186 些細な依頼
これまた、想像以上にややこしい状況が二つの国に跨っているらしい。
エオローは前にも言った通り、五つの島を与えられたかつてのヤーラーンの兵士達、その子孫がそれぞれ治めている。
ただ、エオローとして独立する際に彼らはヤーラーンからある種の信任を得ている。
それはヤーラーンとしても同じ事で、少なくとも今は互いに良き隣人として共存している、筈だ。
その二国の間に、まさか物理的に壁が築かれるとは誰も想像だにしなかっただろう。
勿論、目の前に居る王子様もその一人、、、と、今は思っておこう。
少なくとも、現状で彼の言葉だけを鵜呑みにする理由は無い。
「つまり、壁はヤーラーン側で築かれた、と?」
「む、それは意地の悪い問いですね。ですが、その用心深さは見習いたい所です」
私の言わんとする事を理解していてなお、こう返してくる辺りこの王子も十分に癖者なのだけれど。
何せ、こうしたやり取りをする時は決まって彼は笑みを浮かべている。
相手に己の内を探らせない、それでいて演技臭さも無いから相手の方が知らずに絆されていく、そんな笑みだ。
まぁ、それも私相手では通用しないけれどね。
「申し訳ありませんが、部外者たる私にはどうにも判断しようがありません。少なくとも、この中央島からでは壁は見えませんので。加えて、両国の内情についても同様です。何せ、一介の旅行者ですので」
この返しに、果たしてどう出るか。
「これは手強い。では素直に話すとしましょう。現状では帝国は、この件は静観するつもりでいます」
意外な事に、あっさりと手の内を晒した王子だけど、その内容はあまり良い物とは受け取れない。
それは彼も同じなのだろう、何処となくその笑みに落胆が見え隠れしている気がする。
「それはつまり、帝国はある程度の情報を得ている、と?」
「ええ、後程魔導具でお見せしますが、あの規模の壁を築くのに完全に情報を封じ込める事は出来ません。関与したと思しき複数の者の身柄を抑え、話を聞いています。末端の末端なので得られる情報も僅かですが、それでも幾つか有力な物もありました」
「その壁とやらは、現状放置でも問題が無い、と判断された訳ですね」
「そうです。黒幕の追跡もまた然り、ですがね」
となると、考えられる可能性は二つ。
一つは、黒幕に繋がる証言が得られず、敢えて静観する事で次の行動を誘発しようとしているか。
もう一つは、黒幕の正体が判明していて、それでも尚動かない、いえ、動けない状況にあるか。
考えが顔に出ていたのか、私を見ていた王子が肩を竦めて表情を和らげる。
「いやぁ、本当に貴女は良い御方だ。本気で求婚したくなっちゃいそうです」
「きゅっ、求婚!?」
いきなりの言葉に思わず声が上擦ってしまう。
そんな私を見て、楽しそうに体を震わせて笑いを堪える王子に反射的に手が出そうになってしまうけど、これはもう我慢しなくても良いんじゃないだろうか。
「失礼、流石にいきなり過ぎましたね。でも、割と本気ではあります。言ったでしょう?一人の男として、貴女と親睦を深めたいと」
いや、確かにそう言ってた気はするけども、いくら何でも求婚は飛びすぎでしょうに。
何だか熱くなった気がする顔を見られない様にして、咳払いをして話を本題に戻す。
「ああもう!それよりも!結局、私をここに連れて来た目的は何なのですか!」
「アハハハ!そうでした、それを忘れてはいけませんね」
うーん、この笑顔。
本気で忘れていたのか、或いは敢えて話を逸らしていたのか、相変わらず読めない。
一頻り笑い終えた王子がようやく落ち着き、地図とは別の紙を私に差し出してきた。
「これは?」
「まぁ、親書の様な物です。貴女にはちょっとした仕事を依頼したいのです。勿論、報酬は出します」
その紙を受け取り、王子に確認をして中を見る。
その内容は、
「エオローの各島の主に宛てた物、ですか」
内容自体はそう大したものではない。
ただ、この手の親書は普通、一人に一通で、今回で言うなら五通はあるはず。
だけど、私が渡されたのはこの一通のみ。
その最後に、中を検めた事を示す署名欄が設けられているはいるけれども。
いや、というか、そもそもとしての疑問を解消しないと。
「あの、失礼ですが何故私に?こういったものは普通、それ相応の役職の者が、、、」
はたと、自分の言葉である事に気付く。
そんな私に、彼は相変わらずの笑み。
「まあ、敢えては言いませんがそういう事です。その内容も、貴女の様に無関係の人には大した事の無い様に見えますが、実際は暗号が仕込まれています」
「それを、エオローにもヤーラーンにも所縁の無い私に届けさせる、と」
「ええ、余りこういう言い方はしたくありませんが、これもまた、聖痕の導きによるものかと。兎角、貴女なら、ね」
納得はしたくないけれど、彼の言葉には頷かざるを得ない。
こうして、最大の厄介事を前に、ちょっとした一仕事をする事になったのだった。
これが、新たなる戦いの前哨となるなんて、この時は微塵も思いもしなかったのだけれど。