232 横断
胸が苦しくなって目が覚める。
早鐘を打つ鼓動を感じて胸に手を当てる。
「、、、また邪魔をするつもり、、、グレイス」
この身の内で、私を邪魔する存在。
相変わらず理解は出来ないけど、事実として聖痕の発動を邪魔されている以上、認めざるを得ない。
これまでにも、そんな気がする事はあった。
だけど、ここまであからさまに私への復讐を果たそうとしてくるなんて、思いもしなかった。
まぁ、それだけの事をしたのは確かだし、結果的とは言え、彼女の功績は全て抹消され、裏切り者の誹りを受ける事となったのも事実。
そして、それに対する彼女の復讐は、私の純潔を散らせる事。
それも、凡そ最低最悪なものになるであろうそれを、彼女は私の内から望んでいる。
もちろん、負けるつもりはないし、純潔だって守り抜いてみせる、、、と、言いたいけど、現状はかなり厳しい。
特に、心はこうして抗う気持ちを抱いているけど、体は屈しつつある。
そして、体が完全に屈したら、自ずと心も堕ちる。
その時こそ、私は自ら淫らに股を開き、あの男に純潔を捧げる事になる。
それだけは絶対に阻止してみせる、何て軽々しく言えないけど、それでも諦めない。
陽射しが差し込み始めた窓から空を見上げ、決意を新たにする。
予定通り、双血の楔は三方向に別れて移動を開始した。
ヴァネス達とは一度別れを済ませ、私は南を行く集団と行動を共にしている。
ただ、出発前にゼムと話し、一つの結論を出している。
私は護衛として彼らを本拠地へと送り届け、その後は別行動を取る。
始めこそ、あれやこれやと説得してきたけど、何よりもラウが私を付け狙っている以上、危険の方がより多い。
渋々ながらも納得したゼムが北側に向けて出発するのを見届けて、私達も町を出る。
同行するのは双血の楔の面々だけど、その中に一人だけ、見覚えのある女が居た。
向こうも私に気付いて、小走りで近付いてきて、頭を下げる。
「あ、あのっ!覚えてないかも知れないですけど、、、」
「エオローの中央島で会ったわね。あの時は世話になったわ」
「ひぃ〜!その節は大変ご迷惑を〜!」
おや、軽い冗談だったのだけど、本気で怖がらせてしまった。
何とか宥めすかして、話しながら歩く。
エオローの中央島、その最初の案内で訪れたありがたい大木の下で私に襲い掛かった連中。
双血の楔の血気盛んな奴らと共に現れ、リアメノを巻き込まない様に引き離していた女、それが彼女だ。
会話なんてほぼしてないし、そもそも近くに居た時間も極僅かだ。
それでも、私としては警戒対象だった訳だし、顔くらいは覚えていた、というだけの事だ。
彼女と話しながら、それとなく他の連中の顔を見てみるけど、あの時の男達は見当たらない。
「あ、あの?」
そんな私に気付いた彼女が小首を傾げながら顔を覗き込んでくる。
「ああ、あの時の男達はこっちに居ないのねって」
「あ、あの人達は、その、、、リーダーに、、、」
言い淀む彼女の表情で、彼らの末路を理解する。
ただ、あのゼムがそこまでするのか、という疑問が浮かぶ。
「ゼムの命令?」
「はい、、、いえ、あの日の事は、実はよく分からなくて、、、私はたまたま声を掛けられただけですけど、彼らはリーダーからの指示を無視して動いたみたいです。ただ、、、」
ポツリと、小さな雫が空から落ちてきた。
「彼らは、リーダーの質問に、、、記憶が無いって言ってたんです」
暗雲の中に光が走り、少しした後に雷鳴が響いた。
一先ず、雨が強まる前に目的の町へと入った。
幾つかの宿に分散して泊まる事にし、他の連中からの連絡を待ちつつ、待機する事になった。
そして、私は話をしていた女と同室に泊まる事にした。
「さっきの続きだけど」
ベッドに腰掛けて少し濡れた髪を拭いている彼女に声を掛ける。
「記憶が無いって、どういう事?」
「何と言いますか、当人達もどうして呼び出されたのかって感じで。あの日の事を問い質されても、全く覚えが無いって」
これが普段であれば、彼らが口裏を合わせて惚けているだけ、と笑い飛ばせただろう。
だけど、同じ様な状態の者を見たばかりである以上、無視する事は出来ない。
「そいつら、あの日の前に誰かと会ってたりしてない?」
「いえ、、、メンバーはそれなりに居ますし、出入りも多いので。ほぼ、あの日が初対面です」
まあ、流石にそこまで都合良くはいかないだろう。
出来れば、その辺りの話を聞きたかったのだけど、既に居ない奴に話は聞けない、、、いえ、待った。
あのゼムが、明らかに普通じゃない奴らをそう簡単に処分するだろうか。
それにそもそも、そんな事があったのにヴァネス達の状態にあれほど驚くだろうか、、、
何か嫌な予感がする。
とりあえず、ゼムへの連絡方法がないか聞こうと振り返ったその時だった。
「っ!?どういうつもり!?」
さっきまで会話をしていた女が、いつの間にか握り締めた棍棒を振りかぶっている姿が見え、咄嗟に飛び退く。
空振りした棍棒を構え直しながら、女がゆっくりと私へと向き直り、
「あ、駄目ですよ、動くと殺しちゃいます。さぁ、大人しく殿下の下に帰りましょうね」
まるで散歩にでも誘う様に、明るい口調でそう告げてきたのだった。