裕の表情を窺わせるアルジェンナに、その背後に気が付いた私も笑みを返す。
「残念だけど」
「そこまでだ!」
鋭い声と同時にアルジェンナが真横に吹き飛ぶ。声すら上げずに地面を滑り、倒れ伏したまま顔を上げた。
「ぁぁぁぁあああああああ!貴様ああああああああ!」
歪んだ顔をさらに歪ませて、私の隣に降り立ったレオーネに、絶叫した。
ついに30話到達!そしていよいよリターニアが本気を出しましたね。しかしまだ残る秘密が、、、