281 神の降りし地
一夜明け、再び東の崖までやってきた私と盟主ネイ。
今回は側付きも居らず、完全に彼女と二人きりだ。
静寂の中、何処か緊張の面持ちで彼方を見据える盟主ネイが、徐にこちらへと顔を向けた。
「覚悟は良いか?」
何を覚悟すればいいかまるで分からないけど、そもそもとしてここに来たのは私について知る為だ。
この先に何が待ち受けようと、受け止めるしか無い。
私は無言で頷き、彼女が私の肩に手を置く。
「では、暫し目を閉じよ。尋常では無い故、目が回るやも知れぬぞ」
そう言うや否や、彼女から信じられない量の魔力が迸り始める。
間近でそれを受けてしまったせいで、寧ろ目を見開いてその様子を見つめてしまったけど、唐突に体が浮き上がり感覚に包まれて急いで目を閉じる。
その直後、天地がひっくり返るような感覚が体を包み、意識が遠退いていき、そして、、、
地に足が着く感触に目を開く。
そこに広がっていたのは、言葉に出来ない光景だった。
呆然とその景色を眺め、
「、、、綺麗」
ようやく、絞り出す様に一言だけ零す。
瞬きの内にやってきたそこは、余りにも自然に溢れた美しい場所だった。
色とりどりの花が絨毯の様に咲き乱れ、その周囲を囲う様に木々が立ち並ぶ。
少し離れた場所には小さな泉もあり、陽の光を受けてキラキラと光り輝いている。
正直、これまでの旅の中で似た様な景色は見てきた。
けれど、ここはそのどれよりも遥かに、いや、比較にならない程に美しい。
恐らくは、空気の違いだろう。
ここの空気は何と言うか、張り詰めたような、だけど優しく包み込むようにも感じる不思議なものだ。
これまで、やはり何処か常に気を張り続けていたけれど、ここに居るとそれも自然と解されていく。
「フフ、どうやら気に入ったようじゃの。移動の際の感覚も吹き飛ぶじゃろう?」
突然声を掛けられ、我に返る。
そうだ、すっかり頭から抜けていたけど、そもそも盟主ネイと共にここに来ていたのだ。
いや、そんな事すら忘れさせるこの場所が凄いのだろうけど、、、いや、そろそろ気を引き締め直さないと。
「ここは、何か神聖な力が満ちていますね」
「うむ。一時的とはいえ、我等神々が一斉に降り立った地じゃ。あらゆる邪気は払われ、神聖なる力で満たされた上、今も尚それは残っておる」
ここに人を近付けたくない理由の一つがそれだろう。
私ですら気を抜いてしまう程だ、常人がここの空気に触れてしまえば、下手すれば正気を失いかねないだろう。
そして、こうして我に返って気付いた事がある。
そっと胸元に手を触れる。
そこのある聖痕が疼いているのだ、、、まるで一刻も早くここから去りたい、とでも言わんばかりに。
それに気付いた盟主ネイがそこに手を重ねてくる。
「反応しておるか。さもありなん、ここは彼奴にとっては忌むべき地じゃ。暫し苦しかろうが、我慢せい」
やはりか。
そんな気はしたけど、こうして体感すると否が応でも神々の存在が事実なのだと思い知らされる。
だけど、まだこれは序の口だ。
本命はこの先にあるのだから。
盟主ネイの言葉に頷きで返事をすると、彼女は手を離して歩き出す。
「では参るぞ、一応離れるでないぞ」
そう告げる彼女の後に続き、花の絨毯の間を歩き出す。
花の絨毯を抜け、泉の横を通り過ぎ、更には木々の間を抜けていき、その辺りから周囲の空気が変わり始める。
同時に、最初に感じていた胸の疼きが再び始まる。
それは奥に進むにつれて強くなり、やがて息苦しさへと変わっていく。
「大丈夫か?必要なら休むぞ?」
「いえ、、、早く済ませましょう。その方が助かります」
「うむ、無理はするでないぞ。何かあれば遠慮せずに声を掛けよ」
心配する彼女にそう答える。
少し強がりはしたけど、本音でもある。
ここで休憩をしてもこれは収まらないだろうし、寧ろそのまま動けなくなってしまいそうだ。
なら、少しでも早くやるべき事を済ませて離れた方がまだマシだ。
そこから更に奥へと進む。
間隔を開けて生えていた木々も、そこまで行くと鬱蒼と生い茂る様になり、進むのが一苦労になり始める。
盟主ネイのお陰でまだ滞りなく進めているけど、それでも息苦しさと相まってかなりキツくなってきた。
彼女も気が付いてはいるのだろう、何度かこちらを振り返り心配そうに見つめてくるけど、それでも私の目を見ると、足を止めずに進み続ける。
そうしているうちに、段々と木々が減っていき、その隙間から陽射しが差し込む様になってきた。
その光を目指す様に歩き続け、やがて。
再び開けた場所に辿り着く。
だけど、そこには花はおろか、草も生えていない剥き出しの地面と、その中央にある小屋程度の石造りの建物が一つ。
「変わらぬな、ここは」
その光景に、目を細めて懐かしむ盟主ネイ。
今の言葉からすると、もしやここは。
「時が止まっている、のですか?」
「うむ。こここそが、我らが降り立った中心地。それ故、神の力に染まり、世界と切り離されてしもうた。人を立ち入らせぬようにしたのはまさにそれが理由よ」
多分、今の私ならその影響は大きく受けないだろう。
だけど、普通の人や、聖痕一つを受け継いだ者程度では抗えないだろう。
ここに入り込めば、その者の時は止まり、二度と動き出す事は無い。
そして、だからこそここが選ばれたのだろう。
ここが、目の前の石室こそが、聖痕遺跡だ。