282 刻まれた名
盟主ネイと共に石室の中に足を踏み入れる。
中は狭く、人が二人も入ればかなり手狭に感じる。
そしてそこには、地面から天井にまで届くやや細長い石碑が一つあった。
近付いてみると、表面には何か文字の様な物が刻まれているけれど、
「何これ、、、見た事が無い文字?」
人の手が入っていないにも係わらず、刻まれた文字らしき物はハッキリと残されているのだけど、それが何と刻まれているのかまるで分からない。
その表面をなぞってみようと手を伸ばそうとして、
「触れるでない」
ここに入ってから無言のままだった盟主ネイが声と同時に手で私を制した。
「あ、大事な物でしたね。すみませっ、、、」
彼女にとって大切な物だった事を思い出して、謝罪の言葉を言いながらその顔を見たのだけど、その表情はこれまで見せた事が無い程に硬かった。
何よりも、その視線は石碑に刻まれた文字に注がれ、揺れ動きすらしない。
その様子に私は言葉を飲み込み、後ろへ下がる。
ゆっくりと、私が立っていた場所に移動した彼女は石碑の上の方に顔を向け、そこに刻まれた文字へと手を伸ばした。
「、、、やはり、そうなのか」
文字をなぞる手は何度も同じ所を行き来し、それを数回繰り返した後、ようやく彼女がこちらに振り返る。
「信じられん事じゃが、其方の聖痕は間違いなく我が兄弟姉妹の物じゃ。石碑に彼等の名が刻まれておる」
という事は、少なくとも私に影響を及ぼす聖痕は胸にある物だけで確定したと考えて良いだろう。
ただ、だとすると残すは。
「だとすると、気配が無いというのはどういう事なんでしょうか」
「それが謎じゃ。邪神が取り込んだ力を聖痕として解き放ったのであるならまだ納得がいく。ただ、その場合ここに名が刻まれる事は無いはずじゃ。これには当人の意思でその力を聖痕と化した時にのみ名が刻まれる魔法が掛かっておる故な。同時に、それに気配が無いのも説明が付く。邪神の一部故、胸の聖痕と繋がった可能性じゃ。正直、こちらの方が妾としても腑に落ちるのが現状じゃ。だが、、、」
事実として、石碑にはある筈の無い名が刻まれている。
他ならぬ、彼女がそれを確認していて、付け加えるならそこについて嘘を吐く意味も理由も必要も無い。
であれば、私が持つ胸以外の聖痕は間違いなく本物なのだろう。
但し、そうなると謎になるのが気配が無いという事だ。
彼女もそこが気に掛かっているのだろう。
「気配が無いというのがどういう事なのか、それが何を意味するのか、彼奴めの策略なのか否か、全てが不明じゃ。そも、何がどうなって彼等の力が聖痕となったのかも分からぬ」
「ではどうします?他に何か出来る事はあるのですか?」
私の問いに、彼女は一度目を閉じて息を吐き出すと、ゆっくりとその目を開き、私を見据えた。
「其方を連れて来た理由じゃよ。こうならねば良いと思うておったがな、、、許せ」
最後の一言と同時に、彼女の手が私の胸に押し付けられる。
敵意どころか、そんな気配すら感じさせなかった彼女の動きに私は反応出来ず、触れる手から流れ込む魔力とは違う何かの力に体の自由を奪われ、意識があっという間に遠退いていく。
「狸寝入りなぞ通用せんわ、たわけが」
ああ、やっぱりそう簡単には見逃してはくれないみたい。
まぁ、無理矢理引き摺り出されたのだし、特にここでは私に勝ち目は無い。
「好き勝手するわね、お姉様。この子がどうなっても構わないの?」
「妾は彼方とは違う、必要とあらばその手も打つ。じゃがな、それでは貴様の企みも闇へと消える。今この時が偶然でない事なぞ分かり切っておるぞ、素直に話せば疾く永久の眠りに落としてくれる!」
まぁまぁ、相変わらず怖い。
でも、これこそがこの女の本性。
この人形に嘘塗れを教えていて、聞いてて何度笑い死ぬかと思った事か。
だけど、だからこそこうして今も残っている。
私の封印を護るのではなく、私を完全に消し去る為に。
そう、コイツは、コイツらは、誰も私が大人しく封印されただなんて思っていやしない。
いつか必ず目を覚ますと確信して、全てを残しておいたのだ。
・・・だからこそ、私も準備をしてきたのだけどね・・・
胸に押し当てられた手に神力が集まる。
どうやら私を封印に押し戻すつもりらしい。
既にそれは無駄なのだけど、気掛かりな事もある。
この女、楔はまだ残っていると言っていた。
それはつまり、私が知らない封印の強化が施されているという事に他ならない。
勿論、私を謀る為の嘘の可能性もあるけど、、、いや、コイツに限ってそれは無い。
どうせ引っ掛かりはしないけど、一応確かめておこうかしら。
「お姉様、何か焦ってるわね?もしかして、最後の楔が抜け落ちたからかしら?」
「下らぬ戯言よな。貴様がアレに至れておらぬ事なぞ分かっておる。無駄ぞ、決して貴様は出て来れぬ。妾が気にしておるのは貴様以外の聖痕じゃ。貴様、彼等を解き放ったのか?」
これはこれは、まさか気付いていないなんて。
ここに来たからすっかり見抜かれたと思っていたのだけど。
「ウフフ、なぁんだ。お姉様こそ、何も分かってないじゃない。なら、私も教えてあげないわ。精々足掻いて、そのお綺麗な顔を屈辱に歪ませてね」
言いたい事を言い切ると同時に暗闇に押し込められる。
だけど、まだ時間はある。
アイツが足掻くサマを見ながら、最後の楔を探し出すとしましょう。