259 幕間・折れない祈り
紅く染め上げられた空間。
その只中でひたすら舞い踊り続ける一つの影。
それは抑えきれない歓喜に身を任せ、その時を待っていた。
そして、ついに。
紅の空間に亀裂が走り、光が差し込み始める。
それを浴びた影の輪郭が、まるで溶けていく様に薄らいでいく。
「アハハハハハ!来たわ!遂に!さぁ、私を解き放ちなさい!今度こそ、愚かな人間共に私という名の罰を与えてあげる!」
声高に歓喜を謳い、その姿が完全に消え去ろうとした時だった。
「いいえ、そうはさせません!」
差し込んでいた光が急速に細く、弱くなっていく。
見ると、空間に走っていた亀裂が見る見るうちに閉じていく。
同時に、薄らいでいた影が元の形を取り戻していく。
但し、その表情は先程までの歓喜の笑みなどではなく、もはや言葉では言い表せない程の怒りで満ちていた。
「キサマああああああああああ!死に損ないの分際でよくも!」
そう、この空間にはもう一つの影があった。
両手で壊れかけの魂を優しく抱きしめ、毅然と影を睨むもう一つの影、、、グレイス・ユールーンが。
グレイスはゆっくりと立ち上がると、抱えていた魂に魔法を掛ける。
それは、彼女から送る最後の願いであり、決して折れる事の無い祈り。
その魂にそっと口づけをし、転移をさせる。
「それを何処へやった!?それが無いと意味が無いのだぞ!」
「知っていますとも。だからこそ、今この時を待っていたのです。貴女がもっとも無防備となるこの瞬間を」
怒り狂う影が手を翳し、そこから鮮血の茨が飛び出し、グレイスへと伸びる。
だが、グレイスはそれを避ける事は無く、自らに突き刺さるのを受け入れる。
「なに!?」
まさか躱す事すら無く、成すがままに受け入れるグレイスに影が目を見開く。
対照的に、グレイスはその影の様子に笑みを浮かべる。
「貴女もそんな風に驚くのですね。ですが、お陰でようやく捉えました」
自らを貫く茨を両手で握り、血が滴るのを無視してそれを引き寄せる。
「何をするつもりだ!」
「貴女は人を知らな過ぎる。人は決して愚かではないし、弱くもない。勿論、これまでも多くの過ちを繰り返してきました。取り返しのつかない悲劇も多かったでしょう。ですが!それでも人は一歩づつ前へと歩んできました。決してそれは否定されるものではありません。ましてや、貴女に弄ばれる謂れなど何一つありません!」
「黙れ!貴様とてその一人だ!そして知っているだろう、貴様が大事に護り抜いてきたものこそが、人などという汚物の象徴なのだと!それでもなお貴様は人を、この人形を護ると言うのか!己が魂を賭してまで!」
「護ります!人も、彼女も、そしてこの世界も!なればこそ、今日この時まで足掻いてきた私の刹那の一時にも意味が生まれましょう!」
グレイスから発せられる光が茨を伝い、影を覆い始める。
抗い手を離そうとした影が、しかし光によって動きを封じられ、二人の距離が縮まっていく。
それが意味する所を理解した影が目を見開き、何とか離れようと暴れ始める。
だが、それでもグレイスは揺るがない。
真っ直ぐに影を見据え、茨を手繰り寄せていく。
そして、遂に光と影が一つに重なる。
影を抑え込んだグレイスが、彼方を仰ぎ見ながら笑みを浮かべる。
「これで終わりです。貴女も、、、私も」
影が何とか逃れようと藻掻き暴れ、そして叫ぶ。
「分かっているのか!ここで貴様がアレを手放せば、遠からず自滅するのだぞ!」
「そうかもしれません。ですが、そうはならない未来も有り得ます。私とて、ここであの子を一人にするのは不安ですが、それでも人は誰しもいつかは一人で歩かねばならない。あの子にとって、今日が旅立ちの日に過ぎないのです」
グレイスの言葉に、影が動きを止める。
そのまま光に包まれ、影は輪郭を失っていく、、、共にあるグレイス諸共。
だが、その最後に、影はグレイスと正面から向かい合う。
そして、
「よかろう。ならば、暫し見物させてもらおう。だが、忘れるな。既に楔は失われた。ここで貴様と共に眠ろうと、必ずや時は来るのだ。その時に後悔するがいい、今日この時に全てを終わらせておくべきだったとな!」
それはグレイスに、そして、リターニアへと向けた呪詛。
暗闇へと戻った空間にそれは木霊し、光に包まれた影と共に溶けて消えて行った。
「、、、ごめんなさい、リターニア。どうか、、、負けないで、、、」
それと共に、光となったグレイスもまた、その輪郭を失い、闇へと溶けていった。
静寂が戻った空間。
その只中に残されたのは、壊れかけの魂が一つ。
淡い光に包まれ、今にも壊れそうなその魂はただ静かにそこにあった。
ここに、誰にも知られる事の無い一つの戦いが幕を下ろした。
いや、残念ながらこれは終わりではない。
グレイス・ユールーンが犯した唯一の失態。
彼女が願いを託した存在こそが、影が手繰る最大の策略である事についぞ気付けなかった。
だからこそ、終わりは必ず訪れる。
その結末が如何なるものになるのかは、誰も知らぬままに。