23 狂喜する狂気
フェオール王国王都、ブライテス。
実はこの国の王都の名は100年程前までは国名と同じだった。
時の王、ブライム・フェオールが仲間と共に魔王を討ち果たし、彼が没した後にその偉業を称え王都の名をその名にちなんだブライテスへと改められたのだそうだ。
その王都の中央には天高くそびえる王城があり、そこを中心に広大な都市が築かれている。
王城を囲うようにに貴族たちが住まう貴族街が立ち並び、先に城下町が広がる。そのような構造をしており、その端から端までは馬車でも半日、徒歩では1日も掛かる程であり、そこをいつも多くの人が活気に満ちた表情で行き来している。
そして今、日が傾き始めた頃になって多くの馬車が城下を抜け、貴族街をも悠然と進み、王城に程近い、王城に次ぐ規模を誇る、とある豪邸へと続々集っていた。
その豪邸の主の名はランヴェルト・ベオーク。
ベオーク家はかつてブライム王と共に魔王討伐を果たし、旅立つ仲間を見送り王都に根を下ろし、平和と繁栄に寄与すると誓った。その恩賞として、元々王家であったフェオール家と同様の英雄として大公の爵位が与えられ、以後100年以上に渡りフェオール王国の為に尽くしてきた。
しかし、兼ねてよりランヴェルトは何かと不穏な噂を纏わせ、特に3年程前、とある町で見つかった『聖痕の聖女』登場以降、その噂はより加速していった。加えて、つい先日の聖痕の式典にて起きた聖女の逃亡。
国民はこの事件に対し、実は彼女に同情的な声を多く上げていた。その素性は知らねど、経緯については王家からも簡単な説明があった為、その強引なやり方に少なからず非難の声もあったそうだ。
一部、聖痕の予言を絶対視する者からは彼女への非難もあるがそれも極一部、大半は聖女の身と行く末を案じていた。
だが、それはあくまで一般国民の中での話であり、貴族達は全く違う視点で今回の事を見ていた。
そもそも予言に対する見解が違う、彼らにとってそれは王家の権勢を確固たる物にする為の道具に過ぎなかった。
加えて、聖痕を持つ聖女の登場、そして逃亡。
彼等にとって彼女は、あわよくば次の王へと手を掛けられる大変都合のいい道具であった。その素性などに係わらず、聖痕を持つ、ただそれだけの理由で今やその存在は黄金以上の価値へと昇り詰めている。
聖女を捕らえ、意のままに操り、王へと据える。
その思惑の筆頭に居るとされる人物こそがランヴェルトであり、ベオーク家である。
その真意を知る物は皆無であり、多くの憶測を呼んでいるが、当の本人が泰然自若と構えている為、誰も口を出せない。
今回の舞踏会もそうだった。志を共にする貴族のみを集め、その意思を確認する為の儀式めいたもの。
同時に、ベオーク一派とも言うべきその勢力、その規模の大きさを内外に示す為の示威行為、そう考える者が集い、ベオーク家との繋がりを確固たる物にしようと企む、陰謀と野望渦巻く舞踏会へと変貌していた。
そして今も、多くの招待客に囲まれているランヴェルトの下に1人の令嬢が近付いていく。
スラリとした体を豪奢なドレスに包み、結い上げた髪を見せつけ、化粧を施された顔、その表情は気品と自信に満ち満ちていた。
その背後に付き添うように1人のメイドが共に歩む。主を立てるように面を伏せ、影に徹して。
その令嬢とランヴェルトがお決まりの挨拶を交わし、そして離れていく。だが、
「なんだ、メイド風情が何をぼさっとしている」
令嬢が去ったにも関わらずメイドはその場に立ち尽くす。ランヴェルトの見下すような言葉にも反応せず、むしろ堂々と面を上げる。
「申し訳ございません。ですが、私は貴方に用があるのですよ」
メイドが不敵に笑み、懐からチラリと1枚の紙を覗かせる。それを見た瞬間、ランヴェルトの表情が僅かに歪む。
「貴様、、、」
「御招待、誠にありがとうございます。ランヴェルト・ベオーク様?」
ニヤリ、と笑みを浮かべてメイドに扮した私は恭しく頭を下げる。
「上階突き当り、ドアは開いている。そこで待て」
周囲に聞こえない様に私に告げると、ランヴェルトは何事も無かったかのように挨拶へと戻る。
私も一礼して踵を返すと、玄関ホールの階段を上り、長い廊下を抜けて指示された部屋へと辿り着く。
「ああもう、無駄に広いのよこの建物!なんで廊下だけでこんな長いのよ!」
当然のように上座である、バルコニーへと出れるドアの前の席に腰を下ろし、被っていた帽子を脱ぐ。メイドキャップの中に仕舞い込んでいた髪を解き放ち、そこでようやく一息つく。
ランヴェルトからの招待状を受け取った時にアインに用意させたこのメイドの服だったけど、見事にあのいけ好かないおっさんの鼻を明かしてやれたようだ。
1人、悦に浸りながら頭の中を整理する。
ミレイユの事もそうだけど、その後のアレも確認しなければいけない。
アルジェンナ・ベオーク。私の記憶が間違ってなければ、その名は聞き覚えがある。
そう、118年前、かつての私の、最後の時にそこに居た女。戦闘力は無い物の、随一の回復魔法の使い手であった小柄な彼女の名は、、、
(だけどあり得ない。いや、、、、聖痕を使えば可能なの?でも、それでも118年。本当にそうならもう140歳近くよ、そんな歳で身動きなんて、、、)
目を閉じて薄れた過去の記憶を何とか掘り起こそうと唸っていると、廊下の奥から足音が響いてくる。
私は軽く頭を振ると、とりあえず、まずすべき事をしようと切り替える。
そうして、長い廊下の先にランヴェルトが姿を現し、優雅に、しかし足早にこの部屋へとやってきた。
「ふん、寛いでいるようだな」
「ええ、生憎遠慮なんてする気は無いからね」
底の見えない瞳で見据えられながら答え、立ち上がる。そこで一つ気付く。
「ん?確か奥さんも来るって聞いてたんだけど」
彼が単身でここに来ている事に今更ながら気付く。だけど、彼はフン、と鼻を鳴らして薄ら笑みを浮かべる。
「何を言っている。妻ならそこに居る」
はぁ?と言おうとした瞬間。
「っ!?」
背後に、おぞましいとしか言いようがない気配が突然立ち上り、、、
自分の体が浮き上がり、景色が高速で後ろに流れて行った。
声を上げる暇も無く私は廊下の半ばまで吹き飛び、床を何度も転がりながら最奥の壁へと体が打ち付けられる。
「っぁ!?ぐっぅぁあ!」
受け身も何も取れず、全身が激痛で埋め尽くされた。だが、
「ぅがぁっ」
またしても体が弾かれ、今転がってきた廊下を今度は引き摺られながら再び部屋へと戻される。
そのまま部屋中を玩具の様に跳ね回され、棚や花瓶、絵画やランプ、とにかくあらゆる物に叩きつけられ、最後にテーブルの上に叩き落される。
着ていたメイド服はズタズタに裂け、そこから覗く肌は幾つもの傷や打撲で赤や青に染まっている。顔への直撃は何とか避けたけど、口の端から血が垂れているのは理解した。どこかしら内臓がやられているかもしれない。
「かっ、はっはっぁっ、ぅぐっ」
浅い呼吸を何度も繰り返して何とか呼吸を整えようとするけど、全身が熱を帯びて、思考も纏まらない。何より、
(手も、、、足も、動かない、、、)
折れてはいないはずなのに、手足が微塵も動かせない。テーブルの上、何かに標本のように縫い付けられた私は何とか首だけ動かして、その存在を睨む。
その姿は、とにかく黒一色。
鍔の広い帽子を被り、そこから顔を隠す様にヴェールが垂れていた。着ているドレスも闇より深い黒で、首も手足も微塵も露出が無い。手先も手袋で覆われて、まるで闇がそのまま人の形になったかのようだった。だけど、間違いなく目が合っている。濃いヴェールの奥、見えないはずの瞳が爛々と輝き、私を貫いているのを感じている。そこに宿る光は、、、
「アハッ!」
突然、闇が肩を揺らす。小さな声が漏れ、波が広がる様に体の揺れが大きくなっていく。それに釣られる様に、闇が、弾けた。
「アハハハハハハハハハハハハ!あああああああああああああああ堪らないわあああああああああああ!!!!!」
あどけない少女のような声が、狂い嗤う。体を大きく仰け反らせ、お腹を抱え、何度も何度も狂笑を響かせる、、、
「まさかとは思ったけど!本当だったわ!あああああ覚えてる!覚えていますとも!その美しい白銀の髪!ええ、ええ!間違いないわ!体は違ってるけど、その髪が証明している!」
テーブルに広がった私の髪を愛おしそうに撫で、憎らし気に鷲掴む。口づけをし、舌を這わせ、嚙み千切り吐き棄てる。
「覚えてますか!?覚えてますよね!?だから逃げたのでしょう!?私の影に怯え、かつての罪に震え、己が命を捨て、人々に背を向けたのでしょう!?ええ、ええ、ええ!分かるわ!分かりますとも!」
フワリ、とテーブルに飛び乗ると私の上に馬乗りになり、体中に手を這わせる。
不快な感触と、傷に触れられた痛みで堪らず顔が歪む。
「痛いですか!?ええ!ええ!そうでしょうとも!如何でしたか!?私の歓迎は!ねぇ!?」
ヴェールに覆われた顔が、目の前に迫る。
まるで、獲物に喰らい付くかのように。
垂れ下がるヴェールの先に、艶めかしい唇が覗く。そこから、血の様に紅い舌がチロリと頭を出し、私の首筋を舐め上げる。何度も何度も、時に唇まで吸い付かせ、淫らな水音まで響かせ、それが私の唇まで上がってくる。
そこでピタリと動きを止めると、私の顔を何度も何度も、宝物の様に撫で上げて、歓喜の声を上げた。
「ああ、お会いしたかったわぁ、、、グレイスお姉様」
いよいよ、確信に迫っていきます。ただ、次回は冒頭から激しいのですよね、、、