21 花に触れる
小さな村にしては随分と贅沢な食事を堪能し、食後の歓談も一段落したところで私達女性陣はなんとお風呂に案内された。しかもかなりの広さの浴場が村の役場に備えられていた。
聞けば、地下からお湯が湧いておりそれを贅沢に利用しているそうだ。これを観光資源にすれば一気に栄えるのだろうけど、どうやらこれこそがベオーク家がこの村を囲う理由らしい。ミレイユの為だけの秘湯という事だ。当人はそんな事など露知らず、アブリルと私を伴ってお風呂を満喫している。
「ここのお湯に浸かると、体が凄く軽くなるんです。魔力でも満ちているのでしょうか」
馬車の中でも見せない程気の抜けた姿で語るミレイユ。こうして見ると、背は私より幾らか低いのにその肉付きは私を遥かに上回る。出るとこは出て、細い所は細い。なんだか無性に悔しい。
そして何と言ってもアブリル。身長は私と同じ位、だけどそれはもう大きいのだ!何とは言わぬが、もう大きい!メイド姿の時は全然気付かなかったのに、今ミレイユの髪を手入れしている彼女はそれはそれは素晴らしい!思わずぐぬぬ、と呻きたくなる。
何とか目の前の2人、あるいは4つの豊穣の証から目を引き剥がしてお湯を掬い上げる。
「確かに、魔力はありそうね。濃くは無いし、普通の人には気にならない程度ね」
軽く調べてみると、お湯に満ちる魔力を感じ取れる。とはいえ量で言えばほんの少し、私どころか、アブリルでも気にならない。むしろこれはミレイユにこそ相応しいと言っていい代物かもしれない。
魔力の薄い彼女の体に、このお風呂は間違いなく最高の癒しとなるだろう。彼女の感想はまさしくなのだ。
「王都の御屋敷でもこのお湯を使えれば、お嬢様の体ももっと良くなると思うのですが、、、」
「それは仕方ないわ。だからこそ、こうして定期的に通っているのですから。それに」
アブリルの切実な言葉にミレイユが笑みを浮かべながら返す。
「アブリルもこのお湯が好きなのですよね。いつも私の付き添いで入ると、体が楽になると喜んでるものね」
「お、お嬢様!それは内緒とお願いしたではありませんか!」
顔を真っ赤にして抗議するアブリルも、やはり大公の娘の世話は緊張を強いられるのだろう。ましてや、世話をしているのは体調面に問題を抱える人。神経が休まる時がなかなか無いのだろう。
気ままに生きている私とは縁遠い話ではあるけど、彼女達にはそれこそが日常なのだろう。
なんて暢気に緩んでいたら、
「あの、リターニア様」
おずおずと、ミレイユが声を掛けてきた。
「どうしたの?」
「一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
さっきまでと打って変わって、真剣な表情でこちらを見つめてきた。それに頷いて私も姿勢を整える。
「レオーネ様よりお聞きしました。その、使命に背を向けた、と。それは何故でしょうか」
彼女の口からそんな質問が出てくるとは思わなかった。一瞬だけそう考え、彼女の境遇を思い出す。
体が弱く、こうしてあらゆる手段で命を繋ぐしかない存在。当人からすれば色々と思う所があるのかもしれない。
「それは、、、」
口を開こうとして、深く考えていた思考を止める。恐らく、彼女が求めている答えは私の思うそれとは違う。ここしばらく、自分の内や、レオーネに対して難しい思案をする事が多かったから、かもしれない。
だけど、それ以上に、私の中の何かが、得体の知れない何かに引き摺られている気がした。
そんな考えを振り払うように、言い訳を思い浮かべる。そうだ、私に許されるなら彼女を少しは救う事が出来るかもしれない。
「人はね、誰でも生まれた時から自由なのよ」
「生まれた時から、自由、ですか?」
私の答えに目を丸くしながら聞き返してくる。隣のアブリルも表情を硬くして耳を傾けているようだ。言葉を選びながら、私は続ける。
「そう。血筋も、受け継いだ物も、授かった物も、全部関係ない。人それぞれが自由である、ううん、自由でなきゃいけないの。生まれて、生きて、死ぬ。人生で定められてる事はそれだけ」
あれ、と。何だか胸がゾクリとした。自分の言葉に、何だか分からない感情が芽生える。なのに、言葉は止まらない。
「もちろん生まれた瞬間から考える事は出来ないし、それなりに生きなきゃ先の事も考えようがないわ。でもね、そこで何があった所で、その先全てがそうである必要も無いの。自分がそうしたいって思ったなら、いつでも始められる。だから私は押し付けられた使命なんてものを拒否した。そんな事よりもやりたい事があったから。私は私の心に従っただけ、ただそれだけなのよ」
「それは、、、だけど、貴女には聖痕が、あります」
糾弾するように、あるいは祈る様に、ミレイユは言葉を紡ぐ。
両手を祈る様に胸の前で組み、何かを宿した瞳で真っ直ぐに私を見つめながら。
その瞳に吸い込まれるように、真っ直ぐに彼女を見つめて答える。彼女には、それを問う資格があるのだから。
「だからよ。聖痕なんかに私の人生を左右される理由は無い。例え望もうと望むまいと、これがある事実自体は変わらない。だけど、、、」
ダメだ、この先を言ってはいけない。頭は警鐘を鳴らすけど、心の中の何かがそれを打ち消す。
「それは私の人生においてなんも重要ではないし、意味も無い、だから、、、わたしはっ、、、、、、」
唐突に、言葉に詰まる。思考が散り散りになり、胸が詰まったかのように続く言葉が吐き出せなくなる。
今、私は何と言った?聖痕なんて関係ない?馬鹿馬鹿しいにも程がある、と、自分で自分を嗤い飛ばす。
今の言葉は嘘だ、と。
他ならぬ私に対する、他愛もない、大きな嘘。
きっと、この世の誰よりも私は、聖痕に縛られている。
100年前も、100年間も、100年後も。
どこを切り取っても、私の人生には聖痕が付き纏う。
ミレイユを救う為に放ったはずの言葉は、深く深く、私を抉り貫いた。
・・・心が、魂が、、、軋みながら、悲鳴をあげた、、、、、、気がした・・・
「リターニア様!?どうされたのですか!?」
彼女の声に意識を浮上させる。何かが頬を伝った気がして、お湯をバシャリと顔に打ち付ける。
危うく思考が引っ張られる所だった。やはり胸の聖痕を解放した影響があるようだ。それに加えて、
「大丈夫ですか?」
不安げな表情で私を見つめるミレイユ。気が付くと、いつの間にか彼女の左手が私の右手に添えられていた。
(ああ、やっぱりそうなのね。なんて、残酷な事を)
その手を握り返して、切々と彼女に告げる。馬車の中での会話を思い返し、確信を抱きながら。
彼女はその事を知らない。勘付いている可能性はあるけど、真相には至っていない。だけど、
「何も知らなくても、何も分からなくても、お願い。どうか、逃げて。その人生から、使命から、運命から。貴女は、私のようにはなってはいけない」
私の言葉の意味が分からないのだろう、彼女は困惑したまま私の目を見つめる。
その視線を振り切って、私は彼女の左手を持ち上げて、その手のひらを見る。本来、そこにあるはずの何かを探して、、、
(見えない。だけど、確かにある。その力も発動している。ならばなぜ、、、)
顔を上げ、未だ右手の添えられた胸の中心を視る。その奥、心臓に食い込む物を捉え、怒りが込み上げた。それは、私の予想通りの代物かもしれない、と。
私が逆上せるから、と言って強引に話を打ち切ると3人共にお風呂を後にする。
とりあえず、ミレイユとアブリルもいつも通りの和やかな雰囲気に戻ってくれたので、一安心。とはいえ、
(どうやら、無関係のままでは居られなさそうね)
馬車までの僅かな道のり、満天の星空を睨むように見上げて、私は覚悟を決めた。
聖痕には特性、というかとある秘密がございます。それに触れるのは、いつでしょうかね(笑)