279 存在しない聖痕
ほんの軽い相談のつまりだったけど、盟主ネイは驚きの表情のまま私の体を調べている。
端から見ると如何わしい事をされている様にも見えるけど、それをしている当人は寧ろ鬼気迫るようにも見える。
「其方よ、本当に複数の聖痕を持っておるのか!?」
「え、ええ、、、」
「どういう事じゃ、これは一体、、、」
無言で私の体に触れていた盟主ネイが顔を上げ、眉を顰めながら問い掛ける。
それに対する私の返事にも納得がいかないようで、真剣な眼差しのまま腕を組んで考え込んでしまう。
明らかに尋常ではないけど、一体何が気になるのだろうか。
それを問おうと口を開こうとして、だけどその前に彼女が先に口を開いた。
「気配が無いのじゃ」
唐突に、説明も無くそう言われ、私は思わず胸に手を当てて聖痕の存在を確かめてしまう。
それに気付いた彼女が軽く頭を振り、
「いや、何と言うべきか、、、其方からは確かに聖痕の気配がある。但し、それはその胸の聖痕の一つだけなのじゃ。どれだけ探ろうと、他の聖痕の気配が微塵も感じられないのじゃ」
「そんなはずはっ!」
それこそ有り得ない。
これまで、この身の聖痕のお陰で何度も窮地を凌いできたのだ。
「待つのじゃ、其方が嘘を申したなぞ思うておらぬ。じゃが、嫌な予感がする、、、其方よ、聖痕を見せてくれぬか?」
そうだ、グダグダ考え込んでないで聖痕を見せれば良かったのだ。
彼女の言葉に頷くと、全ての聖痕に意識を向け、魔力を僅かに流す。
それに呼応して、僅かな光を発しながら体の各部から聖痕が浮かび上がる。
「この通り、九つあります」
自分でもその数を確かめ、彼女にもそれを告げる。
だけど、予想に反して盟主ネイは目を見開き、私の聖痕を見つめたまま身動ぎ一つしなくなった。
いや、、、その瞳や唇は微かに震えていて、何度も口を開きかけては閉じるを繰り返していた。
その様子はさっき見せた物とは遥かに違い、最早どんな感情を抱いているかすら窺い知れない。
それでも、揺れる瞳は何度も私の聖痕を行き来し、何かを確かめていた。
そして、
「、、、何と言う事じゃ」
ようやく発したのはその一言。
そのまま無言で浮かび上がる聖痕を見つめ、それをなぞるように両手で空を撫で始める。
それから無言の時間が過ぎ。
「、、、すまぬのぅ、もう良いぞ」
ようやく落ち着いたのか、盟主ネイは力無く告げる。
魔力を断ち聖痕を消した後、私は彼女に促されて椅子に座り直す。
勿論、彼女も向かいに座るのだけど、そのまま項垂れる様に俯いてしまった。
「あの、、、どうしたのですか?」
心配になって声を掛けてみるけど、返事は無く、代わりに右手だけが微かに上がり振られる。
そのままその手を動かし、お茶の入った器を持つとゆっくりと口を付ける。
その一連の動作は、まるで年老いた人のそれのようで不安を覚えてしまう。
「、、、ああ、すまぬ。何と言葉にすれば良いか、、、妾も分からなくなってしもうての」
「いえ、、、それで、私の聖痕に何が?」
僅かに顔を上げた彼女は小さく溜め息を吐くと、
「、、、其方の持つ聖痕。その胸にあるのは既に話した通りじゃ。だが、他の物はのう、、、有り得ぬのじゃ」
「有り得ない、とは、、、」
「ああ、よもや数千年の時を経て相見えるなぞ夢にも思わなんだ、、、それらはのう、邪神に討たれた兄弟姉妹の聖痕に相違無い」
邪神に討たれた神々とは、邪神が力を付ける前の時に敗れた存在。
つまりそれは、彼等がその力を人々に託す事無く居なくなったという事であり、だから、、、
「待ってください。その神々は聖痕なんて!」
「そうじゃ。彼等は力を残さずに逝ってしもうた。当然、聖痕もな。じゃが、其方の聖痕の紋様は間違いなく彼等の物。これが驚かずに居られようてか」
これまで聞いた話を思い返せば、彼女の反応も納得だ。
だけど、事実としてこの身に聖痕は宿っている。
これは一体どういう事だろうか、、、
恐らく、彼女もそれでこんなにも憔悴しているのだろう。
本来有り得ない、存在しないはずの聖痕。
それが私に宿っているのだ。
私も驚いたけど、彼女の受けた衝撃は想像すら出来ない。
だけど、いつまでもそこで思考を止める訳にはいかない。
この身に聖痕が宿っている以上、必ず理由はある、、、邪神の聖痕と共にあるのなら尚の事。
「何か、思い当たる事は無いのですか?」
「、、、あるにはある。其方も勘付いておろうが、間違いなく邪神めが関係しておる」
「確か、邪神は討ち取った神々の力を取り込んでいたのですよね?だとしたら、封印された後に、それらをも聖痕化して放ったという可能性は?」
私の考えに、彼女は暫し考え込む。
「、、、確かに、それは無くも無い。じゃが、それらを放つという事は自ら力を弱めるという事に他ならぬ。彼奴がそのような愚を犯すなぞ有り得るだろうか、、、」
確かに、一度は改心したフリをしてまで他の神を欺いたのだ。
そうまでして力を求めたような奴が、何を企んで手にした力を解放したのだろうか。
盟主ネイが言ったように、嫌な予感が脳裏を掠めていく。