185 意外な実情
座り直した王子はお茶で喉を潤すと、窓の方へと目を向ける。
その視線に、何処か憂いが混ざっている事には気付かないフリをする。
「さて、貴女はこのエオローという国をどう思いますか?」
「随分と抽象的な質問ね。その意図を問うても良いですか?」
私の質問に、彼は寧ろ嬉しそうに元の笑みへと表情を変える。
「聡い御方だ、それだけでも貴女が本物であると証明される。では問いを変えましょう。もしも、今この国が存亡の危機にある、と言ったら貴女は信じますか?」
変わらぬ笑みのまま、彼は問う。
その笑みに、初めて底知れない何かを感じた。
そして、その問い自体に含まれる何かもまた、私は感じ取ってしまった。
だけど、それに素直な答えを返したらそのまま面倒事に巻き込まれるのも確実だろう。
何せ、彼は私を聖痕の聖女だと分かっていて、更にはこうして自らの懐に招いてまで聞いているのだ。
その真意が何であれ、彼が私の力を求めているのは確かだ。
ただ、、、
「それは、貴方がここに居る事と関係があるのですか?」
私の問いに、彼は初めてその笑みを消して真剣な眼差しを私に向けた。
「、、、本当に聡い方だ。私も、これでも権謀術数渦巻く王宮で育ち、目と耳、心を鍛え上げてきました。それを、こうも容易く看破されては少々居た堪れないのですがね、、、いえ、失礼」
そこまで話し、だけど敢えて彼は口を閉ざした。
それはつまり、たとえこの場であっても口には出来ない事であるという証明。
即ち。
「、、、お家騒動ね。いつでもどこでも、そういうのはあるってワケね」
私の言葉に、彼は肯定も否定もせず、ただ笑みを浮かべているだけだった。
暫しの沈黙。
私も彼も、何度かお茶を口に運ぶだけの時間が過ぎ。
「それで、本題は何でしょうか?まさか、本当にこうして朝食とお茶だけの為に誘った訳では無いのでしょう?」
「ハハ、一人の男としてはそれだけです、と答えたい所なんですがねぇ。残念ながら、ナイレンがそれを許してくれないものでして」
残りのお茶を一息で飲み干すと、彼は側に置いてあった物を手に取り、私へと差し出した。
それを受け取って床に拡げてみると、
「これは、、、エオローとヤーラーンの地図?」
「ええ。今更ですが、少し説明しておきましょうか」
「さて、我々が今居るのはエオロー連合国を成す五つの島のうちの中央、最も大きな島です。ここから北東、南東、西に二つの計五島からなるのがこの国です」
渡された地図には、彼の言う通りの位置に島が存在している。
それを事も無げに説明していく彼に思わず感心してしまうけど、これも帝国を継ぐ者としての勉強の証なのだろう。
「まぁ、地図を見て分かる通り、大きいと言っても一日もあれば歩いて一周できる程度ですがね。他もまた然り。そして、ここから更に南東へと海を渡ると我がヤーラーン帝国があります。ご存知だと思いますが、我が国も実際には島国でしてね。エオローよりは大きな島ではありますが、中央や西の大陸と比すとまぁ可愛い物です。国土だけで言えば、東のオセリエ、エオールのある大陸と大差が無いのが救いですかね」
そう、ヤーラーンは三つの大きな島から成る国だ。
ずっと昔、そこは一つの大陸だったそうだけど、天変地異によって分断されたという。
その結果、現在のヤーラーン、エオロー両国の地形へと変化したとされている。
また、ヤーラーンの三島はそれぞれが大きな橋で繋がれていて、行き来も自由に出来る。
ただ、領主は居らず、代わりに執政官と呼ばれる者達が皇帝からの指示の下、各地を治めている。
これもまた帝政ならではなのだろう、執政官は国民より少し立場が上ではあるけど、その分些細な悪事でも厳罰に処されるそうで、その能力もさる事ながら、人格もまた問われるそうだ。
そんな事を考えていると、王子はまたしても笑みを潜め、私の見ている地図を指差す。
正確には、エオローとヤーラーン。
二つの国の間にある海の辺りを。
「実は、今この海域に謎の壁が建設されているのです」
「壁、、、?」
「ええ、物理的な、巨大な壁ですよ。どうして誰も気付かなかったのか、と怒鳴りつけたい程度には。ですが、勿論それにも理由があります」
そう言いながら、彼は予め用意していたペンを手に取り、地図に線を引いていく。
「まず、二国の航路。ヤーラーンの西の島とエオローの中央の島の間で船は行き来します。方角的にはそれぞれ北と南に真っ直ぐ進む形に。この壁はそこから東、地図で言うとここから南東の位置に建てられているのです」
「つまり、船の往来を妨げる目的では無いという事ですね?」
「その通りです。そして、この壁はある日忽然と姿を現した、と」
「魔導具による隠蔽。認識を阻害する系統の物が使われた可能性がありますね」
ようやく笑みに戻った顔で私に頷く王子。
「ええ、その通りです。そして最大の問題が」
エオローの五つの島。
それをペンで突きながら、彼が声を潜めて語る。
「エオローの五島を治める島の主、その誰もが知らぬ存ぜぬを貫いているのですよ」