265 プロローグ・東の果てに待つのは
視界一杯に広がる海。
エオロー連合国を発ち、五日が過ぎた。
普通、エオローからオセリエに向かうとなると、今頃はイングズに入った辺りになるだろうか。
と言うか、エオローから直接航路で行く事がまず無いから今がどの辺りなのか、あと何日位掛るのかはハッキリとは分からない。
ただ、前回の船旅とは違い、私は自由の身だ。
今もこうして船首の柵に体を預けて海風を堪能している、、、のだけど。
「はぁ、皇王様の命でなければ貴方と組むなんて、、、」
「それはこちらの台詞だよ、全く」
私の後ろでは例の二人がいつものやり取りをしていて、せっかくの船旅が台無しだ。
エオローで私に声を掛け、オセリエへと誘った二人の男。
それぞれオセリエとエオールに属する、それなりな立場の奴らしいけど、暇さえあればああしてネチネチと言い合いをしている。
最初は可愛いものだと眺めていたけど、こうも毎日続くと流石に飽きてくるし、何よりもこっちまで苛ついてくる。
というか、よくもまぁああも毎日やり合えるものだと、いよいよ感心し始めてきた節すらある。
いや、そんな事はどうでもよくて、問題なのは二人の名前だ。
何が問題かと言うと、何故かは分からないけれど、二人に名を聞いた所、口を揃えて名乗れないと言われたのだ。
どうやらオセリエを治める皇王がそう指示を出しているらしく、他にもそれぞれの国の状況だとか、そういう話の一切が禁じられているらしい。
「皇王様とやらは一体何を考えているのかしらね」
相変わらずな二人を眺めながら溜息と共に愚痴る。
実際の所、この誘い自体は断っても良かったと思う。
ただ、都合良くオセリエに向かえる足を得られたのと、やはりあの手紙が気になる。
「私の過去を知る、、、一体どういう意味何かしらね」
皇王とやらが私に宛てた手紙にはただ一言、こう書かれていた。
勿論、単純に考えれば素性を隠している私の正体、つまり聖痕の聖女の事を指すと思えるのだけど、分かる人が見ればすぐに分かる事でもある。
であれば、わざわざ意味深にしたのはそれ以外の事を示す為、即ち、私の前世についてだ。
そして、その事を知る事が出来るのは私自身を除けば存在しない、、、はずだった。
「本当に存在してるのかしらね、、、神っていう奴は」
ヤーラーンの皇帝は私が魔王であると知っていた。
そして、それが神なる者より齎された情報であるとも。
もしも、オセリエで私を待っているのが神だとしたら、そいつはきっとヤーラーンでの出来事の黒幕でもある事になる。
そんな奴が何故私を招いているのか、そして丁度ヤーラーンでの騒動が終わった時に遣いを寄越したのか、危険は伴うけど直接話を聞く好機でもある。
果たして、神がどれほどの力を持っているのかは分からないけれど、今の私には九個の聖痕がある。
それに敵うヤツなど、まず居はしないのだから、下手に出る必要は無い。
ようやく終わった二人の言い合いを見届けた後、私は一人海を見つめる。
その視線の先、遥か遠くに陸地が見え始めていた。
それから更に五日が過ぎ、ようやく陸地が目前に迫ってきた。
二人は相変わらずだけど、陸地が近付くにつれて何故か妙な緊張感を漂わせようになっていた。
船は陸地の西を沿う形で北上し、オセリエを目指している。
船上から眺めるエオールの街並みは、少なくとも極普通のようではあった。
途中、二人の片割れであるエオール側の使者が国に戻るという事で港に寄港したけど、そこでの様子は確かに噂通りの物々しさだった。
ただ、降りて行った男は本当に高位の人物だったらしく、出迎えた奴らが軒並み頭を下げていたのは驚いてしまった。
そんな事を挟みつつ、もう一日だけ船で過ごした後。
「ようやく帰ってこれました。ようこそ、我がオセリエ伝統皇国へ」
男の歓迎の言葉と共に、船がオセリエの港に入っていく。
船員達の手際の良い作業のお陰ですぐに船から降りる事ができ、そのまま待機していた馬車に案内される。
「まさかこのまま向かうの?」
「勿論です。皇王様も貴女と会うのを楽しみにしていましたからね。ああ、私は宮殿の前までになりますので」
「楽しみ、ねぇ」
果たして皇王がどんな人物なのか、彼の態度を見る限りでは統治者としては悪くは無さそうではあるけれど。
オセリエは首都に当たる皇都と、後は周囲に点々と存在する村があるだけの長閑な国だ。
総人口も他の国に比べて少なく、今やエオールにすら越されていると聞く。
そのせいか、街道も整備どころかまともに敷かれておらず、港から皇都に続く道が唯一まともに整えられた道らしい。
そこをのんびりと馬が馬車を引き、進んでいく。
ただ、元より他の国に比べても国土が狭く、何なら港から皇都が間近に見える位だからそう時間は掛らないだろう。
そこでふと、肝心な事を聞いていない事を思い出す。
「そうだ、これ位は教えてくれるでしょ?」
「それは内容によりますが」
「皇王様の名前。流石に本人に聞くのは失礼でしょ」
男は暫し考え込んだ後、一つ頷いて口を開いた。
「そうですね、それは問題ないでしょう。オセリエ伝統皇国を治める皇王様、彼の御方の名はネイ様。
皇王ネイで御座います」
「皇王、、、ネイ」
初めて聞く名、、、なのに、それを聞いた私は、何故か懐かしい気持ちを抱いていた。