240 語らい、抗い
雨に濡れて冷えた体、その内に微かな熱が灯る。
やはりというか、あの男がこうして視界に入ると体が反応してしまうようだ。
特に、下腹部辺りはじわじわと熱が昂り、雨に濡れてなければ別の物に濡れているのが分かってしまう程の状態になりつつある。
ただ、まだ何とか抑え付けられる程度でもある。
一気に終わらせてしまいたいけれど、迂闊に飛び込めば何時かの二の舞になり兼ねない。
それに、聞かなければならない事もある。
大きく深呼吸をして、奴と向かい合う。
雨に打たれたラウの姿に、何故か色気を感じて一段と体が疼きを増すけれど何とか平静を保つ。
「その表情、私が待ち構えているのを予想していたのですか?」
こんな状況でも相変わらず余裕のある笑みを浮かべる彼が嬉しそうに口を開く。
「残念ながら、私はそれほど万能ではないのよ。誘い込まれたんでしょ?」
私の言葉にラウが大きく頷き、ゆっくりと右手を上げ、私へと差し出す。
「フフ、まさか。これは本当に偶然です。当初は、第一師団に捕縛させて連れ戻す予定だったんですが、まさか彼等が敗れるとは。本当に貴女は思い通りにならない方だ」
言葉とは裏腹に、心底嬉しそうに肩を揺らすラウ。
伸ばした右手を胸に当て、優雅に一礼、そして。
「だからこそ、我が妻に相応しい。さぁ、そろそろ私の下に戻ってきてください」
反射的に頷き、駆け出しそうになる己を全力で抑え、
「お断りよ。お前が何を企んでいるのか知らないけれど、これ以上好き勝手はさせないわよ」
静かに、だけどハッキリとした意志を込めた啖呵を切る。
流石にこれは予想外だったのか、ラウの笑みが消え困惑の表情に変わる。
「おや、これは、、、」
今度は、私がそれを見逃さない。
昂る体を宥めすかし、問いを投げかける。
「そもそも、ここに居るアンタは本物なワケ?これもまた幻術なんじゃないの?」
「いえいえ、私は正真正銘本物ですよ。お気づきでしょうけれど、貴女が幻惑に囚われたのは二回。あの町と、第一師団と交戦した森です」
やはりそうだった。
だとすると、、、
「どうして双血の楔を放置してるの?取るに足らないから?それとも、、、」
ラウの目が細められ、何かを見据える様に遠くに向けられる。
そこにはどんな感情が込められているのか、、、初めて奴の本性が垣間見えた気がした。
「アレは私の玩具です。愚かな弟に与えた私のお古ですよ。何度も同じ事を繰り返して、意味の無い勝利に喜ぶ壊れた物ですよ」
「アンタ、、、!」
「フフフ、そう言う意味では貴女も同じになりつつあるのですよ?お判りでしょう?自分の体の事だ。そして、何度となく躾けたのは他ならぬこの私です。そして、それらが今も尚、貴女を内から焦がし続けている事も、理解しています」
ラウが笑みを浮かべる、、、獲物を狩る獣のような獰猛な笑みを。
胸に添えていた右手が再び私へと伸ばされ、その親指と中指の先端が重なる。
その動きに、全身で危険を感じ取り飛び出そうとし、
「逝け」
奴の指がパチンと打ち鳴らされる。
その瞬間、頭の先から爪先まで何かが駆け抜ける。
「ぁっ!?ああああああああっぐううううううぅぅぅぅうううっっっ!!!」
奥底から絞り出した様な声が勝手に吐き出され、膝から崩れ落ちる。
快楽、ではない。
今までとは違う何か、それが全身を駆け巡り、動けなくしている。
震える腕を地面に突き立て、泥にまみれた顔を上げてラウを睨む。
「ぐっ、、、こん、ど、は、、、な、にを、、、」
「おや、まだ自我が残っている?そもそも何故動けるんだ、これも聖痕の力故か?まぁいい、城に持ち帰って調べれば済む」
奴の右手が掲げられ、また指が打ち鳴らされようとしている。
多分、次は耐えられない。
全ての聖痕に魔力を流し込み、無理矢理魔力をぶん回して体に行き渡らせる。
「ぐっぁぁぁあああああああ!!!」
「なっ!?」
勢いよく立ち上がり、地面を蹴ってラウの顔を殴り飛ばす。
受け身すら取れずに奴が吹き飛んでいき、私も勢いに負けて倒れ込む。
先に立ち上がったのは私だった。
体を駆け抜けていた感覚は消え失せ、自由が戻っている。
ただ、後遺症なのか、それともその後の暴挙の反動か、気怠さは残ったまま。
離れた所で倒れていたラウもゆっくりと立ち上がり、私に殴られた頬を抑えながらこちらを振り返る。
雨に打たれながら無言の睨み合いが続く。
その沈黙を破ったのは、ラウだった。
「、、、いい加減、私も我慢の限界だ。ここで終わらせる、、、っ!?」
だけど、その途中で奴は突然空を見上げて黙り込む。
何が起きているのか分からないけれど、今なら。
もう一度魔力を回し、足を踏み出したその時。
「クソが」
奴が小さく呟き、次の瞬間、その姿が消える。
「転移した?でも、どうして、、、」
魔力の痕跡からして、転移したようだけど、、、一体今の間は何だったのか。
考えようとして、だけどそれ以上は限界だった。
一気に疲労感が体を覆い、そのまま倒れ伏す。
顔を打つ雨すら意識に入る事無く、そのまま私は気を失った。